2008年03月31日
あの頃

いくとせのはなみるかずやけものらの
子供らが乳母車からヨチヨチ歩きのころ、
よくこの小さな公園に来た。
久しぶりのぞいてみた。
今もそのままに残っていた。
中学、高校生となった今ではもう見向きもしないけれど、
親としては 感慨深いものがある。
2008年03月30日
2008年03月29日
駆け込みてくるもの

子供110番の旗も破れてきたけれど、
おかげさまで今まで一度も、
幼き助けの手を差し伸べられたことはない。
(しつこい押売りの声は幾度もあるけれど)
悲惨な事件が多い。
子供らが安心して外で遊べる社会でないと、
ますます将来が危ぶまれる。
窓から子供らの走り行く声が聞こえる。
あ、そうか春休みか。
そういった声はいくらでもかけ込んで来い。
いつまでも、この旗が役立たないことを祈る。
2008年03月29日
花より団子

日本に生まれてよかったなあ。
2008年03月28日
2008年03月28日
花想う

妻と娘らが春休みでちょっと実家に帰った。
今夜はひとりでせいせいしている。
が、あまりに静か過ぎてなんだかもの寂しい。
やはりあいつらのやかましい声がBGMになっていないと落ち着かない。
ラジオの音を少し大きくする。
2008年03月27日
2008年03月26日
2008年03月25日
かすれゆく

菜の花も盛りを過ぎて衣替え。
川の水に反射する光もまぶしさ増して、
春はトップギヤ。
菜の花に蝶の姿、今年はあまり見かけないような気がする。
気のせいか・・・。
2008年03月24日
木肌の匂い

どこからともなく木のいい匂い。
ついひと月前までは草ぼうぼうの廃家だった。
近頃は家の建つのもはやい。
止まっていた時間がまた動き出す。
新しい歴史が始まる。
今度はどんな春の灯を点すのだろう。
2008年03月23日
2008年03月22日
小心者の春

身のまわりに何事も無かったように平和な日が過ぎると、
また明日も同じような幸せが続くのだろうかと心配になる。
あまりの穏やかさに小心者はその幸せに疑問を持つ。
このままでいいのか。
いいことは長続きしない。
じたばたしたってしょうがない。
いいことがあったってなくたって、日はまた昇る。
わるいこともまた長続きしない。
2008年03月22日
2008年03月20日
人の形Ⅱ

思い出を重ね着するや市松人形。
この前の雛納めのついでに、
娘らの小さい時からの、
おびただしい数のおもちゃを全部始末した。
案外子供らはあっけらかんとしたものだが、
親の方が逆に子育てのころを思い出して、
なかなかはかどらない。
この市松人形は祖母からいただいたもの。
もともとガラスケースに入っていたのだが、
阪神大震災でタンスの上から落ちて割れた。
飛び起きなければ、寝ていた僕の頭を直撃していた。
変な思い出である。
2008年03月19日
ブーツ納め

この冬、姉妹揃いのブーツを買ってもらって、
足が痛いといいながらも、出かけるたびに履いていた。
なんだか歩き方がぎこちなかったけれど、
少し大人になった気分なんだろう、喜んでいた。
最近の陽気と雨がきっかけでお蔵いり。
もっと、おんな磨け、君たち。
2008年03月18日
押しのけて

仕事で帰宅が夜中12時をまわる時がある。
飯食って風呂に入ると、そのまま眠ってしまいたくなる。
自分の体積の分だけのお湯を押しのけて、湯につかる。
思えば日ごろ、空気を押しのけて自分は存在しているんだなあ。
自分が死んで灰になったら、
ほんの少しだけ地球の大気がしぼむのかな?
2008年03月16日
とげとげしくも

秋の栗の実もそうだけど、
棘を持つものには、近寄りがたきものがある。
それだけで人の手だけでなく、何もかもを拒否しているように見える。
まだ花も葉っぱもない薔薇の木は、全身を棘の衣で覆っている。
一癖、二癖ある人間のよう。
やがて葉も茂り花も咲くと棘は陰にかくされ、
花の女王のひときわ艶やかなデビューとなる。
それでもきれいな花にはトゲがある。
ご用心。
2008年03月16日
2008年03月15日
2008年03月15日
春の午後

季語の「白き日曜日」とは少し趣きが異なるようだが・・・。
どうみても、
春の午後なんだなあ、この風景。
若いアベックが公園でバスケットをしている。
上衣を脱いで、夢中であそぶシルエットが影もよう。
時折、笑う声が木々の狭間を通ってここまで届けられる。
ボールの音が微妙にスローなリズムで・・・。
春の陽射しを受けて、
座った私の胸は石のようにあったかくなる。
2008年03月14日
きばら

ふるさとのいとこが、漁師さんにわけてもらったという魚の写真をメールしてきた。
「これなんていう魚?」と返信すると、上の返事。そのまま句にしちゃった。
お腹に黄色の線が入ってるからそう呼ぶそうな。
田舎の錦江湾(きんこうわん)が目に浮かぶ。
春の幸。
2008年03月13日
三つ子の魂

子供の宮参りしたのは、ちょうど千年の歴史を誇る古い神社だった。
それからの三年は、千年に勝るとも劣らない充実した年月だった。
千年のように長く感じ、千年のようにあっという間だった。
土壁の崩れた傾いた塀は、
千年の過去を語るにはもってこいかもしれない。
およそ百年にも満たない人間の寿命。
そのなかでも三歳には未来だけが詰まっている。
三つ子の魂百まで。
2008年03月12日
晴ればれと

不思議だ。
ほとんどの生物に雌雄がある。
オス、メス、おしべ、めしべ。
そしてほとんどの生物が、種のために個の命をチェーンのようにつないでいる。
産卵のために急流を遡り死ぬものがいる。
天敵に食われる数も見込んで、おびただしい数の卵を産むやつがいる。
個の命のみじかさを哀れむ人間。
でも、当の本人たちは、無念さや哀れさなどさらさら感じていないのに。
晴ればれとした潔さ。
おそろしく純真で冷静で、全てをそのままに受け入れて、無表情でいる。
そこに世のはかなさの表情を作りこむ俳句人。
できるなら、
俺も晴ればれと、枯れたいものだ。
2008年03月11日
ビジネス

普段あまり男どうし手を握ることはない。女のひとの手も握ったのはずいぶんと昔。
けれども握手となると、これはビジネスの世界ではよくある。あいさつがわりにもなっている。
いっしょに長らく働いてきた同僚が一線を退くことになり、
送別会の最後に握手した。おどろいた。その手の大きさにおどろいた。
何十年もすぐそばにいて、お前の手の大きさに初めて気がついた。
一度しか会わない人なんかとは、数えきれないほど握手してきたのに。
あいつが言った。
「それは俺の手の平がビジネスではなくなったからだ」
手の平にトゲをかくしてこの世界を生きてきたんだなあ。
帰って、自分の手をみる。
この、写真。
2008年03月10日
花絨毯

土手の坂にそって菜の花も黄色の坂の道。
坂をすべって空に舞い上がりそうな花じゅうたん。
菜の花の 丈にかがみて マクロ撮る
2008年03月08日
2008年03月07日
2008年03月05日
2008年03月04日
川遊び

春といっても、啓蟄の頃といっても、まだまだうすら寒い日。
外に出て遊ぶおまえ達がうれしくて、思わずシャッター切ったんだ、
おっちゃんは。




















































