2009年01月31日

冬尽く

花びらを 畳に落とし 冬尽きぬ

       畳の上で死にたい。
       父も人並なことを言いたかったのだろう。
       でも、
       畳の上で、とは言わなかった。
       単に、家に帰りたい、と言っただけである。
       もう末期になる前のまだ意識のある頃だ。

       長い入院生活ではなかった。
       後半の半分はもう意識もうすれ、
       手を握れば握り返してきたのが、
       親子の最後の意思の疎通だった。

       病院の裏のうす暗い所で、
       主治医と4,5人の看護師に見送られ、
       仰々しく頭を下げられ、
       「至らなくて申し訳ない」ような意味の言葉をいただいて、
       父は車に乗せられ、帰りたかった家に帰ってきた。

       突然の死ではなく、ある程度覚悟はできていたので、
       母も家族もそんなに涙にくれることはなかった。
       ただ、告別式の挨拶で少し胸が詰まったくらいだった。

            ・・・・・・病院のベッドで、父が僕たち兄弟を呼び、言いました。
            兄弟仲良くせえよ、と、おかあちゃんを頼んだよ、と、そして最後に、
            おが顔をひっちゃうすんなねえ・・・と。
            おが顔をひっちゃうすんなねえ、というのは田舎の言葉で、
            俺の顔を忘れるなよ、という意味です・・・・・・

       この、おかあちゃんを、と言いかけて言葉が詰まった。
       田舎から駆け付けてくれた人たちの中から、
       その田舎言葉に、すすり泣く人もいたと、
       後日、葬儀屋の人がおしえてくれた。

       あの時父は、本当は、
       生まれ故郷の田舎に帰りたいと、言いたかったのかも知れない。
       父はいま故郷の小高い丘の上の海の見渡せる墓地に、
       両親と一緒に眠っている。

       今頃は墓地のまわりの山茶花が満開のころである。

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2009年01月30日

空を飛んだ日

両腕の 翼ひろげて 夜着の夢

              空を飛ぶ夢を見たのは、
              今まで一度か二度くらいしかない。
              そんな夢を見るのは、
              欲求不満とかいろいろ言われるようだけど、
              この時に飛んだ空は、
              青い空にうすい白雲がうっすらと浮かんでいて、
              空を飛ぶというのはこんな気分なんだろうと実感した。
              それは、はるか昔の小さかった頃のような気がする。

              鉄腕アトムや鉄人28号のように、
              ジェット推進力ではなく、
              鳥のように自分の両腕を翼にして飛ぶのである。
              両腕を羽ばたかせると、ゆっくりと浮上する。
              翼を休めるとゆっくり下降する。
              大空を舞うとんびのような気分がした。

              空からの景色はすばらしかったけれど、
              まだ飛行機にも乗ったことがない頃で、
              上空から見た街並みの風景、
              所謂、鳥瞰図がなぜ見れたのかわからない。
              経験上、現実にこの目で見たことのないものは、
              今まで、夢の中でも見ることはできなかったのに。

              自分の家の上まで来ると、
              家の外で父や母や弟や妹が手を振っていた。
              僕はひばりのように急降下して、
              みんなを驚かすようにぎりぎり地面近くまで滑空し、
              ブルーインパルスのように再浮上した。
              みんな笑っていた。よろこんでいた。

              今、思うとひとつだけ思い当たることがある。
              訳は言えないが、このころ我家は暗い出来事ばかりだった。
              父も母も同じ家の中の空間にいるのが、気まずい雰囲気だった。
              家族から笑いが消えて、何かが壊れかけていた。
              幼いながら、みんなをまた以前のように、
              笑わせたくて、よろこばせたくて、
              そんな夢をみたのでは・・・とこの頃思う。

              そんなことがあってから、
              足がすくむような高い所に立って、下を覗くと、
              落ちる怖さよりも、飛んでみたくなる衝動が恐ろしくなる。
              鳥のように飛べそうな気がして、なんでもないような気がして、
              思わずジャンプしそうになる自分を抑えきれなくなる。

              これも一種の高所恐怖症なのだろうか。

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2009年01月30日

不安な演奏

鍵盤の 指節くれて 雪やこん

             妻が美容院に行った。
             今回は長い髪をばっさりと短くしてきた。
             それを見ると、十数年前のことを思い出す。

             下の娘がまだ幼い頃、
             美容院から帰ってきたお母さんの頭を見て、泣きだした。
             その時も髪をばっさりと短くした。

             下の娘にはそういう所があった。

             夜、外から帰って来て、
             部屋の蛍光灯のヒモを引っ張って、
             ヒモが根元からプツンと切れた時も、
             うえ~んと泣き出した。
             車の燃料計がEになり、
             「あっ、ガソリンが切れそうだ、家までもつかな」
             と言っただけで、泣き出した。

             いままであったものがなくなる不安。

             そういうことが自分の子供の頃にもあった。
             夜中にトイレに目が覚めて、用を足して帰ってくると、
             家族がみんな寝ている。
             父と母が一番下の妹をはさんで寝ている。
             し~んと静まった部屋で、
             いつかこの父も母もいなくなってしまう。
             そう思うと涙が出て布団に入ってから泣いていた。

             ある日、
             親が遊園地に遊びに連れて行ってくれた。
             朝早くから母が弁当を作って、その頃はまだ車はなかったから、
             電車で出かけた。
             昼は広い芝の広場で弁当を広げた。
             楽しかった。楽しい日は過ぎるのも早い。
             一日遊んで、帰りの電車の外はもう暗かった。
             座席には父母、妹、弟、そして僕。
             5人並んで腰かけて、弟や妹は疲れて眠っていた。
             父も昼間飲んだビールのせいかうとうとしかけていた。
             僕は暗い車窓を覗きこんでいた。
             遠くの灯がゆっくりと流れていた。
             突然、踏切の遮断機の音が近づいたかと思うと、
             哀しい悲鳴のような声で遠ざかって行った。
             楽しい一日だったはずなのに、
             窓に映る両親の姿を見て、妙に悲しくなった。
             あの時、
             遠くの山の上にポツンと見えた白い灯りを今でもよく覚えている。

             小さい頃から泣き虫だった。
             いままであったものがなくなる心細さ。
             下の娘の気持ちは、まさしく他人事ではなかった。

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2009年01月29日

振り子

寒の灸 済ませて母の 寝間を敷く

        「この五円玉から目を離さないように」
        つり下げた糸の先に五円玉を結んで振り子にする。
        「あなたはだんだん眠くなる、眠くなる」
        友だちに催眠術をかける。
        子供の頃、そんな遊びをした。
        ほんとは全然眠くなんかならないのだけど、
        催眠術にかかったように、眠ったふりをする。

        僕の生まれた家には、
        大きなのっぽの柱時計があった。
        父と母が一緒になったときに、祝いに戴いたものらしい。
        柱時計の振り子はこれまた大きかった。
        ゼンマイ式で裏に蝶々のような形のネジ巻きがあった。
        ぼ~ん、ぼ~んと毎正時と半に音が鳴っていた。
        昔の時計の音はやさしかった。
        夜中でも鳴っていたけれど、
        夜の闇に静かに溶け込むような響きであった。
        子守唄を唄う母がやさしく胸をたたくような音がした。
        そんな時計が母も好きだったのだろう。

        何年か前、
        母の誕生日に小さめの柱時計を贈ったことがある。
        昔を思い出すように、とても喜んでくれたのだが、
        音がいけなかった。
        同じ、ぼ~ん、ぼ~んでも、電子音である。
        何かが違うのである。音を小さく絞っても、
        耳に障るのである。
        夜中など、ただうるさいだけである。
        母は気を使ってそれでもいいと言ったけれど、
        母の家でそれを聞く自分が我慢できなかった。
        結局、音は鳴らなくした。
        昔の振り子時計の音は返ってこなかった。
        母だけではなく、
        自分もまた懐かしさに期待していた所があったのかも知れない。

        わが家にも振り子時計はある。
        が、振り子は何年か前から全く動かない。
        振り子は振らなくても電気時計は動くのである。
        わが家の振り子は、自分で催眠術にかかって、
        眠ったままである。

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2009年01月29日

せせらぎ

耳凍むや 川のせせらぎ 鉄格子

             少し前まで、
             ここは小さな小川だった。
             小川の上を歩けるようになったのはいいけれど、
             流れる水の弾ける音が、
             鉄格子の下から聞こえてくるというのは、
             どうも情緒もへたくれもなくて、
             刑務所の塀の向こうから聞こえてくる、
             ラジオ体操のようなものだ。

             公園の遊具も老朽化して、
             危ないということで、
             ブランコでもロープでぐるぐる巻きにされ、
             使えなくなっているものがある。
             予算がたたず後回しにされ、
             いつまでたってもブランコが支柱にす巻きにされている。

             この小川の隣に小学校がある。
             危険を避けるために蓋をするのもいいけれど、
             せっかく小川があるのに、
             水遊びもできないというのは、
             なんとも魚心と水心、
             酸欠になりそうである。

             それにしても、せせらぎのいい音がする。

             目をつぶれば、田舎にいた頃の、
             ぼうず頭のわんぱく小僧が浮かんでくる。
             ザリガニつかんで、女の子追っかけたもんだ。

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2009年01月28日

濡れ羽色

ゴミの日や 目は口ほどに 寒鴉

            朝早くいつものパン屋さんへ。
            焼きたてのパンを家族分買いに行く。
            前日に買ってもいいけれど、
            作りたてのパンは朝によく似合う。
            特に用事もなく釣りにも行かない休日の朝は、
            ゆっくりと熱々のコーヒーにパン食。
            新聞をゆっくり隅から隅まで目を通す。

            行く途中に清掃工場がある。

            この日は風もなく煙突から上がる煙がまっすぐに立ち昇っていた。
            朝日が雲の向こうから顔を出し、
            ちょうど逆光になり雲も煙も真っ黒に見えた。

            この市では他に清掃工場をもうひとつ建設している。
            ゴミの焼却が追っつかないのだろう。
            人の生活が便利になった分、裕福になった分、
            吐き出される物もトン単位で増えている。

            その新しくできる清掃工場をめぐっての談合事件が、
            世間を騒がせて市長も代わった。
            ハイエナのように権力に群がる連中がいる。
            権力を笠に着て肥える奴がいる。

            やがて煙突から吐き出される煙のように、
            人間の心も真っ黒になる。

            ゴミの日を知っているかのように、
            群がるカラスの濡れ羽色と同じにされては、
            カラスもかわいそうなもんだ。

            カラスは心まで黒いわけではない。

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2009年01月27日

鍵 穴

教会の 屋根の鍵穴 冬の闇

                        夜は
                        不透明な
                        物陰にじっと潜み
                        植物のように
                        ひっそりと
                        息をする

                        脱げた
                        スリッパが
                        客の帰った方向を
                        向いていて
                        その扉に
                        誰かが鍵をかける
                        もう戻ってくることはあるまい
                        地球の裏側で
                        夜に食われた肉体の
                        骨の砕ける音がする
                        鍵穴の向こうの
                        夜のどん底から
                        這いあがってきたものなど
                        誰もいない

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2009年01月27日

姉 妹

はやる気は 親ばかりなり 寒厨

             娘たちが隣の部屋で歌っている。
             誰の歌か、なんの歌か、
             もはや父親にはわからない。
             さすが姉妹だけのことはある、
             いっしょに歌うときれいにハモる。
             そんなことはどうでもいいのである。
             お前たち受験勉強中であるぞ。

             二階に勉強部屋があるのに、
             下の座敷のコタツにふたり向かい合っている。
             なにか一生懸命ペンはとっているのだが、
             その口は止まらない。

             ふたりとも塾には行ったことがない。
             友だちはほとんど行っている。
             本人が行きたいと言えば、
             行かせてやろうと、妻とは話していたけれど、
             結局、行くとは言わなかった。
             結果から、塾に行かせてくれなかったと、
             親のせいにしないということで談判した。
             塾に行っている友だちには負けたくないと、
             ふたりとも夜遅くまでよく勉強はしている。

             でも、
             「高校に行ったら、絶対彼氏つくるんだ」
             と下の娘。
             「あたしより先に作ったら許さん!」
             と花の女子大生になる上の娘。
             あとは、
             「アーラシー、オオノー、サクライーッ。カッコイイ~」
             歌がやんだかと思うと、
             なにやらノートの隅に落書きしながら叫んでいる。
             そうかと思うと、深刻に英語の辞書を引いたりしている。
             よくわからん姉妹である。

             でもしんと静まり返った夜中に小さな声で、
             英語の読みをぼそぼそ読んでいるのを耳にすると、
             なんだかかわいそうになる時もある。
             そんな時は、そっと熱いコーヒーを持って行ってやる。
             なんでもないことだけど、
             そういうことがボディブローになって効いてくる。

             僕の母も夜遅く、
             二階の部屋までよくコーヒーを運んでくれた。
             その時にはそんなに特別には思わなくても、
             お前だけではないのだと、
             みんなが応援しているんだという親の愛情が、
             年をとってくるほどにわかってくる。

             ボディブローは、後々効いてくるのである。

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2009年01月26日

タイムトンネル

ふり向けば 石にするぞと 冬に言ふ

            僕の生まれた田舎の家は、
            前が海で後に山がある。

            何年か前に、
            海の沖に小舟で出て、
            自分の集落をあらためて眺めたことがある。
            海からすぐの山肌に家々が田螺のようにへばりついていた。
            ああ、俺はここで生まれたんだな、と思った。
            ここにも平家の落武者が住み着いたという伝説が残っている。
            裏の畑の片隅に、名前も何もない墓石がいくつか並んでいる。
            掘ってみれば落武者の埋めた刀や鎧が出てくるかも知れないと、
            死んだ父が真顔で言ったことがある。

            自分の今までの人生の中の、
            ほんの十年ほどしかここで暮らしていないのに、
            その生まれてから十歳までの記憶が、
            この脳みその半分以上を占めているような気がする。

            昔、
            タイムトンネルというアメリカのSFテレビドラマがあった。
            トンネル型のタイムマシンで人や物体を、
            過去や未来へ転送させる。
            夢中で見ていた。
            だからトンネルを見ると、
            好きな時代へタイムトラベルできそうでワクワクしてくるのである。

            過去に戻れるなら、
            落武者狩りに怯えて暮らすより、
            刀や鎧を捨てて百姓になろうと決断した、
            自分の祖先の時代にタイムスリップしてみたいと思う。
 
            海の沖の舟の上から僕は誰かを見ていた。

            ここまで落ちのびて来た者たちが、
            やっと安住の地を見つけたように、
            山の上にただ立ちつくして、
            前に広がる海を眺めていたような気がしたのである。

            長い暗いトンネルを抜けたような気分だったのかも知れない。

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2009年01月26日

うそつき

八百を 並べて庭の 春遠し

                   君の前で
                   ぼくはうそつきになる
                   好きでもない花を好きだと言う
                   君の好きな花だから

                   君の前で
                   ぼくはピエロになる
                   そうでないと 君は
                   ふり向いてくれないから

                   春は
                   気のあるふりをして
                   あなただけよと
                   うそをつき
                   いつのまにやら
                   そこらじゅうで恋をする

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2009年01月25日

りんごの皮

すりおろし 口に運ぶや 冬林檎

                  まだ僕が幼かった頃、
                  母がキラキラと光る果物ナイフで、
                  りんごの皮をむいてくれた。
                  むかれた皮が、
                  いつまでも切れないで、
                  長く下へつながっているのを見て、
                  僕は母の器用さに驚いたものだ。
                  このりんごの皮が長いほど、長生きするのだと、
                  占うように裁縫の物差しではかっていた。

                  そして今僕が、
                  テーブルの上のりんごを手にとって、
                  皮をむいている。
                  むいた皮の長いのを見て、
                  うまいもんだと、
                  さも昔ごとのように、母が言う。

                  長生き話をしなくなったかわりに・・・。

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2009年01月25日

時には君を抱きしめたい

泣き笑う 顔も見せずに 春を待つ

                     時には怒ってもいいよ
                     ほっぺふくらませ
                     こわい顔した 君
                     そんな君の意地らしさに
                     僕はとっても
                     かわいらしさを感じている

                     時にはすねてもいいよ
                     ぷいと鼻を高くして
                     もう知らない なんて君
                     そんな君の小さな唇に
                     男らしく そっと
                     キスしたい僕なんだから

                     時には泣いてもいいよ
                     僕の胸をたたいて
                     泣きじゃくる君
                     そんな君のふるえる肩を
                     僕は力いっぱい
                     抱きしめたくなる

                     時には笑うといいよ
                     大きな瞳に
                     涙をいっぱいためて
                     悲しい時にも笑うといいよ
                     君には
                     それが一番よく似合う

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2009年01月24日

冬の背中


photo by kotono
背中見せ なにやら淋し 春支度

             太古の昔、
             類人猿が、拾い上げた骨を空に放り投げる。
             それが一転、宇宙船にかわる。
             一瞬にして400万年をジャンプして見せた。
             2001年宇宙の旅  スタンリーキューブリック監督

             宇宙船がある惑星に不時着する。
             そこは猿が人間を支配する惑星だった。
             ラストシーンの海岸で、
             砂に埋もれた自由の女神の頭部が現れる。
             そこは未来の地球だった。
             チャールトン・ヘストンがかっこよかった。
             猿の惑星   フランクリン・J・シャフナー監督

             どちらも1968年に公開された。
             中学から高校に上がろうかという頃。
             興奮した。
             この次の年、1969年、
             人類はやっと月に足跡を残した。
             未来に大いなる夢を持たせてくれる学生時代だった。

             あと10日ほどで立春。
             今年は雪も積もらず、
             冬の背中がゆっくりと遠ざかって行く。
             それもまた少し淋しいような気がする。

                展示せぬ動物も生く冬の月   緑翠

             冬の閑散とした動物園。
             来園者が多かろうが少なかろうが、
             毎日餌を食べ、生きている。
             このゴリラの背中。
             今年の去りゆく冬のように、
             どことなく淋しく見える。

             さっきの映画の公開から40年。
             君も私も、
             少しは進化したか?

             ゴリラの檻の前で、子供が言った。
             「このゴリラいつ人間になるの?」

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2009年01月23日

親切り

               
  
  

 
 

声の無き ぎろちんの音 咳ひとつ

 
 
 

                家の電話が鳴る。
                たいてい妻が出る。
                用事でいない。
                僕が取る。
                「〇〇ですけど、△△ちゃんいますか?」
                娘の友だちから。
                いつも携帯なのに、めずらしいなと思ってきくと、
                友だちの携帯が今使えないらしい。


                昔は「親切り」というのがあった。
                親が電話に出ると、ガチャンと切れる。
                物騒な言い回しだと思っていたけれど、
                携帯の時代に自然消滅したようだ。


                まだ携帯のなかった時代、
                妹の電話が長くなればなるほど、
                親父の機嫌が悪くなったものだ。
                僕も夜、家の電話ではなく、
                外の電話ボックスまで走ったことがある。


                ある晩、外から帰ると、
                その電話ボックスに妹がいた。
                冷やかしてやろうと近づいた。
                妹は泣いていた。
                いまにもうずくまりそうに泣きながら電話していた。
                僕は見てはいけない気持ちがして、先に家に帰った。


                しばらくして、
                妹が玄関から帰ってきた。
                「ただいまあ~」 元気な声を出し、
                「あ、ごめんごめん」と、
                母と台所の洗い物をはじめた。
                談笑するその背中は、
                いつもの明るい妹にもどっていたけれど、
                どこかに涙の拭きあとが見えた。


                携帯がなければないで、
                あればあったで、
                それぞれの人生模様に、
                それほど大きな差はないように思う。


                また電話が鳴る。
                セールス。
                いらないと言うのにしつこいので、
                ガチャン。
                こちらから切ってやった。
                切る方も、あまりいい気持ちはしない。


                今、書いてみて気づいたけれど、
                親切りは、「しんせつ」とも読むんだ。


                切れる音ももう少し親切な音にしてもらいたいもんだ。
 
 

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2009年01月22日

北 風

毛糸編む あの頃の君 なつかしむ

                  いかにも、
                  手編み、のマフラーを首に巻いた、
                  若い男と女の二人連れ。
                  自転車に二人乗りして、
                  私の横を追い越して行く。
                  女が前で、男が後ろに乗っている。
                  逆じゃねぇのか。

                  そんなおっさんのつぶやきもよそに、
                  キャキャッっとはしゃぐように、
                  自転車は遠ざかって行く。
                  若い二人の想いの分だけ、
                  タイヤへこませて・・・。

                  冷たい北風の吹く夕暮れ。

                  思わずすくめる首すじに、
                  手編みのマフラーの温もりが、
                  遠い昔、
                  私にもあったような気がする。

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2009年01月21日

涙腺風景

涙腺に 凍み通るかな 里の暮

                  重い布団に横たわる
                  そのか細い手に
                  痛々しく食い込んだ指輪が
                  どこまであなたを幸せにしたのだろう

                  すっかり枝葉を落とした
                  庭先の老木のように
                  若い頃の着飾った夢を
                  あなたはどこに捨ててきたのだろう

                  いつも水屋の
                  逆さにふせたコップの中で
                  息を殺してこらえていた
                  悲しみよりも
                  タンスの奥にしまった
                  夏服の小さなポケットの中で
                  そっとぬくめていた母の喜びが
                  いまは 急流を遡る鮭のように
                  とてつもなく愛おしい

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2009年01月20日

国 境

老猫や 縄張り取られ 冬茜 

                 覗かれていた 
                 なにもかも
                 空は悠々と
                 果てしなくつづいた
                 ぴいんと張られた静寂の中から
                 ふと 聞き慣れない声がする
                 あれは何という声色だ
                 深く暗い海の底から
                 あぶくに包まれた絶叫が
                 歴史のように
                 浮かんでは消えていった
                 あれは 空耳だったか
                 兵士の軍服は
                 平和の色に褪せていた
                 肉体は老猫のように退屈していた
                 ただ 鋭い視線だけが
                 いつまでも 
                 心の臓を
                 覗き込んではなさなかった

2009年01月20日 »

2009年01月19日

追いかけくるもの

長靴の 走り出しそに 初霰

             道端に、
             手袋が車に轢かれて、
             落ちていることがある。
             近くの河原に、
             マネキンが裸のままで、
             打ち捨てられている時がある。

             人体に似たものを、
             思わぬ所で見かけると、
             一瞬、どきっとする。

             少し冷え込んだ日の午後。
             畑道の掘っ建て小屋の横を通りかかると、
             一足の長靴が置いてある。
             農作業の人がここで履き替えるのだろう。
             小屋の中に入れればよさそうなのに、
             表に置いてある。入れ忘れて帰ったか。
             雨でも降れば靴中に水が入る。
             中の濡れた靴を履くイメージが湧いてきて気持ちが悪い。

             そんなことを思いながら眺めていると、
             暗い空が急になお暗くなり、雨と思いきや、
             突然、霰が降ってきた。
             タタタタタタタタタタタ
             小屋のトタン屋根を、追いたてるような大きな音でたたく。
             両手を頭上にかざして、思わず近くの人家まで駆け出す。
             タタタタタタ
             僕の後を追いかけて、
             あの長靴も駆け出して来たような気がした。

             僕はふり向かずに、
             一目散に走った。

             人体に似たものが苦手なのである。

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2009年01月18日

眼裏に あそびて恋は 冬ごもり

                この辺りだけではないと思う。

                異常なペースで、
                近隣の田畑の宅地化が進んでいる。
                そうでなくても、
                残された畑の半分が、
                貸農園化されている。

                片方で、
                農業を手放す人がいれば、
                片方では、
                土いじりを楽しむ人がいる。
                違いは、
                それを生業にしているかどうかの違いだけど、
                兼業にしても農業が成り立たなくなったということなのだろう。

                父の時代は、
                うちも農業をしていたけれど、
                大人になって土を触ったこともなかった。

                いつだったか、一度だけ、
                まだ父が生きていた頃、
                小さい畑に父が植えていた落花生を、
                いっしょに収穫しに行ったことがある。

                土の中から現れる落花生の実と、
                いろいろな食物を生み出す土の偉大さに、
                感動したことがある。
                そして、あの土の温もりが、
                ちょうど恋をした時のように、
                ホクホクとして、
                自分の胸を暖かくしてくれる。
                だからみんな、
                また無性に土いじりをしてみたくなる。

                いくら技術立国といっても、
                日本人としての、
                長い長い農耕民族の血が騒ぐのだろう。

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2009年01月17日

1.16

おみくじを 見もせず枝に くくる母

     阪神大震災の前日。
     実は私の祖母が田舎で息を引き取った。

     だから、震災の当日は、
     朝早く飛行機で田舎に飛ぶ手はずだった。
     大阪空港までは空前の大渋滞で、
     とても行ける状況ではなかった。
     どこにも電話も通じなかった。
     だから私たちは祖母の葬儀には出席していない。

     母も私たちといっしょに帰る予定であったが、
     どういうわけか母は前夜の夜行列車で帰ると言いだした。
     居ても立ってもいられなかったのだろう。
     母の乗った列車が、ちょうど宮崎あたりを走る頃、
     震災が起きたことになる。

     以前、「おばあちゃんからの手紙」という記事中でも書いたけれど、
     私のおばあちゃんは昔から、
     遠い都会に住む娘(私の母)のことをいつも気にかけていて、
     晩年になっても、よく手紙や小包の中にこづかいを父に内緒で同封していた。

     おばあちゃんはこの数ヶ月前から、死期を察したように、
     昔からお世話になった人たちの家々を、
     順番にお礼をいってまわっていた。
     そして、近所に住む娘(母の妹)の膝の上で、
     眠るように往生した。

     大阪に住む母はその死に目に間に合わなかった。
     田舎の家に着いて、
     棺の中の自分の母親の顔を見た母は、
     「なんでもっと早く知らせてくれんかった・・・」
     と号泣したという。
     まわりの人たちも、病気でもなく、
     わからんかったのだと、泣きながらあやまったという。

     1月は母にとって、
     17日よりも16日が忌日なのである。
       おみくじを 見もせず枝に くくる母
     この句は、今まで何回か登場させたけれど、
     この年の次の正月から始まったような気がする。

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2009年01月17日

1.17

市松の ケースなくして 震災忌

           震災忌といえば秋の季語。
           しかし我が家では冬の季語なのである。
           阪神大震災から14年。

           その朝、
           地の底から突き上げるような大きな揺れで目が覚めた。
           一瞬、間が空いた。この一瞬の間の空き方に、
           ただごとではない、予感がした。
           ふとんをとび出した。
           隣の部屋で妻とまだ幼いふたりの娘が寝ていた。
           妻と上の娘に、テーブルの下に隠れるように言い、
           私は、あとひと月で一歳になる、下の娘を抱き上げた。
           その途端、本震がきた。歩けなかった。
           紙相撲のように、
           叩かれている地面の上を、
           私はただぴょんぴょんと飛び跳ねているような気分だった。
           横の大きな洋服箪笥が倒れてこなければと思いつつ、
           もし倒れてきたら娘をどうかばうかだけを考えていた。

           その状態がどれくらい続いたのだろう。
           時間の長さが歪む時である。

           やっと揺れがおさまった。
           この辺が震源地でなければ、
           本当の震源地はもっとすごかっただろうと予測できた。
           テレビの画面で、あの高速道路が横倒しになっていた。

           この辺はましな方だった。
           ただ、私の寝ていたふとんの頭のあたりに、
           整理箪笥の上にあった市松人形が、ガラスケースごと落ちていた。
           ガラスは粉々に割れて、
           もし飛び起きなければ、頭を直撃していた。

           その後、ガラスケースは作っていない。
           娘たちも大きくなり、私たちも年をとった。
           あの日と変わらぬ市松人形も、
           今日は何かを言いたそうに見える。
           私も被害者の一人なのだと・・・。

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2009年01月16日

冬の朝

冬の朝 ゆび跡ほそき ポニョの顔

              冬の登校道。
              車のこんな曇りガラスを見つけると、
              よくみんなで落書きして遊んだ。

              ある工事用の車に落書きしていると、
              急にクラクションが鳴り響き、
              中に作業服姿のおじさんが乗っていて、笑っていた。
              飛び上がるほど驚いた。

              大人げないかもしれないけれど、
              今でも無意識に落書きしてしまう時がある。
              必ず運転席をのぞくことにしている。

              冬の冷え込んだ朝。
              音までが冷え込むのか、
              外がいつもより静かに思う。

              遠くの方から、
              学校へ行く子供たちの声が近付いてくる。
              ポニョの話をしながら、
              家の前を通り過ぎて行く。

              車の窓に、
              ポニョの顔でも、
              描いていてくれればうれしいのだけれど・・・。

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2009年01月15日

嫉 妬

間遅れの 返事たぎらせ 冬月夜

             この世には、男と女がいる。
             面倒なことだ。

             トイレや更衣室、風呂など、
             同じようなものを二つ作らなければならない。
             この頃は、電車にも専用車両がある。
             面倒なことはそれだけではない。

             年老いて、
             認知症になった妻を介護している男がいる。
             妻の認知症をいいことに、
             男には愛人がいた。
             愛人は男の家までずかずかと訪ねてくるようになる。
             男ははじめ拒否していたのだが、
             やがて妻と同じ屋根の下で愛し合うようになる。
             それをたまたま目にした妻の心に、
             嫉妬の炎が燃え上がる。
             たぎる炎は、
             忘れかけていたものまで道連れに、
             妻の意識にもどってくる。
             そんな本を最近読んだ。

             この世には、男と女しかいない。
             それもまた、
             面倒なことなのかも知れない。

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2009年01月14日

働く手

    
 
 
 
 

手招きの ショベルの所作や 冬ぬくし

 
 

            きくところによると、
            人間とチンパンジーのDNAは、
            99%同じらしい。
            残りの1%が、檻の内か外かの違いらしい。


            子供の頃、
            弟が初めて動物園に行った日。
            猿の檻の前から離れようとしなかった。
            弟の姿が見えないと思ったら、
            また、猿の所に戻ってじっと見つめていた。
            親を困らせていたその姿を、
            いまでもよく覚えている。


            冬の午後、
            畑をつぶして家が建つ。
            しばらく立ち止まって、
            ショベルカーの動きを見ていた。
            オペレーターの力量にもよるのだろうけれど、
            実に動きがスムーズで、
            人間の腕のような所作を見せてくれる。


            猿が道具を使いだして、
            どれくらいの年月がたったのか知らないけれど、
            ショベルカーにも人間の1%ほどのDNAがあるのではないか、
            と思わせてくれるような動きだ。
            思わず見とれてしまう。


            あの時の、
            弟の気持ちがわかったような気がする。
 
 

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2009年01月13日

雪しぐれ

   
 
 
 
 

吹く風の 貌現わすや 雪しぐれ

  

                履歴書が売れているという。


                履歴書の特技の欄に、
                書くほどのことではなくても、
                世の中、思いもよらない人が思いもよらないことに、
                精通しているときがある。


                普段はそんなに目立たないのに、
                人前に出て話をするとうまかったり、、
                順番でまわってきた幹事で、
                思いのほか段取りが手慣れていたりする。
                歌がプロ並みにうまかったり、
                字がきれいだったり、
                思わぬものに熱中していたり・・・。
                人は外見ではわからない。


                この冬は雪が少ない。
                先日も降ってきたかと思うとやんだ。
                この辺りでは、まだ積雪をみない。
                雪が降りだすと、
                見えなかった風の姿が、
                目の前に現われてくる。
                思いもよらない風貌に驚かされる時がある。
                風にも雪にも、思わぬ特技がある。


                こういうご時世。
                履歴書でも書いて、
                あらためて自分を見つめ直してみるか。
                若い頃に書いたものより、
                思わぬ発見が、
                自分にもあるかも知れない。
 
 

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2009年01月11日

残り戎

   
 
 
 
 

狛犬の 嫁に欲しそに 福娘

 
 
               残り物には福がある。
               本当だろうか。


               神社の境内に設営された、
               小さな舞台の福引コーナーには、
               まだ、賞品のカラーテレビや自転車が残っている。


               スーパーのバーゲンではないけれど、
               昔から、人をかき分けて物を取るというのが、
               どうもあまり好きではない。
               ただやみくもに取りにいくのではなく、
               取り方にもそれなりのノウハウがあるのかも知れない。


               何のひたむきな努力もせず、
               何の試みもせず、
               何の挑みもせず、
               ただ残り物を待っているだけでは、
               福は来ない。


               一生懸命に働いて、
               やっとこさぎりぎり最後の福引に間に合って、
               どうせもうカスしか残っていないだろうと、なんの欲もなく引く。
               そういう所に福は訪れるものなのかも知れない。


               ただボーッ、と待っているだけでは、
               せいぜいポケットティッシュをもらうのがおちだ。


               神様も、
               どこかでじっと見ている。
 
 

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2009年01月10日

十日戎

  
 
 
 
 
 


枡酒に 顔のてかりて 初えびす

            十日戎。


            夕方、近くの神社まで歩いて行ってきた。
            福笹をかついで帰ってくる人もいる。


            枡酒をもらい、飲む。
            こういう所で飲む日本酒は、グッド。
            気が引き締まる。


            境内の真ん中に、
            ドラム缶に火を燃している。
            数人の人が火を囲んで、手をかざしている。
            暗くなってきて、なおさら火が赤々と暖かくなる。


            そこへ、帽子をかぶったおじいさんが寄ってきた。
            少し酔っているよう。
            ドラム缶の前に置いてあった、薪につまずいて前のめりに倒れた。
            「あぶない!」 まわりの人が思わず手を出した。
            僕もおじいさんの腕をかかえて抱き起こす。
            手の先のビニール袋には、夜店で買った、
            3,4人分のたこ焼きが入っている。
            家族か孫へのみやげかも知れない。
            倒れてもそれだけは離さなかった。
            「おねえちゃん、べっぴんやなあ」
            隣のおばちゃんに言う。
            彼女も、はいはいと受け流しながら、みんなでやっとこさ抱き起こす。
            言うことをきかない人間の体は重い。


            だいじょうぶ、だいじょうぶと言いながらおじいさんは、
            ふらふらとじゃり道を蛇行して行った。
            手にはしっかりとたこ焼きのビニール袋が握られていた。


              昔、子供の頃、
              父が新年会に行った晩。
              なかなか帰って来ないので、
              お父さん、遅いなあ、と裏戸を開けて見ると、
              庭先に父がへたり込んで寝ていた。
              その手の先には、
              おみやげ用の寿司折りの紐が、
              絶対に離さないぞ、という意志で握られていた。
  
              「もう、こんなところで・・・」 とぶつぶつ言う母と、
              弟と妹みんなで父を家の中に運んだ。
              言うことをきかない父の体もまた重たかった。


              その晩、
              みんなで食べたお寿司の旨かったことは、
              言うまでもない。
 
 

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2009年01月09日

忘 却

              
 
 
 
 


写真燃す 焚き火の火の粉 狂おしく

       


                     見えない
                     一本の糸に操られた
                     やせ細った魚体の
                     はらわたを裂くと
                     どす黒い血にまみれた
                     想い出ばかりが抉り出てくる
                     腹を空かした女は
                     今日もまた
                     魚臭い部屋で
                     気の遠くなるような時間を
                     鍋に閉じ込め とろ火で
                     じっくりと煮込んでいる
                     煮詰まってしまうのを
                     女は腹を生ぐさくして
                     待っている
 
 

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2009年01月08日

   
 
 
 
 
 

初夢は こたつ布団の うで枕

 
  
 

               二百万円拾った。
               貧乏たれの俺にもやっと幸運がふりかかってきたかと、
               飛びあがってよろこんだ。
               茶色の封筒に万円札がまさしく二百枚入っとりました。
               さっそく、近くの交番に届け出たんやけど、
               不思議なことに落とし主がもうそこに待っておりました。
               その人はとても喜んで、
               お礼として一割の二十万円くれはりました。
               堂々と使える金やということで、
               もう嬉しさいっぱいで、
               何べんもお礼をしているうちに、
               目が覚めましてん。


               コタツの下には、
               いつのまにかミケ(猫)もいなくなり、
               爪の伸びた両足に気持ち悪いくらい、
               汗がじわっとにじんで赤外線に赤く染まっている。
               いったいどれくらいうたた寝したんやろ。
               つまらん夢見たもんやと、
               今さらながらに、ほっぺたをぐいっとつねってみた。
               ほんまに痛かった。
               コタツの上には原稿用紙。
               マス目が4百個ある。
               万年筆の先っぽが乾いてしもてる。
               何書こうとしとったんやろ。


               窓の外の暗闇が寒い寒い言うて、
               曇ったガラスに涙をたらしている。
               片肘ついて、
               その水滴模様をなにげなく眺めていると、
               またまぶたが重くなる。
               遠くの方で救急車のサイレンが鳴る。
               眠りの世界へ心地よく糸を引く。


               お礼にもらった二十万円をつれなくも落としてしまった。
               さっそく交番へ走った。
               きっと正直な人が届けてくれると信じた。
               しかし、待っても待っても二十万円は返ってこなかった。
               そのうちに、
               訳のわからないおかしみが湧いてきて、
               ゲラゲラと大笑いしはじめた。
               ところが、
               どうしたことかこの笑いが止まらない。
               涙をこぼしながら笑いころげて、
               目が覚めた。


               コタツの中で、
               ミケが足の裏を掻いていた。
 
 

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2009年01月07日

夜 景

 

 
 
  
 

冬夜景 ただ一点に 熱をもち

                   
                   
                    底抜けに無邪気な感覚への
                    突き抜けるような興奮
                    いったい
                    ぼくはどこから来たのだろう
                    どこへゆくのだろう
                    そして 今
                    どこにいるのだろう


                    暗い宇宙のどこよりも高い所から
                    眼下を見おろすと
                    はるか下界に生きる人々の生活が見える
                    ひとつひとつの点光は極限の地で
                    決して他のものと混ざろうとしない
                    親も子も 友人も恋人も 娼婦も乞食も
                    それはそれで精一杯の燭光を放ちながら
                    その世でしか生きられない


                    哀しいことだ
 
 

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2009年01月06日

六 日




        げつぷして 胃の味のする 六日かな


                  一年のうちで、
                  一月ほど気疲れする月もない。


                  頭は下げるためにあるような月である。


                  それで仕事が取れるなら、
                  いくらでも下げるけれど、
                  この不景気、
                  頭がいくつあっても足りない。


                  正月気分も抜けきらぬ六日。
                  昼飯にカレーを食った。
                  うまかった。
                  そういえば、
                  朝のトーストもうまかった。
                  俺たちは日頃から、
                  うまいもんを食っているんだ。


                  不景気も、
                  景気に不が付いているだけじゃないか。
                  げっぷが出るくらいなら、
                  まだまだ、
                  貧乏神も寄り付かない。


                  次は、
                  十日戎。


                  たのんまっせ!
                  えべっさん!
 
 

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2009年01月05日

男 親

                  
 
 
 
 

らいばるの 絵馬のぞき見て 初参り

               「さわらないでよ」
               娘が怒る。
               セットの終わった頭に手をかけただけで。


               子供の頃は、
               背丈の成長のよろこびがあった。
               この頃は娘の、
               女の成長を見るようでうれしい。


               ついこの間まで、
               風呂から上がっても、
               たわしも胸も丸出しで、
               俺の目の前をウロウロしていた。
               こちらが目を覆いたくなるほど、
               大胆に家の中をかっ歩していた娘が、
               ある頃からピタッと変わる。
               着替えにもカーテンをピタッと閉めて、
               まちがって入ろうものならえらいことになる。


               父親から男にみられる淋しさもあるけれど、
               彼女らの変身ぶりを、からかいながら面白がっている。


               ブイピース。
               合格祈願の絵馬をかけて写真を撮る。
               どちらも今年は大学、高校の受験である。
               親の心配をよそにキャッキャッと騒いでいる。
               上の娘より下の娘の方がファッションにうるさい。
               年末の服の買物にどれだけ待たされたやら・・・。


               その気に入りの服を着て、
               少し神妙な顔つきで願を掛けている。
               この寒い中、ホットパンツにブーツ履いて、
               毛糸の帽子かぶって、
               まだ手袋をはずすだけましか。


               お忙しい中、神様。
               こんな娘たちですが、
               よろしくお願いします。


               この記事も見つからないうちに削除せねば・・・。
 
 

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2009年01月04日

なぜ俺なんだ

   
 
 
 
 
 

初詣 結びて解く 縁もあり

 
 
 

               初詣に行った神社の群衆の中で、
               ある若いカップルが、
               俺にカメラのシャッターを頼んできた。


               たまたま隣で家族写真を撮っていたからか、
               たまたま目が合ったからか、
               たまたま笑っていたからか。


               俺は念のためと言って、3枚撮ってやった。
               若いカップルはその金髪の頭を、
               仲良く下げながら礼を言った。


               二本の直線の、
               おそらくもう交わることのない接点が、
               また段々と広がって遠ざかって行く。


               ふたり並んで撮った写真の、
               こちら側にいた俺のことなど、
               もうとっくにメモリーから消されたかも知れない。
               手をつないで、
               群衆の中に消えて行く二人の背中を、
               俺はしばらく眺めていた。


               縁というには、
               あまりに細すぎて、
               すぐに切れそうな糸だけれど、
               彼らの赤い糸を、
               少しでも結ぶ手助けになったのならば、
               それにこしたことはない。


               「お父さん、行くよ」
               妻が言う。


               そういえば俺たちも、
               今まで何度か人にシャッターを押してもらったことがある。
               頼んだこともあるし、
               撮りましょうか、と撮ってくれた人もいる。
               その人たちの顔までは覚えていないけれど・・・。


               そんなことを思いながら、
               もう一度、後ろを振り返り、
               俺たちもまた、
               群衆のなかに消えていった。
 
 

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2009年01月04日

おみくじ

  
 
 
 
 
        おみくじを 結びて今日の 日も暮れる


                     
 
 

                    神社の横に小さな公園がある。


                    正月三が日でも、
                    子供たちは公園で遊ぶ。
                    寝る数をかぞえて待った正月も、
                    情け容赦なく、淡々と過ぎる。


                    夕方、母と神社に参る。


                      おみくじを 見もせず枝に くくる母


                    去年の句。
                    今年も母はそうした。


                    帰り道、
                    母と並んで歩く横の公園では、
                    まだ何人かの子供たちが遊んでいた。


                    正月三が日。
                    おみくじを引いても引かなくても、
                    見ても見なくても、
                    今日の日は、今まで通り、
                    静かに暮れてゆく。


                    大吉でも大凶でも、
                    静かに年は老いてゆく。
 
 

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2009年01月03日

次の時代

   

  
   

      年の目の 木の香匂わせ 三が日              
 
      
      
      畑の真ん中に、               
      木造の家が建つ。               
      正月休みで、               
      建て方も中断している。               
      杉のいい匂いが冬の冷たい風にのって、               
      野の道をやってくる。
                
      少し前まで、               
      稲穂が実っていた。               
      刈り取られた田んぼに、               
      突如として家が建ち始めた。               
      それなりの決断があったのだろう。               
      ここだけではない。               
      この近辺だけでも、               
      新しくスーパーや大きな本屋、ドラッグストアー、住宅が、
       次々と姿を現してくる。               
      この杉の柱も、               
      どこで何年生きてきたのだろう。               
      その年輪の節をさらけだし、               
      寒風に身を四角張らせ、               
      ただひたすらに、               
      生気の匂いを漂わせている。               
      匂いは枯れても、               
      それでも木は生き続けるという。   
             
      とても、               
      僕の寿命では届かない。
 
 

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2009年01月01日

狐 火

    

                  

                狐火に 誘われ出でし 酔いの晩  
 
  

           昔から、                   
           夜の神社は怖かった。                   
           畑の向こうの鎮守の森に、                   
           提灯のあかりが狐火のようにぽつんと見えて、                   
           行きたくないのに、                   
           連れて行かれそうな気がした。  
                  
           元日も夜中になると人も少ない。                   
           昨夜のにぎやかさがうそのよう。                   
           今夜は酔いの力も手伝って、                   
           近くの神社に足を運んだ。                   
           思いのほか静かだった。
                    
           夜店の屋台もみんなシートでくるまれ、                   
           御神燈にうす暗く照らされていた。                   
           足下のじゃりの音が、                   
           いつのまにか、                   
           子供の頃の足音になっている。
                            
           あの頃の狐火が、                   
           やっとのことでここまで、                   
           連れて来てくれたような気がする。
 
 

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