2009年03月31日

dasaku   弥生尽


 
 
 

       荷造りの 母の結び目 弥生尽
 

 
        先日、
        母より小包みが届いた。

        仕事の関係でしばらく実家に帰れないと言ってあったので、
        送ってきたのだろう。
        中身は畑で採れた野菜や果物だけど、
        子供たちにお菓子なども入っている。
        いつものことだ。
        こういうお菓子はそこらのコンビニでも売っている。
        なにもわざわざ荷物にして送ることはない、といつも言うのだけれど、
        言うことをきかない。

        それよりも母の送る荷物は荷造りがすごい。
        マス目状に紐を張りめぐらし、交点毎に結び目がある。
        昔の名残りだ。
        今は簡単なガムテープ止めでも受け取ってくれるけれど、
        昔はきっちりと荷造りしていないと、業者が受け取ってくれなかった。
        今はそこまでせんでも持っていってくれるよ、と言うのに、
        これも、言うことをきかない。

        荷ほどきも、今はもうナイフで紐を切るけれど、
        昔は根気強くほどいていた。

        学生の頃、
        一人暮らしのアパートに母はよく小包を送ってくれた。
        好きな食べ物やら、服やら、こづかいやら、
        缶詰やら、田舎でとれたみかんやら、本やら、
        たまには手紙書けと、便せんに切手付きの封筒やら・・・。
        あらゆる物が入っていた。
        その中身ももちろん嬉しかったけれど、
        僕はその荷造りの紐をほどくのが楽しみだった。

        ぎっちりと結ばれた結び目には、
        荷崩れせぬようにと、母の込めた思いが、
        まだしっかりと残っていた。
        母の肩こりをほぐすように、
        紐をゆっくりとほどいていく。
        その時間の流れがうれしかった。

        数十年も前の、
        弥生三月終りの頃、
        初めて親元を離れて知るよろこびだった。

 
 

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2009年03月31日

dasaku   花 見


 
 
 

       もろこしに 鼻奪われし 初桜
 
 

         気の早い人たちだ。
         近くの神社の公園ではもう場所取りのシートが敷いてある。
         臨時のトイレも用意され、花明りの提灯もぶら下げ始められた。
         屋台もちらほらと出始める。
         小さい公園ではあるけれど、
         これから夜にかけて人が集まってくる。
         カラオケで歌う若者たち、
         手拍子で踊りだすおっちゃん。
         僕は祭りのようなこんな雰囲気が好きである。

         桜の白と、そこらじゅうに、
         焼もろこしにかかった醤油の匂いがただよって、
         ああ、日本に生まれてよかったなあ、としみじみ思う時である。

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2009年03月30日

dasaku   花見の頃


 
 
 
 
  改札機 肩にひとひら 花見客

 
 

      なんの映画だったか忘れたけれど、
      女性が電車の切符をさがしていて見つからず、
      しまいにハンドバッグをひっくり返して、
      中身をみんな放り出して見つけるシーンがある。
      かっこいいな、と思った。

      僕もあまり電車に乗ることはないのだけど、
      いつも降りる段になってあっちこっち、ポケットを探し回る。
      たいがい最後あたりのポケットか、
      最初のポケットをもう一度さがしてみて、
      見つかる時がある。
      冬服のように、
      ポケットはたくさんあればいいというものでもない。

      自動改札機。
      今ではほとんどの駅で使われている。
      僕が初めて社会人になった頃、
      同じ会社の別の部署でこの改札機のメンテナンスをやっていた。
      たしか関西の阪急電車の千里あたりの駅が始まりだったように思う。
      まだ出始めた頃で、その頃はまだ定期券専用だったように思う。
      よく故障もし、しょっちゅう呼び出されて忙しかった。

      今は故障も少ない代わりに、
      ひとたびトラブルと、一社一線だけの問題ではなくなる。
      オンラインで結ばれた、
      多くの連絡網に影響を与えるのは必至である。

      桜の開花が始まると、
      花見の名所の駅は騒々しくなる。
      昨日も花見帰りの酔った客が一生懸命改札機に文句を言っていた。
      なんど切符を入れても、通せんぼになる。
      こいつは壊れていると大きな声で食ってかかる。
      駅員が出てきて、
      これはどこかのバスの整理券だということで一件落着。

      あの頃の改札機なら、
      駅員もすぐに故障だと一報入れたかもしれない。
      もうあれから何十年もの信頼の積み重ねがある。
      ましてや酔っぱらいだ。
      自動改札機は澄ました顔で、
      何度でもはねのけたに違いない。

      あっちこっち切符を探す酔っぱらいのポケットから、
      桜の花びらがひとつこぼれ落ちた。
      よく見ると、
      肩に花びら乗せて帰る人もいる。

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2009年03月29日

dasaku   春大根


 
 
 
       細き恋女房の足 春大根 
 
 
 

       「どうせ、私の足は太いですから・・・」
       誰もそんなこと言ってません。

       わずかばかりの母の畑で大根を引いた。
       春の昼下がり。
       子供らの入試も終わり、空がどこまでも青く見える。
       母が妻に、
       好きなだけ引いて持っていけ、と言う。
       子供たちも幼稚園のいも掘り以来という畑仕事。

       拍子抜けするほど簡単に抜けて、
       それでも一本抜くたびに歓声があがる。
       もう農業をすることもないのに、
       母は孫たちにいろいろと講釈をする。
       孫たちもどうせ右から左だろうけれど、
       まじめに聞いて、相づちをうっている。

       短い時間だったけれど、
       母が久しぶりに笑ったと言う。
       ひとり暮らしではあまり笑うこともない。
       笑い声が天の父の耳に届いたら、
       今夜はきっと満天の星空だろう。

       よく肥えた春大根。
       みんなの足が細く見えた日。

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2009年03月28日

dasaku   送 別


 
  
 

 
       木蓮や 言葉詰まらせ 笑う顔 
  
 
 

         語らいも 尽きて去りゆく 弥生かな    (昨年)

         今年もまたこの光景をみる頃になった。
         木蓮の花は、散るのが早い。
         散るとすぐに落葉のような色に変色する。
         家の垣根の花なら、すぐに家人が掃除するのだが、
         こういう所の花はいきつくところまでさらけ出して見せる。
         失恋に泣き崩れたる少女の姿をみるような気がする。

         送別会。
         この頃は年をとったせいか、どうも涙もろくなった。
         それは送る方も、送られる方もいっしょだ。
         何かの縁でいっしょに仕事をやってきた者同士だ。
         顔は笑おうとするのに、笑おうとすればするほど、
         声は詰まって涙声になってしまう。

         すぐ近くにいたのに、
         お前と握手するのはこれが初めてである。
         顧客とは数えきれないくらい握手してきたのに・・・。

         帰りにまたこの木蓮を見に寄った。
         手のひらを広げてみた。
         木蓮の木を揺すると、
         思い出したように白い花弁が落ちてきた。
         あいつと、
         初めて出会った頃を思い出していた。

 
 

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2009年03月27日

dasaku   花粉症


 
 
 
 
   あくせくと 働く蜂に 何の罪

 
 

    お恥ずかしい話だが、
    初めて薬のカプセル剤というものを飲んだときに、
    カプセルを開けて飲んだことがある。
    当時は左右に引っ張れば中身が取り出せた。
    とても固そうに見えるカプセルをそのまま飲むとは思えなかった。

    今でもそうだけど、
    説明書のどこにもカプセルをそのまま飲むとは書いていない。
    アルミ箔からの取り出し方は書いてある。
    その下に、
    (誤ってそのまま飲みこんだりすると、
    食道粘膜に突き刺さる等思わぬ事故につながります。)
    と書いてある。なお考えてしまう。
    これはアルミ箔のまま飲みこんだ場合の話だろう。
    何を誤って飲みこんだりすると、なのかはっきり表示すべきだと思う。

    昔のアメリカでの話。
    雨に濡れた猫を乾かそうと、電子レンジでチンしたおばあちゃんがいた。
    裁判になり、それはメーカーの説明不足であると、
    電子レンジを作ったメーカーの製造責任になった、という話をきいたことがある。

    1995年から始まったPL法(製造物責任法)ができてからは、
    さらに取扱説明書がぶ厚くなった。
    携帯電話を買っただけでも、その数倍の大きさの取説が付いてくる。
    これは私も作る側にもなるからわかるのだが、
    世間万人に分かりやすく、理解を深めることはとても難しい。
    ましてそのぶ厚さだけで読まない人もいる。

    毎日、薬を飲む人などから見れば、
    本当に常識的なことに、笑われる話かもしれない。
    でも事実である。
    笑ってやってください。

 

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2009年03月26日

dasaku   はみがき


 
 
 
   入試すみ 笑うや白き 永久歯
 
 
       娘らが歯を磨いている。

       「誰にはみがきおしえてもらったの?」
       とわかっているけど、訊いてみる。
       「お母さん」 と答える。
       そうだよなあ。
       お母さんは、あ~んと口を開けたお前たちの前に、
       ひざまずいて小さな歯ブラシでゴシゴシやってたよなあ。
       低い所に子供用のタオル掛けと、
       洗面台のやっと届く蛇口のすぐ上あたりに、
       お前たち用の小さな鏡をとりつけたなあ。
       それらは少しずつ高くなっていったのだけれど。

       俺は覚えてないんだよなあ。
       誰にはみがきおしえてもらったのか。


       お前たち、
       忘れるんじゃ、ないぞ!
 

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2009年03月25日

dasaku   ユニフォーム


 
 
 
 
      立札の 言葉虚しき 水仙花
 
 
 
       少年はサッカーが好きだった。
       初めてお兄ちゃんとお揃いのユニフォームを、
       お母さんに買ってもらい、
       毎日ボールを蹴るのを楽しみにしていた。
       お兄ちゃんのお下がりでないことが、
       よっぽどうれしかったらしく、
       この日もそのユニフォームを着て、
        「行ってくる」
       と母にうれしそうに言って、
       河川敷のグラウンドに出かけた、はずだった。

       その日の夕刻、
       友だちと川遊びに出かけた少年は、
       ユニフォームをびしょ濡れにして母の元に帰ってきた。
       母がいくら泣きすがっても、
       二度と起き上がらず、
       いくら名前を呼び叫んでも、
       二度と返事をすることはなかった。

       母親はユニフォームの最後の洗濯を、
       自分の手で洗い、物干しに、
       その服だけを干した。
       きっちりとアイロンを掛け、
       それは小さな箱の中の、
       少年と一緒に天に昇っていった。

       以来、
       ここに花の絶えることはない。

 

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2009年03月24日

dasaku   今夜はこれしかあるまい


 
 
  
       列島を 一束にして 日の燃ゆる 

 
       『3/21のWBCで王japanが第一回王者に。
       ここ数年、人気が下火になる中、久しぶり熱中した。
       準決勝の韓国戦も、母の家で子供らも入って応援した。
       手に汗握る熱戦。
       久しぶり野球を見て日本国民が興奮した。
       次回3年後がまた楽しみである。』

       3年前の日記である。

       前回のキューバとの決勝戦はちょうど祝日で、
       家でリアルタイムに観戦できた。
       2連覇ともなると、さすがに本物だ。
       今回も野球の面白さを改めて教えてくれたような気がする。
       最後にイチローが決める所が、天のシナリオらしくていい。
       出だしは不振だったイチローにこれでもかと試練を与え、
       それに耐え歯をくいしばり辛抱する者に、
       最後の晴れの舞台を用意してやる。
       いかにも日本人好みする筋書きではないか。

       国を代表して戦う者たちに、国民がひとつになって、熱くなる。

       久しく忘れていたものを、
       思い出させてくれたようなこのスッキリ感はなんだろう。

       選手たちが誇らしげに掲げていた日章旗、日の丸が、
       金色に輝いて見えた。

       今日の日記には、
       もう4年後のことなど書き忘れてしまっていた。

 

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2009年03月23日

dasaku   出発(たびだち)の春


 
 
 
 
      宣言と 宣誓の春 高らかに
 

  
      始まりは、やはり春がいい。
      新学期、入社式、入学式。
      芽吹きの春がスタートには似つかわしい。

      あちこちで桜の開花宣言が聞かれる。
      これからしばらく桜の下では、酒やバーベキューのにおいと、
      人の群れで騒々しくなる。
      名所ともなると、車の渋滞が続く。
      花にさそわれてそれでも出かけてみたくなる。

      甲子園では春の選抜も始まった。
      高校球児の若者らしいはつらつとした宣誓が、
      伝統ある球場に響き渡った。
      アマチュアのそれもハイスクール級のスポーツで、
      観客を4,5万人も呼べるものは、
      外国には例がないと聞く。
      WBC、日本はアメリカを破って決勝進出。
      高校野球のテレビ中継を見ていた外国人が、
      日本の強さもうなずけるものがある、と語っていた。

      何かを始める。
      何かが始まる。
      少しの不安とちょっぴりの期待と、
      冬の間、
      ちぢこまっていたものが高らかにはじけ散る、
      そういう春がやっぱり出発にはふさわしいと思う。

      開花前の蕾には、
      言いようのない歓びが溢れている。

 

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2009年03月22日

別 離   


 
 
 
     菜の花や ただ一茎の 草の原 
 
 
 
      何も言うな。

      家族でスーパーに買い物に来て、
      俺はただ車で待っているだけだ。
      フロントガラスの向こうの駐車場のフェンス越しに、
      春の風に揺れながら、
      したたかに俺の心を揺さぶるでない。
      畑の草っ原に、ただ一本だけ立っている菜の花。

      世の中には、
      山奥のその奥に誰の目に触れるでもなく咲く、
      一輪の美しい花もあるだろう。
      流れる雲をながめ、吹き来る風に身をまかせ、
      ときおり蜜蜂に密かなる花園を覗かれるくらいで、
      その華麗さを褒めたたえるものなどいない。
      そうやってやがて花弁は枯れ、人知れず散ってゆく。
      そんな花もある。

      車の座席に頭を倒し、お前を見ている。

      遠い昔、
      畑の畦の草はらに、小さい籠に寝かされ、
      俺は一日中泣いていた。
      少し離れた所で畑仕事に精を出す父と母。
      見えるものは両側にそびえる草の背と、空を流れる雲。
      泣けどもわめけども母の顔は見えない。
      よく泣く子だったと母が言う。

      なぜお前がそこに一本だけ咲くことになったのか、
      俺は知らない。
      でも来年にはそこの畑がなくなることを、
      俺は知っている。

      お前は花粉を思いっきり遠くへ飛ばすがいい。
      この辺をうろうろしていたって、
      また来る春があるとは限らない。
      世の中は、
      表に咲く花ばかりではない。
      人知れず裏側でひっそりと咲き、
      消えてゆく花があることも俺は知っている。
      俺はそういう花を忘れない。

      弥生三月、去りがたし春に。

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2009年03月22日

dasaku   この胸に棲息するもの


 
 
  
     右胸の 奥に棲みたる 春がらす
 

 
    卒業のシーズンだからか、
    先日の深夜のテレビで、映画「卒業」をやっていた。
    ダスティンホフマンとキャサリンロス。

    別に見るつもりはなくて、たまたま寝る前にテレビをつけたらやっていた。
    途中からだったけど、最後まで見てしまった。
    キャサリンロスのかわいいこと。
    何年ぶりだろう、つい自分の年齢をかみしめてみる。
    花嫁を奪って逃げる。
    若い頃の純愛に水を差すようだけど、
    自分の娘が嫁にいくような年にもなると、
    なんだか少し見方が変わった。
    あのバスに乗って去って行くラストシーン。
    あのあとはどうなったのだろう。
    よくみていたら花嫁の父に暴力をふるい、
    教会の器物を損壊している。
    訴えられれば警察沙汰になり、あの後、パトカーでも出動したのだろうか。
    自分の母親とも密通していたことを知りながら、
    その後、ふたりは結婚生活がうまくいったのだろうか。

    子供の頃に食べたカレーは、どうしてあんなにおいしかったのだろう。

    この前の記事でも書いたけれど、
    若い頃の夢や思い出は、
    あまりムキになって思い出さない方がいい。

    見なければよかったなと、
    少し後悔した夜であった。
    これまた、
    罪なリバイバルである。

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2009年03月20日

dasaku   春 分


  
  
 
 
      昼と夜 ケーキ切るごと 分けし春
 
 
 
 
       昨日のおじさんの畑。
       まわりは貸農園や新しい宅地の新築の家が迫る。
       おじさんはたしかに口が悪い。
       物にも言いようがあろう。
       世渡りもじょうずじゃなさそうだし、
       不器用にただ代々の土地を受け継いだ男の誇りが、
       押ピンといっしょに壁に突き刺さっている。

       春分の日。
       移りゆく季節を肌で感じながら生きてきた農耕民族の、
       今は忘れられたような昔人の暮らしが、
       暦の上だけに残る。

       昔のままに、これから昼が夜より長くなるけれど、
       一分一秒に刻まれた生活からは、
       とても季節の移ろいを感じ取る余裕はなさそうだ。

       殺伐としたおじさんの文言に、
       少し淋しさを覚えるのである。

  
 
 

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2009年03月19日

dasaku   いぬふぐり

 
 
  

 
     ついてくる 行きつ戻りつ いぬふぐり
 
 

     およそ花の人相(?)というものは分からない。
     おしなべてみな同じ顔に見える。

     畑の畦道。
     踏まないように気をつけて通るのだが、
     草の中からひょっこり顔を出すいぬふぐり。
     よく見ると、
     あっちにもこっちにも似た顔が、
     淡い紫色を清純そうにふりまいて、
     まるで、
     僕の歩くあとをついてくるようだ。

     僕があやまって畑に足を踏み入れると怒る畑のおじさんは、
     畦道のいぬふぐりなどゴム長靴の足でどかどかと踏んで通る。

     去年の今頃だったか、畑一面の豆畑に、
     「これ、なんの豆ですか?」
     と写真を撮りながら尋ねたことがある。
     ほんの世間話のきっかけに聞いたつもりだったのに、
     おじさんは、お前はえんどう豆も知らんのか、
     と不機嫌そうな顔をした。
     偏屈で頑固そうなそのあごが、今年もこの畑にいた。

     この2,3年の間に、
     このあたりの畑や田んぼは次々と店舗や宅地に変わっていった。
     おじさんのような人でないと、
     畑も続けていけないのかも知れない。
     そんながんばっているおじさんが僕は好きなのだ。

     そのうちに、
     ここでもうおじさんにも、いぬふぐりにも、
     会えなくなる日が来るのかと思うと、
     気難しくても、もう少し話をしてみたくなる。

     「おじさん、この花なんて名前?」

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2009年03月18日

dasaku   春場所

 
 
  

 
       裏庭を 一直線に がぶる春
  

       春場所である。
       大相撲の世界も近年ごたごたがあるけれど、
       あいかわらずの人気ぶりらしい。
       それでも昔の頃ほどではあるまい。
       昔の頃、とはいつか。
       人によってそれぞれだとは思うけれど、
       憎たらしいほど強い横綱のいる時代は面白い。

       大鵬巨人玉子焼き、の時代はさすがに古いけれど、
       小さいながら柏戸を応援していた。
       個人的には輪島、北の湖の時代だろうか。
       両横綱が全勝同士で千秋楽対決。
       全盛時代はどちらも強かった。
       どっちも負けそうな気がしなかった。
       相撲の醍醐味だった。
       この横綱の全勝での千秋楽決着というのは、
       実に千代の富士と隆の里以来ないと解説者が言っていた。
       それだけ全勝というのは難しいということだろう。
       今場所はひょっとして・・・と、期待を寄せて見ている。

       子供が小さい頃は若貴ブームで、よく相撲のまねごとをした。
       上の子は押していくとすぐにひっくり返り、負けたぁ~とおどけて見せた。
       下の子は僕の腰くらいしか背丈がないのに、
       必死で押し返し、腰をくねくねさせ、なかなかただでは負けなかった。
       親子のスキンシップに子供の性格の違いがよく出て、
       わが家場所もなかなかの盛況だった。

       襖を破ったときには、
       妻からきつ~い物言いがついたけれど・・・。

 

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2009年03月17日

dasaku   春暑し


 
  
 
 
     暑き春 転がるように 日の沈む
 
 

      暖冬の影響で桜の開花が早まっていると。
      早いところでは平年より2週間も早いと。

      花見の季節がやってくる。

      昨年は京都に家族で夜桜見物に行った。
      すごい行列だった。
      まさに花より人を見に行っているような気がした。
      日本人はほんとに花を好む民族だ。
      花を愛でる人たちの顔はいい顔をしている。
      怒った顔などない。どこかにこやかに見える。
      花見の場所取りのいざこざもたまにあるけれど、
      花の下ではあまり取っ組み合いになることもない。
      寒い冬が過ぎ、今年はまたこの不況下、
      しばし、俗世間を忘れに出かけてみるか。
      開花予想に合わせて、
      弁当屋、ライトアップ、警備関係の人たちの段取りが、
      あわただしくなると、今日の夕刊に。

      この時期は人生の移(異)動の多い時期でもある。
      別れや出会いの時期でもあり、出発の時期でもある。
      そして試される時期でもある。

      今日は娘の入試だった。
      来週の桜の開花ごろに発表がある。
      “サクラチル”にならぬこと祈る。

 
 

2009年03月17日 »

2009年03月16日

dasaku   更 新

    
 
 
 
       木蓮や 無垢なる白の 角隠し
  
 
 
        車の免許証の更新に行って来た。
        たまたま平日に行くことができて空いていた。
        適性検査で今度こそメガネが必要かもと思い、
        持っていったが、ぎりぎりセーフ。
        あと5年はメガネなしでも運転できることになった。
        今まで当てられたことは何度かあるが、
        幸いにも自分から事故を起こしたことは一度もない。
        もう何度目の更新だろう。

        人生にも更新制度があったらどうしよう。

        父親として、子供の面倒をみているか。
        息子として、親孝行しているか。
        男として、しっかり働いているか。
        夫として、妻をいたわっているか。
        そして人間としての誇りを持って社会貢献しているか。

        果たして更新できるか?
        その資格があるか。
        太宰治ではないけれど、
        更新できなければ、「人間失格」である。

        笑いごとではない。

                 クワバラ、クワバラ・・・。

2009年03月16日 »

2009年03月15日

dasaku   春 釣

 

     浮沈む 世の常なれど 春の鮒
 
 
     久しぶりの釣行。
     眠たくなるような春日和り。
     風もなくじっとしていると、
     上着を脱ぎたくなる。
     あくびのひとつも出てくる。
     こんな、人に都合の良い日はあまり釣れない。
     水もまだまだ冷たい。

     もうすぐ春の乗込みである。
     産卵の鮒が浅瀬のオダや溝に乗り込んで来る。
     腕が痛くなるほど大型が釣れる。
     でも僕はその頃はあまり釣行しない。

     以前、テレビでアフリカの先住民の話をドキュメントしていた。
     川で魚を狩猟して暮らしているのだが、
     魚が産卵の頃には、ウソのように大量の魚が獲れる。
     でも、その時期は漁に出ない。

     へら鮒釣りは釣って食べるわけではない。リリースするのだけれど、
     それでもこの番組を見てから、この時期に釣る気がなくなった。
     普段はなかなか釣れない、ボウズとの闘いである。
     それがこの時期はバカ釣れする。
     腕も何も要らない。
     魚は命がけで浅瀬にやって来てエサをむさぼり食う。
     大自然に対して卑怯な気がするし、まして楽しみで釣るのである。
     正々堂々と釣りは楽しみたいものだ。

     それにしても今日はウキが動かない。
     えらそうなことを言っても、ウキが動かなければ面白くない。
     やっと群れがまわってきても、ウキにはひと目盛りほど、
     なめるような動きが出るだけである。
     と思ったら、
     突然、
     ウキが消し込んだ。ウソだろ。
     竿を満月にして、中型があがってきた。
     魚の社会にも、やんちゃで強欲な奴が一匹くらいはいるのだろう。
     まわりで見ていた魚が、それみたことかと言ったかどうか知らないけれど、
     これっきりウキはぴくりともしなくなった。

     玉網に取り込んだ魚を水に放してやると、
     眼を白黒させて泳いでいった。

2009年03月15日 »

2009年03月14日

dasaku   割れた一升瓶

  
  
 
 
                     焼酎や 夜行列車の 鳴く夜に 

  
 
  
 
     僕の思い出には、
     どうも嗅覚が大きく影響しているような気がする。

     正月の餅は湯気の上がる蒸篭の匂い。
     山から竹を切って来て、
     釣りに出かけたのは磯の匂い。
     彼女のくれた手紙のくちなしの匂い。
     初めての子の乳の匂い。
     それに焼酎の匂いもある。

     ブルートレインが半世紀の役目を終え引退した。
     昔では考えも及ばなかったスピードアップ技術。
     これも時代の流れなんだろう。
     旅の道中の楽しみもなくなった。

     小学校4年生の時に、
     九州の南の果てから大阪まで家族で出てきた。
     夜行列車といっても寝台などに乗れる身分ではない。
     家族五人、狭い座席に座り、一晩以上かけての旅だった。
     必要最低限の家財道具は、
     先に大阪に出ていた父の元に送っていたけれど、
     見送った人たちにもらった土産もあり、荷物も多かった。

     その中に焼酎の一升瓶が二本あった。
     荷物になるからと断ったのに、親戚の人が、
     自分の田舎の酒だと言ってきかなかった。
     南国の田舎では酒といえば焼酎のことであり、
     日本酒を作っている人はまずいなかった。
     冠婚葬祭にもみな焼酎だった。
     風呂敷に包んだ二本の一升瓶をぶら下げて、  
     父は列車に乗り込んだ。

     あの頃はまだ蒸気機関だったように思う。
     トンネルに入るたびに、煙が入ってきた。
     どの辺を走っていた時だろう。
     寝る所の足場が狭いので、床に置いていた一升瓶を、
     父が網棚に上げようとした時、
     何かの拍子に列車が大きく揺れて、父は一升瓶を床に落としてしまった。
     たちまちあの芋焼酎独特の匂いがそこら中に広がった。
     父と母は平謝りに謝り、手ぬぐいだけでなく、
     みんなの着替えの下着までつぎ込んで、床にこぼれた焼酎を拭いた。
     それでも匂いは残った。
     あからさまにいやな顔をするおばちゃんもいたけれど、
     酒の好きそうなおじさんや、まわりの人たちはいっしょに拭いてくれて、
     もったいないことをしたと父に言って笑ったりしていた。
     夜遅かったのだろう。
     僕はその焼酎の匂いよりも睡魔にまけて、
     四角い座席に不自然な格好で眠ってしまったので、
     あとのことはよくわからない。
     列車のガタンゴトンという音と、時折踏切の遮断機の鐘の音が、
     暗い窓外に流れ去り、酒の匂いに包まれて眠った。

     あとで聞いた話だけれど、
     大人たちはあれから結局、
     割れなかったもう一本の焼酎で酒盛りになったらしい。
     父も好きなほうだった。
     割れた一升瓶と空の一升瓶をぶら下げて、
     わが家族は大阪の地に降り立った。

     小さい頃から焼酎を飲む父のそばにいたので、
     その匂いには慣れていたのだろう。
     別にずっと鼻に残ることはなかった。
     ただ脳裏に残っているのは、
     一生懸命床を拭いていた父母の背中と、
     目が覚めてから妙にまわりの人たちが親切だったこと。
     そして泣きながら見送ってくれた人たち。

     焼酎の匂いだけなら、どうってことはないのだが、
     それに列車という言葉が付くと、
     たちまちあのすすの匂いと焼酎の匂いの揺れる車内が、
     眼前に現れるのである。

2009年03月14日 »

2009年03月14日

dasaku   首 塚    

 
 
 
 
      首塚の 炎ひとゆれ 暮遅し
 
 
 
 
       首を洗って待ってろ。
       ふたこと目にはそう言う上司がいた。

       ギロチン刑、斬首刑、古今東西、
       罰として首を刎ねる刑はいろいろとある。
       とりわけ昔の日本の武士にとっては、
       首は命よりも大事な時があった。
       戦に出て敵の大将の首を獲る。
       これに勝る手柄、誉れはない。
       逆に、首をさらわれる屈辱はない。
       本能寺で死んだ織田信長の首は結局見つからなかったという。
       明智光秀が、これが信長の首だ!と天に掲げていたら、
       またその後の歴史も変わっていたかも知れない。

       700年もの間、一人の武士の首を祀ってきた首塚がある。
       大きな寺の奥のうす暗い森の中に、
       いにしえの時が幾重にも折り重なって、
       こんもりとした丘を形作っている。
       人気のない春の日暮れ前、ろうそくの灯だけがぽつんと、
       長い歴史の風に揺れていた。
 
 

       平成21年。
       激しい首切りの嵐が吹き荒れている。
       首塚の首とまではいかなくとも、
       もう少し人の首も大事にしないと、
       また大きなしっぺ返しをくらうことになる。

       昔の上司ではないけれど、
       首を洗って・・・と、
       あまり頻繁に使われると首の価値も半減する。
       大根の青首じゃねぇんだから。

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2009年03月12日

dasaku   苺

 
 
  
   

     買い来るや 寝込みし妻に 春苺
  
   

     風邪で寝込んだら苺を買って帰るのが、
     いつからか、わが家の習わしになっている。

     昔、まだ子供が生まれてない頃、
     風邪に効くらしいからと、たまたま妻に買って帰ったことがある。
     仕事が忙しい頃で、たしか夜遅かったと思う。
     晩ごはんも出来合いのものを買って帰ったのだが、
     思いのほかその苺が喜ばれて、
     薬よりも効き目があったような気がする。
     予想もしていないことだった。

     最初の子供が妻のおなかにいたころ、
     座るのが楽だろうと、
     大きなクッションシートを内緒で買って帰ったことがある。
     妻のよろこぶ顔が目に浮かび、自分も家に帰るまでルンルンだった。
     ところが帰って喧嘩になった。
     こんな狭い所になんでそんなでかいのを勝手に買ってくるのよっ!
     まずはじめに、ありがとう、だろっ!
     頭にきて窓からそのクッションシートを放り出したことがある。
     これも予想もしていなかった。

     夫婦といっても所詮は他人だ。
     他人と長いこといっしょに暮らすと色々なこともある。
     俺たち夫婦は新婚の頃が、一番喧嘩が多かった。
     新婚といってもそれまでの付き合いが長かったので、
     同じ屋根の下に住みだしてから、と言ったほうがいいかも知れない。

     近頃は、
     あまり喧嘩もしなくなった。
     それはお互いのことが、ある程度予想できるようになったからだ。
     それはそれでいいのだけれど、
     どこかちょっぴり淋しい。
     予想外のあのころが懐かしい。

     それでも苺を買って帰る。
     やっぱり、
     それを待っているような気がする。

 
 
 
 
 

2009年03月12日 »

2009年03月11日

dasaku   春ですなあ

  
   

      電線に 春や止まりて 身繕い

  
  

     とても、良き距離である。
     見ていてそう思った。

     電線に鳩が長いこと止まっていた。
     もうあの凍えるような季節ではない。
     鳩胸をさらにふくらませて首を縮めなくてもいい。
     翼を広げ、首を伸ばし、友だちでもなくつがいでもなく、
     適度な間隔を保ちつつ、時に話しかけ、時に無視し、
     時に驚いたように羽を広げる。
     そうかといって飛び立っていくわけでもない。
     寒い頃は、知らぬ同志でも仕方なく肩を寄り添っていた。
     春の分だけこころもち自由な距離を置いて、
     翼の先までがのどかでうれしそうに見える。

     そういえば冬はこんな吹きさらしの電線になんか、
     留まっていなかったように思う。

     そういえばこの公園の吹きさらしのベンチにも、
     座る人はあまり見かけなかったように思う。

     春になり、ベンチに僕も長いこと座っていた。

      「春ですなあ」

     電線の上で、鳩たちもこちらを見て、
     そうやってささやきあっていたのかも知れない。

2009年03月11日 »

2009年03月10日

dasaku   いろとりどり

   
   

     花種を 蒔いた所に 色染むる

  
  

     まあ、よくも自然界にこんだけの色があるな、と思う。
     その色を忠実に記録する技術、
     そして忠実に再現する技術。
     忠実と書いたけれど、
     この頃はパソコンなんかでも簡単に色の補整や修整ができる。
     どの色がオリジナルかわからなくなる。

     デジタル技術の発達で、
     古い名画や壁画を本物そっくりにコピーできるようになった。
     素人ではどちらが本物か偽物か判別できない。
     保存の問題で本物は目にできなくても、
     模造なら誰でも鑑賞できる。
     多くの人に見てもらうことができる。
     それは確かにいいことだけれど、
     本物を見る目というのはどうなるのだろう。

     この花は、どうしてこの色なんだろう。
     数ある色の中から、どうしてこの色が選ばれたのだろう。
     時々、不思議に思うときがある。

     そのうち、白く咲いた花に何かをふりかければ、
     黄色に変わるとか、
     人間のその日の気分で、
     花の色を自由に変えることができるようになったらどうしよう。

     想像するだけで、胸糞わるくなる。

2009年03月10日 »

2009年03月09日

dasaku   

   わずか指 三本折りて 卒業す

   もう卒業である。
   中学も高校もわずか3年で卒業である。
   あっと言う間だ。
   でも自分が当事者だったころは、
   長い3年間であったように思う。

   高校2年の時、
   同じクラスに留年してきた男子生徒がいた。
   詳しいことは知らなかったのだが、
   成績よりも出席日数が不足ということで、
   落ちてきたらしい。
   成績で落第する者はまずいなかった。
   だいたい長期の病欠かで出席日数の足りないのが理由だった。
   成績は補習テストやら何やらで、先生たちがなんとかしていたようだ。

   あいつとは初めの頃はあまり口もきいたことはなかった。
   たった一年の違いなのに、妙に大人びて見えた。
   あいつは出席日数が不足で留年したのに、
   よく休んだり、遅刻してきたりしていた。
   授業中もよく居眠りをしていた。でも先生はあいつには何も言わなかった。
   学校が終わると、部活をやるでもなし、すぐに帰った。
   そういうこともあり、あまり他の者ともなじめなかったようであった。

   そんなある日の夕方、
   僕は部活の練習で校外をランニングしていた。
   その途中でたまたまあいつに出会った。
   出会ったというよりも、大きな道路の向こう側に見かけた。
   あいつは新聞配達をしていた。
   肩から新聞の束をたすきに持って、
   一軒一軒の家を回っていた。
   それから僕はあいつのことが少し気になりだした。
   しばらくして担任の先生にあいつのことについて聞く機会があった。
   あいつはお父さんを早くに亡くし、
   お母さんが働いて兄弟3人を育てていたのだけれど、
   そのお母さんも大きな病いで寝込んでいるという。
   それからあいつが弟や妹の面倒を見て、新聞配達をして、
   また夜には近くの金属加工の工場で働いているらしいと聞いた。

   その後、席替えがあったのだが、たまたまあいつの隣になった。
   それからである。あいつとよく話をするようになったのは。
   付き合ってみると、俺たちはよく気があった。
   そのうち、あいつがいなかった時の授業のノートを見せてやったり、
   部活のランニングのついでに一緒に新聞を配ったりした。
   新聞配達が早く済んだ分、俺たちはいっしょに海まで走った。
   いろいろあったけれど、あいつとはその後、3年生も同じクラスになり、
   めでたくいっしょに卒業できた。
   あいつは指4本の卒業だったけれど、今思えば、
   俺たちにとって、高校生活は両手の指でも足らないくらい長い、
   ひとつの「時代」であったような気がする。

2009年03月09日 »

2009年03月08日

dasaku   静 寂

   
 
     天井の 目の怖ろしき 春嵐
  

     若い頃、
     仕事で大阪から舞鶴方面に車で行く途中、
     丹波辺りの山を越えたことがある。
     その日は春日和の眠たくなるようないい天気で、
     ちょうど峠を越えようかというころ、小用を催して車を止めた。
     ついでにひと休憩しようと車のエンジンを切った。
     車を降りてドアを閉めたとたん、不思議な感じがした。
     ドアの閉めた音がしばらく尾を引いたかと思うと、
     それから先、まったく音が消えてしまった。
     なんにも聞こえてこない。
     アスファルトの道に春の日が降りそそぎ、
     送電線の鉄塔がすぐ先にあり、その向こうに続く道からも、
     今来た道からも車一台来ない。
     風もなく木の葉のこすれる音もない。
     鳥の声すらない。まことに妙な空間だった。
     一瞬、耳が壊れたかと思った。
     思わず手をたたくと、そんなに力を入れてもいないのに、
     自分の手ではないような音が鼓膜を大きく震わせた。
     静かな、という感覚ではない。
     全ての扉が開け放たれた静寂。
     不気味なほど何の気配もないのである。
     ああいう経験をしたことはそれから一度もない。

     いや、子供の頃、
     少しそれに似た経験がある。
     夜中に小用で目が覚めて、
     用足しがすんでふとんにもどってくると、
     いつもと様子がちがった。
     父も母も、弟も妹もみんなまわりに寝ているのに、
     まったくそこにいる気配がない。
     いつもの父のいびきもなく、みんな死んだように動かない。
     天井を見上げると、豆球の灯りに映し出された、
     木の節目がじっとこっちを睨んでいる。
     ふとんをかぶってみるのだが、また覗いてしまう。
     大きな鬼がそこにいるような気がした。
     僕は、怖ろしくなり、寝ている母の肩をゆすった。
     ゆすってもこのまま母が起きなかったらどうしようと思った。
     母の背中が眠そうに動くまで、生きた心地がしなかった。
     僕は、わけのわからなそうな母の横に滑り込んで寝た。
     この夜は、その後大きな嵐が来た。
     風の音に安心したように眠った記憶がある。

     娘が勉強に、
     音楽をBGMにする。
     その方が落ち着くと言う。

     わかるような気がする。

2009年03月08日 »

2009年03月07日

写真俳句 6   

   ユーザーの 少なきも良し 山根草

    一昨年の10月に、
    たまたま入った本屋でこの写真俳句ブログを知った。
    それまでも他のブログで、一枚の写真と文を載せていた。
    できればそういうことが専門のブログがあればいいなと思っていた。
    やっと見つかったと思った。
    けれども俳句はあまり作ったことがなかった。
    初めは写真と俳句を載せていたけれど、
    どうしてもそれだけでは満足できず、ついでに文章も書くようになった。
    そのうち俳句は二の次になったような気がするけれど、
    写真と俳句とちょっとした文章と、
    それで自分ではなかなか、さまになるような気がした。

    別に俳句はなくてもいいような気がするのだけれど、
    なかったらどこか淋しい。
    俳句は説明するようじゃダメらしいけれど、
    どうせへたな俳句なら説明すればいいじゃない。
    句と説明文で一つになれるなら、それでいいかも、と思った。
    だからタイトルはdasakuである。

    そうやってここまでお世話になってきた。
    そして今回のシステム変更である。
    いろいろと不満のタネもある。そういう記事も目にする。
    今までのシステムを変えるというのは大変なことである。
    特に今まで慣れ親しんだものであればこそなおさらである。
    仕事がらその辺のことはよくわかる。

    でも、資本主義の社会である。
    商業ベースにのらなければ続けていくことは至難の業である。
    一銭の投資もなく、好きなことを投稿するものに、
    何の文句が言えよう。

    正直に言うと、
    私も見切りをつけて、元のブログにまた足を向けてみたことがある。
    でも、一分間に数えきれないほどの投稿があり、
    自分の記事がそのなかで砂浜の砂粒のように消えて行く。
    流れる川の水のように、落ち着いてみる暇もないほど、
    吐き捨てられていくような気がした。
    それはこの写真俳句に出会うまでは、当たり前のことだった。

    管理人さんが言っていた。
    この写真俳句ブログの存続のためにいくつかの企業を回ったけれど、
    ユーザー数が少ないことなどで、ことごとく断られたと。
    それはそうだろう。この今の世の中慈善だけではやっていけない。
    今までのシステムと比べるから不満も出る。
    今、初めてこのシステムに出会えたと思えば、
    私は満足できる。
    これから改善できることに知恵や工夫を重ねればいい。

    自分のdasakuをゆっくりとスローに噛みしめながら、
    そしてたまたま目にしてくれる方がいらっしゃればそれにこしたことはない。

    私は、そう思う。

2009年03月07日 »

2009年03月06日

dasaku   雪解け

 
 

      雪解けの 水の絨毯 岩を呑み


      水はほんの高低差があれば、
      当たり前のように流れ始める。
      大河の一滴ではないけれど、同じ方向に、
      寄り集まれば大きな力となる。

      でも水は来た道を遡ることはない。
      時間といっしょで元にはもどれない。

      大川を少し離れた所から見ると、
      一枚の大きな絨毯のようで、
      流れているようには見えない。
      時々、木の葉や枯枝が水の流れを改めて教えてくれる。

      川岸に立ち、その流れを眺めるのが好きである。
      いく度かの川の氾濫とたたかいながら、
      昔から人々は水と付き合ってきた。
      治水とは、うまく言ったものだと思う。
      その人たちの叫びが川の底から聞こえてくる。
      人身御供、人柱、祈るしかなかった人々の、
      無念が川をさかのぼってくるような気がする。

      そのわりに、あまりにも無表情な川面に、
      川岸に立つと人はなぜか小石を投げ込みたくなる。

      あまりにも淡々と流れ去る時の川面に、
      人は自分の存在を石の波紋に見出したいのかも知れない。

      それはすぐに消え去る泡のような波紋だとしても・・・。

  

2009年03月06日 »

2009年03月05日

dasaku   啓 蟄


    

              ほんとうに 蜂のムサシは 死んだのか

  
   

       ♪ハチのムサシは 死んだのさ
          畑の日だまり 土の上
           遠い山奥 麦の穂が
             キラキラゆれてる 午後でした
        ハチのムサシは 向こう見ず
          真赤に燃えてるお日様に
           試合をいどんで 負けたのさ
            焼かれて落ちて 死んだのさ ♪

   
  

       懐かしい歌である。
       ちょうど高校を卒業するころ流行った。
       この時、いっしょに流行った歌に、
       森昌子のせんせいや、吉田拓郎の旅の宿、
       俺たちの旅、どうにもとまらない、等々。
       ある意味、バラエティーに富んだ歌が流行った。

       この 「ハチのムサシは死んだのさ」 も今までにない、
       歌詞の文句には悲哀があるのに、少し明るく元気に、
       さっぱりとしたドラマ仕立てに歌い上げている。

       この年、大阪から東京に行った。
       初めて新幹線に乗ったのもこの年だった。
       おふくろと二人、大きな荷物を持って東京の下宿家まで、
       胸ふくらませて乗った。いかにも旅立ちという風情がした。
       おふくろは今まで東京に行ったのは後にも先にも、
       このとき限りであった。
       今思えばもう少しゆっくりと、東京見物でもさせてやればよかった。
       若かったあの頃、そんな心の余裕もなかったのだろう。

       実はこのころ、
       初めての苦い失恋もしていた。
       だから、本当はこの歌の二番が好きなのである。

        ♪ ハチのムサシは死んだのさ
             夢を見ながら死んだのさ
               遠い昔の恋のゆめ
                 一人ぼっちで死んだのさ ♪

       この時代の歌が、
       一番こころに苦く深く沁み込んでくる。

       若いも苦いも、
       僕には同じ字に見えてくるのである。

2009年03月05日 »

2009年03月04日

dasaku   もぐさのききめ

   盗人に 罪のひとつや 仏の座 
 

   「わるさをすると、どうなるかわかっておろうな」

   小さな寺の和尚さんが小僧に言う。
   いたずら好きの小僧はわるさばかりして、
   その度に和尚さんから、
   お供えのまんじゅうを失敬した手や、畳を泥で汚した足、
   お勤めの最中にいねむりをした頭などにお灸をすえられていた。
   それでも一向に言うことを聞かないので、
   ある日、とうとう和尚さんは小僧を本堂の大きな柱に縛りつけ、
   一晩、ご本尊の仏様をお守りするように言った。
   手で持てるほどの小さな仏様だったが、
   価値の高いものであったらしい。

   その夜遅く、泥棒が入った。
   本堂の仏様を持ち出して逃げようとした時、
   鼻ちょうちんで眠っていた小僧の足を踏んで起こしてしまった。
   あわてて泥棒は逃げだした。
   泥棒に気付いた小僧は必死で縄をほどいて追いかけたが、
   もう泥棒はそこらにいなかった。
   どうしよう、和尚さんに怒られる。
   また、あのでっかいお灸をすえられる。
   とぼとぼとうつむいて帰ってくると、
   庭の所に泥棒の足跡がくっきりと残っていた。
   それを見て小僧はあることを思いついた。
   和尚さんのもぐさの入った箱を持ってきた。

   「 して、どの足じゃ、わるさをしたのは、ん?」

   小僧はいつも和尚さんに言われている通りに真似して言った。
   そして、ひひひひと笑うと、泥棒の残した足跡に、
   もぐさを三つも四つも山盛りにして火をつけた。

   すると、仏様を背負って一目散に里道を駆けていた泥棒の足の裏が、
   にわかに熱くなってきた。
   小僧がもぐさに息を吹きかけるほどに、
   泥棒の足の裏はまるで火が付いたように熱くなった。
   ぴょんぴょんととび跳ねて、もんどりうって苦しみ、
   これはきっと仏様を盗んだ天罰に違いないと、
   泥棒は来た道を引き返して行った。
   そうやって無事、仏様は寺にもどった。

   「もぐさのききめ」という日本昔ばなしの中にある、
   泥棒には効いた、もぐさのききめも、
   その後も、この小僧には一向に効かなかったという話である。

   京都の寺で盗まれた観音像が無事、もどってきたというニュースをきいて、
   この話を思い出した。
   まさか足跡にもぐさをすえられたわけでもなかろうに、
   この泥棒、
   わるさをするとどうなるか、わかっていなかったのかも知れない。

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2009年03月03日

dasaku   ぼんぼり

            

  ぼんぼりや 胸に灯りの 点く如し

     ♪ あかりをつけましょ ぼんぼりに ♪

     毎年、
     お雛様といっしょに出していたぼんぼり。
     今年はコンセントに差し込んでも片方の灯りが点かない。
     球切れだ。

     娘たちが小さい頃は、
     このお雛様をこころ待ちにしていた。
     それももう二十回近くになってくると、
     あまり感動もないようで、待ってましたという感じではない。
     だから球切れもそのままほったらかしにしていた。

     思えば、子供が幼稚園児のころは、
     ひなあられを食べながら、
     みんなでおひなさまの歌をうたったもんだ。
     小学生のころは、
     手作りの小さなおひなさまをいっしょに並べた。
     そこにはお父さんによく似た内裏様がいた。
     みんなで笑った。

     クリスマスの、にわかサンタクロースの正体を知った頃から、
     少し彼女らも夢から覚めたように、
     一歩手前から物事を考えるようになった。
     思春期の頃になると、
     二歩も三歩も四歩も下がりながら、
     親や大人や社会を見るようになった。

     お雛様もちょっぴり淋しそうだ。

     ところが今日仕事から帰ってみると、
     両方のぼんぼりに灯りがともっている。
     上の娘が新しい球を買ってきたとのこと。
     「おひなさまが、かわいそうでしょ」とのこと。
     ふ~ん。
     ちゃんと今でも見ているんだなあ。
     年に一度しか顔を見せないけれど、
     お前たちの姉妹みたいなもんだもんなあ。

     年に一度、
     ぼんぼりの灯は、
     娘らの胸をずっと照らし続けてきたんだなあ・・・。

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2009年03月02日

dasaku   かたわれ

 

  

       かたわれを なくして母の 日の永し

 
      言われるまでもなく、
      相撲で土俵に手を着けば負けになる。
      土が付くとも言う。
      でも、
      立合いでは手を着けと、
      この頃厳しく言われている。
      互いに地に手を着くことで、
      勝負の始まりの公平さを表しているのだろう。

      世の中には、
      ふたつ一対でひとつのものがある。
      手袋でも片方を紛失すると使い物にならない。
      軍手のようなものは替えがいくらでもある。

2009年03月01日

dasaku   一膳飯

       

       
    一膳の 飯ありがたき しじみ汁

  
 

       上方落語に「煮売屋」という話がある。

       お伊勢参りに出かけた喜六、清八が、
       その道中で入った一膳飯屋での話である。
       その親っさんとのやりとりが、おもしろおかしく展開されていく。

       独身の頃は、よく街中の一膳飯屋を利用した。
       好きなおかずを何品かとってごはんと汁ものをもらう。
       店のおじさんやおばさんの家庭料理の味がした。
       なじみになると店のおばさんが玉子焼きをサービスしてくれたり、
       給料前には黙ってご飯のおかわりをよそってくれたりした。

2009年03月01日

dasaku   降車ボタン

         

  
 

           卒業や 降車ぼたんの 別れかな

 
 
      晩年、
     父と母はふたりいっしょによく散歩していた。
     自宅からコースを決めて、2時間くらいかけてゆっくりと歩いていた。
     昔の人間である。
     おそらく公然と人前で腕を取り合って歩くことなど、
     初めてだったのではなかろうか。


     ある日、その散歩の途中で急に父の気分が悪くなった。
     近くのバス停からバスに乗って帰ることにしたらしい。
     ところが、乗り込んでからサイフを忘れたのに気付いた。
     仕方なく降りる時にバスの運転手に事情を説明した。
     運転手は、それでしたら今度、
     どのバスでもいいので支払っておいてくださったら結構です、と言った。
     父と母は運転手に深々と頭を下げてバスを見送った。


     数日後、元気になった父とまた散歩に出た母は、
     途中のバス停でバスを待ち、先日の運賃を支払った。
     もちろんあの時の運転手ではない。
     それでしたら運賃箱に入れておきますと言って、
     母からお金を受け取った。


     たいした金額ではないのだけれど、
     その話を聞いて、人と人との、
     底に思いやりの漂う、優しいつながりというものを感じた。
     それがこのバス会社のマニュアルなのか、
     運転手の采配なのかわからないけれど・・・。



     この頃は、めったにバスに乗ることはないのだけれど、
     先日、仕事で京都に行った時に、久しぶりにバスに乗った。
     ほぼ満員のバスの運転席のすぐ後ろのつり革にぼくはつかまった。
     走り出してしばらくして、
     少しくたびれたスーツに身を包んだ、営業マン風の若い男性が、
     運転手の所にやって来た。


     一万円札しか持ち合わせがないのですけど、と困った顔で言ってきた。
     運転手は困るな、というような無愛想な顔をして、
     お客さんに聞いてみますか、と言った。
     顔の横に付けている小さなマイクに向かって、
     「お客様の中に、一万円札のくずれる方おられませんか?」
     と車内放送した。
     車内にはそれらしき人はいないようだった。
     僕も普段はそんなに持ち歩かない。
     するとうしろにいた男性が、もう使わないからと、
     バスの回数券を一枚差し出した。
     またもうひとりの中年のおじさんも小銭を用意した。
     困ったときはお互いさまだと言った。
     結局、回数券の方をお借りしますと言って、住所を、と言いかけたときに、
     差し出した男性は、いいからいいからと、
     どうせ使わないものだからと言った。
     何度も礼を言ってその若い男性はいくつめかの停留所で降りていった。


     僕はバスの運転手を見ていた。
     バスの運転手も大変だ。今ではほとんどの所でワンマンである。
     数えてみると、十個ほどの鏡が運転席周辺に設置されている。
     大きなバックミラーをはじめ、降車口のステップの上に三つ、
     センターミラーと右側に大小のミラーが設けてある。
     料金のやりとり、行き先の確認、自らもマイクに向かって何かを言う。
     二つしかない目で多くのミラーの先を見る。
     そしてなによりも乗客の命を預かってハンドルを握っている。
     僕は先ほどの件で、もう少し他に対応の仕方があったのではないか、
     と少し非難の目を向けていたけれど、
     それがこのバス会社の対応マニュアルだとすれば、
     いた仕方ないところである。
     小銭を用意しなかったほうにも非がある。
     人間である。
     自分も小銭なんかいつでもポケットか財布に入っていると思い込んでいる。
     そういった人間性のミスを救ってくれるのも、
     やはり人間であるところにまだ救いがあるように思う。


     ついでであるが、
     降車ボタンもつり革の所や、壁という壁、手すりのあちこちに、
     これでもかというほど設置してある。
     少しでも乗客が動かなくてもボタンが押せるようになっている。
     でもそこまで必要なのかと思うほど数が多くて、
     とても数えてなどいられない。
     「次、降ります」と口で言ったって聞いてくれそうにない。



     行先不明の人生のバスにも、
     降車ボタンは数多く付いているかも知れない。
     でも、それは自分では押せない。
     母といっしょに散歩していた父も、
     ある所で先に降りていった。


     自分では押せないと思っていた降車ボタンを、近頃の、
     この社会情勢、自分で押してしまう人が増えているという。
     これだけ降車ボタンが多いと、安易に走ってしまうのかも知れない。


     自分で降車ボタンを押して、
     降車口のステップを踏む気持ちはどんなだろう。
     走って来た道をバックミラーに覗かせる。
     そういうマニュアルが運転手にあれば、まだ助かるかも知れない。


     ひさかたに乗ったバスにも、
     いろんな人生が乗っかっている。

2009年03月01日 »