2008年06月30日

六月尽

ポケットに 砂の残りし 半ズボン

                夏物の衣類を出す時期である。

                他の季節と違って、
                夏物のポケットには、なんだか忘れ物が多い。

                一緒に洗われたプールの半券やら、
                泳ぎに行った時の砂の粒。
                十円玉や百円玉。
                去年の夏が残っている。

                一年の間、
                タンスや物入れに眠っていた物が、
                夏の到来を告げるかのように、
                こぼれ出る。

                毎年、夏は、
                じわっとやって来て、
                あわてて去ってゆく。

                だから、
                忘れ物が多い。

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2008年06月29日

のうぜんの花咲く頃

下校路に のうぜんかずら 鐘の音

         夏。
         夏は毎年やって来るけれど、
         今年の夏は、一度っきり。

         小学校の頃。
         なんだかあの頃の夏は、
         毎年、おんなじだったような・・・。

         通学路の途中に、駄菓子屋さんがあった。
         そこのおじさんは、毎朝横断歩道の所に立って、
         子供たちが道を渡る時に、大きな旗を持っていつも誘導していた。

         おじさんは片方の足が悪く、いつも引きずるように歩いていた。
         小学校にあがった時から、
         当たり前のように、朝、おじさんとあいさつをかわし、
         学校が終わると、駄菓子屋に寄っていた。
         別に何も買わなくても、おじさんは何も言わず、
         ときどき、飴玉をくれたりした。

         そんなおじさんが、
         ある日から姿を見せなくなった。
         駄菓子屋の戸も閉まったままになった。

         子供のことで、そんなことには無頓着で、
         そのうちに忘れてしまっていた。

         そのおじさんが病気で亡くなったこと、
         昔、交通事故で片足を無くしたことを、
         母から知ったのは、随分あとのことだった。

         僕はそれを聞くと、
         あの駄菓子屋に走った。
         いつものように戸は閉まったままだったけれど、
         壁から屋根にかけて、
         のうぜんかずらの花がいっぱいに咲いていた。
         それは、毎年のことだったはずなのに、
         初めて見るような花の群生だった。

         この花を見ると、
         花を見上げる、ランニングシャツに半ズボン姿の自分を、
         少し引いた所から見ている、
         もうひとりの今の自分がいるような気がするのである。

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2008年06月29日

釣れりゃいいっていうもんじゃない

古池に 溜まりて涼し 雨の水

            雨あがる。

            久しぶりの釣行。
            夜明けと共に起きて、車を走らせる。
            池に着くと夜明けの朝空を水面にきれいに映して、
            沖の方でもじりが見える。

            この池に初めて来たのは、もう30年位前だ。
            弟とよく来た。
            当時と比べると、
            近くに高速の高架ができたし、まわりには小さな工場や家々も立った。
            この池に来る常連の人も、その頃のことをよく知っている。

            今朝はめずらしく一人。誰もいない。
            こんなときよく、一人で寂しいですね、って言う人がいる。
            そんなことはない。

            釣りのおもしろさって、なんだろう。
            釣れたときのよろこびだろうか。
            釣れたときのよろこびってなんだろう。
            人より多く、ひとより大きなものを釣るよろこびだろうか。

            そんなもんじゃない!

            自分の頭で、竿、仕掛け、えさの作戦を考え、
            釣れたときには、なぜ釣れたのか考え、
            釣れないときにはどう対処するか、考える。
            いろいろの引き出しを用意して、
            それが当たったとき、やってみた作戦が成功したとき、
            そこに釣りの面白さ、醍醐味がある。
            何もこの釣りに限ったことではないと思うのだけれど。

            だから別に、
            池でたった一人で釣りをしていても面白くないということはない。

            釣れりゃいいっていうもんじゃない。
            漁師じゃねえんだから・・・。

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2008年06月28日

ねじ花

ねじ花や 焦がれし恋の 道成寺

                    魚釣りと人生は、
                    実によく似ている。

                    女は男を釣り、
                    男は女を釣ろうと思って、釣られている。

                    ぼくも、
                    魚に釣られて帰ることが多い。

                                     三遊亭金馬

同感!
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2008年06月28日

憧れのハワイ航路

晴れた空 夾竹桃に そよぐ風

                ここ数日、
                どういう訳か、
                八代亜紀の「舟唄」が、
                口をついて出てきて仕方がない。

                それも無意識にこのフレーズばかり。
                仕事中でも、

                 ♪沖のかもめぇ~ぇに・・・♪

                と歌っている自分に気付き、
                思わず辺りを見渡して、
                誰もいないことにホッとする時がある。
                先日、この「舟唄」の記事を書いてからだ。
                困ったもんだ。

                音楽に国境はない。
                自分の心の器に共鳴する歌がある。

                昔、
                飲屋のカラオケで、
                村田英雄の「夫婦春秋」を歌うと、
                必ず泣いてしまう女性がいた。
                中年を過ぎて、そんなに歌もうまくはないのだけれど、
                明るくて面白いおばちゃんだった。

                みんなは面白がって、
                しばらくするとまたその曲をリクエストして、
                おばちゃんに歌わせた。
                おばちゃんも喜んで歌うのだけれど、 

                 ♪ ついて来いとは言わぬのに
                       だまって後からついて来た ♪

                いつも、この先は歌にならず、笑いながら泣いていた。
                そんなおばちゃんが、みんな大好きだった。

                自分の歩いてきた道に、深く染みこんでいる歌もある。

                しまった!
                今度はこの歌が、
                口をついて出てきそうな気がする。

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2008年06月27日

麦藁帽子の少年

麦わらの 帽子はるかに 夢と消ゆ

           大きくなったらなんになる。
           大きくなったら、
           お父さんのお嫁さんになる。

           子供に大人がよくする質問。
           「大きくなったら、何になりたい?」
           僕にとっては、
           一番答えづらい質問だった。

           宇宙飛行士、バスの運転手、先生、お医者さん、ウルトラマン・・・。
           いろいろと、
           友だちは答えていたけれど、
           自分はいったい何になれるのか、何ができるのか、
           正直、全然分からなかった。
           答えようがなかった。
           可愛げのない子供だった。
  
           そんな子供も、
           いっちょ前に大人になり、
           妻をめとり、子をなした。
           それでいいではないか。

           聞かれるのが嫌いだったくせに、
           我が子に尋ねている。
           その娘も、
           今じゃ、ミニスカはいて携帯片手に、
           おでかけ。

           いってらっしゃい、
           将来の私のお嫁さん?

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2008年06月27日

白髪染め

俺たちを 足かせにして 老い白髪

                    実家に帰ると、
                    母が白髪を染めていた。

                    昔は、
                    母があらたまった所に行く時は、
                    パーマ屋さんに行っていた。

                    パーマ屋さんから帰ってくると、
                    きれいな頭になって、
                    なんだかいい匂いがして、
                    僕もうれしかったことを覚えている。

                    いいことも悪いことも、
                    重ねる年月と共に、その髪の毛は少なくなり、
                    父を見送った頃から、めっきりと、
                    白いものが目立ち始めた。

                    入院していた近所の友人が亡くなったとのこと。
                    その葬式に行くのだと言う。
                    年々、そういった知り合いを失っていく母。

                    白髪を染める背中が泣いていた。

                    俺たちを、
                    足かせにして生きてきた母。
                    その足かせの鎖を切らしむものは、
                    孝行しかあるまい。

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2008年06月26日

化粧くずれ

泣き崩る 夾竹桃の 薄化粧

               「女子(おなご)を泣かすとは何ごとぞ!」
               子供の頃、親に怒られた。
               女の子に非があってもだ。

               今の世の中、
               世界中のニュースが瞬時に茶の間に入って来る。
               天災や、事故やら戦争やらで、
               肉親を亡くした人達の嘆き悲しむ映像が、
               すぐ隣であったかのような衝撃で、
               両の目に飛び込んでくる。

               特に我が子を亡くした親の悲痛な叫びは、
               見るに耐えない。
               これは世界中のどんな国でも、
               言葉は違っても、悲しむ顔に差はない。

               私の母親など、
               叫んでいる言葉は分からなくても、
               何度見ても泣いている。

               仕事から帰って、
               子供たちの高らかに笑う声を聞くと、
               こんな幸せはないと思う。

               このblogの中でも、
               海外の国の事情を書き込んでおられる方もいる。

               その中にある、
               貧しさの中の、
               子供たちの笑顔ほど、まばゆいものはない。

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2008年06月25日

一日のはじまり

雨音の とぎれし朝や 鶏の声

              朝、
              計ったように、
              定刻通りに聞こえる音がある。
              世界的にも正確な日本の電車の話ではない。

              隣家の雨戸の開く音。
              朝一番に起きる妻の開ける、扉の音。
              ガスコンロの点火の音。
              水の音。
              そしてトースターのチン。
              パンが焼けた。

              「おはよ」

              皆が起き出してくる。

              今日も一日が動き出す。
              電車の時刻に勝るとも劣らない。

              平凡でもいい、
              毎日平穏にくり返すだけの幸せでいい。

              そうやって今年も180日ほどの幸せが過ぎてゆく。

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2008年06月25日

夏至過ぎて

これからは 長くなるかや 夏至の夜

               夏至すぎて、
               これからは段々と昼の長さが短くなる。
               朝の夜明けも遅くなる。

               毎週、週末に釣行していた頃は、
               七日ごとの夜明けが遅くなるのが目に見えて分かった。
               夏は五時に起きても、
               外はもう明るかったのに、
               そのうち池に着いても、
               暗い中での釣り支度となる。

               これから夏本番という時に、
               段々と日が短くなるというのは、
               なんとなく淋しいもんだ。

               逆に、
               冬至が過ぎて、
               これから日が長くなるというのは、
               寒い季節の中でも、
               こころがほこほことして、うれしいもんだ。

               どちらにしても、
               四季のある暮らしを、
               当然のこととせず、
               感謝してこれからも生きたい。

               朝日の昇る、
               早朝のたたずまいには、神々しいものがある。

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2008年06月24日

流れる水は先を争わない

おぼれ葉を しぶきに消すや 梅雨の川

                   時々、
                   自転車で淀川をのぞきに行く。

                   自転車には、
                   小さな折りたたみイスを積んでいて、
                   河原に座って一休憩する。

                   帯のように流れる川は、
                   一見、止まっているようにも見える。

                   いつも川の流ればかりを見ているので、
                   時折、木の枝や、空缶などが流れてくると、
                   それによって、はじめて水の流れを知り、
                   その速さに驚くことがある。

                   流れる水は先を争わず、
                   来る時には、
                   一心同体でくるから、
                   まとまった雨になると恐ろしい。

                   一心不乱に海を目指す。

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2008年06月23日

焼酎の肴

焼酎や 妻の小言も 肴にし

              原油の高騰で、
              イカ漁が休止されたときに、
              よみうり編集手帳は、
              八代亜紀の「舟唄」を引き合いに出していた。

              ♪ 肴はあぶったイカいい ♪

              の「で」が使いづらくなるといっていた。
              うまいこという。

              そのうち、
              イカはとりあえずの酒のあてではなくなるかも知れない。

              我家でも、
              この所、妻がその方面にうるさくなった。
              水の出しっぱなし、電気のつけっぱなし、金の無駄使い、
              近場の買物は自転車で行く。
              そういう所は、
              私の性格と正反対。なかなか細かく、口うるさい。

              肴はあぶったイカでなくてもいいけれど、
              私はやっぱり、

              ♪ 女は無口なひとがいい ♪

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2008年06月22日

日本の一番長い日

自転車で 地球廻すや 夏至の暮

                  休日の夕暮れ、
                  時々、自転車で川の土手道を走る。
                  この頃は、
                  昼が長くて、日が暮れた頃に帰ると、
                  もう夕食も終わっているときがある。

                  自転車はいい。

                  車とちがい細い路地でも、
                  好きな所に行ける。
                  また歩くよりは、少し遠出ができる。
                  バイクのような疾風感もいいけれど、
                  自転車にはほどよい涼風感がある。

                  そして、
                  何よりも、
                  車輪を通して、
                  自分の足でこの地球を、
                  ゆるやかに廻している感覚が好きである。

                  これから、
                  ゆっくりと夜を長くする。

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2008年06月22日

つば吐き文化

母と見る サヨナラゲーム 暑気払い

この頃は、
雨が降り続いても、
ドームの球場が増えたおかげでテレビ観戦ができるようになった。
うちの母も同じく野球が好きである。
ろくにゲームも見れない私よりも、詳しい時がある。

野球は好きなのだが、この頃気になることがある。
やたらと、つばを吐く選手や監督が目について仕方がない。

レッドソックスの監督など、まるでガムをおにぎりでも頬ばるように噛んで、
カメラで映されるたびに、つばを地面に吐き飛ばしている。
ロッテのバレンタイン監督も同じようにつばを吐く。
吐かれた先にバケツでもあるのかどうか知らないけれど、
監督など2、3時間同じ所につばを吐いている。
吐きだめを想像しただけで気持ちが悪い。
総じて外人に多いような気がする。

高校野球でグラウンドにつばを吐く選手は見かけない。
それはとらえ方の違いなのだろう。
グラウンドは神聖なものだとして捉え、グラウンドに入る時出る時、一礼をする。
何もそれを見習えと言っているのではない。
もう少しそういう場面をなくしてほしい。せめてテレビに映らない時に吐いてほしい。
テレビでアップになった画面で、つばを吐かれると、
なんだか自分に吐きかけられているようで不快感極まりない。
食事をしながら見ている人もいる。

そういう意味では球場で観戦している人には、あまり気にならないことだろう。
つばを吐く所をアップで見ることはないのだから。

文化の違いもあるのだろう。
日本には天に向かってつばを吐くという言葉もある。

野球の解説者も何も言わないし、こんなこと気にしているのは俺だけなんだろうか?

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2008年06月22日

雨ふりゃおけやがもうかる

雨の漏る 屋根ぞなつかし 梅雨晴れ間

 

♪ あめ~ふれ~、あめ~ふれ~、
       あめふりゃ、おけやがもうかるぞっ♪

               僕の生まれた家は、
               代々続く古い家で、
               雨が降ると、よく雨漏りしていた。

               ある雨の降り続く日の夕刻。
               父がその雨漏りを直すことになった。
               大きなはしごをかけて、
               鎧のような雨がっぱを着て、
               瓦屋根に昇った。

               しばらくして、
               庭でドスンッという大きな音がした。
               みな驚いて表に飛び出した。
               父が屋根から落ちていた。

               それから父はしばらくの間、
               人の手助けがないと動けない体になった。
               いつも恐かった父が、
               この時ばかりは妙に優しかった。
               トイレに行くにも、人の肩を借りていく、
               その父の後を僕もついて歩いた。

♪ あめ~ふれ~、あめ~ふれ~、
       あめふりゃ、おけやがもうかるぞっ♪

               このころ、
               動けない父がよく昔話をしてくれた。
               この 「かさ売りお花」 の話のなかでは、
               あめふりゃ、傘屋がもうかるぞ、だったけれど、
               父はいつも、桶屋にもうけさせていた。

               父が元気になるまでは、
               我家の雨漏りは直らず、
               座敷にはいつも雨受けの、
               丸い桶が置かれていた。

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2008年06月21日

笑わせる

金のなる木を笑いつつ如露の水

                   金のなる木、だと。
                   笑わせる。

                   妻が金のなる木をもらってきた。
                   これで我が家も安泰だ、とはいかない。

                   検索するとその名の由来も書かれているけれど、
                   あまり調べる気にもならない。

                    「一円玉でもいいんだけどなあ・・・」
                   俺が言う。

                   「夢のない話やねえ」
                   妻。

                    「一円玉やから?百円玉やったら夢のある話やの?」

                    「夢のレベルがちがうわ」

                   夫婦で夢のある話をさせてくれる、金のなる木。

                   妻が水をやり、俺が写真。
                   花言葉は一攫千金だと、
                   笑わせる。

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2008年06月21日

血がさわぐ

百姓の 小鉢に咲くや プチトマト

               もう畑仕事もできなくなった母が、
               家のまわりで、
               小さな鉢にプチトマトを植えている。

               観賞する草花よりも、
               どうしても口に入るものが優先される。
               だから母の家には、
               花壇のようなものはない。

               少し場所を見つけては、葱を植えたりする。
               土に対する愛着というよりも、
               執着のようなものを感じる。

               長年の、
               百姓の血が、
               そうさせるのかも知れない。

               そろそろ、
               目を楽しませるために、土をいじってほしいと、
               都会暮らしの長い息子は思うのだが・・・。

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2008年06月21日

条件反射

便箋は くちなし香る ものとなり 

              梅干をみると唾が出る。
              蛇を見ると鳥肌が立つ。

              くちなしの匂いは、
              真白な便箋を思い出させる。

              高校の頃、
              一時、文通がはやった頃があって、
              僕も、カナダの人と、
              日本の女子高生と文通していた。

              ある日、
              その女子高生からの手紙の中に、
              くちなしの花びらが同封されていて、
              開けた途端、あのくちなしのなんとも言えない、
              甘酸っぱい匂いが部屋中にたちこめた。

              白い便箋に包まれたくちなしの花。

              夏の陽射しの強くなりはじめる頃、
              家の前に、郵便の赤バイクが止まるのを、
              待ち遠しく思うようになった。
              国語の教科は苦手だったけれど、
              便箋に精一杯の文字を書きならべた。

             ♪ くちなしの白い花 お前のような花だった ♪

              顔も知らない相手だったけれど、
              この歌を聞くと、あの頃を思い出す。
              以来、
              白い便箋からは、
              必ずくちなしのにおいがするようになった。
              私の条件反射。

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2008年06月21日

梅雨の頃に

長雨も 一息つくや 軒簾

                 雨が降る。

                 しなやかに大地を打ちながら、
                 木々の緑は、なおあざやかに。

                 泣きくずれるように、
                 地面にひろがる、
                 夾竹桃のうす赤き花びら。

                 雨音は、
                 屋根にはじまり、葉っぱを鳴らし、ものほしを打つ。
                 苔むした手水鉢にしみこみ、
                 水たまりに小さな波紋を残す。

                 いっさいがっさいを音にして、
                 退屈な、私の耳を打つ。

                 かすかに軒簾が揺れている。

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2008年06月20日

穴の開いた右のポッケ

夜店の灯 思わずポッケ つっこむ手

               「泥の河」 、宮本輝。
               この映画を見て、
               涙ぐんだシーンがある。

               主人公の少年が友達のきっちゃんと、
               なけなしのこずかいをもらって縁日に行く。
               りんご飴を買うところだったか、
               代金を払う段になって、
               ポケットに穴が開いていて、
               もらった小銭がなくなっていたシーン。
               うす汚れたランニングシャツに半ズボン。

               昔、
               父にかくれてこっそり母がくれたこずかいを持って、
               よろこびいさんで出かけた縁日で、
               まったく同じような目をした。
               あれほどポケットに開いていた穴を恨んだことは無い。
               家に帰って、
               母の顔を見た途端、大泣きした

               テレビから美空ひばりの曲が聞こえる。
               東京キッド。

               この頃の、
               若者の右のポッケにゃ、夢がない。

               きっと、穴でも開いているのだろう。

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2008年06月19日

ある写りの悪い満月の夜に

飼いたいと せがんだ猫や 宵の月

            夜遅く、
            駅を出て、
            ふと空を見上げる。
            大きな月が、
            帰り道を照らす。
            他には誰もいない、
            貸切の月。

            小さな川の橋を渡り、公園を横切り、近道の路地を抜ける。
            月はずっとついてきて、今は神社の森の上。

            小さい頃、
            どこからともなく子猫が後ろをずっとついてきて、
            親に飼いたいとせがんだことがあった。

            家の前に着くと、月は屋根の上。

            「うちではお前を飼うことはできないんだよ」

            あの時、あの子猫に言った言葉をつぶやいた。

            携帯を取り出し、道の真ん中で足をひろげ、
            写りの悪い写真を撮る。

            あのときの猫、
            もうとっくに星になっちまったんだろうなあ・・・。

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2008年06月18日

脳みそに釣り糸を垂れる

色々と 重荷背負いて 水面下

         今度の日曜日もまた天気が悪そうだ。 
         この所、休みの度に雨が降っている。

         以前は雨だろうが雪だろうが、朝早くから出かけていた。
         へらぶな一枚の顔を見るために。
         そういう釣り師が他にも沢山いた。

         この頃は雨になると、気力が失せてしまう。
         年のせいだろうか。
         しかし、テレビの釣り番組でへら釣りを見ると、うずうずしだす。
         ウキを見ているとまたその気になってくる。

         だから週末の天気が悪い時には、
         釣り番組でへら釣りをやっていないことを祈る。

         あるテレビの番組で誰かが 「脳みそに釣り糸を垂れる」 と言っていた。
         面白い企画やアイデアが浮かばない時に、
         ひたすら脳みそに釣り糸を垂らして、釣り針にひっかかるのを待っている。
         それならへら釣りのハリではだめだ。
         へら釣りのハリはカエシのないスレバリだから、
         せっかくグッドアイデアを思い浮かべても、
         ちょっと油断して糸をゆるめてしまうと、すぐにバラしてしまう。

         バラした獲物は、なかなか釣れない。

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2008年06月18日

常夜灯

日盛りも 暮れてしまうや 常夜灯

             今日は仕事が早く済んで、
             夕食もみなと一緒に食べた。
             ビール飲んでテレビ見ていたら、眠くなった。
             そのままうたた寝。
             熟睡して、目が覚めたら気分が良かった。
             もう夜中かと思ったら、
             あれからまだ10分しかたっていなかった。

             信じられな~い。

             台所で洗い物をする妻と娘に言うと、
             どうやらいびきをかいていたらしい。
             もう年か?くたびれた肉体。

             網戸の向こうから、涼しい風。
             日中は暑くても、まだ夜は過ごしやすい。

             表の門灯のこぼれ灯が、
             庭の草花を淡く照らす。

             蝉の声も、
             虫の音も、
             まだ聞こえぬ静けさを、
             一人、
             酒とじゃれあう老体なり。

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2008年06月17日

山のあなたの空遠く

湧き出ずる 山の向こうや 夏の雲

        実家の家の窓から、
        金剛山がよく見える。

        昔はあの山の向こうに何があるのか、
        どんな世界があるのか知ることもなく、
        一生を終える人もいたのではないだろうか?

        その村から一歩も出ることもなく、
        人伝えに聞く遠い他国の話はおそらく自分には関係のない、
        他人事のような世界だったのかも知れない。

        今はあの山どころか、
        一瞬にして地球の裏側の話や映像を、リアルタイムに知ることができる。

「着物は父から子、孫へと譲り渡していき、おむつやぞうきんにして最後まで大事に使う。ぞうきんにする布は50年も100年も前のものだったかも知れない。たんすの場所も、鍋を置いてある場所も、生まれてから死ぬまで家の中は何一つ変わらない。そんな時代だったんだろうと考えました。」
  映画「たそがれ清兵衛」山田洋次監督より。

         山のあなたの空遠く 幸い住むと人のいう・・・。

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2008年06月17日

雑草という草はない

俺おまえ 何の不思議も あるじゃなし

        6月も半ばを過ぎ、
        これから気温がグングンと上がってくる。

        日曜日。
        久しぶりに車を洗った。
        洗っていると隣のおばちゃんに
        いつもきれいにしていますね、と言われた。
        いえいえめったに洗っていません。目の錯覚でしょう。

        庭に草花が咲いている。
        雑草という草はない、と誰かが言っていたけれど、
        その種類の多さに圧倒される。
        地球上に草花が登場したことによって、
        哺乳類は恐竜の支配する地上に生き残れた、
        ようなことをテレビが言っていた。

        花はミツをもち、実をつくる。
        大自然は色々な方法で子孫を残してきた。
        弱い物は天敵に食われる数も見込んで、大量のおびただしい卵を産み、
        哺乳類はある期間、母親の胎内で大きくなってから、
        産まれてくるような胎盤を備えるようになった。

        でも不思議なのは、
        ほとんどの生物に雌雄がある。
        オス、メス、おしべ、めしべ。
        ただ子孫を残すためだけなら、
        なにも二つに分ける必要はないような気がするのだが・・・。

        その意味するものは何か?

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2008年06月16日

習 性

梅雨晴れて 天をめざすや 細き首

                  もうその先は、何もないんだよ

                  あきらめて首を垂れるかい

                  それとも、首折れるまでトライしてみるか

                  たまには振り返ってみろよ

                  低いけれど
                  垣根がやさしく横に広がっているじゃないか

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2008年06月16日

紅一点

夏空を 映すや紅き 浮子の華

          暑くなってきた。
          釣りの人たちも、朝早く来て、早めに上がる人が多い。
          夏でも、まだ日が昇らないうちは、しのぎやすい。
          日が昇ってからは、支度するだけで汗だくになる。

          ひまわりのように、日の向きに合わせて、パラソルの角度を変える。
          日焼け用心。頭からタオルを被っている人。
          そんなことには全くお構いなしの、
          目がどこにあるかわからないような真っ黒な人。
          寡黙な人、おしゃべりな人。
          釣り人にもいろんな人がいる。

          今日の隣人は、
          えさを振り込むたびに、
          そのバラケエサを僕の目の前に、ポチャンと落としている。
          振込みが強すぎるのか、エサが柔らかすぎるのか。
          それに気付かずに打っている。

          胴の色がまっかっかの浮子(ウキ)。
          そのウキのなじみかたで分かりそうな気もするのだが、
          知らない人なので、黙っていた。
          そのうち、僕のパラソルの上にも当たるようになった。

          「えさ、はずれてますよ」 と言ってやろうと思って、
          パラソルの影から顔をのぞかせた。

          向こうもパラソルを出して、頭からすっぽりタオルを被り、長袖で腕を隠し、
          さらに手の甲まで覆っている。
          まるで昔の忍者だな、と思いながら声をかけた。

          おどろいた。

          「あっ、そうですか、えらいすみません」 と言ってきた。
          文章で書けば普通の返事だがその声はまさしく、女性の声だった。
        
          あまりしゃべらない二人連れだな、とは思っていた。
          向こう隣はご主人らしい。
          時々、ふたりであちこち出かけているそうだ。
          子供たちも独立して、主人の釣行に奥さんも同行するようになったらしい。
          こんなところに女性はいないという先入観があるから、
          全然気付かなかった。

          昔の忍者より、おどろいた。

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2008年06月15日

金魚すくい

掬われて さだめ破るや 金魚鉢

         この頃、
         刃物を使った凶悪な事件が多い。
         刃物は使う者によって、
         すぐれた道具にもなり、恐ろしき凶器にもなる。
         人類が石器を使い始めた頃からの、
         紙一重の宿命なのかも知れない。
         哀しいことだ。

         ひとり暮らしの母の住む、
         実家の台所には、ちびった一本の包丁がある。
         元々の長さの半分くらいになっていて、
         ペティナイフのようにも見える。

         昔、九州の片田舎から大阪に家族で出てきた頃は、
         うちの親たちも色々と失敗やだまされるようなことがあったらしい。

         ちょうどその頃、
         ある日、母が街に買物に出かけると、
         道に包丁を売る露店が出ていたらしい。
         バナナのたたき売りではないけれど、
         露天商は言葉巧みに、その切れ味を誇張していた。
         母はそのしゃべりの面白さもあり、店の前に立った。
         そして、最後に「奥さん、これどうです?」 と母にその包丁を差し出した。
         母はただ手に取って見るだけのつもりで受け取ったのだけれど、
         受け取ると、露天商は、
         「はいっ、まいどおおきに!」 と言って、
         結局母はその、目が飛び出るような値段の包丁を買うはめになった。

         その日、家に帰った母が、父にどう説明したのかは知らないけれど、
         以来、その包丁は母の右腕となった。
         値段は高かったけれど、物は本物だった。
         その包丁を真剣な表情で研いでいる父の姿を思い出す。
         柄が古くなると交換し、刃は父に研がれ、四十年以上の間に、
         包丁は母の背中のように、本当に小さくなった。

         「もう、十分に元はとったのとちがうの?」 と母に言う。
         母は笑うだけで何も言わないけれど、
         あれ以来、この包丁は、母自身への戒めと教訓になってきたのだろう。
         そしてもうひとつ、父との絆にもなっていたのかも知れない。

         今日は父の日。
         亡き父に代わり、今日は僕がその包丁を研いでやった。
         それが、あの世の父への贈り物になるような気がしたからである。

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2008年06月14日

恋人と待ちあう朝

 愉しみは 開く雨戸の 百合の花

                    庭に、
                    たった一本の花。
                    一茎にふたつの百合の花。

                    この間から大きなつぼみを、
                    鳥の嘴のようにふくらませ、
                    恋人のようにわざとらしく、
                    じらせてきた。

                    雨のあがった朝。
                    雨戸の向こうに、白き花弁。
                    はみでた下着を見られたような恥じらいで、
                    庭の隅にひっそりと咲いていた。

                    毎朝の寝ぼけまなこに、
                    雨戸を開ける愉しみができた。
                    緑をバックに朝の光を受けて、
                    しばらく待ち合わせの恋人がいる。

                    それだけで、
                    心が久しぶり、若返るから不思議である。

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2008年06月14日

石投げ

石を投げ 波紋残すや 夏の川

         人間って、面白いなあと思う。

         車を運転する人なら、
         経験があると思うけれど、
         渋滞にあって、車線変更したい時に、
         ウィンカーだけではなかなか入れてくれなくても、
         窓から手を差し伸べて、入れて下さいと手を振ると、
         案外すっと入れてくれる。
         機械的なものよりも、
         わざわざ手を使うところに、人は誠意を感じる。

        以前、仕事でアメリカに行った時、
        デトロイトの空港で次の便に乗り換えるのに、
        空港内のバスに乗った。
        僕は出入り口の所に乗っていたのだけれど、
        その途中のバスストップで、
        扉が開くと同時に、乗り込んでくる人から、
        「Is this bus ・・・・?」 ときかれた。
        まだ英語に慣れていない頃で、
        それしか聞きとれなかったけれど、
        このバスは、どこどこ行きかと聞いているのが、
        その表情と手ぶりでわかった。
        思わず、「I don't know」 と答えた。
        あとで考えると、
        自分の乗ったバスがどこ行きか分からないと言うのもおかしな話だ。
        もっともこの時は、先輩に連れられていったので、
        実際に知らなかったのだけれど。
        この時、黄色っぽいジャンパーを着て、入口に立っていたので、
        車掌と間違われたのかも知れない。

         今日、川の土手道に自転車が止まっていて、
         そのサドルの上に、ワンカップのお酒がのっていた。
         河原をのぞくと、
         中高年のおっちゃんがひとりで石投げをしていた。
         あまり楽しそうではなかったので、
         気を使い、当人ではなく、鞍の酒を写真に撮った。

         人間も面白いけれど、
         この酒も、何かを語りかけてくれる。

2008年06月14日 »

2008年06月13日

新婚旅行

夏日なる 新婚の旅 ゴーヤ植う

        今年は庭にゴーヤを植えてみた。
        毎朝、見るたびに伸びてきている。
        今日は陽射しが夏のもの。

        ゴーヤといえば沖縄。
        沖縄には昔、新婚旅行で行ったきりだけれど、
        ゴーヤを植えると、なぜかあの頃を思い出す。

        結婚前の付き合いも長かったのだけれど、
        二人とも飛行機に乗るのはこれが初めてだった。
        離陸と着陸の時には緊張した。
        那覇空港でレンタカーを借りると、
        土産物屋のおっさんに車でつきまとわれて苦労した。
        いいカモに見えたのかと思うと腹が立った。

        ホテルでは翌朝、
        海辺を散歩してホテルをふり返ると、
        一つのテラスの所に、異様に人がたくさんひしめきあっているのが見えた。
        この時は、何をしているんだろうぐらいしか思わなかったのだけれど、
        旅行を終えて帰る日の前の晩、
        別のホテルから妻が実家に電話して初めて知った。
         夫が花嫁をテラスから放り投げる事件があったらしい。
        パトカーの音がしたわけでもないし、宿泊客に考慮して、
        ホテル側が分からなくしていたようだ。
        その時、なんとなく合点がいった。あまりそういう所に似合わない人たちが、
        うろうろしていたような気もした。

        一週間の旅行から帰ると、
        空港に義父が迎えに来ていた。
        そういうことは滅多にしないと聞いていたけれど、
        なんとなく気持ちがわかるような気もした。

        いろいろとあった旅だったけれど、
        妻が、「子供たちを連れてもう一度、あの沖縄に行きたい」 と、
        言ってくれる。
        必ず行こうと、ゴーヤの花を見てうれしく思う。

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2008年06月13日

迷惑な鶴の恩返し

青鷺の ふり向く背中 父に似て

     「絶対に振り向いてはならない」とか
     「絶対に覗いてはいけない」とか。
     ギリシャ神話や日本民話の中によく出てくる。

     振り向いてしまうと、石になり、
     覗いてしまうと恩返しの鶴がどこかへ飛んでいってしまう。

     あれはいったい何なのだ。
     母親や恋人の嘆き苦しむ声に、振り向かない奴がおるか?
     心底から心配する年寄りが、覗いたからといって、それがどんな大罪になるのだ。
     それがショックで倒れてしまいかねないではないか。

     昔話にはたいへんためになるものもあるが、疑問に思うものもある。

     小学生の頃、
     教科書の歯磨きの教えのなかで、
     ある子供が歯磨きを忘れて寝ている。
     すると、夜中に虫歯のバイキンがどこからか飛んできて、
     子供の開いた口の中に入り込み、
     持っているヤリで歯を攻撃して虫歯にするという話があった。
     だから寝る前には歯を磨くのだと教えられた。

     その時、正直思ったことは、
     寝る時には歯を磨かなくても、
     口をしっかり閉じていればいいんだと子供心に思った。
     しばらくそれをまじめに通していた。

     鶴の恩返しも迷惑な話だ。
     その後のおじいちゃん、おばあちゃん、
     鶴の織った織物を売って長者になったんだっけ?

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2008年06月13日

心象風景

この梅雨も 同じ暮らしを 積み重ね

       久しぶりの公園の緑道。
       けものたちが今もそのままの姿で鎮座していた。
       子供たちが大きくなってからは、あまり来ることもなくなったけれど、
       乳母車からヨチヨチ歩きの頃、よくここで遊んだ。

         「ひさしぶりですね」 きりんさんが言った。
         「まわりの木も大きくなりました」 角の欠けた鹿さんが言った。
         「ぼくの背中からすべり落ちたあの子は元気ですか」
         くまさんが心配そうに言った。
         「もうあれからどれ位、時が過ぎたのでしょう?」
         「まるで昨日のことのような気がします」
         かばさんと、うさぎさんが言った。

       「もう15年か16年ですよ、年をとりました」
       時の止まった風景に向かって、私がつぶやいた。

       気分が落ち込んだ時、こういう場所に来ると、
       なんやかんやいっても俺も人並みに頑張ってきたんやないか、
       と自分で自分をほめてやりたくなる。

         「この15,6年、私たちもいろんな親子を見てきました」

         帰りかけた私の背中で、時が動き始めた。

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2008年06月12日

わが家の掲示板

開け閉めに こよみを見るや 冷蔵庫

                この頃は、
                掲示板と聞くとなんだか、
                うさんくさいにおいがするようになった。

                サイトの掲示板への書き込みがどうのこうので、
                どうも悪質な事件性をはらんでいる。
                言葉も時代と共に変遷をくりかえす。

                わが家の掲示板は冷蔵庫。

                子供らの学校通信やら、
                料理のレシピやら、伝言、書きつけメモ、果てはマーカーボード。
                いたるものがマグネットで張られ、またはぶら下げられ、
                写真で見てもとても冷蔵庫に見えない。
                主に妻の物が多い。

                あまりベタベタ張ると、
                冷蔵庫が熱を持ってよくないといって、
                以前はしばらく張り物も少なかったのだけれど、
                自分で言っておいて、
                いつのまにか元の木阿弥。

                 「かたつむり めざすところは 花の中」
                六月のこよみに、あじさいの水彩絵とともに、一句あり。

                もう何年もこの場所に掲示されているカレンダー。
                めざすところは結局、この場所であり、
                ここにないと何だか気の抜けたサイダーになる。

                六月。
                扉の開閉が多くなってきた。

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2008年06月12日

美しさの証明

美しさ どろにまみれて 田植唄

    アインシュタインは、9才の時に、
    ピタゴラスの定理の美しさを、寝る間も惜しんで証明したらしい。
    ・・・と書いても凡人には、
    美しさを証明すること自体がちんぷんかんぷんであるのだけれど。

    数学者によると、自然界は雪の結晶のように、
    美しい方程式で成り立っているそうだ。(ほんまかいな・・・)

    田んぼの上空に、人間の作りだした造形美が出現した。
    出現したといっても、
    脚の部分ができてから、なかなかその上の部分が出来上がらなかった。
    2,3年もの間、脚ばかり見てきた。
    いろいろと事情があったらしいけれど、出来上がってみると、
    人間の力の偉大さを感じる。

    音楽でもなんでも、
    出来上がるまでは難しそうでも、
    完成すれば非常にシンプルで美しいものらしい。

    日暮れには、夕日に染まった橋脚が、
    幾何学模様を大地に映し出し、見る者の動きに合わせて、
    その優美な流線を芸術のように魅せてくれる。

    文明批判もあるけれど、
    人間も、  
    なかなかやるじゃないか。

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2008年06月11日

離 郷

郷の月 最後の夜は 梅雨に入り

                 ふとんから片足を投げて二郎が眠った
                 ランドセルを枕元に置き三郎が眠った
                 人形にパジャマを着せて花子が眠った
                 無邪気な寝顔に私の時が逆流し始める

                 便所の小窓から無数の星がのぞいている
                 酔いつぶれた親父の背中が小さく見える

                 終列車の警笛が天井裏で
                 ほそながあくきょうめいしていった

                 年老いた母が目覚まし時計のねじを
                 ぎっちりと巻く

                 そうやって
                 みんなを眠らせてから
                 カランの水滴が
                 正確な周期で
                 私の耳を
                 うつ

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2008年06月11日

ひこうきぐも

行き先を わが子に聞くや 夕涼み

               飛行機雲を見るたび、
               14年前の娘との会話を思い出す。
               2,3歳頃の娘は飛行機が大好きだった。

                「あっ、おとうさん、ひこうき!」

                「あっ、ほんとだね、あのひこうきどこまでとんでいくんだろうね」

                「ひこうじょうだよ」

                「・・・・」

                夢があるよなないよな、でも少しハッとしたよな。

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2008年06月10日

母の背中

売られゆく 牛の瞳や 我の顔

     母は今年で八十になる。
     今だに自転車には乗れないけれど、
     昔、牛車には乗っていた。

     この頃、牛なんて見なくなった。馬も見なくなった。
     小さい頃、わが家には牛がいた。
     牛が荷車を引いてよく山の畑仕事に行った。
     父は大阪に単身、働きに出ていたので、
     いつも母が子供たち3人を荷車に載せて、畑に行っていた。

     そんなある日。
     牛車はいつものように、
     私たち子供とワラを後ろにいっぱい積んで、山道を家路についていた。
     母は牛の手綱を引いて先頭に乗っている。
     牛は速くもなく遅くもなく、しっぽをふりふり牛車を引いていた。
     すれ違う者もいない、車輪の音だけが響く、それは静かな山村の夕暮れ時だった。

     弟や妹は後ろでウトウトしていた。
     僕も牛車に揺られて眠りかけていたその時、
     牛の鞍と牛車を繋いでいる金具の片方が、突然ガタンとはずれてしまった。
     驚いたのは牛で、猛烈な勢いで走りだした。
     そのはずみで母は振り落とされたのだけれど、手綱だけは放さなかった。
     山道を引きずられながら 「どう、どうっ」 と叫び、
     必死で牛を落ち着かせようとしていた。
     どれぐらい走ったのかは、よく覚えていないけれど、やっとのことで牛車は止まった。

     母は一生懸命に牛をなだめて、金具を直し、前でまた手綱を握りなおした。
     僕は牛車に飛び乗った。その衝撃で牛がビクッとして、また走りかけた。
     母は目でにらみ、そっと乗れと言った。

     もともとはおとなしい牛だった。
     ある日、学校の帰り道、知らないおじさんに引かれていくその牛とすれちがった。
     片方の角が半分折れていたのですぐに分かった。一瞬、目が合った。
     向こうも気づいたように、思えた。
     しばらくその後姿を見送り、一目散に、
     家に帰って聞いてみると、売ったのだという。

     家族で、父のいる大阪に出る前の年のことだった。

     牛を見ると、いつもあの時の母の勇姿を思い出す。
     体格はいいけれど気の小さな母がよく・・・と今でも思う。
     父のいない留守を守る母の背は、
     父の背中をも、ぼく達に必死で見せていたのだろう。

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2008年06月09日

若葉の頃

納車日は 車の中で 夜を明かし

      どけどけとしか聞こえないクラクション    (よみうり時事川柳より)

     自分でも車を運転する身だからよくわかるのだが、
     車のクラクションというのは、どうしてあんなに不愉快で無粋な音を出すのだろう。
     おそらく法律で、
     何メートルの地点で何ホン以上というようなことが決められているのだろうが、
     もう少しなんとかならないかと、運転する側でも思う時がある。

     そこのけという意味ではなくて、
     後ろから来ていますよ、今から横を追い抜きますよ、
     という意味でクラクションを鳴らす時がある。
     ほんのかるく鳴らしたつもりなのに、思いのほか大きな音が鳴ったりすると、
     ギロリとこちらをにらみ返されたりする。

     以前、前を走っている自転車の横を追い越そうとしたとたん、
     急にその自転車が車の前を横切って方向転換したことがあり、
     もう少しでぶつかりそうになったことがある。

     前から思うのだが、通常のクラクションの他に、
     もう少し愛想のある音の出る奴があればいいと思っている。
     そういうものが市販されているのかどうか知らないけれど、
     ちょっとこちらの存在をやさしく知らせる物はないものか?
 
     クラクションが喧嘩を売る道具になってはいけない。

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2008年06月09日

廃 家

廃れ家の 時は腐れど 夏の草

          人の住まなくなった家ほど無残なものはない。

          昔、一面たんぼだった所に新しく住宅街ができあがった。
          若い夫婦は一生懸命働き、子供を育て住宅ローンを完済し、
          そこそこの老後を楽しんでいた。

          そうやって、やがてさらに時は過ぎ、
          年老いた親は一人では暮らせない身体になる。
          孝行の子供は親を自分の家に引き取り、
          あるいはやむを得ずホームに入所させる。

          せいくらべのキズの残る柱や、兄弟喧嘩でできた壁のへこみの跡。
          いつも家族の写真を飾ってあった、壁の額の跡の白さ。
          お父さんの作ってくれた台所の棚。
          当たり前のように、そこに沁みこんでいたものが、思いとともになくなる辛さ。

          家にはその家ごとの歴史がある。
          ひとつの歴史は閉じられ幕が降りる。
          その一幕一幕が延々と綴られ、時代は過ぎてゆく。

          そうかと思うと、写真のような家に新しく住みつく人もいる。
          引っ越して来た頃には、荒れ果てた家でも、人が住みだすと、
          生垣は綺麗に剪定され草は抜かれ、やがて花も植えられる。
          見違えるように新しい歴史が始まった家も近所にある。
          そういうのを見るとなんだか嬉しくなる。

          新築の家だけが、歴史のはじまりではないのである。

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2008年06月08日

乾きにくい涙

天見れば 雲固まりて 風の死す

      この同じ空の下、
      悲しいニュースが起こる。
      どこそこで何月何日、何時何分ごろ・・・と。

      そういうニュースを耳にすると、いつも思う。
      ああ、何時何分ごろ自分は何をしていただろう。
      ちょうどあの頃、同じこの空の下のどこかで悲しい出来事があったんだと。

      胸の張り裂けそうな悲痛な叫びが、この大空にこだまし、
      戻らない魂が天に昇って行く。

 
      時間を戻せるなら、取り戻せるなら・・・、喉の奥から振り絞った声。

      一番乾きにくい涙を流す人に、かける声も失い、
      ただ、天を仰ぎ見る。

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2008年06月08日

「嫌いな花ありがとう」

きれいのれ らと間違えし 母メール

          母に花を贈った返事のメール。

          妹がひとり暮らしの母に、携帯メール教えてもうすぐ二年になる。
          八十近い母に教えるのも大変だったと思うけれど、
          メカのことなどまったく分からない母がよく覚えたもんだと感心する。

          年老いて万一のことを考えてのこともあるけれど、ひとつはボケ防止もある。
          ひとり背中丸めて一生懸命ボタンを押す姿を想像すると、
          かわいそうな気もするけれど、この頃は随分と上手になった。

          メールのおかげで、口では照れくさくて言えないことでも、
          文字だと素直に思いを伝えられる。

          そして、今だに日本語の面白さ、教えてくれる。

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2008年06月08日

困ったもんだ

ぼたもちの 梅雨雲のせて 棚の下

   今日は昼からの釣行。

   雨が落ちそうな天気。朝からの釣り人はなかなか釣れていないらしい。
   ずらりと並んだ堰堤に入る。
   遅れてはいるので、隣の人に何尺か聞く。13尺。同じ長さの竿を出す。
   本当はもう少し長いのが好きなのだが。
   短尺の好きな人もいれば、長竿の好きな人もいる。
   どちらかと言えば長いほうが好きだ。
   へらを掻けたときの取り込みの感触がたまらない。
   短い竿は楽だけれども、どうも竿で釣っている感じがしない。

   釣り支度が済むと、小雨が落ちてきた。パラソルを広げて釣り開始。
   この前の仕掛け、えさ、で始める。

   30分位えさ打ちしたころ、モズッとした当たりで、のってきた。
   朝から釣れない周りの人に気を使いながら、静かに取り込む。

   しばらくしてまた釣れた。
   「まぐれ、まぐれ」 と心にもないことを言いながら、取り込む。

   打ち返す。
   ゆっくりとウキがなじんでいく。
   ふわりと少しだけもどしたあと、シュッパッとウキが消しこんだ。
   また、釣れちまった。困ったもんだ。

   打ち返す。
   もうしばらくあたらんどいて。
   と思う間もなく、またウキは水中にもぐってしまった。竿を上げたくないなあ。
   いやいや(?)上げると、これまた40cm近い良型が、大きな口を開けて上がってきた。
   困ったもんだ。 素直に喜べない苦しさ。

   打ち返す、たびに釣れてくる。

   どうなってんの?
  
   まわりは、しまいに無口になり、いや~な空気。
   とうとう仕舞いはじめた。

   困ったもんだ。

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2008年06月08日

夕 日

早乙女の 姿見たよな 赤き帯

         今日は風の強い一日だった。

       娘に頼まれてレンタル屋まで運転手。
       娘の用がすむまですることもないので、
       店内のエレベーター横にあるベンチに腰掛けていた。

       普段あまり気にもかけなかったけれど、結構小さな子供連れの親が多い。

       若いお母さんに手を引かれて、ちっちゃな女の子がエレベーターを待つ。
       ベンチに座っている私とちょうど目線が合う位置。
       黒い瞳が大きくて可愛い。上の娘の小さい頃に似ている。

       以前、目を合わせて愛想をしたら泣かれたことがあるので、
       なるべく目を合わさないようにする。
       彼女が目をそらした隙に、目線をもどすのだが、
       すぐに彼女も私の顔を見る。また、すっと目をそらす。

       そんなやりとりをしているうちにエレベーターに乗り込んでいった。
       乗り込んでからも扉が閉まるまでじっとこちらを見ていた。
       私は手を振った。
       最後の最後に彼女は小さく手を振った、ような気がした。

       この新しくできたレンタル屋の下には畑があった。
       後方には病院もできた。宅地化もすすむ。
       横にはまだ田んぼが残っている。
       田植えされ、少なくとも収穫までは残るのだろう。
       ちっちゃな苗が風に揺れていた。

         さっきの女の子が手を振っているような気がした。

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2008年06月07日

今も、そのままに

娘抱き ランチ囲みし 時あらん

            光陰矢の如し。

         歳をとると時間の経つのが早く感じられる。

         聞く所によると、
         時の長さはその人の一生を、
         その時の年齢で割った長さに比例して感じるらしい。
         一日の長さでも若い時は長く感じ、年をとると段々と短く感じる。

         子供たちが小さい頃に行った場所に、再び行くことがよくある。
         あの頃とは異なった印象の風景に見えるのだが、
         そこにあるものたちは、あの時のままに残っている。
         それが逆に、何やら淋しい。

         木製ではないので朽ちることもない、イスとテーブル。
         どこにでもあるようなものだが、
         自分たちが使ったものには、愛着もあり思い出も残っている。

         今もそのままに残るもの。
         できれば過ぎし時間どおりに朽ち果て、
         もう二度とあの頃には戻れないんだと思い切らせてほしい。
         そうでないと、
         ここであの頃の幻を、目にしてしまいそうな気がする。

            時の流れを、しみじみと心に残す風景がある。

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2008年06月07日

眺 望

寄添いて 瞼の裏に 描く絵や

   公園の小さな丘の上にベンチがある。

   見晴らしのいい台地から公園が一望できる。
   街中の公園は一時の癒しの空間にもなっている。
   ジョギングする人、散歩する人、犬連れて散策する人、絵を描く人、池で釣りをする人。

   私たちもいつものコースを歩いていた。

   目の前を、御高齢のご夫婦が肩を並べて静かに、散歩道を歩かれていた。
   そしてこの丘の上のベンチの前で、おじいさんが、
   「ちょっと休もうか」と言われた。
   「はい、はい」
   おばあさんはおじいさんに促されてベンチに腰をおろした。
   私たちもしばらく立ちどまって、この景色を眺めていた。

   「ああ、いい眺めだ」
   「目の前に池があって・・・  」
   おじいさんはおばあさんに目の前の風景をこと細かく説明しはじめた。
   山々の色と形、池の水に映る空の色、丘の下の散歩道、
   おじいさんはまるで一枚の美しい絵を描くように、おばあさんに話し掛けていた。

   「そうですか、ええ、そうですか」とおばあさんも、
   まるで自分の目が見えるかのように遠方の空を、サングラスの奥から眺めていた。
   これまでのお二人の人生のように、
   この椅子から見える風景を、しばらくじっと共有されていた。

   「そろそろ行きますか」
   おじいさんがまたおばあさんの腕を促して立ち上がった。
   「そうですね、私たちだけでこの景色、独り占めしちゃいけませんね」
   おばあさんはそう言って、おじいさんの横に寄り添い、散歩道の坂を下って行かれた。

   残されたベンチの向こうに広がる景色よりも、美しいものを見たような気がした。

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2008年06月06日

泣 く

一円の 握りこぶしや 父の年

「一円を粗末にすると一円に泣くぞ」
親父が言った。

僕がまだ二十歳前後の頃、ひとり暮らしをしていて、たまに実家に帰ったりしていた。

そんなある日の帰り際、親父が表まで見送りに出た。
車のドアを開けた拍子に、ドア近くの小銭入れから、一円玉がこぼれ落ちた。
一円玉は車の横の小さな溝に落ちた。
拾おうと思えば拾えたのだけれど、ま、いいかとそのままドアを閉めた。
すると、親父はしゃがみこんで溝の中から一円玉を拾い上げ、
「一円を粗末にする者は、一円に泣くっちゅうぞ」と笑いながら言った。
一円玉を受け取り車を走らせた。

ハンドルを握りながら、ものすごく親不幸の念にかられた。
親父は僕がまだ小さい頃、大阪に働きに出て、二年くらいして僕たち家族を呼びよせた。
長男である僕はその苦労を少なくとも弟や妹よりも知っていたつもりだった。
一円玉を拾い上げ渡しながら、
「この一円のためにどんだけ苦労したと思ってるんやっ」と親父は言いたかったのだろう。
小さい頃から親父にはよくどつかれた。
その親父が笑顔で戒めてくれたことが、どつかれるよりよけいに身にこたえた。

もうすぐ親父の十三回忌である。
僕も子を持つあの時の親父の年齢になろうとしている。
一円玉を見て、しみじみ思うことである。

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2008年06月06日

献 血

白服の 見習い持つや 注射針

                     身元不明の
                     屍体のように
                     採血台の上に横たわる
                     ぼくの腕に
                     一匹の蚊がとまる
                     優しさのない力で
                     心臓の壁に小さな穴があくと
                     そこから僕の存在がこぼれ落ちる
                     針を打つ痛みはあっても
                     血を抜かれる感覚は
                     体のどこにもない
                     こぶしを握りしめながら
                     じっと天井を見据えている
                     息するたびに 
                     今朝 食ってきた
                     カレーライスの匂いがする

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2008年06月06日

扇風機の消費期限

愛着を 日付に見るや 扇風機

「40年も前に作られた、扇風機。
絶縁不良で発火事故。80代のご夫婦が火事死。」

Made in Japan の品質の良さが、裏目にでた。
まだ動くから使える。新しいのに買い換えるには、もったいない。
昔気質の老夫婦にとって、新しい扇風機は値段の問題じゃない。

毎年夏になると、物置から取り出し、
初秋にはまた、ビニール袋か何かで包んで物置に直す。
40年のその家の生活の染み込んだ、せいくらべの柱のキズなのだ。愛着なのだ。

どんな物にも寿命がある。
その扇風機もおそらく、40年前と同じ風を一生懸命に送り出そうとしていたのだろう。
家人の汗ばむ顔に、笑顔を見たかったのだろう。
でも、とうとう字の如く燃え尽きてしまった。

わが家にも古い扇風機がある。
写真の扇風機は、死んだ親父から譲りうけたものだ。
裏の日付は、消費期限ではない。
この扇風機が父の家にやってきた日付である。
親父は、テレビ、洗濯機、冷蔵庫、なんでも初めてわが家にやってきた日を記念日として、
忘れないように拙い字で書いていた。
これからの長い付き合いを願って。

親父もまた、昔気質の人間だった。

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2008年06月05日

日本の夏

平手打ち 頬に残るや 蚊の頭

              あっちこっちで、みなが、かしわ手を打っている。
              さっきまで、一匹の蚊に大騒ぎ。

              夕べ、寝ている耳元で、天使のささやき。
              目が覚めてしまい、あと寝つけなかったと、娘。

               「彼氏の、優しくささやく声だったら、よかったのにね!」

               「そんなん、おらんわっ!」

              わが家の女3人から、大ブーイング。

              その返事を、期待していたような、いなかったような、
              父であった。

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2008年06月05日

惚れて通えば千里も一里

真白なる 天の才分 ここにあり

好きこそものの上手なれ。

一向に上手にならなくても、大好きだと言う人もいる。

カラオケでも、どうひいきめに見ても、
神様がこの才だけはお与え下さらなかったのだという友人もいる。

以前、慰安旅行のバスの中で、この友人が歌うと、
「窓ガラスが割れる~」とか、「運転手にきかせるなあ~」と、
それはもう、やいのやいのの大騒ぎ。
でも、当の本人はニコニコして、まわりの騒音が聞こえないかのように、歌い続けている。
またそうやってまわりが騒ぐのを楽しんでいるようにもみえる。
歌はうまくなくても、周りを盛り上げるのが上手なのだ、と最近思うようになった。
彼の後には、それまで遠慮がちだった人たちが、我もと、マイクを握るのである。

「昔、色々あったけれど、歌を歌えば、心がパーッと晴れるんだ」と、
真顔で言ったことがある。

何でも好きになってみるもんだと、彼をみて思う。

いやいや通えば一里も千里。

                (しかし、神様ももう少し彼に歌の才を与えてほしかったなあ)

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2008年06月04日

おかしみ

冷し茶の やかんに映る えびす顔

「褒美の字 放屁に隣る あたたかし」 
               中原道夫

辞書を引いていて、国語辞典に並んだ二つの言葉(ほうび、とほうひ)に、
「おかしみ」を覚えたのだろうと、
読売新聞の編集手帳に紹介されていた。

日本語って、いいなあと思う。

「おかしみ」・・・面白さのなかに、なんだかあったかみを覚えてしまう。
英語でなんて言うのだろう。

わが家の最近の、「おかしみ」。
子供たちが毎日学校に持って行くお茶。
冷蔵庫に入れる前に外で冷ましている。

げらげら笑う、じゃないんだなあ、おかしみって。

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2008年06月04日

りんご箱

食った気も ないではないが りんご箱

             「りんごをかじると血が出ませんか?」
      
            昔、テレビのコマーシャルでやっていた。
            どんな固いりんごやねん。
            初めて聞いた時、そう思った。

            柑橘類も好きだけど、
            りんごにはどこか憧れのような思いがある。
            小さい頃はそんなに口にはいるものではなかった。
            りんご箱だけはうちにもあったけれど。

            りんごはうまさより、あの甘酸っぱい香りがたまらない。
            昔、♪赤いりんごに くちびる寄せて♪、という歌があった。
            あれはくちびるではなく、
            本当は鼻を寄せたのではないだろうかと一人思っている。
            しかし、鼻ではしゃれにもならない。
            歌ではくちびるでいいけれど、
            僕はりんごを見ると無意識に鼻を寄せて、においをかいでいる。
            「う~ん・・・」とうなると、一瞬恍惚状態になる。

            そしてりんごのあのシャリシャリ感が好きである。
            やや固めの歯ごたえのある味が、
            口の中を爽快にしてくれる。

            もちろん、口から血を流すような固さではない。

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2008年06月03日

空 家 (若き日に)

ノブまわし 始めた暮らし 百合の花

                扉の
                つめたい把手を引くと
                時間が 
                ぐらりと ゆらいで
                もぐらのように
                陰影が
                目をほそめた
                未来をもたないこの空間に
                ごみのように溜っているのは
                魚ぐさい 過去
                あそこに
                冷蔵庫を置きましょう
                こっちに
                タンスを置きましょう
                若い妻は
                沈黙のはじまる前に
                はしゃいでみせた

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2008年06月03日

山よりでかいシシは出ん

飛行機の 待合室や 国なまり

          人見知りする。
          初めてのことに緊張する。
          長男、長女に多いらしい。

          上の子が初めて小学校に一人で行くという朝(集団登校だけれど)、
          大きなランドセルの後ろ姿が、心細げでかわいそうだった。
          下の子の場合は、
          お姉ちゃんがいっしょにいる訳だから、そんなことはなかったけれど。

          小学校、中学校と僕は何度か転校したことがある。
          初めての転校は、遠く九州の片田舎から大阪への転校だった。
          田舎なまりが恥ずかしかった。

          大阪でも何度か転校した。
          転校した最初の日。
          言い知れぬ不安が子供心にある。

          母親はそういう息子の不安を取り除くように、
          「山よりでかいシシは出ん、山よりでかいシシは出ん」 と、
          よく口ぐせのように言っていた。
           
          母親にとっても初めての都会だった。
          生まれ育った土地を離れるのは、最初反対だったらしい。
          結局、2年ほど先に大阪にきていた父のもとで、
          家族全員が一緒に暮らすことになった。
          母も近くの小さな工場などに、すぐに働きに出た。

          「山よりでかいシシは出ん、山よりでかいシシは出ん」と、
          母もまた自分自身にそうやって、言いきかせてきたのだろう。

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2008年06月02日

お釈迦様の手のひらの出来事

手のひらを じっと見た日の 歌集かな

        人間の心理なんて微妙なもんだ。

       プロ野球でもパチンコでも、いい時ばかりは続かない。
       野手がなんでもないフライをポトリと落とす。
       ピッチャーはエラーをした奴のためにも、
       なんでもなかったように次の打者に対しようとする。
       抑えてやろうという、それまでの投球にほんの少しだけ、
       ほんとにほんの少しだけ指先に力が入る。

       四球。

       それまでの快投乱麻(?)がウソのように、ストライクが入らなくなる。
       ランナーがたまった所でホームラン。最悪の事態。

       人間の優しさがドラマを作る。 
       それは観ているほうにも分かっているから、観客は金を払って球場に足を運ぶ。

        小学校の一年生の時に、
       学校で映画「孫悟空」の上映会が体育館であった。
       家にまだテレビのなかった頃だ。
       このとき見た孫悟空ほど面白いと思ったことはなかった。
       特にラストのシーンが子供心に今でも胸に熱く焼き付いている。

       これでもか、これでもかと三蔵法師たち一行に困難が襲いかかる。
       それをお供の者たちが知恵と工夫と得意技でなんとか解決していく。
       そして最後にめでたしめでたしで、ああ面白かったなあ、と思っていると、
       カメラは徐々に上空に引いていき、孫悟空たちの一行は段々と小さくなり、
       やがて大きな山々も雲にかくれて見えなくなる。
       それでもカメラはなおも引いていき、
       やがて、大きなお釈迦様の手のひらが現れてくる。

       なんと、今までの悪戦苦闘、スリル満点の長い物語は、
       全てお釈迦様の手のひらの上での出来事だったのだ。

       どんなことがあってもクヨクヨするなということだ。
       所詮はお釈迦様の掌中にあり、ということだ。

            人間なんて、ちいせえ、ちいせえ!

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2008年06月01日

忘れがたきふるさと

 

かの川の 橋のたもとや 石地蔵
♪ うさぎ追いしかの山
      こぶな釣りしかの川 ♪

    小さい頃、
    この 「かの川」 は自分たちの地元の川のことを歌っているとばかり思っていた。
    神川と書いて地元では 「かんの川」 とよんでいた。

    その神川小学校にいた頃、弟と二人で 「かんの川」 に遊びに行った。
    小さな棒っきれの先に糸と針をつけて釣りをすることになった。
    餌は近くの河原の石をひっくり返すと出てくるミミズ。
    釣針は針金を曲げて作った。

    こぶながよく釣れた。
    もちろんウキなどない脈釣りだ。腕にククッと伝わる感触がたまらなかった。
    日が暮れるまでに帰らなければと思いつつも、
    川の上手に餌を放り込み、流れにまかせて流し、
    岩の間の少し流れのゆるんだところで必ず食いついてくることを発見してからは、
    二人とも時のたつのも忘れて夢中になっていた。
    バケツに入りきらないほど釣れた。

    家に帰り着いた頃には、もうとっぷりと日が暮れていた。
    怒られるだろうなあ、と思いつつ家に入ると、母は晩飯の支度をしていた。
    が、父の姿がない。
    だいぶ前に僕たちを捜しに自転車で出て行ったと言う。
    この自転車、よくチェーンのはずれる古い自転車だった。

    しばらくして、父が自転車で帰ってきた。
    そして僕たちの顔を見るやいなや、鬼のような顔をしてバケツの魚を全部、
    すぐ横の溝川に放り捨てた。
    僕たちはどつかれると思い外に逃げた。

    帰ろうにも帰れず、弟と近くの神社の石段に座っていた。
    松の木の間から夜空いっぱいの星が見えた。
     「腹へった」 と弟が言った。
    帰るか、と思ったそのとき、下駄の音が鳥居の影から入ってきた。父だった。
     「こんな所におったんかっ、めしやっ!」
    少し酒の匂いのする、機嫌の直った父の背中をついて帰った。

    後年、思ったことだけど、
    あの時、日暮れの道、父は自転車のはずれたチェーンを直しては、
    ますます子供の安否を気遣い、最悪を否定しつつ捜しまわったのだろう。

    子を持つ親になって思い知ったことである。

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2008年06月01日

こころの目

心して ボタン押すなり 写真の日

写真は心で写すもんだと、かの有名な写真家の先生が言っていた。
言うはたやすい。
留まる事のない時間の流れのなかで、その一瞬、一瞬を剥ぎ取る。
写真はそのときの想いを、凝縮して留めてくれる。

NHKの夜のニュース番組の中、
「心で写す」というタイトルで、ある全盲の13歳の女の子の撮った写真を紹介していた。

鳥の声や、友達の話し声、家族の笑い声、植物のにおい、音や香りだけを頼りにシャッターを押す。

電線にいっぱいならんだ鳥、家のソファでうたた寝する父親、学校帰りの友達の笑顔。

「この子にとって、写真は心で写すもんだと言う意識はない。無意識に心の目で撮っている。」 (この子に写真を教えている先生の談)

何よりも、カメラを持つ、目の見えない彼女の笑顔がすばらしかった。

                デジカメ全盛の時代。
                なんでもオート化の時代。
                掃き捨てるほどに、ボタンを押し、
                小さな半導体の中に眠る写真。
                心まで気軽になり過ぎてはいないか、
                頭の暗箱に焼付ける、レンズの曇りに気付いているか?
                自戒。

                 今日は写真の日。

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