2009年02月28日

dasaku   遠 足


  
  

             遠足や 車両一両 貸し切られ

  
  

      人に物乞いをしたことが一度だけある。

      転校したての中学生の頃、
      家の近くに住む材木屋の息子と友だちになった。
      小学生の頃から何度か転校していたので、
      友だちの作り方は少し慣れていた。

      毎朝、
      登校路の四つ辻で待ち合わせ、
      まともな道は通らず、よく田んぼや畑の畦道をまわり道した。
      畑の苺やぶどう、柿畑の渋柿をかじったりした。

2009年02月28日

dasaku   百度石 

                

       
            百度石 二の足踏むや 春の朝

      これまで死ぬ思いで何かに祈ったことがあっただろうか。

      子供が産まれる時も、もちろん五体満足を祈った。
      でもそうでなかっても、それは天運なんだと、
      そのときはそのときで精一杯できるだけのことをしようと覚悟した。
      無事産まれたときには、親になった喜びよりも、正直ほっとした。

      父が脳出血で突然倒れて今夜が峠だと医者から言われた時も、
      もう一度だけ、もう一度だけでいいから親父と話をさせてくれと祈った。
      大学病院の若い医者に母といっしょに何度も頭をさげた。
      幸いにも多少の後遺症が残っただけで、親父はそれから十年生き延びた。

      日本人には無神論者が多いときく。
      苦しいときの神頼み。
      なりふりかまわず、わらをもつかむ思いで、
      一心不乱に祈る。
      念ずれば通ずる。
      思いの底が浅いのかも知れない。
      今の日本の社会も政治も。

      昔は神様もたくさんいた。
      山の神、海の神、田の神、井戸の神、火の神、竜神、雷神・・・。
      科学の進歩はその神様の数を人の心から減らしていったように思う。
      祈ることや願うことが真剣に行われないのは、
      それに耳を貸してくれる神様が少なくなったからではないか。

      古寺の百度石。
      昔は純朴な気持ちでお百度を踏んだ人たちがいた。
      お百度は人に見られてはいけないともきく。
      それにしても、
      石の前に足跡ひとつも形跡がない。
      神様のいるような雰囲気もない。

      だから、二の足を踏むのかもしれない。

2009年02月28日 »

2009年02月26日

おくりびと

     
   

       卒業や 尾頭つきの 塩の味

      
    

       夜遅く、
       仕事から帰ると、
       食卓の上に、小ぶりだけど、
       尾頭付きが皿の上で口をあけて待っていた。
       赤飯も炊いてあった。

       今日は上の娘の卒業式。

       妻には、
       遅くなるから先に休むように言ってあった。
       風呂からあがると、娘が妻に言われていたのだろう、
       遅い晩飯の用意をしてくれている。

2009年02月15日

腹の中

腹見せて 畑打つ人の 足の裏

        生きている人間の腹の中を見たことがある。

        白衣を着せられ、マスクを付け、
        頭にも医者と同じようにキャップをかぶせられ、
        ぼくは手術室に連れていかれた。

        手術台の人の腹の皮を、
        まるでエプロンの前掛けでもめくるように、
        上に持ちあげると、内蔵が目の前に現われた。
        もちろんそんなものは初めて見た。
        見たけれど、今では、胃がどれで腸がどれだったか、
        心臓も見えたのか見えなかったのかよく覚えていない。
        ただ、手術医の医者が、赤紫の肝臓を少しめくって、
        ここがこうだからもう手術は難しい、とマスクの中からくぐもった声で言った。
        ものすごく薄そうな手術用の白い手袋の指で、
        医者は胃と肝臓のつなぎ目辺りを指さして言った。
        それはほんの数分の間だったのに、
        ものすごく長い時間に感じられた。

        手術室を出ると、母や弟や妹、その連れ合いらが心配そうに待っていた。
        僕は少し顔が上気していた。
        誰か代表で一人と言われて、長男である僕が行ってよかった。
        母ならおそらく卒倒していたかも知れない。
        父の腹の中を初めて見た。

        医者もどえらいことをするもんだとこの時思った。
        肝臓の末期ガンでもう手術してもダメだとは主治医から聞いていた。
        それを患者の家族に納得させるためにしたのだろうけれど、
        百聞は一見にしかず、とばかりに見せるのもどうかと思う。
        何もそこをなんとか手術をと、ごねてせがんだわけでもない。
        写真くらいで十分納得したのに、と思ったけれど、
        このあと、ぼくの口から母たちにそのことを説明した。
        おそらくそれがねらいだったのかと、だいぶ後になって思ったりした。

        実家に帰って、父の仏壇の前に座り、
        「親父の腹の中、おれ知ってるんやで」
        と腹の中で思いながら線香に火を点ける。

        仏壇の上の笑った父の遺影が、
        この時、少し照れるような気がする。

         「男どうしやないか、腹の中のことは言うな」

        と眉間にあのしわを寄せて、
        言っているような気がするのである。

2009年02月15日 »

2009年02月15日

ブルー

あまりにも 青美しく 春かなし

         毎年、春先の今頃になると、
         「歩こう会」のお誘いの回覧板が自治会からまわってくる。
         いつもブルーになる。
         現地集合、現地解散で弁当や飲み物も自費持参なので、
         家族ぐるみ気軽に参加できるのがよいところである。
         ただ、この時季がいけない。
         なぜ花粉の多いこの時期なのか、
         いつもブルーになる。

         ブルー。
         青い色は心を落ち着かせる働きもあるらしい。
         自殺の名所や飛び込み事故の多い所、
         または万引き防止にブルーの照明に変えているところもあるらしい。

         でも、気持ちが落ち込んだり、
         こころがふさぎこんでいる状態をブルーと言う時もある。
         心が病んだときも、晴れたときもブルーというのは、
         いかにも青い色らしい、相反する色相を醸し出す働きがあるようだ。

         公園の小さな林の中に、ブルーのテントがある。
         ほとんどといっていいほどブルーの色をしている。
         いま世界規模で経済がブルーになりつつある。

         生命の源の海の色も、
         宇宙から見た地球の色も、美しいブルーなのに、
         今年の春は、なんだかかなしい春である。

         ブルーに菜の花の色でも混ぜて、歩いてみるか。

2009年02月15日 »

2009年02月14日

りばいばる

来る春や あちらこちらで りばいばる

        「ちくしょう」 と 「この野郎」 を言わせれば、
        一番絵になる俳優がいた。

        渥美清である。

        渥美清といえば、
        なんといっても「男はつらいよ」の寅さんであるけれども、
        僕はその前の「泣いてたまるか」というテレビドラマが好きであった。

        一話完結でまだ白黒画面だったように思う。
        渥美清の演じる主人公は、トラックの運転手だったり、建築作業員、
        養豚場の人夫、プロ野球の審判員、しがないサラリーマンだったりする。
        社会の底辺で泥臭く一生懸命に生きる、
        笑うに笑えない人たちの哀感を見事に演じていた。
        僕が中学生になったころで、
        わが家にもやっとテレビが来た時代である。
        その「泣いてたまるか」がDVD版で復刻され、本屋に並んでいる。
        思わず懐かしさに胸がいっぱいになったりするけれども、
        なぜか今になってもう一度見たいとは思わない。

        向田邦子の「父の詫び状」の本の中に、
        昔カレーという話がある。
        小さい頃に食べたカレーはどうしてあんなにおいしかったのだろう。
        昔、母が作ってくれたうどん粉で固めたようなカレーがとてもうまかったと。
        でもそれは戦時中のすいとんといっしょで、
        モンペや防空頭巾の中で食べてこそ涙のこぼれる味がすると。
        そして、
        思い出はあまりムキになって確かめないほうがいい。
        何十年もかかって、懐かしさと期待で大きくふくらませた風船を、
        自分の手でパチンと割ってしまうのはもったいない。
        だから私は、母に子供の頃に食べたうどん粉カレーを作ってよ、
        などとは決していわないことにしている、と結んでいる。

        同じようなことが昔見たテレビドラマなどでもある。
        昔のまだ若かりし頃に見たからよかったのであって、
        十分、年月を踏んできた今見ても、
        あの頃の感動はおそらく伝わってこないだろうと思う。

          ♪ 空が泣いたら雨になる 山が泣くときゃ水が出る
              おれが泣いても なんにも出ない ♪

        渥美清の、「ちくしょう、この野郎」というセリフを聞くたびに、
        この歌を思い出したもんだ。
        こころが落ち込んだとき、よくこの歌を口ずさんだもんだ。

        昔、胸にふくらませた風船がさらに、
        はち切れんばかりに心をいっぱいにしてくれる時がある。
        やはりそれをパチンと割るには、もったいない気がする。
        罪なリバイバルである。

2009年02月14日 »

2009年02月13日

竹の秋 道に節付け 曲がるなり

      前に道はない。
      歩く後ろに道はできる。ある人が言った。

      三年前に上の娘が高校受験の時。
      希望していた高校を学校の進路指導の先生が、
      そこは君には無理だ難しいと言われて、
      とても落ち込んでいた時があった。
      前々から行きたがっていた学校だった。
      それに向けて勉強もしていた。
      普段はとても明るい我が家の長女が、
      部屋にこもるのもめずらしいことだった。

      その夜、
      僕は娘に手紙を書いた。

         お父さんも行きたかった高校があった。
         でも学校の先生に難しいと言われた。
         いろいろ迷った末に、
         先生がここなら大丈夫だという高校を受験した。
         その高校の試験にはトップの成績で入れた。
         でもだからといって希望していた高校を受けて、
         合格していたとは限らない。
         先生に言われて決めたのではなく、
         最後には自分で決めたことだから、
         お父さんはその高校がとても好きになった。
         小、中、高校のなかで、一番この高校生活が楽しかった。
         いい友達もできたし、思い出もいっぱい作ることができた。

         お父さんは、よく縁というものを感じる。
         この高校に入ったのも何かの縁だと思う。
         もし希望していた高校に入っていたら、
         そこにはまたそこの縁があり、
         違った道を歩くことになったかも知れない。

         お母さんとめぐり会うこともなかっただろうし、
         こうやってお前がお父さんたちの娘に生まれることもなかったかも知れない。

         だから、、
         先生のアドバイスはアドバイスとして聞き、
         行きたいところを受けてもいいし、そうでなくてもいい。
         でも、やっぱり一番最後には自分で決めなさい。
         お父さんはどちらでもお前を応援するからね。
         お前が悩んで苦しんで決めたことは、
         それはまぎれもなくお前の縁になるんだから・・・。

             夜中、娘の机の上にこの手紙を置いてきた。
             少し心配だったけれど、
             次の朝、娘が、
              「お父さん、ありがとう」
             といつもの明るい声で言った。
             娘は自分で決めた。
             その高校生活ももうすぐ終わる。
             今度は下の娘が高校である。
             上の娘が、うちの高校はいい高校だからうちに来いとしきりに薦める。

             手紙には書かなかったけれど、
             自分の場合には家の家計のこともあり、
             一生懸命に共働きする親を見て、
             どうしても公立を落ちるわけにはいかなかったわけもあるのだけれど。
             もし娘もそういうことに気兼ねして決めたとすれば、
             親として少し不憫に思わずにはおれない。

             どんな道にも、
             人の想いがぺんぺん草のように生えている。

2009年02月13日 »

2009年02月12日

サイン

助手席の ベルトサインや 春大根

            車のシートベルトサイン。
            ベルトを締めるまで赤く点滅する。

            人間なんて弱い生き物だ。
            法律で罰則などを作ってもらわないと、
            守らない。
            守らないというより、
            そもそも自分自身を守るためにあるのに、
            強制的にやらされているように錯覚している。

            飲酒運転でも罰則が厳しくなり、
            それによる事故も減少していると聞く。
            運転者にアルコールの匂いがすれば、
            エンジンがかからなくする。
            そういう話も聞く。

            人間はうっかりし、ぼんやりし、横着をする。
            罪と罰。
            人間社会にはどうしても規律が必要なのは、
            これまでの歴史をさかのぼってもわかることである。

            でも、
            シートベルトサインの点滅も警報音も、
            すぐにつくわけじゃない。
            エンジンをかけて動き出さないとつかない。
            助手席など人が座らないと鳴らない。
            座席にある程度の重みがかかると、
            人が乗っていると認識するようだ。
            人の横着を防ぐためにいろんな技術が開発されている。

            スーパーに買物に行く。
            買物袋を助手席に載せる時がある。
            物によったらその重さでシートベルトサインが点滅し警報が鳴る。
            大根やキャベツにシートベルトをせよというのか。
            それらと一緒にされていると思うと、
            人間も少し情けない。

            誰もいつもいつも平常心ではない。
            あわてている時もある。急いでいる時もある。
            心配事や悩み事で考え込んでいる時もある。
            あまりのうれしさに上の空の時もある。

            だから、それが人間なのかも知れない。
            人間は過ちを犯すしミスもする。
            でも、
            人間はミスをするもんだという前提でプレーする選手は、
            俺はプロだから絶対にミスしちゃいけないと、
            自分に言い聞かせてプレーする選手よりも、
            必ずここ一番の大事なところでミスをする。

            ソフトバンク前王監督が言っていた。

            要はなんでも気の持ちようなのだろう。

2009年02月12日 »

2009年02月12日

さかのぼれば

結び目を ほどきて想ふ 春や君 

             田んぼに通じる小さな橋の入口に、
             錆で赤茶けた鎖が張ってある。

             その鎖のなかほどに手ぬぐいが結びつけてある。
             きっと鎖に気付かずに入ろうとした人が、
             危うく転倒しそうになったのかも知れない。
             さかのぼれば、それを結びつけた日があり人がいる。
             わざわざ家から持ってきたか、
             車にあった使い古しの手ぬぐいを、
             とりあえず結んだか。

             さかのぼれば、鎖を張った日もあり、人もいる。
             さらにさかのぼれば、
             この小川の護岸をコンクリートに整備した日があり、
             この橋をかけた日がある。
             田んぼに水を引く堤口も、石や板で仕切っていたものが、
             大きなバルブの配管に変わっている。
             それらを造った日があり、人がいる。

             もっとさかのぼれば、
             この田んぼを開墾した時代があり人々がいる。
             猪や狐や狸が耕すわけはない。
             いや幾たびかの春をもっともっとさかのぼれば、
             この獣たちの棲みかだったかも知れない。

             田んぼに通じる小さな橋の入口に佇みて、
             この写真を切り取ったことなど、
             将来誰かがまたここでさかのぼったとしても、
             誰も気付かないだろう。

             さかのぼれば、さかのぼるほど、           
             井戸掘り人ばかり現われし。

             今、われは何を為すか、為さぬか。

2009年02月12日 »

2009年02月11日

建国記念日

建国の 日など知らぬと 山笑ふ

              国破れて山河あり

             昔から愚かな人間のくりひろげてきた線引きを、
             山々はその度に覆い隠してきた。

             数万の幕府軍に、千にも満たない兵力で対抗したと、太平記。
             戦車もヘリコプターもましてやまだ鉄砲もない時代、
             この山に挑んだ者たちがいた。
             彼らを動かした力はなんだったのだろう。

             山の中にはいまでも、
             その者たちの菩提寺があり、あちこちに城址や戦場跡が残り、
             当時を偲ばせるものはいくつかあるけれど、
             面影はない。

             少し目を引いて見ると、
             弓や刀を持ち槍をかついで駆け抜けた者たちが見た山々が、
             そのまま今もそこに居座っているだけである。

              城春にして草木深し

             杜甫の春望にある。

              白頭掻けば更に短し

             ともある。

             向こうから、
             山々が人の白髪頭を笑っている。

2009年02月11日 »

2009年02月11日

枯れるまでの時間

眼肉を 貪り喰うや 孕み鳥

                    空には
                    かもめがとんでいた
                    海には
                    深海魚が棲んでいた
                    死体は
                    その境界線を漂っていた
                    飛ぶことも
                    潜ることも許されなかった

                    空にも 海にも
                    歌があった
                    平和の黒い歌があった
                    目をあけると
                    そこから溶解した鉄が溢れでて
                    恐ろしく確実な速さで
                    酸化していった

                    真昼の炎天下
                    かもめが舞い降りてきて
                    死体の上に翼をやすめると
                    死体はもう死体でなく
                    かもめはかもめでなく
                    ただ 時間だけが
                    どっしりとそこに腰を据え
                    動くものたちの痕跡を
                    いたるところで埋め尽くしていた

2009年02月11日 »

2009年02月09日

春夕焼け

沈む日を 春満月の 待たづして

        この不景気を反映して、
        いまアウトレット商品に人気があるらしい。
        本来の機能にはまったくさしつかえないのに、
        キズがあったり、色ムラがあったり、梱包が破れていたり、
        所謂、訳あり商品をもとめる人が増えているという。

        日本製品の品質は世界でも折紙つき、と言われる。
        それでここまで日本がのし上がってこれたのだから、
        いまさら異を唱えるわけではない。
        ただ、
        本来の機能には無関係な小さなキズひとつで廃棄処分されているとすれば、
        もうそろそろその考え方の方向転換を図るべき時がきているようにも思う。

        先日の新聞の受け売りだけれど、
        わが国では年間約1900万トンの食品が廃棄されているという。
        その中の、500~900万トンはまだ食べられるにもかかわらず、
        捨てられているらしい。

        偽装事件や毒物混入事件も相次ぎ、
        人々は疑心暗鬼に陥っている。
        それがさらに食品廃棄に拍車をかけている。
        疑わしきは、廃棄する。
        いたしかたないことかも知れない。

        「もったいない」 という言葉が、
        世界共通語になりつつあるという。
        でもそれは今の日本ではなく、
        ひと昔前の日本の美徳であったような気がする。

        日持ちしないものは、日持ちする工夫をし、
        余った食材は他に転用できないか考える。
        それらはすべて、自然から授かったものを無駄にしてはならないという、
        昔からの人々の気質のようなものである。

        以前、ラーメンか何かのCMで 「玉子、1日**万個」。
        使う食材の量をさも誇らしげに言い放っていた。
        大量消費の大きな流れのなかで、
        「おばあちゃんの知恵袋」 という本を読む人を横目で見て、
        嘲笑うような時代であってはならないと思う。

        日が沈み、月が昇るのは、
        この日本だけだと勘違いされては困る。
        これから先、
        朝の来ない夜が、ないとは限らない。

2009年02月09日 »

2009年02月08日

覗 く

うしろから 春のぞかせて かくれんぼ

                   子供のころは、
                   いまどきの田んぼは絶好の遊び場だった。
                   少しあったかくなると、
                   お山の大将を中心に、
                   山から木を切ってきて刀を作り、
                   チャンバラごっこをした。
                   すもうを取った。
                   秘密の基地を作った。
                   かくれんぼした。
                   穴を掘って怒られた。

                   草と土のにおいに包まれて、
                   気がつけば春はもうとっくに、
                   すぐうしろにやって来ていて、
                   うっすらとひたいに汗を光らす。
                   脱ぎ捨てたジャンパーを忘れて、
                   よく親におこられた。

                   取りに戻ったジャンパーを着ると、
                   田んぼに細長い影があらわれる。
                   帰り道をずっとついてくる。
                   からすの飛んでいった山の麓あたりから、
                   だんだん暗くなっていく。
                   腹が減った。
                   走って家に帰る。

                   そんなうしろ姿を夕日とともに、
                   覗き見る自分がいる。

2009年02月08日 »

2009年02月08日

君に捧げるほろ苦いブルース

卒業に 始まりの時 贈るなり

         時計が好きである。
         別に時計を蒐集しているわけではない。
         普段は腕時計もしていない。
         でも、ときに時計を買う。
         へんな話だけど、
         友だちには、祝い事など何か贈るもので困ったら、
         迷わず時計にしてくれ、と言ってある。
         おかげで我家には時計だけは、
         他の家よりたくさんあると思う。

         時計であればなんでもいい。
         できれば秒針のあるやつがいい。
         過ぎゆく時を目で確かめられる。
         だから、
         秒針のない時計はどことなく落ち着かない。
         またできればアナログの方がいい。
         デジタルは過ぎゆく時を、
         それこそナイフか何かで一秒ごとに、
         切り刻んでいるような気がする。
         アナログは過去から現在、未来へ、
         まちがいなく繋がっているような気がする。

         この頃は電波時計とやらで、
         ほとんど狂いがなくなってきた。
         またソーラー式でほとんど電池交換のいらないものもある。
         正確無比、すばらしい時計も好きである。

         でも、今までで一番好きな時計がある。
         高校を卒業して東京に出る時に、
         父が買ってくれた腕時計である。
         うれしかった。
         その時計の秒針に合わせて学生生活を送っていたある日、
         アルバイトで利用していた水道橋の駅のトイレで、
         手を洗うのに時計をはずした。
         そのまま忘れて外に出て、すぐに気付いて取りに戻ったけれど、
         ほんの2,3分の間に、父に初めて買ってもらった時計は消えていた。

         その頃、
         付き合っていた彼女がくれた誕生日祝いの、
         オルゴール付きの置時計も好きだった。
         時計はとっくの昔に動かなくなったけれど、
         オルゴールは今でもふたを開けると、
         哀しげな哀調の調べを奏でてくれる。
         荒木一郎の「君に捧げるほろ苦いブルース」。

           淋しさに一人飲むコーヒーは  ひきたてのほろ苦い味がする
           ゆきずりの夜に買う綿あめは  君と愛した味がする

         これをくれた彼女も、
         父が買ってくれた腕時計も、共に失ってしまったけれど、
         青春の思い出は、今も自分の体内時計にしっかりと刻まれている。

         よく考えたら、これほど自分を好きにしてくれる時計は、他にない。

2009年02月08日 »

2009年02月07日

つないだ手

初孫も 十八なるや 七回忌

             「この子が嫁に行くまでは死ねん」
             義父はそう言っていた。

             私の両親は、
             弟や妹の結婚が早かったので、
             初孫も早かった。
             妻の家には子供が4人いたが、
             みな結婚が遅く、孫もできなかった。
             「なんでわしには孫ができんのじゃ」と、
             義母に嘆いていた。
             そんなこと私に言われてもと、
             義母も困惑していた。

             結局、三女である妻、つまりうちの長女が初孫になった。
             そのかわいがりようといったらなかった。
             子供の害になると言われれば煙草もやめ、
             キュウリが子供の好物と知れば、
             そんなもん野菜じゃねえと言っていた人がキュウリを食べ、
             子供があれがほしいと言えば、
             自営業の仕事を放ってでも買いに走った。

             そんな義父も、
             孫の嫁入り姿どころか、さよならも言わずに、
             あっけなく、鬼籍に入った。

             仕事も息子に譲り、
             苦労かけた義母とゆっくり外国旅行でもと、
             できたらこいつも連れてと、娘を膝に抱き、
             うれしそうに語っていたのが昨日のような気がする。
             これからは、
             これまで歯をくいしばって生きてきた、
             ご褒美だったのかも知れないのに、
             人生なんて儚いもんだ。

             
             この時季、
             近くの豆畑では菱形に張られた紐に、
             細いかわいい蔓が触手のように、
             一生懸命手を伸ばしている。

             じいちゃんと手をつないで歩いていた娘の後姿を、
             つい思い出してしまうのはなぜだろう。

             人間、死んだらおしまいである。

2009年02月07日 »

2009年02月06日

人がみなわれよりえらく見ゆる日よ 

事終えて 背伸びする手に 春の月

               啄木は、友がみな、であるけれども。

               狭くて深い井戸水よりも、
               浅くて広い大川にして、
               できるだけ多くの人に、水がいきわたるようにする。
               ワークシェアリング。
               ひとりひとりの収入は減っても、
               その分を皆で分かち合う。

               仕事は少ないのに繁忙なこの頃である。
               人も少なくなり段取りに時間がかかる。
               業者との決済も以前のようにはすんなりといかない。
               あらゆる所で疑心暗鬼も生まれる。

               この不況も短期的なものであればいいけれど、
               そのうちに大川の水も干上がってしまう。
               そんななかでも、
               水のにおいを嗅ぎつけ、井戸を掘り、
               新たに用水路を造りだす奴がいる。

               人がみなわれよりえらく見ゆる日は、
               花を買ひ来るか、
               ぢっと手を見るか。

               ひと仕事終えて、背伸びすれば、
               空にぽっかりお月さま。

               月のうさぎが笑っている。

2009年02月06日 »

2009年02月06日

鎮魂歌

どうせなら 沈めてやれよ 春の水

           山中の池。
           釣人の朝は早い。
           夜が白々と明けようかという頃、
           釣り支度をしていると、
           向こう岸の山道を小さな軽トラックが通る。
           荷台に使い古しの冷蔵庫や洗濯機らしきものを積んでいる。
           釣りをしに来たようには見えない。
           池の奥の木々に囲まれて見えない所に、
           車の止まる音がした。
           しばらくして、ボッチャーンという水の音。
           その音が、2,3回して、
           軽トラックはまた来た道を引き返して行った。
           荷台の荷物が無くなっていた。

           物を処分するにも金のかかる時代。
           わずかな(人によってはわずかではないのかも知れないけれど)、
           処理代をけちるために、こういう山の中まで来て物を捨てていく。
           近年、増えたように思う。

           紙や木の葉のように、
           自然と大地にもどるものならいいけれど、
           おそらく自分の子供の、その子供の時代でもまだ、
           土になりきれず、憐れな人間の残した遺産が、
           池の底に眠り続けるのだろう。

           朝早くから自然の清なる気に触れていたのに、
           こういう日は、一日中、
           胸のどこかに黒い錘をぶら下げている気分になる。
           そして、
           まわりの森や池の水や、水面に映る空。
           釣った魚にまで冷たくされているような、
           そんなまなざしを感じる。
           同じ人間として・・・。

2009年02月06日 »

2009年02月04日

ひたすらに過ぎるもの

老梅の 腹喰いちぎり 時刻む

                  時は刻々とひたすらに過ぎ
                  日を変え 月を変え
                  まるで手品師のように
                  季節を変える

                  暦に並んだ
                  規則正しい数の列
                  ひとつずつ積み重ねたものが
                  ある時は
                  数えきれない淋しさで
                  ある時は
                  つかみきれないうれしさで
                  そしてある時は
                  やりきれない悲しさで
                  じんわりと迫ってくる時がある

                  そのような時も過ぎ
                  ふいに向こうから未来がやってきて
                  僕の心を
                  ペンチのようなもので絞めつける

                  そして
                  時はひたすらに
                  ただひたすらに過ぎ
                  季節をくりかえし
                  また春になる

2009年02月04日 »

2009年02月03日

豆合戦

撒きすぎて 年に不足の 豆の数

            子供が小さい頃は、
            輪ゴムの付いた鬼の面をかぶって、
            豆を投げつけられたものだが、
            この頃は素顔そのままに当てられる。
            ここぞとばかりに投げてくるので、
            こちらもムキになり、
            豆を拾って投げ返す。
            雪合戦ならぬ豆合戦になる。

            もう十年以上前になるか、
            ちょうど節分の日。
            仕事でしくじったことがあり、その残務処理で遅くなった。
            取り返しのつかない大きなミスだったので、
            気持ちがとても落ち込んでいて、身体もまいっていた。
            すっかり節分のことなど忘れて家に帰った。

            玄関のドアを開けると、
            妻とふたりの娘が並んでいた。
            一瞬、何事かと思ったが、いきなり、
            「鬼は~外、福は~内」 と3人が笑いながら豆を投げつけてきた。
            あ、今日は節分か。
            そんな気分じゃないよと思ったが、
            子供らの笑顔を見ると、なんだか急にうれしくなった。
            こんな俺でも待っていてくれる家族がある。
            俺も笑った。大きな声で笑ってはしゃいだ。
            落ちている豆を拾って投げ返した。
            用意していた鬼の面の、目の位置を少しずらした。
            鬼の目にちょっぴり溢れるものがあった。

            それから我が家では、
            鬼も豆を投げ返す「豆合戦」が、
            始まったように思う。

  

2009年02月03日 »

2009年02月02日

他人の空

湯たんぽを 外にけり出し 子の眠る

               緊急自動車が背筋を走る

               真夜中のしじまに亀裂がはしる
               人形のようにひとはみな息を潜めた

               突然
               壁画の闘牛場から
               断末魔の悲鳴があがった
               黒い巨体の背中に
               槍の穂先を突き立ててえぐる
               どす黒い血がほとばしる

                オーレ!

               闇の向こうから歓声があがった
               闘牛士の止めの長剣が
               牛の首筋の骨のすき間から
               見ごと 心の臓を貫いた
               牛は口から大量の生血を吐きながら
               静かに大地に崩れた
               舞い上がる土煙り
          
                オーレ!
                  オーレ!
                    オーレ!

               悲運から逃れた
               高ぶった歓声はにわかに遠のき
               それっきり静謐な夜がつづいた
               人はみな潜めていた真赤な熱い息を
               肺もろとも闇の中に葬った

2009年02月02日 »

2009年02月02日

浮寝鳥

懐に 頭おさめて 鴨流る

                 懐の使い捨てカイロを取り出して、
                 手のひらに当てる。
                 北風の吹く日。
                 川をさかのぼるように波が打ち寄せる。
                 やはり今日はやめときゃよかった。
                 冬の釣りは忍耐の釣り。

                 久しぶりの川釣り。
                 ワンドのほとんど流れのない所を選んで入る。
                 魚も動かない。口を使わない。
                 そうだろうこんだけ冷え込んだら、
                 俺だって口がかじかんで水も飲めやしない。

                 今日の隣は若い兄ちゃん。
                 あまり愛想もなく朝から口もきかない。
                 話かけられるのが、好きではない様子。

                 釣れないし寒いし、
                 今日は早仕舞することにする。
                 もう若い頃のようにはふんばりがきかない。
                 釣り道具を開くときは、
                 さあこれから釣るぞっ、という感じで気合いも入るのだが、
                 仕舞う時は、特に釣れなかった日は、気が重くしんどい。
                 釣り道具も重い。

                 冬はクーラーボックスならぬホットボックスに、
                 温い缶コーヒーを何本か入れてくるのだが、
                 今日はそれが一本余った。
                 車まで運ぶのに、少しでも軽くしようという気もあり、
                 隣の兄ちゃんに、よかったらどうぞと手渡した。
                 彼は急ににこやかな表情になり礼を言って受け取った。
                 笑ったら人懐っこい、いい顔ではないか。

                 いいからと断るのに、
                 彼は駐車場の車まで僕の荷物を運んでくれた。
                 とっつきにくかった人が、急に近く感じた。

                 懐のカイロがいらないくらい、
                 胸があったかくなった。

2009年02月02日 »

2009年02月01日

日の記憶

溶かされて 姿あらわす 冬日かな

   松本清張の短編に「火の記憶」というのがある。
   福岡の田舎町での火祭り。
   幼い頃の記憶をたどる話である。

   子供にとって、
   親の愛情を一番に感じるのは、
   やはり病気をした時だろう。

   上の娘が小学校5年か、6年生だったころ、
   参観日の国語の時間に、子供たちが各々、
   作文を発表したことがあった。
   娘は自分が風邪を引いたときや、病気になったとき、
   ケガをした時に、お母さんが眠りもせずにそばにいてくれたこと、
   どんなに夜遅くても病院に駆け付けてくれたこと、
   何かあるとすぐに飛んできてくれたこと。
   そういうことを作文にして読みあげた。
   親としては当然のこととしても、
   それを子供がよく見ていてくれたことに妻は感激した。
   上の娘は幼い頃から身体が弱かった。

   逆に僕はめったに病気などしたことがなかった。
   幼い頃からよくピーピー泣く子ではあったらしいけど、
   学校に行き出してからはよく皆勤賞をもらっていた。
   それでも4年生の頃だったか、風邪を引いて寝込んだことがあった。
   いつもはこわくてうるさい母が、この日ばかりはとても優しくて、
   チューブ入りのジュースやら、めったに匂いもかげないりんごを買ってきてくれた。
   熱が出ると母はやさしくなる。変な愛情の感じ方をした。
   それに味をしめたわけではないが、
   ある日、僕は縁側の日向にわざと寝ころび、
   頭が痛くなるくらいじっとそのままでいて、
   病気になりたがっていた。
   その後はどうなったのか記憶があやふやになっているけれど、
   僕は親の愛情よりも、きっとあのジュースやらりんごがほしかったのだと思う。
   母には悪かったけれど、
   これが僕の「日の記憶」である。

   松本清張の「火の記憶」は、
   火祭りの日、母のそばに寄り添っていたのは父ではなかった、
   という記憶から始まる、おどろおどろしい話である。

   それに比べると、僕の記憶などかわいいもんである。

2009年02月01日 »