2009年04月30日
dasaku 自転車
空気入れ 肺もふくらむ 四月尽
初めて自転車に乗れたのはいつだろう。
僕らの子供の頃は、
そんな子供用の自転車なんてあったかなあ。
ママチャリもなかったよなあ。
大人用の実用自転車。
見るからにがっしりしていて重たかった。
その大きい自転車は子供では足が届かない。だから、
サドルの下の三角形のフレームの所から足を入れペダルをこぐ。
私たちは三角乗りと言っていた。
子供たちはみなそうやって乗っていた。
そんな変則的な乗り方でも、
風を切って走ることに変わりはない。
いつ頃のことか忘れたけれど、
そうやって自転車に乗っている姿を、
畑仕事から牛車に乗って帰ってきた母が見て、
えらくおかしそうに笑ったことを覚えている。
僕は牛車を運転したことはないけれど、
母はいまだに自転車に乗ったことがない。
後、持ってやるから空地で練習するか、と言う。
まだ死にとうない、と言う。
タイヤに空気入れる僕の横で深呼吸をする。
「行ってくる」 と言って散歩に出ていった。
足は強い。
風を切る爽快感は知らなくても、
この季節の空気のうまさは知っているようだ。
紫外線がきつくなってきた。
目深にかぶる帽子をみると、
まだまだ女性の本能は残っているらしい。
かわゆい。
2009年04月29日
dasaku MTSH

S に丸 H の子あり 昭和の日
昨日はえらそうに感性の記事を書いた。
感性も難しい。
その人に生まれつき備わっているものもあり、
どうあがいても、
到底その域に及ぶものではない時がある。
自分の感性では手に負えないものもある。
それでも時々、
美術展をのぞいてまわる。
絵画や彫刻、版画などずらっと並んだ作品群の中を、
頭を空っぽにして歩く。入口でもらったパンフレットも見ない。
会場の中の一作品、一作品に対峙する。
全てを見終えて、
最も印象に残った作品の所に、もう一度戻る。
自分の貧弱な感性に一番訴えてくるものを見つける。
たとえそれが他の人が見向きもしないものであっても、
自分はそれを大事にしたいと思う。
亡き母の厨の小さき黒板に髪染むる日の記されてあり
山口文子 62 宮崎
今朝の読売新聞に、
平成万葉集の入選作品が紹介されていた。
応募作 4万6027首、入選作品 1000首の中から21首が紹介されていた。
だからどれも優劣つけ難い作品ばかりなのだろう。
その中から、これが一番自分の感性に響いてきた。
展覧会でもなんでも、
そういうものに出会えた日は、
新聞紙に包まれた石焼いものように、
心がホクホクとしてうれしいもんだ。
2009年04月28日
dasaku 感 性
かあなびに逆らうて葉桜の道
「今日は、何月何日何曜日です」
毎朝、車のエンジンをかけると言う。
運転時間が長くなると、
「長時間の運転ご苦労さまです、安全運転に・・・」
女性の声で言う。
カーナビを付けた頃には、
もの珍しさもあってよく使ったけれど、
この頃は、少し鬱陶しさを感じている。
もちろん初めて行く所には便利である。
また、渋滞情報も役立っている。
けれども、休日やあまり急がない気ままなドライブの時などは、
なるべくナビゲーションは使わないことにしている。
「次の信号を左です」
この頃は思うことあって右に行く時がある。
すると、またせっせと再探索をして、
元のコースに戻そうとアドバイスする。
レールの敷かれた人生もいいけれど、
少しは、自分の感性を信じてまわり道もいい。
今年の正月は、
この車に誰よりも真っ先に、
新年のあいさつを受けた。
先月には誕生日の祝言もいただいた。
もちろんそんなことは、
機能設定で選択できることはわかっている。
「おい、この車、今田んぼの中走ってるで・・・」
地図も更新しなければいつまでたっても、
古いままだし、そんな奴に、
あれこれ言われるから、癪に障るのかも知れない。
かあなびには、まだまだ感性が足りない。
2009年04月27日
dasaku 「イーズィ、イーズィ」
屋上に 春三日月の 落ちてくる
仕事の帰り、
空に擦り切れそうな三日月。
マンションの屋上に沈みかけている。
車止めて、三脚取り出しカメラ据え付ける。
みるみる間に沈んでゆく。
「イーズィ、イーズィ」
あわてるな、あわてるな、
自分に言い聞かすのだが、
こういう時に限って、
カードが入っていなかったりする。
「イーズィ、イーズィ」
予備を取り出す。
もう月は一目散にかくれようとしている。
追いかけてアップして、
カシャッ!
間一髪、月は、
窓灯りのいっぱい並んだマンションの向こうに消えていった。
通り過ぎゆく人が、
不審そうに見て行く時がある。
マンションの窓をのぞき見ているのかと思われているらしい。
月を撮っていたと言っても、もう月はない。
こういう時はあまりいい訳がましい所作はしない方が無難。
何もなかったように三脚をたたみ、
口笛でも吹いて車に戻る。
「イーズィ、イーズィ」
電車で痴漢に間違われた時のように、
決めつけられてしまうと、
もうどうしようもない。
もがけばもがくほど、蜘蛛の餌食。
怪しげな春三日月の、イーズィな夜。
2009年04月26日
dasaku 石の獣
草は伸び 石の獣も さかりしか
子供たちが大きくなってからは、
あまり足も向かなくなったけれど、
乳母車からヨチヨチ歩きの頃、
よくここで遊んだ。
鉄塔の高圧電線に沿って、
その下に緑道が設けられている。
その所々に同じ姿勢の同じ石の獣たちが鎮座している。
うさぎはうさぎで、熊は熊で、きりんはきりんで同じ格好をしている。
鹿の角が欠けたくらいが、
せめてもの時間の経過を示している。
本物の獣ならとうにいい歳に達している。
思い出は、
いつも昔のままにあればいいというものではない。
過ぎた年月に合わせて自然に朽ちるものは朽ち、
枯れるものは枯れてくれた方がいい。
だから時が過ぎれば過ぎるほど、
いつまでもあの時のままにいる獣たちの所に、
あまり足を向けなくなるのだろう。
2009年04月25日
dasaku 一日千秋
つま先に 雨のたまりて 初蛙
高校を出て、
東京に下宿を始めてから今まで、
親と同居したことはない。
大阪に就職してからも一人暮らしだった。
東京にいた貧乏学生のころは、
電話などもってのほかだった。
せいぜい手紙を書くしかなかった。
今のような携帯の時代が生きているうちに、
やって来るとは夢にも思わなかった。
親元を離れてよかったなと思うことがある。
親からの手紙である。
その中でも、盆と正月前に必ずくれる父の手紙には、
いつも「一日千秋の思いで待っている」と書いてあった。
小さい頃から死ぬ間際まで、
日記を書き続けていた父の手紙は、
どこか古臭い文面があったけれど、
それが昔気質の父らしくて、僕は好きだった。
しかし父は、
帰省してもそれほど待ちわびていた様子でもなく、
帰って来たか・・・という、いささか、
使いに出して帰ってきた店の小僧を迎える風であった。
もう今は、
一日千秋の思いで待っていてくれる父もなく、
これからは自分がそういう思いで待つ身になる。
父と同じく、
小僧を待っていた振舞いができるか自信がない。
もっとも今は手書きの手紙ではなく、
小さな画面に映る明朝体の文字である。
そんなところに、
「一日千秋の思いで待っている」 などと打ちたくない。
娘に笑われるだけである。
いま思えば、
良き時代の青春を生きてきたと、
我ながらつくづく思う。
2009年04月25日
dasaku あの頃
剝いたまま 三日置かれし 夏蜜柑
今日、家族で買い物に行った。
昼時をうどん屋に入った。
となりに赤ん坊連れの若い夫婦がやって来た。
奥さんが先にご飯を食べ終わるまで、
ご主人が赤ん坊の面倒を見ていた。
奥さんが食べ終わると、
今度は奥さんが赤ん坊を抱いて、
ご主人が食べ始めた。
ああいう頃が俺たちにもあったなあ、と隣の妻に言う。
「お父さん、天ぷらうどんがきたよ」
耳にイヤリングした上の娘が向かいから言う。
みんなで食べ始める。
「熱っ!」 思いのほか汁が熱かった。
「だいじょうぶ?」 娘が言う。
思えば、お前もうどんの好きな子だったなあ。
自分の背丈を追い越していく目の前の娘と、
となりの若い父親に抱かれている赤ん坊と、
窓からみえる花の散った桜木のように、
それは、あっという間だったなあ。
そんなことを思いながら、
今朝の新聞の事件のことを考えていた。
一度はつないだであろうその手で、
わが子を見殺しにする母親。
あの子は、
ひとりぼっちで死んでいった。
あんな所で一生を終えるために、
この世に生まれてきたのではない。
それでも、あの子は、
その寸前、母を呼んだのではないかと、
となりの赤ん坊を見て、思うのである。
2009年04月24日
dasaku 言葉含みて
名を呼べば 口に花咲く 花水木
梅干しや柑橘類のように、
名前を口に含むだけで唾の出るものがある。
条件反射というのは、
過去の体験が染みついて無意識に出てくるもので、
初めてのものには反応しない。
でも、
日本語のすばらしい所は、
その言葉だけでそのもの自体をある程度想像できる所にある。
「さようなら」 という言葉は、
外国人が聞いてもいかにも別れの語韻が含まれていて、
世界でもっともそれらしき発音だとどこかの記事で読んだことがある。
花水木、という言葉を初めて聞いた時も、
どんな花か知らなくても、
言葉にするだけで、
自分の口にもうそれらしき花が咲いていた。
この国に生まれたことを誇りに思う。
2009年04月23日
dasaku スノーフレーク
点々と 火を灯らせて 春の暮
小さい頃、
台風か何かの時に停電になって、
親がろうそくを灯してくれたことがある。
暗闇の中に、
父や母や弟や妹の顔が浮かんだ。
停電の心細さなど忘れ、
ゆらゆらとろうそくの火に揺れる食卓を、
みんなで囲んでいることが、
何よりうれしかった事を覚えている。
夕間暮れの一時、
庭の隅の鈴蘭水仙に、
蛍のような灯がついた。
2009年04月22日
dasaku 卒業文集
草を食む 文集の夢 春毛虫
庭の木の葉っぱにまた夏の季語がいた。
毛虫。
写真ではわかりにくいけれど、
背中の紋様の特に白い斑点が星のように輝いて、
見とれるほどである。
あまりの綺麗さに、娘を呼ぶ。
星を見せてやると言うて、
近くに呼んで指さすと、悲鳴をあげてとんでいった。
大の虫嫌いである。
日曜日の午後。
その娘の先月卒業した中学の卒業文集が、
居間のテーブルに置かれてあった。
ぺらぺらとめくる。
三年間の思い出や、将来の夢などをテーマに、
約二百名の卒業生の文章が手書きで書かれていた。
ちょっとつまみ読むだけのつもりだったけれど、
なかなかどうして飽きさせなかった。
あらためて人の考えや思っていることの多様さに驚かされた。
思っていた以上に内容の濃いものだった。
その中に、
私は将来、けがや病気に苦しむ患者さんを、
精神面でもしっかり支えられる看護師になりたいです。
と書き出されている文面に目が止まった。
なぜ看護師になりたいか、その理由を続けて書いているのだけれど、
僕はその名前に記憶があった。
小学校の頃から、娘と同級生になったりならなかったりしていた女の子で、
一時わが家に遊びに来たこともあった。
その子のことが印象に残っていることがある。
小学校のある日の日曜参観に出席した時のこと。
休憩時間に廊下で一人の女の子が男の子三人にいじめられているようだった。
すると、この女の子がかけよってきて、
「やめたげーやっ!」 と大きな声で男の子にくってかかっていた。
男まさりではない。細い体で目を赤くさせて必死でかみついていた。
あまりの形相に男の子たちは退散していった。
この子の名前を見て、すぐにあの時のことが脳裏に浮かんだ。
なるほどあの子なら、こういう夢も持つかもしれないな、と思った。
確実に成長してしっかり患者さんを支えられる看護師になりたいです、
と結ばれていた。
ひきかえ、うちの娘。
高校に行ったら、というテーマで、
高校に行ったらまずバイトしたいと。
将来のために仕事に慣れておきたいと。ふむふむ。
自分でお金貯めて好きなものを全部買いたいと・・・。
なにも言わない、どちらもがんばれ!
若いのだ。今はただ夢を見れるだけでいい。
これからいろいろと経験して夢の修正もあろう。
かなわないことの方が多いだろう。
この毛虫のようにいまは腹いっぱい草を食んで、
この文集にはないものに化けてくれるのを、
僕はひそかに期待している。
2009年04月21日
dasaku さよならホームラン
さよならは ドームの中に 菜種梅雨
自分の母ながら、
人間はあらためて偉いな、と思う。
この頃の母の野球通には恐れ入る。
父が生きていた頃には、
ふたりそろって全く野球の“や”の字も興味なかったのに、
十二年前、父がこの世にさよならしてからは、
いつからかテレビの野球中継を見るようになった。
もちろん野球などやったこともないし、
ルールなどまったく知らなかった人が、
ここでホームランが出れば、何点入るとか、
赤星はなんで走らんのや、と盗塁のタイミングまでご存知。
どこの球団のだれそれの話、仕事で見ていない私より詳しい。
とりわけ阪神のファン。
今夜も下柳がどうのこうのとメールくれる。
そう言えば、
このメールも妹が、ひとり暮らしの母のことを心配して、
またぼけ防止にと、携帯を買って必死で教えた。
以前、おばあちゃんからの手紙という記事にも書いたけれど、
母の母の手紙はほとんどカタカナだけで書かれていた。
そんな昔の人間である。
もっとも母の時代には教育も整い、
普通の漢字は読み書きできるけれど、
メカはまったくおんちな母が、かんたん携帯と言えど、
メールをくれることに感嘆するのである。
たとえば、
今日も寄与人が勝ちですね、阪神はあきまへんわ。
今日は安心して覆えんができました。
阪神へら負けですね、もう眠たくなってきましたわ。
読めないことはない。
母に言う。
ひらがなばっかりでも、変な漢字が混じってもいいから、
とにかくメールしてこいと。
ひとりの家で、ひとり野球を見て、背中丸めて、
老眼鏡の向こうの小さなボタンを押してメールくれる。
その姿を思うだけで、すぐに返事を打ちたくなるのである。
便利になった世の中を、父の分まで謳歌してもらいたいもんだ。
まだまだ人生にさよならするのはもったいない。
母をみてそう思う、この頃である。
2009年04月20日
dasaku 春尽く
玉羊歯を 踏み外しつつ 春の行く
行きつ戻りつ春が去ってゆく。
昨日は夏日の気温を記録した所もある。
庭の花々もカラフルになってきた。
洗濯物がよく乾く。
妻がよろこぶ。
足元のサンダルが涼しそうに洗濯物の影を踏む。
どこらあたりから春は去って行くのだろう。
どこらあたりに夏は来ているのだろう。
腕まくりした娘の制服か、
風呂の沸く時間の速さか、
フローリングの床の裸足の心地良さか、
朝開ける雨戸の温さか、
栓を抜くビールの数か。
春も気ままなように見えて、
本当は着実に、たとえば、
庭の玉羊歯の小さな階段を昇っているのかも知れない。
そして、時には、
足を踏み外すこともあるのだろう。
気象庁も気象協会も今年は、
桜の満開予想の的中率が大幅に低かったとのこと。
春も、
してやったりである。
2009年04月19日
dasaku 父 親
親をまた 泣かせに庭の 花の咲く
ー4月5日 読売新聞 四季 長谷川櫂さんの解説よりー
女性は妊娠、出産を経て母親になる。
しかし、男性の場合はちょっと違う。
ある日、突然、赤ん坊と対面する。
この小さな命をどう守ってゆくか、
戸惑いながら少しずつ父親になってゆく。
こうやって子供を好きになってゆくのだろう青に変わるまでの信号 永田淳
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
赤ん坊を抱いて信号を待つ若い父親の写真といっしょに、
二週間ほど前の新聞に紹介されていた。
言われてみれば、そうだなあと思う。
「おめでとうございます、元気な女の子です!」
助産婦さんがそう言って、私に抱かせてくれた、初めての子供。
「ええっ!・・・・」
言葉がなかった。
感動のあまり言葉がなかったのではない。
(女の子?・・・・)
私たち夫婦は前もって生まれてくる子供の性別は聞かないことにしていた。
知りたければ教えてくれたけれど、
生まれてきての楽しみにしようと、聞かなかった。
病院に定期的に診察を受けに行く時に、
妻の姉がいつも付き添ってくれていたのだが、
超音波の画像で男のものが付いていたので、
まちがいなく男の子だと言ってくれた。
それが二,三回あったので、
私たちはもうまちがいなく男の子だと思い込んでしまった。
名前も私の父の名前を一字もらって、
男の名前を考えて、半紙に書いて床柱に張っていた。
だから女の子だと聞いたときに、
私はどんな顔をしていたのだろうと、
いまでもおかしくなる時がある。
でも、その時は緊張していた。
初めて人の子の親になる緊張だった。
三千グラム以上の体重が、ずっしりと両腕にかかった。
その命の重さの割に、腕からすり抜けそうな小さな五体を、
私は必死で抱えていた。
それが私の父親になった瞬間かも知れない。
それから、
子供を抱くたびに、寝顔を見るたびに、
泣くたび、笑うたび、
母親のおっぱいを飲む姿を見るたびに、
どんなことがあってもこの子には、
ひもじい思いだけはさせんどこうと思った。
そうやって私も父親として成長させられたのかも知れない。
妻の姉は何を見間違ったのか知らないけれど、
あれから十八年。
娘は大学生になった。
次も女の子だったので結局、
床柱に張られた名前は使われなかったけれど、
今でもあの頃の日記帳にはさんで置いている。
みんなが集まるとよく話題になり、
笑い話のネタにされるけれど、
私にはいつも、
父親になった瞬間を思い出させてくれるものである。
2009年04月18日
dasaku 白いドレス
行く春や 日向まぶしく かげ暗し
我家の狭い庭にも、
次々と季節は巡り、
申し合わせたように次々と花が咲く。
よく竹の根っこの辺りに見かけるしゃがの花が、
今年は一本咲いた。昨年はなかった。
夏の季語の花が咲き、春の終わりを感じさせる。
そうでなくても近頃の陽気。
後方のつわの花の咲いたのが遠い昔のように思われる。
隣の梅の木にはもう緑葉が生い茂り、
かわいい実を生そうとしている。
春を謳歌していた桜の花も散々と、
名残り惜しい未練を枝先に残し、
必衰の理をあらわす。
また夏が来る。
夏は毎年のようにやって来るけれど、
今年の夏は一度しかない。
庭の隅で、
白いドレスの広がった裾野から、
熟女の細い足がまぶしく見えるようである。
しゃがの花。
夏近し。
2009年04月17日
dasaku しゃぼん玉
しゃぼん玉 じじもこわれて 消えた空
幼稚園の窓から、しゃぼん玉の合唱。
屋根まで飛んだしゃぼん玉、こわれて消えた。
春の陽気に開け放たれた窓から、
いつまでも壊れない思い出が、
空に向かって飛んでいった。
あの頃と違って、
幼稚園の外壁も塗り替えられていたけれど、
にぎやかな声はあの頃とちっとも変わらない。
子供らが卒園してしまうと、
まったく足が途絶えてしまった幼稚園。
幼き声の合唱に、
亡きジジ達の顔が思い出される。
2009年04月16日
dasaku 春風邪
一時間ばかりの今日が暮れる春
その日のほとんどを、
使い果たした光が、
ウルトラマンの胸のランプのように点滅する。
今日も一日が、
西の空に帰ってゆく。
目覚めれば日暮れ時。
風邪で寝込んだ一日が暮れていく。
俺が一日寝ていても、
世の中、
別にこれといって変化はない。
起きていても変わりはない。
シュワッチ!
夢の中に、
飛び立とうとすれば、
新たなる現実は、
したたかにゆっくりと引力を増す。
2009年04月15日
dasaku 性 分

花愛でるより口満たし老いの母
私にも母親が一人いる。
昨年八十になった。
もうすぐ母の日である。
何を贈ろうか夫婦で迷っている。
定石ならカーネーションなどの花が無難であるけれど、
うちのマザーは花があまり好きではない。
花を愛でるより、口にする野菜ものが好きである。
もっとももらった時には、それなりに喜んではくれるが、
そうでないことは息子の俺が一番よく知っている。
贈りものはだいたい妻が選んでいつも送ってくれている。
お礼の電話が妻にくるけれど、
ほんとに喜んでくれたのかなと、
妻に一抹の疑念が生ずる。
その辺は妻と姑、うまくやってほしい。
決して、
裕福とは言えなかった子供時代ではあったけれど、
貧乏を恨んだことなど一度もない。
ひもじいのは当たり前だと思っていた。
だからこの頃、母によく言うのだけれど、
もうそろそろ子供たちも化けるほど大きくなったことだし、
あなたも口の心配などせず、
目を楽しませたら・・・と。
あなたにはもう十分過ぎるほどその資格はあると、
私たちは思っているのだから・・・。
そう言うのに、
畑仕事などできなくなった母は、
ちょっとした場所をみつけては、
葱やらプチトマトやらゴーヤやら、
今だに腹の足しになるものばかり植えている。
母の日に、
野菜の苗など贈れないと、妻が言う。
お好きに・・・。
2009年04月14日
dasaku 制 服
襟折りの まだ折り切らぬ 春の服
この頃の家の中には、
あちこちにハンガーがぶら下がっている。
春から夏にかけての過渡期には、
暑い高気圧が思い出したようにやって来る。
半そでですみそうな日があれば、
これまた冬を懐かしむような寒き日もある。
家の主婦たちは、
整理タンスを前に右往左往させられる。
もう寒くはならないだろうと、
どこかで線引きをして、
多少の寒さは我慢してもらう。
そういう四季の移ろいの中途半端な時期である。
だから、
他の家はどうか知らないけれど、
この時期、我が家の部屋中に衣紋掛けが増える。
初夏用の服でも一度着ると、
春服がご退散するまで、
カーテンレールに吊るされたままになっていることがある。
その中に今年は新しい高校の制服が、
ピンクのハンガーに初々しく掛かっている。
下の娘も中学の制服から高校の制服になると、
気のせいか少しお姉ちゃんになったように見える。
地球温暖化の影響か、
衣替えの時期もふらふらといい加減になっている。
ある日からいっせいに替えることにしてくれ!
妻の意見である。
2009年04月13日
dasaku 日 常
口笛の 聞こゆる朝や 新学期
四月も中頃。
子供たちが新しい学校に行き出して数日がたつ。
彼らもそれなりに期待もあり、不安もあるのだろう。
友だちできるかな、とか結構厳しそうだ、とかあれこれ、
思いめぐらせていたけれど、
親としても気になるところである。
夕べはなんだか元気のなかった娘が、
今朝は口笛吹きながら、二階の階段を降りてくる。
いっしょに朝の食卓に座り、
焼きたてのトーストにバターを塗りながら、
「お父さん、牛乳取って」
言葉のイントネーションでだいたい分かる。
娘は落ち込んだときでも、わざと空元気で、
口笛吹いたり、鼻唄うたったりする。
泣きたい時は泣けばいいのに、
少しかわいげのない気の強さがある。
小さいときからそうだった。
でも今朝の口笛はほんまもんだった。
「行ってきまぁ~す」
新しい制服のスカートをひるがえして、
自転車こいで出て行った。
続けて僕も出勤。
ガレージの横の水仙も、
車に乗り込む僕の真似をして、
口笛吹いている。
今日も、
我が家の日常が始まる。
2009年04月12日
dasaku 心の原点
春日向 土に沁み込む 影法師
数年前、
法事で久しぶりに生まれ故郷に帰った。
仕事の都合でとんぼ返りだったけれど、
少し時間をこしらえて母校の小学校をのぞきに行った。
その日は日曜日で校庭には誰もいない。
瓦葺きだった木造の校舎は、とっくに姿を消し、
近代的なコンクリート造りになり、夏は学校の裏の浜で泳いだけど、
今はりっぱなプールもできている。
すっかりあの頃の面影はなくなっていたけれど、
校庭に大きな栴檀の木が残っていた。
転校する最後の日、
この木の下で先生やクラスのみんなが見送ってくれた。
お別れの歌も歌ってくれたけれど、
なんの歌だったか覚えていない。
この時は、子供心に大阪に行くことがうれしくて仕方がなかった。
理由もなくあこがれていた。
ただ、父が二年ほど先に大阪に出ていて、
これから一緒に暮らせることがうれしかったのかも知れない。
だから、みんなとの別れに涙はなかった。
大阪の学校は初めは、
国訛りもなかなかとれず、なじめずにいた。
田舎の学校のクラスとは、
しばらく手紙のやり取りをしていた。
だいたい先生が書いてくれていた。
そんなある日、大きな封筒の手紙が届いた。
今日、届いたありさきくんの手紙には、
切手がありませんでした。
でも、切手を貼った跡が残っていたので、
郵便屋さんも剥がれたんでしょうと言って、
そのまま置いていってくれました。
そんなことをクラスのみんなに話し、
今日はありさきくんの手紙をみんなの前で読みました。
すると、だれかが返事を書こうということになり、
国語の時間にみんなでありさきくんに手紙を書くことにしました。
大きな封筒の中に、
思い思いの字で書かれた手紙が同封されていた。
そのひとつひとつに、一人一人の顔が思い出され、
僕は初めて泣いた。
校庭に残った栴檀の木といっしょに記念写真を撮った。
あの時の歌が、
しみじみよみがえってくるような気がした。
2009年04月11日
dasaku ヤマトナデシコ七変化
己が身の 花咲きたるを 知らずして
「行ってきまぁ~す」
上の娘が今日の午後お出かけ。
鏡台の前で妹に髪をアップにセットしてもらい、
にぎにぎしい会話が玄関を出た所まで続く。
つい先日、京都の大学の入学式をすませたばかり。
今日は入ったサークルの人たちと二条城でお花見だと。
なんのサークルに入ったん?
茶道部。
ええっ!お前が茶道部、
茶道といえば畳にきちんと正座して、
あのお茶をいただくやつ、
信じられな~い。
3年前の高校の時には、柔道部だった。
その時も信じられなかったけれど、、今回もまた驚いた。
大学で着物に着替えて行くらしい。
聞くところによると、着物姿の人は無料で入れるらしい。
まさかそれが目的で入ったわけでもないだろうけれど、
ま、着物でも着れば少しはましになるか。
もっとも柔道もお茶も、
礼にはじまり、礼におわる。
似てなくもない。
と、父親は無理矢理こじつけるのであった。
この写真。
去年の今頃、
家族で二条城の夜桜のライトアップを見に行った。
すごい人波だった。よく考えたら、
やはり京都だけのことはあり、結構、
着物姿の人も多く見うけられた。
一年後に、
七五三の時くらいしか着たことのない着物を着て、
娘がここに行くとは夢にも思っていなかった。
でも、ミニスカートを穿くのとはわけが違う。
着慣れないものを着て、出歩いて、
せいぜい、ぜぇぜぇ言いながら帰ってくるのがおちだろう
今頃は茶道部に入ったことを後悔しているころかもしれない。
ヤマトナデシコ七変化。
♪ 純情・愛情・過剰に異常
あっちもこっちも恋せよ乙女 ♪
小泉今日子 思い出し。
2009年04月10日
dasaku 泳ぐ風
菜の花の 寄り集まりて 風泳ぐ
プロ野球も始まった。
今年はWBCもあり、例年より少し盛上り気味のようである。
野球はサッカーとよくその人気度が比較される。
自分ではやはり野球に慣れ親しんでいるせいか、
どうもサッカーはいまひとつ盛り上がらない。
この年になって、サッカーをやろうとは思わない。
足がもつれて息が続かない。
野球にはまだソフトボールがある。
先日、町内のソフトボール大会があった。
近くの河川敷のグラウンドで、
久しぶりにボールを投げ、バットを振った。
四球なし、三振なし、バットにボールが当たるまでやる。
男女混合でワイワイとなごやかな一日だった。
昔は、みんなまだ若かった。
顔の皺は増え、頭も白くうすくなり、年月は、
見た目以上に残酷な時がある。
でも笑っていると、心の中で、
年月が少しずつ逆戻りして行くような気がする。
だからみんな何でもないことに大笑いする。
甲子園のようなアルプススタンドとまではいかないけれど、
グラウンドのまわりの土手に菜の花が咲き誇っていて、
まるで私たちを応援していてくれるみたい。
菜の花のひとつひとつが違う顔に見えてくる。
吹き来る風がウェーブを起こし、
へっぴり腰のおじさんのトンネルに、
菜の花の観衆がいっせいに立ちあがって、
大きな歓声をおくる。
試合が終わっての、
ヒーローインタビューはもちろん、 かんぱぁ~い!
2009年04月09日
dasaku 教 育
春風を 漕ぐごとくなり ぶ~らんこ
黄色い帽子の新一年生も登校しだした。
この頃になるといつも娘たちが初めて、
小学校に登校する朝のことを思い出す。
背丈の割に大きなランドセル背負って、
歩いて遠ざかって行く後姿が心細そうで、
いっしょについて行ってやりたいくらいだった。
そんなことを、
去年の今頃の記事にも書いた。
巷では、
ゆとり教育だの、
学習時間が増えるの減るのと、
耳に入ってくるけれど、
そんなの教育者の悩みだけのことで、
子供たちはどこ吹く風と走り回っている。
外で思いっきり遊ぶ子供たちを見かけなくなった昨今、
どこからか聞こえてくる子供たちの黄色い声に、
少しあったかい春の風を感じる。
識字率。
このブログでも、
世界各国のいろんな境遇の人たちのことを紹介されている人もいる。
世界には教育を受けたくても受けられない子供たちがたくさんいる。
日本のように字を読み書きできるのが、
当たり前の国ばかりではない。
お姉ちゃんが字を読めるようになった頃、
下の娘が、
「おねえちゃん、この本読んで」
「おねえちゃん、これなんて読むの?」
としきりに上の娘に聞いていた。
教えてあげられるうれしさや、
ものを知るよろこびは、
教育という堅苦しい言葉の原点に、
たとえば、受験勉強の寒い夜、
母がいれてくれた一杯のココアのような、
あったかさがもともとあるように思う。
まともに学校を出ていない母親の、
それが私に対する教育だったように、思う。
2009年04月08日
dasaku 満を持す
今はただ 通り過ぎゆく 花蕾
咲く花のよろこびが爆発しそうである。
今はだれもかれもが、
桜に目を奪われて、
その道すがらに満を持して待つものがいるのに、
あまり気付かない。
いや気付かぬふりをして、
次はお前の番だな、
と横目を撫でているのかも知れない。
そうかと思えば、
皆が桜にうつつをぬかしている間に、
庭の梅の木は、
緑葉にかくれてこっそり実を成している。
本当は植物にとって、
咲く花は単なる通り道であって、
その花の散ってからが本当の勝負なのかも知れない。
花の命は短くて、
そんなの花の世界では、
当たり前のことなのだ。
人がみな幸せを、
高望みしすぎるのだろう。
2009年04月07日
dasaku 心の目
きゅうり草 心あらねば 見えぬかも
このブログも、のぞくと桜の花の真っ盛り。
歳時記にも花と言えば桜のことと。
気に入らんなあ。
いつもの図書館の玄関。
いかつい門柱の足元の芝生から、
タンポポがひょっこり顔を出していた。
近付いてカメラを向けていると、
掃除婦のおばちゃんが話しかけてきた。
花の写真を撮っているのなら、
撮ってほしい花がある、と言う。
おばあちゃんに近いおばちゃんは、
僕を引っ張って、脇の土手を降りて行く。
若いお姉さんに連れていかれるのならいいけれど、冗談を言う。
おばちゃんは顔に皺を寄せて笑い、僕の背中をたたくと、
小さな支柱の根元を指差した。
一瞬、どれっ、て思った。
よく見ると、直径2,3ミリ位のちっちゃな花が、
赤ん坊の指のような、5弁の花びらを広げて咲いていた。
きゅうり草。
接写して、露出絞り、それでもオーバーになり、
おばちゃんの花はなかなか難しいよ、と。
こんなちっちゃな花、な~がむずかしっかねぇ、と。
おそれいりました。
帰って印刷して持ってきてやる、と言うのに、
いらん、と言う。
ま、そう言いなさんな、今度持って来るから。
貴女のような人に見てもらいたいんだわ、この花も。
この花もただもんではないが、
この花を知るおばちゃんもただもんじゃない。
心に余裕がないと、見逃してしまいそうな花である。
家に余りの写真立てに入れて持っていってやった。
歳時記や 花は桜と 言うけれど・・・。
2009年04月07日
dasaku 好きだなあ
舟唄や あぶりし煙 桜月
我ながら好きだなあ、と思う。
仕事から帰って夜、
近くの桜公園を覗きにいってくる。
ワンカップの酒とするめなど握って。
やってる、やってる。
夜ともなると、少し冷えるけれど、
いくつかのグループがシート広げて、
花よりだんご(酒)で盛り上がっている。
若者が多い中、建設のおじさんたちもがんばっている。
ねじり鉢巻きで歌など歌いながら、
花明りのちょうちんに照らされて、
手拍子の顔が華やいで見える。
炭火の焼肉のいい匂いがする。
時折、立ち上る煙を追えば、
桜木の向こうに春の月。
その月あかりの帰り道。
♪ 沖のかもめ~に ♪
さっきのおじさんの唄が、
肉の煙の移り香のように、口からついて出る。
好きな歌だ。
ついでに月もいっしょについてくる。
お前も好きだなあ、
道端に映る自分の月影が言う。
2009年04月06日
銀婚式
桜をば 並びて眺む 銀の婚
今年、銀婚式の知人。
子供たちもやっとひとり立ちし、
久しぶりに、
いっしょに花見をしようと待ち合わせ場所へ。
初めての子供抜きの夫婦どうし。
おふたりは先に着いて待っておられた。
並んで座ったお二人のキョリが、
若いアベックと違って、
これまた、ちょうどよろし。
あとから着いた俺たち夫婦。
しばらく待ってから、
お待たせ、と降りて行った。
2009年04月05日
dasaku 犬の散歩
花ばかり 見ては動かぬ 主連れ
ここ数日、
よく散歩に連れ出される。
吾輩の主も気まぐれで、
連れて行ってほしい時には、
寒いの暑いのと言っては部屋に籠り、
こちらが出たくないときに限って、
思い出したように突然引っ張り出される。
そういう時は決まって肩にカメラをぶら下げている。
今日ももう二回目だ。
公園の桜道までは、
親の仇にでもあったように足早で、
桜並木の続く花道に入ると、
道に迷ったようにあっち行き、こっち行き、
そうかと思えば一点から動かなくなる。
やおらこちらが引っ張ると、
いやいやついて来る。
道に花びらの多いこの時期、
やたら人の目が気になり、用足しもままならない。
桜の花の咲く頃、
吾輩の主を散歩させるのも、
楽ではない。
2009年04月04日
dasaku 飛翔体

誰つける 半島の首 猫の鈴
先日のWBC2連覇は、
国民が久しぶりにひとつになり盛り上がった。
テレビの視聴率だけでなく、
各地の街角での興味の持ちようでもわかる。
民族の中ではひとつになれても、
世界はひとつ、人種をこえ、国の垣根をこえて、
戦争のない世の中を、というけれど、
それはなかなか難しい。
自分はりっぱな機関銃を持ちながら、
相手には弓矢さえ持つなと言われれば、
抵抗もしたくなる。
自分も丸腰でなければ、相手もなかなか武器を放棄しない。
どこの民族にも、
その濃い血を守り続けてきた長い歴史がある。
こんな小さな日本の国中でさえ、
数えきれないほどの人の血を流し、
数えきれないほどの屍の山を築いてきた歴史がある。
まして世界がひとつになろうとは、
限りなく不可能に近い。
もし、あるとすれば、
宇宙人が地球を侵略してこない限り、
人類はひとつにはなれないような気がする。
その前に、
人類は自らが作り出した武器で、
自らを滅亡させるかもしれないけれど・・・。
雪やなぎの垣根の下で、猫が眠っている。
今のうちに鈴をつけないと、
いつ翼の生えた虎に変身し、
垣根を越えてやって来るかわからない。
もっともそうなってからでは、
もう鈴などなんの役にも立たないけれど。
2009年04月03日
dasaku 艶っぽさ
花衣 女座りの 膝がしら
ピクニックというほどではないけれど、
天気の良い週末には、
よく思いついたように外でランチした。
その時の残り物などで、妻が簡単におにぎりをこしらえて、
近所の公園や河川敷などの広っぱにシートを広げて、
青空の下、家族でおにぎりを頬張る。
なんとも言えずうまい味がした。
家の食卓で食べる味とはまた異なった味がする。
花見の季節。
いろんな仲間がシートごとに寄り集まり、
酒を飲み、花見を楽しむ。
桜の花の下で女性陣もどことなく華やかになる。
くつを脱ぎ、車座に座った容姿は、
畳に座る姿よりも、また一段と色っぽく見える。
外で見る三角や俵型のおむすびラインにも、
咲き誇る花々の下の女性のボディラインにも、
食欲や情欲をそそられる。
仕事仲間と花見をしてきた。
少しばかり若返ってきた。
今夜は更新なしと思っていたけれど、
書いてしまった。
オヤスミ。
2009年04月02日
dasaku リズム
くるわせて 四月は突如 やつて来る
毎朝、だいたい決まった時間に、
隣家の雨戸の開く音がする。
それからしばらくして妻が台所に立ち、
お湯を沸かすグリルの点火の音がする。
それを合図にふとんから首を出し柱時計を見る。
起き出してトイレに座っていると、
窓の外をカツカツカツとハイヒールの靴音が、
いつものように通り過ぎて行く。
それは昨年の今頃から始まった。
向こう隣りの娘さんが学校を出て就職してからだ。
テレビの時報が鳴り、音量も大きくなると子供たちが起き出してくる。
ニュースを聞きながら、
あわただしい朝食を家族みんなで取る。
子供の弁当も出来上がってくる。妻の一番忙しい時だ。
新聞にひと通り目を通し、
朝の連続テレビ小説のいいところで僕がまず出勤する。
子供たちが交互に登校して行く。
みんなを送りだした後の妻のことは分からない。
電車で出勤する時も、車で出勤する時も、
たいがい同じような人、同じような車に出くわす。
ほぼ、
これがこの一年の我が家の生活のリズムだった。
世の中には数え切れないほど、車や人があふれているけれど、
よく見ていると、
案外、似たようなパターンで歯車が回っているような気がする。
よく考えたら、
春夏秋冬、季節も規則正しく巡って来る。
芽を出し、葉を出し、花が咲き、実がなり、枯れ落ちる。
いく度となく繰り返されてきたリズムがある。
でも、
この四月という月。
一年で一番人々のリズムがくるう月でもある。
我が家でも、娘たちが、それぞれ新しく大学、高校へと進学した。
今朝の、
騒々しさといったらなかった。
またリズムが落ち着くまで時間がかかりそうである。
2009年04月01日
dasaku うそでもいいから
愛してる 言ふてしまえよ えいぷりる
初恋でなくとも、
人を好きになるということは、
本当につらく苦しいもんだ。
それまで、
なんとも思っていなかった同級生が、
なぜか気になりだす。
俺は君が好きになった、とは、
どうしても言えない。
それまでは好き勝手なことしゃべっていたのに、
「好き」という言葉だけで、
胸が爆発しそうになる。
ましてや、
愛してる、などとどこの口からそんな言葉が出るのだ。
昨日の、
viewさんのTrue Iove という記事中にいいことが書いてあった。
「I Iove you」なんて言われるのは、一年に一度で十分。
何度も言われると、愛が薄っぺらになる気がする、と。
言葉にできないのが愛。愛は心で語るものだと。
外国と日本との習慣の違いも込めて、おっしゃっていたのだけれど、
僕は妻に「愛してる」なんて、もう何十年も言ってないような気がする。
でも、いつも心で語っているから、いいか。
だめですよ、一年に一度で十分だけど、
一年に一度は言わないと、とviewさんに叱られそうな気もする。
それが必要十分条件であると。
でも、
あわてて今日、言ってしまっては元も子もない。

