2008年08月31日
澄み渡る

単にクーラーが故障しているのかも知れない。
単に燃料費節約のためなのかも知れない。
自転車で側道を走りながら、
次々と追い越して行く車を見てそう思った。
まだ、ほとんどの車は窓を閉めている。
機械の冷風に慣れてしまうと、
今度はなかなか自然の風を受け付けない。
気がついた頃には、
外の気温の方が低い時がある。
久しぶりの晴天。
サイクリングに出かけた。
自転車こいでも軽く汗ばむ程度の秋日和。
窓を開ければこの気持ち良さがわかるのになぁ・・・と思っていたら、
一台の車が全ての窓を全開にして、横を通り過ぎて行った。
以心伝心か? 「ハハハハハ」
ひとり、自転車の上で笑っていた。
胸の中が空のように澄み渡った。
2008年08月31日
へくそかづら

万葉集にもその名が残る、へくそかづら。
子供の頃、よく友だちと、
花をなめておでこや鼻のてっぺんや、
手に貼り付けて遊んだ。
顔にひっつけあって笑いあった。
そんなお灸あそびから、
ヤイトバナとも呼ばれる。
ヤイトバナだろうと、
へくそかづらだろうと、
うんちばなだろうと、
なんだろうと、昔の子供たちは、
なんでも遊び仲間にした。
名前なんか関係なかった。
2008年08月31日
八月尽

草刈り、草いきれ、麦藁帽子、汗。
夏の季語のかたまりが、
川瀬の土手の草を刈っている。
今年は遅いよ、おじさん、
待っていたのに・・・。
今さら刈らなくても、
おじさんの背中のタオルは、
もう秋の風に揺れているよ。
2008年08月30日
きのこ

小雨の中、
近くの公園を散歩する。
蝉の声も途絶え、人影も少なく、
森の中はしんと静まりかえっていた。
古墳塚のあるこの森には、
たくさんの種類の植物が生息している。
昼間は多くの人の憩いの場となっているが、
夜はなんとなく不気味で人も少ない。
雨で薄暗い森の中に、
きのこが顔を出していた。
土中から古人の人々の声が聞こえてくる気がする。
千何百年目かの秋が、今年もまた、
この国のこの地にやって来た。
何も驚くことではないと、
小さい秋が、
きのこの傘の影から、澄まして言う。
2008年08月30日
秋の向日葵

あれだけ満面の花を、
空に向けていたひまわりが、
明日の希望をなくした難民のように、
首をうなだれて立ちつくしていた。
「かわいそうなもんですね」
近くで草刈りをしていたおじさんに言う。
するとおじさんは少しむっとした顔で、
「そんなことはない。花の種がいっぱいなってよろこんでいる」 と言う。
そばに行って下からのぞくと、
たくさんの種が埋まり、あとは大地に落ちて行くのを待つだけの、
秋の収穫をよろこぶ農夫のような、
満面の笑みがあった。
しょぼくれているのではなかった。
遠い昔、
僕を背中に負うて、畑仕事に精を出す、
汗と土にまみれた、化粧気のない、
若い頃の母の笑顔を見たような気がした。
2008年08月28日
うれしかったこと

なんでもないことだけど、
昔、娘がまだ2、3歳だった頃に、
ふたりでデパートの食堂に行ったことがある。
デパートの最上階にある食堂は見晴らしがよかった。
座っても足の届かない椅子に座った娘の前に、
チョコレートパフェが運ばれてきた。
「 きょうは、おとうさんと、いいねぇ」
ウェイトレスが言った。
僕はコーヒーを頼んだ。
妻の買物かなにかの時間つぶしだったように思う。
娘はうれしそうに食べ始めた。
そのうち一人で食べるのが申し訳なく思ったのか、
チョコレートパフェをひとさじすくって、
「おとうさん、はい」 と僕に差し出した。
「おとうさんはいらないからお食べ」 と言った。
なんでもないことだけど、
子の親になったよろこびと、
娘のやさしさがスプーン一杯に、
あふれているようで、うれしかった。
これがほんとの、
スプーン一杯の幸せって言うんだろうなぁ・・・。
2008年08月26日
古い丸椅子

ミシンが足踏み式だった頃、
夏の終わる今頃は、
母がよく遅くまでミシン掛けをしていた・・・と妻が言う。
妻も私と同じように、
小さい頃、家族で大阪に出てきた。
四人兄弟姉妹で、義母は、
今の時季になると、夏物のお古を使ってよく縫物をしていたらしい。
そのうち小さな鉄工所を始めたのだが、
最初の頃は苦労の連続であったらしい。
その頃を、
妻もよく覚えているのだろう。
母がずっと使っていた、この古い丸椅子を直してほしい、と言ってきた。
座るともうグラグラとして、危なっかしい。
実家からもらってきたと言う。
私はそれ以上、何もきかず、
すぐに補強板を5,6枚買ってきて手直しした。
こういう椅子なら、
パイプ椅子でいくらでも安いものを売っている。
妻にとって、
金では買えない物のひとつなのだろう。
家にあるミシンは足踏み式ではないけれど、
この椅子に座ってミシンに向かうと、
その頃の母の背中を見る思いがするのだろう。
そんなことは一言も言わない妻だけど、
椅子を直しながら、そう思った。
2008年08月24日
水の惑星

米のとれる所に池がある。
かんがい用のため池は日本各地に多くあり、
稲作にとっての命の水を溜めていた水瓶でもある。
現在はその主目的が多少異なっている所もあるけれど、
見回してみると非常にたくさんのため池が点在している。
いつの頃かその中に生き物たちが住み始め、
小さな池の中にも大自然の営みが育まれてきた。
大阪南部にある狭山池は日本最古(7世紀前半)のため池でもあるらしい。
古来からの池に新種の生き物たちが進出してきた。
環境はめまぐるしく変わり、昔からの生き物が絶えようとしている。
それも自然の摂理か。
水の惑星、地球。
2008年08月24日
ねとぼけた秋

秋
夢から覚めると
腕時計の針は
地球を
ゆるやかにまわしていた
うすあかるい朝
鳥たちは 大昔
録音された声で鳴いていた
秋のひそやかな冷気の中で
本能をなくした犬が
乞食のように
ごみだめをあさっていった
人間は見あたらなかった
私はまだ酸欠の水槽の中で
大きな欠伸をしていた
肺が風船のように
ふくらんだ
2008年08月23日
雨の地蔵盆

昔に比べると提灯の数も少なくなった。
それだけ少子化がこの町内でも進んでいるということか。
世話をする町内会の役員も年寄りが多くなった。
新しい世帯もあるが、
なかなか昔のようには一致団結しない。
それでも雨の中、
裸電球の光の輪のなかに、
子供たちの笑う声が響く。
やさしく見守る大人たちの視線があちこちにある。
あいにくの小雨に濡れて、
提灯が初秋の夜風に揺れる。
おでん、焼き鳥、たこ焼き、こどもの好きなカレー。
お母さま方の割烹着やエプロンがよく似合う。
その白さが裸電球にまぶしい。
さがせば、
昔のおふくろがいるような気がする。
2008年08月23日
2008年08月22日
史上最大の作戦

ほぼ1ヶ月ぶりの釣行。
午後から天気は崩れるようなことを言っていたが、なんとか一日もった。
この時期のへらは何が食いたいのか、
どのタナで餌をどのように落としたら、食い気を誘えるか?
どのようなタイミングでクワセを沈めるか、どのアタリをとるか、へらとの騙し合いだ。
とりあえずタナは上。バラケはやわボソ。クワセは力玉。
ハリスは5の45。ハリは5号と2号。竿は13尺。
この作戦タイムの時間がまた楽しい。
たいがいはすぐに作戦変更になるのだが、
作戦の決まった時がまたたまらんのだ、参謀長としては。
ところで今日の作戦ははたして成功したのか?
この作戦は変えた方がいいのかと思ったら、
変えないよりは変えた方が悔いが残らない。
動かざること山の如く、ではますます食いが悪くなる。
決断は疾きこと風の如く、
バラケが落ちて待つべき時には、林の如く、
エサ合わせが決まった時には、火の如く入れ食いにする。
朝の一投はうれしいもんだ。
これから火の如くという時に、帰らなければならない用事がある時はつらいもんだ。
2008年08月20日
写真俳句 5

今や、
俳句は日本だけのものではないらしい。
芭蕉の細道は、海を渡ることはなかった。
夢にも思わなかったにちがいない。
この写真俳句に投稿するようになって、
もうすぐ一年になる。
歳時記をひとめぐりする間に、
いろんな方の作品を見てきた。
作ったdasakuより、はるかに多い作品の中には、
外国からの作品もある。
四季のない国、日本と四季が反対の国。
文化や習慣の異なる国からの、写真と俳句には、
ときおり驚かされることもある。
真夏に、冬の国からの俳句が届く。
また一段と新鮮さの感じられる、妙なる良き味わいの響きが胸に残る。
芭蕉が生きていたらなんと思うだろう。
世界に細道を切り開き、
世界の枯野をかけめぐり、
世界中に俳句を浸透させるかも知れない。
同じことの一翼を、
この写真俳句もになっているような気がする。
2008年08月19日
日めくりカレンダー

♪ サマータイム 夏が来るたび・・・
あの日の・・・♪。
庭のベンチでジャズを聴く。
日に焼けた背中の皮をめくるように、
暑い、暑い一日が過ぎ去っていく。
青い空と、白い雲。
夏空は、人それぞれの遠い記憶を呼び覚ましてくれる。
盆が過ぎ、地獄の釜の蓋も閉まり、
早朝散歩の道端あたりから、
こっそりと秋の気配が、遠慮がちに顔を覗かせる。
四季のあるところに住む幸せを感じる。
四季を感じ取る、感性の優れた日本人。
いいことも長く続かないかわりに、悪いこともいつまでも続かない。
もうすぐ夏休み、と言っていた子供たち。
もうすぐおわりでっせ。
いまさらジタバタしても、遅いヨッ!
2008年08月16日
ありがたさ

実家の母の家に来る、
お坊さんの読経は面白い。
リズミカルで正座する苦痛を少しは忘れさせてくれる。
でも、何を言っているのかさっぱりわからない。
母はそれがいつも不満だと言う。
同じ宗派でも、お坊さんによって読経の仕方がちがう。
時々、その住職の息子さんが来るのだが、
その読経はお経らしくて、
ありがたみがあると母は言う。
お坊さんが帰ったあと、
かならずそんな話題が出て、我が家の盆は始まる。
棚経の間、
前に座る母の背中が毎年、毎年小さくなってゆく。
庭の木で、勢いのなくなった蝉がひと通り鳴いて、鳴きやんだ。
背中をつついても逃げもしない。
一年ぶりに父が帰ってきたのかも知れない。
兄弟家族が久しぶりに母の手料理を味わう。
先ほどの蝉が、また鳴き始めた。
「ありがたい、ありがたい・・・」 と、
父が言っているような気がした。
2008年08月14日
留守参り

墓地の入口に小さな森がある。
線香の匂いの立ち込める木々の下には、
おびただしい数の蝉の骸。
羽のちぎれたもの、
無残にバラバラになったもの。
大事にしていたバイオリンを、
天空から落としたような、
蝉の腹の空洞。
迎え火に、
多くの霊が通った道。
墓参りをすませ帰ってくると、
まだ蝉の霊はそこら中をさまよっていた。
誤って踏んでしまった足の裏で、
ジジッと、骸が鳴いたような気がした。
2008年08月13日
父の帰省

小学校二年から四年の間、
我が家には父がいなかった。
田舎での畑や山仕事に見切りをつけて、
現金収入を求めてみんな都会に出ていった。
高度成長に入った時代で、
仕事はいくらでもあった。
そんな父が盆と正月には帰ってきた。
千昌夫の 「津軽平野」 の歌の中に、
♪ みやげいっぱいぶらさげてよ ♪ というくだりがある。
歌の舞台は北国の話だけれど、
出稼ぎに行って帰って来る、父親の姿をうたっている。
好きな歌である。
小さい頃から、
親父にはよくどつかれた。
決してやさしい父ではなかったけれど、
遠足があれば帰ってくるのではないか、
運動会があれば帰ってくるのでは、
といつも父の帰りを待っていた。
その父がやっと帰って来る日。
僕はバス停まで、父を呼んで走った。
バスから降りてくる父は、
それこそ、みやげいっぱいの大きなカバンをさげて、
背広のスーツを着て、
まぶしいくらい、かっこよかった。
父と息子というものに、
母と息子とはまた異なる絆を、
この頃、感じはじめている。
生まれ変われるなら、
また男に生まれて、父親をしてみたいと思う。
2008年08月13日
2008年08月12日
氷菓子

「お父さんがお前たちの頃は、
家にはテレビも洗濯機も冷蔵庫も、
ましてや電話などなかったなあ」
と子供たちがまだ小学生の頃、言ったことがある。
それらはまるで江戸時代からでもあったような、
不思議な、もうひとつぴんとこない顔をしていた。
子供の頃、
我が家に初めてテレビがきたのは、
遠き九州の田舎から、父のいる大阪に越してきた時だった。
父は二年ほど先に大阪に働きに出ていた。
狭いアパートでの一家五人の暮らしが始まり、
自分の家で好きなだけテレビが見れるのが嬉しかった。
田舎にいた頃は、近所の家に見せにもらいに行っていた。
相撲が始まると、たくさんの人が集まった。
当時はどこもそんな時代だった。
母は当初、住み慣れたふる里を離れるのに反対していたらしい。
母にとっても初めての都会だった。
すぐに家で内職の仕事をしたり、
近くの工場に働きに出たりしていた。
話す言葉の方言にも気を使い、
都会のしくみに慣れるのにずいぶんと苦労したらしい。
そんな夏休みの昼過ぎ。
昼寝していた僕たちを母が起こした。
小さなテーブルの上に、
ガラス皿に入った四角い氷菓子があった。
冷蔵庫の製氷皿で作った、ジュースのアイスキャンデーだ。
アパートの大家さんからもらったと言った。
大家さんは田舎から出て来た僕たちによくしてくれていた。
母は子供三人に氷菓子を分けて、
自分は口にしなかった。
小さな妹が母に一個差し出しても、
いいから食べろと言った。
昼寝から覚めたばかりの僕は、
うっかりしてその皿を畳の上にひっくり返してしまった。
また母に怒られると思った。
でも、その時の母は何も言わず、
ひっくり返った皿を起こし、
氷菓子をひとつひとつていねいに拭いて、
ゆっくりと、ゆっくりと器にもどした。
何故かその時の情景が、今も頭の中に残っている。
あの時の母の顔は、子供心に悲しい表情に見えた。
ひとつひとつ拾う動作の中に、
都会に出てきた後悔の念と、
ふる里への望郷の思いが、
溶けたジュースと共に、
畳にしみ込んでいったように思う。
それから我が家に冷蔵庫がきたのは、
ずいぶんと後のことだったけれど、
母は知ってか知らずか、
よくそれで氷菓子を作ってくれた。
2008年08月11日
オリンピア

中学の頃、
一時、鉄棒に凝っていたころがあって、
毎朝、ちょっと早く登校して、
学校の校庭の隅にある砂場の鉄棒に行った。
これもなぜ鉄棒なのか、
今では思い出せないのだけれど、
たぶん、少しずつやればやるだけ上達できることが、
うれしかったのかも知れない。
高校に進学してからは、体操部に入ったことでも、
そういうことが好きだったのがうかがえる。
その朝も、
いつものように鉄棒にぶら下がった。
ちょうど大車輪ができるようになった頃で、
もううれしくて朝から蹴上がりで上にあがると、
いきなり大車輪をはじめた。
鉄棒を逆手に持ち、腹の筋肉と脚を使って、
上体を天に振り上げる。
ちょうど鉄棒の上で逆立ちした格好になる。
そこからゆっくりと向こう側に、
一直線の体を倒していく。
鉄棒を中心に、
全身が回転してまた鉄棒の上にもどる・・・はずだった。
ところがその朝は鉄棒から手が離れ、
僕は真っ逆さまに地面に落ちていった。
朝早く、準備運動もなにもせず、
いきなりやったものだから、
手にまだ握力がなく、自分の体重を支え切れなかったのだ。
今でもよく覚えている。
自分の両手の指が、
目の前で鉄棒からゆっくりスローモーションでほどけてゆく。
そして大地が一旦止まったかと思うと、
猛烈な速さで眼前に迫ってきて、
僕は気を失った。
保健室で目覚めて頭に包帯巻いて、
教室に向かった。
教室は校庭を横切って行く。
授業の始まっていた窓からみんながこっちを見ていた。
なんだか恥ずかしかった。
それから鉄棒の***と、学校ではある意味有名になった。
懲りもせず、翌朝からもまた鉄棒通いが始まった。
ただ、準備運動はしっかりするようになった。
2008年08月11日
シルクローズ

♪♪ バラが咲いた
バラが咲いた
真赤なバラが
淋しかった ぼくの庭にバラが咲いた ♪♪
人はほめられるとうれしいもんだ。
高校生の頃、
アルバイトして、ギターを買った。
どうしてギターなのか、
今では思い出せない。
あの頃は、
よくアルバイトして自転車買ったり、
アマチュア無線の免許とって、
無線機を買ったりした。
ギターは指が痛かった。
入門用の教本をみて練習した。
その中に、このマイク真木の 「バラが咲いた」 も入っていた。
なんでもそうだけれど、
最初は面白いのだが、
ある所までくると、必ず山や壁にぶち当たる。
なかなかうまくやれないし、難しく思うようになる。
そんな頃のある夏休みの午後。
たまたま教本にあった歌謡曲を弾いていた。
そこへ父がやってきて、部屋をのぞくと、
「なかなか、ええなあ・・・」
とひとこと言って出ていった。
何がよかったのか知らないけれど、
音楽のおの字にも興味のない父の一言が、
あの時には妙に嬉しかったのを覚えている。
結局、ギターはそれからも続けることになる。
今朝早く、
庭に降りると、
この前買ってきたミニバラが咲いていた。 (シルクローズの名札)
無意識に 「バラが咲いた」 を口ずさむ自分がいた。
あの時の父は、今の自分といっしょだ。
反抗期に入って、少し会話も少なくなってきた息子に、
父は気を使っていたのだろう。
庭に咲いたバラの花を見て、
少し淋しくなった。
2008年08月10日
秋の蝉

どうでもいいような、
細き木の枝で鳴く蝉。
実らぬ恋に、
なんのための長き土中生活だったのだ。
同じ空の下。
雄叫びあげる、
勝利者の影でうなだれる敗北者。
なんのための四年間だったのだ。
実力と運と重圧と、
重ねてきた精進に報いるものは、
テコでも動かぬ心と、
磨き抜かれた技と、
自分でありながら自分でないような、鍛えあげられたこの体。
日本新記録を出しても、
予選敗退となる世界。
うなだれる者たちに、
四年後を問うことは、
蝉に来年をきくようなものだ。
輪廻転生。
蝉に生まれ変われる自信があるか。
2008年08月10日
携帯鳴く

携帯が、
蝉のように木にとまっている。
隣の家で大工さんが、一日、家の修繕仕事。
ときおり、その蝉が鳴き、
大工さんが大きな声で話をする。
いつでも、好きな場所から電話がかけられる。
生きているうちに、
そんな時代が来るとは思ってもいなかった。
つい10年前は、まだせいぜいポケベルだった。
池に釣りに行く。
周りには電話もなく、世間から解放されていた。
そのうち隣のおじさんが、何か独り言を言ってると思ったら、
携帯電話だった。
初めのうちは、静かな湖面にうるさいな、と思ったりした。
対岸でも話し声が水面を伝ってよく聞こえる。
そのうち、皆が持ち出して慣れっこになってしまった。
そして、お互いにそっちの池はどうやとか連絡をとりあい、
呼出音も気にならなくなった。
ビデオにしても、昔はレコーダーとカメラがセパレートだった。
重いレコーダーを肩にぶらさげ、カメラをかついで、
友人と大阪の御堂筋パレードの一回目を撮りに行ったものだった。
そのうち、やっと一体型の物ができ、それもみるみるうちに小型化され、
今では手のひらに収まるくらい、小さくなった。
これも、生きているうちにはできないことだと思っていた。
技術の進歩は目覚しく速いスピードで生活に浸透していく。
浸透してしまったものに、
ついていかなければ、電池の切れた携帯になる。
地面に転がる蝉のように、泣くこともできない。
2008年08月09日
妻の誕生日

今日は妻の誕生日。
妻の完全休養日。
家事いっさいしない、させない。
子供らが、
掃除、洗濯、食器洗い。
僕が買物。
夜の料理の準備。
妻がそれらを見ながら、
ああだ、こうだと言っても素直に聞くこと。
それら全てが妻へのプレゼント。
夕刻早く、
ケーキを出し、ろうそくの灯を吹き消す。
こころばかりの贈り物を渡す。
久しぶりワインの栓を抜く。
結婚記念にもらったワイングラスに、
この日はとっておきのワイン。
静かに夜は更けてゆき、
娘たちが、いまキッチンで洗い物をする。
食器の音とともに、
ときおり親娘の笑い声が聞こえてくる。
ささやかな贅沢と、
大いなる感謝と、
背伸びせず、背丈に見合った幸せがある。
妻は、
自分の誕生日なのに、
いつも娘たちの生まれた時の話をする。
娘たちもまた、初めて聞くような顔をする。
そうやって今年のこの日も、
のろけながら、
そっと屋根裏辺りから寝静まってゆく。
2008年08月09日
どうだこの景色!

自然は遠くにばかりあるのではない。
釣具を運ぶ足を止めて、思わず天を仰ぐ。
天を仰ぐのは、何も悪い時ばかりじゃない。
朝早くの澄んだ空気。
のんびりと竿の振れるしあわせ。
と、思いきや、
池に着くと、超満員。
この池いつの間にそんなに釣れるようになったん?
空き(?)を見つけて、なんとか入れてもらう。
「ここ入れてもらっていいですか?」 と言って、無理やり入れてもらう。
ダメと言う人は、まずいない。内心はどうか知らないけれど。
今日のお隣さんは、長竿の一発の釣り。
それも大きな、超大バラケを打っている。
ピンポン玉くらいのバラケをひたすら打っている。
「どうですか、今日は?」 ときく。
「あかん、空振りばっかりや、すこ~んと消しこむけど、のってこない」 とのこと。
こういう釣りの人の隣は、難しい。
なんせ魚はみんな向こうに寄っている。
ときおり、へらが水面から飛び跳ねている位だ。
人も多くへらもプレッシャーがかかって、食い渋っている。
考える。
こちらも一発でいくことにする。ただし、バラケはやや小さめで超固ボソにする。
下ハリスを長めにして、一発を2号のハリでやっと刺せるくらいに、
揉んで小さくハリ付けしてスタート。
へらは隣が十分に寄せてくれている。バラケないバラケに1投目からさわりがでる。
ウキはよく動き、アタリらしきものもでるが、それは今回無視する。
さわり、さわりまくって、最後に消しこむまで、待つ。
型のいいのがあがってきた。こころもち、隣寄りに打ち込む。
空ツンをおりまぜながら、なんとか釣りにはなった。
今日のポイントは、
バラケないバラケと、へたにアタリを取らない消し込み待ち。
消し込みでも、その消し込みスピードを見極める。
ゆるやかな消し込みはのらない。のってもスレがせいぜい。
お隣さんは結局、魚に大量のえさをやりに来たようなもんだった。
ごちそうさま。
2008年08月07日
2008年08月06日
炎天下

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
家が倒れ、両親が下敷きになった。
手の先だけが見えた。
指を握っていると、炎が迫ってきた。
瓦礫に埋まった母が 「早くお逃げ」 と言った。
(大田洋子 被爆の記録「屍の街」より)
少年が母親の手を離す瞬間の、指先の感触を想像してみる時がある。
わが子の手を振りほどく母親の指の動きを、瞼に描いてみる時がある。
夏休みのこの季節は、
手をつないで歩く親子連れに、行く先々で出会う。
平和であることのありがたさを絵にすれば、
きっとこういう光景になるのだろう。
ーーーー今朝のよみうり編集手帳より抜粋ーーー
先日、あかねさんからこんなコメントをいただいた。
今日、車を運転していて
小学校低学年くらいの男の子が
お母さんと手を繋いでる姿を見かけました。
信号が青になって
赤信号の間、ずっと眺めてた自分に気が付きました。
ああ、そんな頃があったんだなぁ。
私もついこの間、同じような経験がありましたと返事したのだけれど、
その時、どうしてなのだろうと思った。
どうして見とれるのだろうと・・・。
それは単なるなつかしさだけではなくて、
平和であることのありがたさを一枚の絵にして、
知らず知らず、
その光景に見とれていたのかも知れない。
2008年08月05日
声のみ帰した夏

この頃は電話ボックスに郷愁を感じるようになった。
いつ以来だろう公衆電話を使ったのは。
いつの間にか財布の中から、
テレホンカードも消えていた。
携帯の時代である。
好きも嫌いもない、ネットの時代でもある。
老いも若きも時代に取り残されまいと必死である。
「詳しくはホームページで・・・」当たり前のように言う。
携帯が当たり前、パソコンが当たり前の時代である。
銀行で窓口にいくと、「ATM」でお願いします、と言われる。
自分の預金をおろすのに、機械の前でまごまごしていると、
後列から矢のような視線が背中に突き刺さる。
特に昔の人間ほど人様に迷惑をかけちゃいけないという思いがある。
待たせてはいけない、急いであわてて事態はますます深刻になる。
母親によく言う。
後ろには誰もいないと思ってやったらええ、
ちょっと位待たしたからと言って、世の中がひっくり返るわけじゃない。
図太くならなあかん。
もっとも中には、図太すぎる方もおられるのだけれども・・・。
そのうち、公衆電話も廃れる運命にあるのかね。
若き日に、
小銭をいっぱい握りしめ、
ふるさとに電話した日のこと。
学生時代、彼女に電話するのに、
わざわざ外の公衆電話まで走った日のこと。
硬貨の落ちる音が速いほど、
耳に受話器を強く押し当てて、
早口になる。
ふるさとに声のみ帰した日の電話ボックス、今もありき。
今も残るこの狭い箱の中には、
いくつものドラマがあったような気がする。
2008年08月04日
大 願

蝉の遺体が転がりはじめた、
参道の両側には、
立派な常夜燈が建っている。
困った時にのみ信心する輩にも、
その足元を照らしてくれるのだろうか?
何年か前、子供の受験の合格祈願を兼ねて初詣に行ったことがある。
人出が多くて神様もとても全ての願い事をかなえるのは大変なことだろう。
なんとか願い事はかなえてもらったのだが、
もうその時には神様に感謝することなど忘れてしまっている。
今は誰もいない参道。
誰もいなくても明かりは灯される。
夜に蝉が、
ケ、ケ、ケ、ケ、ケッ と鳴く。
神社の森に、
命乞いをしているのかも知れない。
2008年08月04日
櫓太鼓

この時期、
あちこちの町内で夏祭りが催されている。
準備する役員の方々は大変だと思うけれど、
暑い夏の一夜を、
楽しみにしている人たちもいる。
祭りの始まる時刻は、
まだ外も明るい。
小さな子どもに浴衣着せて、
出かけてくる人が多い時刻だ。
おじいちゃんやおばあちゃんに手を引かれてくる子もいる。
夜の闇に包まれた祭りの風景も、もちろん趣があっていいけれど、
僕はこの夕刻の、日が段々と暮れていき、
少しずつ少しずつ提灯の明かりに、
切り替わっていく時間帯が好きである。
大人たちの顔もそれに伴なって、
子供の頃の顔にもどっていく。
もっと言えば、家を出て、
遠くで櫓太鼓の音が聞こえ、
会場に近づいた頃、
暮れかけの空に、祭り提灯が目に入る一瞬が、
一番うきうきとする。
それは子供の頃から変わらない。
2008年08月03日
おばあちゃんからの手紙

私の母方の里は、
同じ郷里の山村にあり、
母はそこから海辺にある父の家に嫁いできた。
父方の祖父は、
若い頃、郵便の配達をしていて、
よくあちこちの家と知り合いになっていた。
その縁で父と母は結ばれたらしい。
父方の祖父母は僕が小さい頃に他界しており、
僕の記憶にもないのだけれど、
母方の祖父母はふたり同じ年で、
米寿には親戚中が集まって盛大にお祝いをした。
もうあれから二十年になる。
僕はそのときそのビデオの撮影をかって出た。
田舎の宴会は、歌あり、踊りあり、みんなが趣向を凝らして盛り上がった。
赤いちゃんちゃんこを着たふたりも、最後にはみんなで炭坑節を踊った。
それらを一生懸命撮影して、二時間くらいのテープに編集し、
みんなの家に配った。
大変に喜ばれた。
おばあちゃんも同居している息子の家で、
何回もそのビデオを見ていたと後に聞いた。
その時のお礼にもらったのが、写真の手紙である。
おばあちゃんの手紙はほとんどカタカナだけで書かれている。
それが恥ずかしくて、ほとんど母にしか手紙を書くことはなかった。
これは僕がおばあちゃんからもらった、
最初で最後の手紙となった。
今でも、
母とそのビデオを年に一度くらい、見ている。
その中の多くがもうこの世にいない。
当の祖父母もそれから何年かして相次いで亡くなった。
おばあちゃんは自分の死を察したかのように、
急に田舎の世話になった人たちの家々をあいさつして廻り、
しばらくして眠るように娘の膝の上で息を引き取った。
自分も彼女のような死に方をしたいと、母はいつも言う。
おばあちゃんのカタカナの手紙は、
母の方には時々届いていた。
遠い都会に住む娘に、
晩年になってもおばあちゃんは、
手紙や小包みの奥に、父に内緒でお金を同封していた。
母はそんなおばあちゃんの手紙を、
よく僕たちに自慢するように見せてくれた。
何も恥ずかしがることじゃないんだと、
遠い自分の母親に言いたかったのだろう。
今夜は夏祭り。
久しぶりにまたあの炭坑節を聞いてこよう。
また子供たちと踊ってみよう。
2008年08月03日
失うもののない淋しさ

何かが、おかしい。
天も地も、人間も。
すべてが同じように荒くれている。
真っ青な空が、
突如、暗雲に包まれたかと思うと、
空に穴があいたように、雨が一気に落ちてくる。
そこらの水路は瞬く間に溢れだし、
場所によっては道が冠水する。
それもつかの間、
すぐにパッタリと雨はやみ、
嘘のようにまた青い空が広がる。
警報を出す暇もない。
忘れた頃にやってくるのがいいことなら、
タナボタでうれしいのだけれど、
この頃の地震は、
忘れる間もなく、追い打ちをかけるようにやってくる。
何かに怒っているように、地べたを揺らす。
そんな、はやり病いのように、
人間も狂ってきた。
誰でもよかった症候群。
「人間が一番、恐かとよ・・・」
おばあちゃんが生きていた頃、よくそうつぶやいていた。
昔は、人間の持つ業に、まだ哀れさがあった。
失うものが何もなければ、それにこしたことはない。
失うもののない淋しさは、時に罪もない他人を道連れに死のうとする。
俺にはまだ失うものがいっぱいある。
2008年08月02日
川の石

城石かどうかは、わからない。
どこから、いつ、ここに、
流れ着いたのかも知らない。
ここにたどり着くまでに、
いく度の川の氾濫があったのだろう。
それでも、
ただひたすらに上から下に流れ続ける川の水は、
この手の指先にまで流れくる、
血脈に似たところがある。
人は川辺に立つと、
その辺の小石を拾い上げ投げ込んでみたくなる。
自分の投げた石でできた波紋に、
生きている証を見るのかも知れない。
時々、自転車で川の土手道を走る。
小さな折りたたみイスを積んで。
しばし川と同化する。
暑さで人影も少ない。
川の水音だけが、私の心に、
歴史の深さを物語る。
八月に入って、
とんぼがやけに増えたような気がする。
更けゆく季節がやってくる。
2008年08月02日
時 代

♪ そんな時代もあったねと いつか笑って話せるさ ♪
公園の小径。
若い夫婦が、なかよく乳母車を押して通る。
あんな時代もあったなあ。
結婚しない時代、
結婚しても子供をつくらない時代。
そして離婚する時代。
人様の生き方にケチをつける気はさらさらないけれど、
自分の子供の成長を見守れる喜びは、何にも代え難い幸せがある。
いま、
目の前を通り過ぎていく若きおしどり夫婦に、
後ろから小さな心の声援を送る。
昔、押して通った乳母車の跡を懐かしむように。
いつか笑い話に、花がいっぱい咲きますように・・・。
「子の声や 聞こえぬふりする 大人たち」
昨日のしゅうぶうさんの句。
これで子供たちの小さい頃を思い出してしまった。
子供が大きくなった今では気にもならないのだけど、
ファミリーレストランなどのレジーの横には、
ちょっとしたおもちゃを売っていたりする。
子供連れだと、会計している間に、
子供たちがそれを欲しそうにする。
中には床に寝転がって駄々をこねる子もいる。
僕たちは妻が会計する間に、
僕が子供の気をほかにそらして、
ささーっと外に連れ出したりしたなあ・・・。
余計な所に、おもちゃ置きやがって、と思いながら。
ファミレスの レジーの横に おもちゃ売り
笑って話せる、
そんな時代だったなあ。
2008年08月01日
旅は道連れ

夏は毎年やって来るけれど、
今年の夏は一度きり。
夏休みを満喫する子供たちが、
近くの公園で蝉取りをする。
毎年、
蝉は鳴いているけれど、
去年と同じ蝉ではない。
蝉の抜け殻に驚く君たちに、
蝉の一生の話をしたところで、
なんになる。
どうせリセットボタンを押せば、
生き返ると思っている君たちが、
蝉を捕まえようとすること自体が滑稽に思えてくる。
せいぜい蝉にしょんべんかけられて、
取り逃がすのがおちだ。
それでもおじさんは思うのだ。
この暑い夏に、
屋外に出て、蝉の抜け殻に驚き、
しょんべんかけられながら、
蝉しぐれをじかに耳で聞くことは、
蝉の一生よりも、
君たちの脳裏の若き細胞に、
細切れになって彩られていくはずだ。
そしてやがていつか、
過ぎた年月を道連れに、
それは鮮やかに思い出となって蘇るのである。
蝉の一生を知ることは、
それからでも遅くない。











