2008年12月31日
大晦日

大晦日の夕刻。
一人暮らしの母に電話する。
世の中、
ひとりで年を越すのは何も母だけではない。
二日の日には兄弟家族が皆そろうのだけれど、
それでも、
ひとりぼっちで年越しさせるのに、
胸がちょっぴりチクッと痛むのである。
父が生きていた頃はそんなことはなかった。
「いま、何してるの?」
母に訊く。
鍋でごはんを炊いていると言った。
家族がみんなそろっていた頃は、
大釜で飯を炊き、みんなの弁当も作った。
炊いても炊いても足らなかったと、
母は年老いてから思い出すように言った。
飯を炊く量は減っても、
その匂いは、あの頃を懐かしむように、
ふつふつと泡を吹いているのだろう。
もうすぐ紅白が始まるからと、
母は電話を切った。
仕方のないことだけど、
ひとりで紅白を見る母の背中に、
どうしても、
親不孝の罪を感じるのである。
2008年12月30日
窓ガラス

日本沈没。
わが日本丸は、
今、どこに向かっているのだろう。
いくら高々と帆を上げても、
凪の海に行き場を失っている。
年の暮れ。
わが家も今朝から大掃除。
外の窓を拭こうとバケツをさがす。
妻にきくのも面倒だと物置をのぞく。
空缶の入ったバケツがあったので、
中身を放り出し、風呂場にお湯をくみに行く。
適当にお湯をバケツに満たし、
風呂場から台所を通り、
居間を横切って庭に下りる。
空を見上げると、
冬とは思えない青い空。
腕まくりをしていると家の中で、
なにやら妻や娘が騒いでいる。
風呂場から台所を通って居間にかけて、
床に水がこぼれていると言う。
よく見ると庭の地面に置いたバケツの底から、
水がこぼれて楕円状に広がっていた。
バケツの底がひび割れていた。
「このバケツは底があいているから、
空缶入れにするって、去年言ったでしょ!」
妻が言う。
昨日のことも定かでないのに、
去年のことなんか覚えてるかい!って言ってやった。
じゃあ、もうそのバケツ、捨ててと言う。
まてまて、
底が完全に抜けているわけじゃない。
バケツの横に、
水もれする、と大きくマジックで書いてやった。
沈没する船に浸水する水を、
かき出すことぐらいには使えるだろう。
2008年12月29日
忘年会

数々の宴も無事こなし、本当の自分だけの忘年会なり。
事納め ほめてやりたし ひとり酒
昨年の今頃もこうやって、
ひとり、最後の忘年会をした。
けれども今年は少し雰囲気が異なった。
カウンターの後で騒ぐ人たちに去年ほどの活気がない。
特に今年は、この店でも、
送別会らしきものが目立った。
淋しい年の暮れである。
二本のお銚子と一品のあてで、
今年の自分に区切りをつけて外に出ると、
僕の前に勘定を済ませた4、5人の中年過ぎの男たちが、
店の前で握手を交わしていた。
「お世話になりました」
「お元気で」
互いが涙声になっていた。
冬の夜風が中年男を泣かす、
淋しい年の暮れである。
去年はたしか誰かが、
バンザイを叫んでいたっけ・・・。
2008年12月28日
冬の暮れ

冬の夕暮れ。
それでも歩く人は多い。
そのほとんどが、
川の堤防の上を歩く。
堤防の下にも道はある。
冬でも青々とした草の土手道の上を、
いろんな人が通っていく。
健康のため、息抜きのため、
時間つぶしのため。
いろんな理由はあるけれど、
家まで歩き着けば、
それぞれの人の生活が待っている。
お年を召したご婦人がふたり、
並んで歩いてくる。
すれちがいざまに、
ご主人の悪口を言い合っているのが耳に入る。
「そうなのよぉ・・・ それでねぇ… 」
黒沢明の映画のようなシーンで、
しゃべりながら二人去って行く。
土手道の上にも、
急ぎ足で過ぎて行く人がいる。
この社会情勢のせいでもないだろうけれど、
みな深刻な表情に見える。
その向こうに広がる冬空も、
映画のラストシーンのような顔をしている。
どう見ても、
ハッピーエンドではない。
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2008年12月27日
もういくつ寝ると

突然の吉報も、
それはそれでうれしいけれど、
楽しみはほんの少し先にある方がいい。
そこまでの道のりが楽しくなる。
子供の頃のお正月は楽しかった。
忙しない年末に大人の手伝いをして、
みんなが集まってついた餅のいいにおいが、
そこらじゅうに漂って。
割烹着を着たおばさんたちの高らかに笑う声。
米粒を煮て作った糊で、
障子を張り替えて。
子供心にも、
ああ、新しき年が来るのだと、
身の引き締まる思いがしたもんだ。
それが、半世紀以上も生き延びてくると、
だんだん楽しみも先送りしなくなる。
指折り数えることが、
自分の残り時間を数えているように思えてくる。
あまり、その日を楽しみに待つ人はいない。
2008年12月26日
哀しきを聞く

親鳥の 声懐かしき 寒雀
巨人を臣人。
小学校の書き取りテストでまちがえた。
でもこれ以後、まちがうことはなくなった。
新聞を親聞。
これは知っていた。
でも先生が、
大人でも新聞を親聞と書く人がいる。
親しきを聞く、と覚えているのかも知れない。
と先生が言った。
その一言を聞いてからは、
それまでなんの迷いもなく、
スッと書けていたものが、
一瞬、どっちだったかなと、迷うようになった。
教育は難しい。
今朝の、
読売新聞朝刊の編集手帳には、
茨城県の小学5年生の少年の書いた、
「ゆめ」という詩の一部が引用されていた。
今朝
死んだお父さんから
電話がかかってきたゆめを見た
・・・ぼくは受話器をにぎりしめて
会いたいよって
泣きながら話してて
目がさめた
お父さんの声が
いつまでも耳にのこった
新しきを聞く、だけが新聞ではない。
親を聞く、
親しきを聞く。
それでもいいじゃないか。
そして、
哀しきを聞く。
「お父さん、トーストかじりながら泣いてない?」
朝の食卓の向かいに座った娘に見られた。
また泣き虫のありさきと、
コメントいただくような気がする。
2008年12月25日
冬日向
「師走」
何年生だったか、
先生が黒板にこの字を書いて、
なんと読むか、とみんなに訊いた。
誰も手を上げる者はいなかった。
僕もこの時、初めて知った。
師も走る、ほど忙しない月であると先生は説明した。
師は普段、走らないものかと思ったりしたけれど、
この先生は、続けて自分の家の大掃除の話をした。
妻が一生懸命家のあちこちにハタキをかける。
あれはただホコリを別の場所に移しているだけで、
掃除ではないと言った。
なんの授業だったかは覚えていないのに、
余談で話してくれた、こういう話の方が妙に記憶に残っている。
その師走に年賀の慌ただしさ。
街には年賀状のプリントサンプルがあちこちに吊り下げられている。
そのまま年賀の文言を横流しして、形だけの挨拶に終わり、
受け取った方も、ただ来たか来なかったかのチェックだけで、
プリントされた賀状面など読んでいないのだろう。
そうは言っても、
毎年師走のこの頃になると、
宛先の人物に想いを馳せる時がある。
年に一度の賀状のやりとりだけでも、
その頃の自分を思い出させてくれる。
雲間からのぞくほんのちょっとの日差しに、
なつかしさが古いアルバムのようにあぶり出されてくる。
だから、
賀状書きも、遅々として進まない。
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2008年12月24日
座 る

座る。
この頃のお寺さんには、
多くの椅子が置いてある。
お年寄りが多くなり、
正座のできなくなった人が多いのだろう。
コンビニの前や電車内でしゃがみ込んで座る。
なんとか座り、というらしいけれど。
家の娘は胡坐をかいてテレビを見る。
注意すると、
「だってこっちの方が楽なんだもん」
座り方にもいろいろあるけれど、
正坐だけが美しい座り方ではない。
下の娘が幼稚園に入った頃、
家族で近くの遊園地に遊びに行ったことがある。
ちょうど中央の広場で大道芸をやっていて、
小さい子供たちもいっぱい集まっていた。
僕は写真を撮ろうと思って娘をさがしたが、
娘が見当たらない。
よく見ると、大道芸人を囲んだ輪の中の、
最前列よりまだ少し前のあたりに娘はチョコンと座っていた。
その座り方が、いわゆる「体育座り」。(または三角座りとも言うらしい)
一人だけきれいに足をそろえて手は膝のところに組んで、
じっと前の方を見据えていた。
まるで幼稚園で習ったそのままに座っていた。
生まじめで、気が強くて、いいかげんなのがきらいな娘らしかった。
その時の娘の座った姿が、とても美しく見えた。
輪の中から少し前の所で一人だけ座っていたので、
なおさらそう見えたのかも知れない。
体育座り、という言葉を聞いて思い出したことである。
社会に出て、体育座りをすることなどあまりない。
座った姿を美しいと思ったのは、親バカを差し引いても、
今だにこの時だけである。
近所の公園にあるこの写真の木は、いままで何回か、
メタボや体重計などで登場してもらったけれど、
今回は腹がすわる、でご登場願った。
もっとも、
このすわるは、据わる、なのだけれども・・・。
2008年12月23日
冬の炎

通勤路の途中に小さな工務店がある。
寒い朝など、
ドラム缶に木切れを入れて火を燃している。
ちょうどその近くが小学生の集団登校の集合場所になっていて、
かわいいジャンパーを着た小さな子供たちが毎朝、
集まってくる。
工務店のおじさんたちが、
登校の出発まで、ちょっとこっちで火にあたれと呼んで、
炎の上がるドラム缶のまわりに、
おじさんたちと小さな子どもたちの輪ができる。
火にかざす小さな並んだ手がかわいい。
信号待ちの間、
その光景を見るのを楽しみにしている。
ぎんぎんに冷え込んだ冬の日。
焚火の炎にあたると、
それだけで涙がにじむ。
なぜだろう。
2008年12月22日
何もなかったように
実家の母の家から見える風景である。
昨日、少し写真をほめられたので、
図に乗って今日も連載してみる。
「ちょっと見てみい、ええ景色やないの」
母に言う。
「いつも見てるから、ええ」
ふり向きもせず、母は言う。
確かに、
この風景は昔のままだ。
もう少しレンズをひくと、
中学の母校も目に入ってくる。
毎日ここで暮らしていた頃には、
母と同じように、
改めてこの景色を眺めることはなかった。
あたり前のようにそこにあった。
けれども、
しばらく遠く離れて戻ってくると、
おふくろよりも大きく手を広げて迎えてくれるのは、
この山々たちである。
皆が待つ家の玄関よりも先に足は、
庭先から見えるこの山に対峙する。
手に持った荷物もそのままに、
ただ立ちつくすだけである。
ふるさとの山は、
年月がいくら過ぎても、
何もなかったように昔のままに、
そこに鎮座していてくれる。
何もなかったように迎えてくれるのは、
母親だけではないのである。
2008年12月21日
米一粒

冬至過ぎ 米一粒の 日の長さ
冬至。
これからは昼の長さが少しずつ長くなる。
週末毎に釣行していた頃は、
それがよく実感できて嬉しかった。
毎日ではわかりにくいけれど、と母に言うと、
「これからは米一粒分ずつ日が長くなる」
と母の母(僕のおばあちゃん)が言っていたと話してくれた。
おばあちゃんの時代には煙草を作っていた。
これがまた大変な苦労だったらしく、
朝は夜明けから日が暮れるまでよく働かされたと母が言う。
米一粒分でも貴重な労働時間だったのだろう。
僕が物心つく頃には、もう煙草を作るのはやめていたけれど、
米一粒分ずつ暗くなる方が本当はうれしかったと、母は、
おばあちゃんが亡くなってから言ったことがある。
幼き頃の母の、それは、
本当の正直な気持ちだったのかも知れない。
2008年12月20日
歪んだ胎盤

たった一画のビルディングが
ゆるやかな傾斜もなく突然に
直射日光をさえぎる
日陰で暮らす老夫婦の
曲がった背骨を伸ばしたところで
最上階から見下ろす大阪湾は見えはしない
海の向こうから吹いてくる風に
鼻の下をくすぐられて面相を変える
何十億という人間の顔は
およそ何十億以上もあり
今夜もぶよぶよとしたやわらかい肉片が
暗く深い海の底から次々と打ちあげられる
新しい生命の胎動にビルディングが揺れる
ほら穴に住み
石器を作り
火を恐れ
大自然を恐れ
神を恐れ
戦いをくり返し 欲望にかられ
ちょんまげを結いながら
進化してきた生命の誕生だ
2008年12月19日
三つも字余りなのに

去年の今頃、
子供のことで夫婦喧嘩した。
子供もいた。
気晴らしに淀川に行くと言って出た。
午後遅く、
自転車で淀川の土手道を走った。
いつものコースよりも遠出したので、
帰る頃には日が暮れてしまった。
今見てきた風景を思い浮かべながら、
僕は俳句のことを考えていた。
ちょうどその時、娘からメールがきた。
「晩ごはん、できたよ」
僕は俳句のことを考えていたので、
なにげなく軽い気持ちで、
「淀川は 飛び込みたくなるほど 静かなり」
と自転車をこぎながら、それだけ打ち返した。
するとすぐに娘から、
「お父さん、今どこ?すぐに帰って来て!」
と携帯の小さい画面に叫ぶような文字。
家に帰り、玄関のドアを開けると、
「なんであんなこと言うのよ、〇〇(娘の名)が泣いてるやないのっ!」
そういう妻も心配していた様子。
三つも字余りなのに・・・。
僕は内心にやにやしながら、
妻には何も言わなかった。
ただ、
娘にだけは、
「ごめんやったね」
と背中をポンポンとたたきながら謝った。
一番驚いたのは、自分自身だった。
2008年12月18日
フェイドイン
いつだったか、
朝からケツまくってくる奴のこと書いたけど、
普通に走っていて、後ろを付いてくる車の間隔は、
人によって異なる。
妙に離れる者もいれば、
何もいやがらせではなく、
前の車にひっついていないと気のすまない奴もいる。
車の運転を見ていると、
その人の性格がよく反映されて面白い。
人と人との間隔も、
その親密さによって、
不愉快に思う距離、
ストレスを感じる最低限の距離があるらしい。
でも、
車間距離とちがって、
寒い冬の霧には、
人の心はほんのちょっぴりその距離が縮まるような気がする。
近づくと、
フェイドインで現れる君。
もっと近づいてみたくなる。
2008年12月17日
サーカス

「おっきい、にゃんにゃんやあー」
生まれて初めて虎を見たとき、
僕はそう叫んだらしい。
母が言っていた。
まだ家にテレビのなかった頃、
親がサーカスに連れて行ってくれたことがある。
叫んだ言葉は記憶にないけれど、
虎や象が後のゴジラのようにでかく見えた記憶は今でも脳裏に残っている。
小さい頃の記憶は、
身体の大きさに合わすのか、周りが大きく広く見えたもんだ。
あんなに広かった生まれ家が、
大人になると自分が大きくなったぶんだけ狭く小さく見える。
無限に広かった裏山も、
ほんの小高い丘にすぎなかった。
大人になってからもサーカスを見に行ったことがある。
でも、
その時はいやに動物の糞の匂い、
獣の匂いが鼻をついて仕方がなかった。
それでも、
自分の子供の輝く目を見ると、
自分もまた子供のあの頃に戻ったような気分になる。
あの時そばにいた、
父と母の若かった頃の顔が、
おぼろげながら浮かんでくるような気がするのである。
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2008年12月16日
指 恋

飲み会の帰り、
久しぶり電車に乗る。
若い頃のようにはいかない。
二次会のお誘いも近年は丁重にお断りしている。
電車内は座席が6割方埋まっているだけだが、
そのほとんどの人が携帯を手にしている。
さすがに話す人はいない。
みなメールをしているのか、何かの検索か、
指で小さいボタンを操作している。
見えないけれど、
目の前を無言の話声が、
嵐の夜の横なぐりの雨のように、
激しく行き交っている。
目を開けてられない。
先ほどから、
向かいの若い娘さんは、
忙しなく指を動かすと、しばらく休み、
また指を走らせている。
相手を待たしてはいけないのか、
返事が来る間休んでいた指が、
神業のような速さで、それも両手で打っていく。
恋人とやりとりしているのか、いい顔をしている。
指恋、と言うらしい。
駅について電車を降りる。
家からのメールが鳴る。
「パン買ってきて」
「了解」
僕のかじかむ指は、
彼女らの足元にも及ばない。
2008年12月15日
苦 情

家の前の道に、
30m間隔くらいで銀杏が植えられている。
何日か寒い日が続き、
木の葉が全部黄色に色づいてきたところだった。
これからちらほらと散っていくのだろうと楽しみにしていた。
ところが先日、仕事から帰ると、その枝がバッサリと切られていた。
聞くところによると、
落葉になると困るという苦情があるらしい。
市の職員が来て、
順番に葉の付いた枝を伐採していったらしい。
「・・・・・・・」
しばらく呆然。
何のために銀杏を植えているんだい。
これから銀杏の一番の見せ場だったのに、
情緒も何もあったもんじゃない。
「何をセンチメンタルな・・・誰が掃除をすると思ってるんだい」
いろいろ聞こえてくる。
わからんでもないけど、
なんか虚しいよなぁ。
緑は増やせ、落葉は困る・・・か。
裸にされた銀杏じゃないけれど、
街路を通り抜ける風が、
妙に身に沁みる光景であった。
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2008年12月14日
青春夜話

手のひらを 思い出させて マスクする
東京には何もいいことはなかった。
あるとすれば、ひとつ。
学生の頃、東京の赤羽に下宿していた。
夜は、赤坂見附のビル掃除のアルバイトに行っていた。
そこに美術大の女子学生がいた。
いつも大きなスケッチブックと画材をかかえていた。
僕も絵を描くのはきらいではなかったので、
話が合うようになり、
彼女はスケッチブックの中身を見せてくれるようになった。
それはほとんどビルの屋上でのデートだった。
彼女も学費は自分で稼ぐという条件で、
東京に出してもらっていた。
ビルの屋上から見える東京タワーの赤い灯を眺めながら、
僕たちはいろんな話をした。
アルバイトの給料の日。
二人で飲みに行った。
その頃、流行っていた赤ちょうちんの歌ではないけれど、
月に一度のぜいたくだった。
その夜、遅くなったので、
彼女を家まで送ることになった。
中央線に乗り換え、高円寺、三鷹を通り、
電車はだんだんと家並がとぎれ、
畑やなだらかな丘陵地帯の中を走った。
初めて見る風景だった。
座席はガラガラだったけれど、風景の流れるドアにもたれて、
僕たちは話し込んだ。
暗い車窓に映るふたりの顔は、
ほんのりと赤らんでいた。
国分寺を過ぎ、国立に着いた。
その時わかったのだが、彼女の言っていた帰りの最終電車は、
途中止まりであることに気がついた。
ホテルに行く金などなかった。
結局、彼女の部屋に泊まることになった。
彼女のアパートの入口のホールで靴を脱ぎ、
それを持って彼女の部屋まで廊下を通り、
二人とも泥棒猫のように忍び足で入った。
三畳一間の部屋だった。
とにかく彼女は静かにしろと小声で言った。
何か言いかけると、
口の前に人差し指を立てた。
結局、その夜は、
キスをする時以外、ずっと、
彼女の手は、僕の口をふさいでいた。
絶対に声をもらしてはいけない、
沈黙の夜だった。 ーつづかないーー
2008年12月13日
裏参道

八幡宮の裏参道。
上りは表参道から来た。
今の時期、参る人も少ない。
あと半月もすれば多くの人がこの山に登る。
人が少ない分、山の空気が透き通り、
頂上から見える京の都も広々と見える。
愛宕山、比叡山、を正面にして左に天王山。
多くの兵どもが目指した都。
こうやってこの山の上に立ち、
やっとたどり着いた都を眺めた武将もいたのだろう。
帰りは裏参道へ。
うっそうとした暗い中に、
孟宗竹の軍勢が立ちはだかっていた。
「かかれーっ!」
猛者揃いの軍団が、
大将の一声だけで、
今にも襲いかかってきそうだ。
一人下りる石段の竹落葉。
踏めば歴史の軋む音がする。
竹林の奥の方から、
じっと誰かに見つめられているような気もする。
入口の、
苔むした石燈籠は、
今夜も夢の跡を照らすのだろうか。
2008年12月11日
胸ポケット

この社会情勢。
我が仕事にも大きな波が押し寄せてきている。
し~んと押し黙った、
重苦しい顔の面々。
ふと、となりに座った若い後輩が、
宙の一点をみつめて胸に手を当てた。
どうやら胸のマナーモードの携帯が震えたらしい。
おもむろに携帯取り出し画面を見る。
メールが入っているようだ。
別にのぞき見するつもりではなかったのだが、
また客先からのクレームかと気になり、
ひょいと画面が目に入った。
「今夜、会える?
」
赤のハートマークが目に飛び込んできた。
みな重苦しい空気の中、
かの後輩もしかめっ面をして携帯を閉じた。
僕に見られたとは気付いていないようだ。
左前方のひとりが、
一度咳ばらいをして何か話しだした。
僕は隣の若造の右脛を蹴飛ばしてやった。
もちろん、
深刻な表情をして・・・。
2008年12月10日
笑われても

「なんぼ笑いもんになってもええから、
あんな姿だけは見せんどいてくれ」
いつだったか母に言われたことがある。
この案山子のことではない。
時代劇の捕物帳で下手人が縄で身体を縛られ、
引き連れられて行く。
容疑者が手錠をかけられ、頭から布をかぶり、
護送車に乗せられる。
そんな姿である。
テレビを見ながらよく言っていた。
でも、
万が一、そうなったとしても、
母はそういう息子の母になるに違いない。
だからこそ、なおさら、
そういう息子にはなれないのである。
案山子に晒すという失礼なことを言った。
今はやりの失言だ。
許せ。
-->
2008年12月09日
七度狐

一度ひどい目に合わされたら、
その相手を七度続けて化かすという執念深い狐。
七度狐という落語の中に出てくる。
お伊勢参りの道中、伊賀上野の峠までやってきた、
喜六、清八の二人がさんざんだまされる。
旅人をまただましたと、怒った村の百姓が、
逃げる狐を追いかける。
やっとこさ大根畑に追い込み、
狐のしっぽを捕まえる。
狐は逃げようとする、百姓は掴んだしっぽを離してなるものかと、
必死で引っ張る。
思いきり引っ張ったものだから、
狐のしっぽがスコーンと抜けてしまった。
百姓、
よく見ると、
畑の大根を抜いていた。
水たまりに、
初氷の張った朝。
髪かき上げる少女のうなじのような、
大根の白き首。
だまされて、
抜いてみたくなる。
-->
2008年12月08日
冬空のキャンバス

枯れ木ではない。
大空に伸びた枝の先には、
冬芽がふくらみじっと春を待つ。
すっかり葉を落とし、
毛細血管のように広がるその姿は、
まるで木が芸術を知っているかのように、美しい。
学者によれば、
この宇宙を形造る方程式は、
雪の結晶のように美しいらしい。
過程は複雑でも出来上がってしまえばシンプルな美しさ。
完成した名曲は、
いとも簡単に人の心の琴線をくすぐる。
冬を越す細木の枝の力強さよ、我が手の平の生命線の心細さよ。
冬空のキャンバスに、
静かにたぎる熱き血潮を忍ばせて、
か細い女の裸体を描く。
なまめかしく雲になぞられて、
あやうく声を発しそうな色を為す。
とてもとても、
枯れてなどいない。
-->
2008年12月07日
山上湖

空青く、冬の日の暖かさ。
風がないのでじっとしていると、
ダウンのジャケットも脱ぎたくなる。
冬の日は、
人が心地よい日和ほど、
ウキも動かない。
北風の吹く、人に厳しい冬日の方が、
釣れる時が多い。
風景が青一色に染まりそうな、
空と山上湖。
どこもまったく釣れていない。
動きの少ない釣人は、
山の枯れ木に似て、
微動だにしない。
空の雲だけが、ゆっくりと流れ、
絵でないことの証明をする。
背伸びして、
両手を空に伸ばし、あくびする。
竿尻を離したとたん、チクリと魚信を見る。
あわてて合わすが空振りに終わる。
本日たった一回のアタリ。
ここまできて、人生の、
うまくいかない一面を見るような、
チャンスを逃すどん臭い役を演じるような、
見たくない未来を、
青写真に焼き付けたような・・・。
「アタリ見れただけでもいいやないか」
と慰める奴。
所詮、お釈迦様の手の平の上の出来事と、
割り切れないものがある。
俺もまだ若い。
<!---->
2008年12月06日
天ぷらうどん

彼女と付き合いはじめの頃は、
よく大阪の南に踊りに行った。
お互いに精一杯に自分を着飾って、
夜の街にくり出した。
寒い冬の夜、腹ごしらえに、
二人でうどん屋に入った。
彼女はきつねうどん。
僕は天ぷらうどん。
大きなエビの天ぷらが二個のっていた。
一個を彼女のどんぶりにのせた。
彼女からきつねの揚げが返ってきた。
帰りは朝方の4時頃になり、
彼女のアパートの方が近かったので、
そのうち、自然ところがりこむようになった。
彼女の部屋は引っ越した時に、
畳が新しく入れ替えてあった。
肉体の若さで日が暮れて、
夜になると、また飲みに出かけた。
短かったけれど、
あの頃の怠惰な日々が今は、
とても貴重に思えてくる。
そして彼女は僕のつれあいになり、
二人の子供の母親になった。
上の子供が小学校に入った頃、
たまたま家族でうどん屋に行った。
学校でうれしかったことの話が話題になり、
娘が、おかあさんのうれしかったことは?と訊いてきた。
妻は、一番にお前たちが生まれてきたことだと言った。
そして、
昔、お父さんにもらった天ぷらの話をした。
あの時、お父さんがくれた天ぷらがとてもうれしかった、
とその時だけ少し神妙な顔付で話した。
僕は一瞬何のことかわからなかった。
そんなことをうれしく思っていたことなど、
これっぽっちも気付かなかった。
あの頃の彼女の心境に何かあったのだろうか。
人は思いもしないことに心動かされる時がある。
思いもしないひと言に傷つくこともある。
強い時も、弱い時もある。
それなら、
「お前たちは天ぷらうどんのおかげで生まれてきたんだ」と、
冗談を言いながら、
僕は、
遠い日の彼女の部屋の、冬日さす、
あの青畳の匂いをなつかしんでいた。
-->
2008年12月04日
生まれてきた理由

一枚の落葉は哀れに見えるけれど、
それが寄り集まると綺麗に見えてくる。
夢菜さんのコメントにあった。
桜並木の小道を少しはずすと、
緑の原に落葉の色が鮮やかで、
どんよりとした冬の空とは対照的に、
晴れやかに見えてくる。
木の葉が枯れるとこういう色を為すのには、
何か理由があるのだろうか。
紅く見える根拠の科学的解明ではなく、
創造主がその色を選んだ理由を知りたい。
知ってどうするのだ、
お前は何も考えずに、
砂糖も塩も同じ色だと思い込んでいる。
神様が怒っている。
お前がこの世にいる理由みたいなもんだ。
教えてやろうか?
それは、是非・・・。
<!--
-->
2008年12月03日
マザー

宇宙貨物船ノストロモ号。
エイリアンもろとも貨物船を爆破して、
小型の脱出艇で逃げ出す手はずだった。
ところがそれができなくなり、
起動した時限爆破装置を止めに戻るが、
間に合わなかった。
爆破まであと何分何秒、とメインコンピュータのカウントダウンが始まる。
シガニー・ウィーバー扮する、
一人生き残った女性クルーがコンピュータに叫ぶ。
コンピュータの名は「マザー」。
「マザー!、私はここよ!」
爆破用のガスの噴き出す船内に、
マザーの冷たいカウントダウンの声だけがこだまする。
♪ 「もうすぐ、お風呂が沸きます」 ♪
わが家のコンピュータが、
新幹線のアナウンスのように知らせてくれる。
この頃は、
電化製品の声も随分とそのアクセントが滑らかになった。
その声で、「お風呂が沸きました」と言う。
やかましく思う時もある。
扉を閉めてくれ、ボタンを選べ、あれやれ、これやれと、
あげくの果てに、もう一度はじめからやれ、とくる。
昔、
田舎にいた小さい頃には、
家は五右衛門風呂だった。
学校から帰って、
薪で風呂を焚くのが僕の仕事だった。
ある日、妹と風呂焚きしながら、
ビニールを火に溶かしてポタポタと落とすのが面白くて遊んでいると、
地面に落ちた熱いビニールを、妹がかかとで踏んでしまった。
やけどである。妹は熱くて泣いた。
僕はどうしていいか分からず、
とりあえず洗面器に水をくんできて妹の足を浸けた。
水に浸けている間は泣きやむのだが、
水から出すとまた泣いた。
そうこうしているうちに母が、
畑仕事から帰って来た。
僕は怒られると思い、妹の足を洗面器に浸けたまま、
物陰に逃げた。でも心配でこっそり覗いて見ていた。
母は何かの草の葉を火にあぶり、
手で揉んで、妹の足につけてやった。
それから妹は、
母を見た安心さもあるのだろう、泣きやんだ。
そして、
もう大丈夫だから出ておいでと、母はこっちを向いて言った。
うちのマザーは、
こわかったけど、いざという時、
とてもやさしく頼もしかった。
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2008年12月02日
鉛筆がない

初めてシャープペンというものを手にしたのは、
中学にあがる頃だった。
当時はまだ、折れやすく、よく詰まったりしたけれど、
なぜか字を書くのが楽しくなった。
それ以来だろうか、
僕は文房具というものが好きになった。
暇があれば文房具屋をのぞいた。
学校の近所にはよく小さな文具店があった。
三角定規、いろんな形のコンパス、鉛筆削り、ナイフ。
なかでもやはり筆記具には興味があった。
今では珍しくもない、頭に消しゴムの付いた鉛筆。
いろんな色のシャープペンの芯。
勉強がいやになると、
珍しいペンに代えて、ノートから気持ちを離さないようにした。
書きたくてしかたがなくなる。
何もなければ教科書をそのまま写した。
娘が大学の受験の日の朝(この前の土曜日)。
鉛筆がない、鉛筆がないと、大騒ぎ。
電話の横に腐るほどあるやろ。
書けるのか書けないのかわからない、
シャープペンやボールペンが鉛筆立てに入っている。
違うのだと、今日は本当の鉛筆がいるのだと言う。
今度の大学はマークシート式だから、
鉛筆でないとそれもHBとまで指定、受験票に書いてある。
あちこち探したが、
結局我家にはろくな鉛筆は一本もなかった。
鉛筆立ては名ばかりであった。
朝早くからコンビニまで走った。
売っていた。
すぐに書けるようにもう削ってある。
おまけに鉛筆削りまで付いて。
親に似たのか娘たちの筆入れには、
色々な筆記具があふれるほど入っているのに、
鉛筆がない。
わが家に鉛筆がないことに愕然とした。
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2008年12月01日
十一月の忘れ形見

11月も終わった。
さすがに昨日は祝いの人の数も少なかった。
振袖の 丈より長し 千歳飴
作者名は忘れたけれど、
新聞か何かで、
去年の今頃紹介されていた。
着物姿の小さな子どもが、
千歳飴を引きずるように持っている風景が目に浮かぶ。
微笑ましい。好きな句である。
我が家の、
上の娘の初めての七五三。
きれいなべべを着て、
神社に出かける時までは機嫌がよかったのだが、
草履を履いて外を歩きだすと、
妙にぐずりだした。
普段、履き慣れていないから、いやがっているのだろうと、
初めは妻も、がまんしなさい、しんぼうしなさいと言っていた。
それでも歩きにくそうにする。駄々をこねる。
しまいには妻も怒り出したので、
僕は娘をだっこした。
晴れの日に、
娘は結局家に帰るまで、つらそうな顔をしていた。
家に帰って、
玄関で娘の草履を脱がせて、妻は絶句した。
右足の草履の緒が、娘の足の、
親指と人差し指の間ではなく、
人差し指と中指の間に入っていた。
気付けずにすまないことをした。
「ごめんね、ごめんね」
妻は泣きながら娘を抱きしめた。
もうあれから15年になる。
タンスの上に飾ってある、その時の娘の写真を見るたび、
わが夫婦は苦き思い出に今でも、
胸を熱くするのである。
親としての忘れ形見である。
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