2009年05月31日
dasaku 菖蒲園
年寄りを 額ずかせてや 花菖蒲
最後の五月晴れ。
近郊の菖蒲園をのぞきに行ってきた。毎年、いまごろになると開催される。
訪れるほとんどの人が撮影機を持っている。
携帯のカメラで撮る人、コンデジの人、本格的な人。老松、初紅、松の雪、津の花、紀の国、初紫、小紫、花車・・・。
まだまだある。花菖蒲の名前。疲れてベンチで休んでいると、目の前に、
次々とカメラマンがやってきて、
いろんなポーズで撮影していく。
自分もたくさんの菖蒲の花を撮ったけれど、
なんだかそれを撮る人のほうが面白くなってきた。
年齢にかかわらず、
女性のカメラ構える姿もまたモデルなり。
色っぽい。
よからぬ想像を打ち消しつつ、
腰を上げ帰路につく。みんな今日は帰って、写真のできばえを
楽しみにアップするのだろう。
いくつもの花菖蒲を押しのけて、
このおじいちゃんが我がメモリーの中で、
勝ち残ってきた。花菖蒲を撮りに行ったのに・・・。
2009年05月31日
dasaku 枯れかかった心
網戸越し しばし聞き入る 雨の音
寝間の外から雨の音。
朝から降ったりやんだりの雨。
その音が聞きたくて、
そっと雨戸を開けてみる。夜の闇。
網戸越しに雨の音だけがする。
庭の梅の木にも、
つわの葉っぱにも、
紫蘭の花にも、夾竹桃にも、
下草の竜のひげにも、
今宵はひたすら相等しく雨の降る。
静けさの中に、満ち足りた眠りがある。
口に今夜食ったカレーの匂いがする。
そう言えば無性に野菜が食いたくなる時がある。
身体が欲しているのだろう。無性に雨音の恋しい夜。
心が枯れかかっているのかも知れない。
2009年05月30日
dasaku 打球音
かざす手の 遠くはるかに 五月果つ
日射しが強くなってきた。
近くの市民グラウンドでは、
小学校低学年くらいの少年野球が行われていた。
かわいい。
小さな身体ながら装備はフル装備である。
監督の指導に、「ハイッ!」というかん高い声。
気持ちがいい。
控えの横には世話するお母様方が数人。
夏真っ盛りに向かって、
帽子のツバも深くなる。野球を初めてやったのはいつだったか。
もちろん僕らの頃にはヘルメットも、
ましてやレガースなどなかった。「王、金田、広岡・・・」
ダジャレを言い合っていた。
テレビなどまだなくて、
顔など見たこともないのに、
辺ぴな田舎でも、名前だけは知れ渡っていた。かざす手を、耳に当てれば、
棒きれを振り回して、
球を打ったあの頃の、
少しくすんだ打球音が、
遠い山の向こうから聞こえてきそうな気がする。
2009年05月30日
dasaku 空 白
ぽつかりと あいた心や あめんぼう
ふいに
川面をのぞく
今までいたあめんぼが
四方に散り
水面だけが
残る風がやみ
波が消え
水面に
顔面だけが
残る
空に
ぽっかり
白い雲
2009年05月29日
dasaku 食える時
梅干しの どんぶりめしや 胃酸過多
昔ほどは食えなくなった。
それはそうだろう。
新陳代謝で細胞がどんどん生まれ変わる若い時とはちがう。
どちらかというと、
細胞にカビが生えてきそうな年代である。
それでも腹は減る。
この前の健康診断で、
メタボにはかろうじてひっかからなかったけれど、
少しずつ運動量が減ってきている。
釣りなんか運動のうちに入らない。
じっとしているだけである。
学校に行っていた頃は、
よく弁当に梅干しが入っていた。
梅干ししか入っていない子もいた。
でもそんなことはどうでもよかった。
みな弁当のごはんを口にかき込むように食べて、
表へ飛び出した。昼休みを存分に遊んだ。
食べるのが遅い子を手伝うと言って、
おかずをちょうだいした。
梅干ししか入っていない時は、
僕もそうした。
誰も文句は言わなかった。
食べることも、学ぶことも大事だったけれど、
あの頃の俺たちには、
遊ぶことより大事なものはなかった。
夢中になって遊べば、
貧乏も空腹も、みんな忘れた。
昔ほどは食えなくなったけれど、
食える時に食う癖が、
今でも胃袋から抜けきれないでいる。
2009年05月28日
dasaku ボクシング
ごきぶりや 妻の悲鳴に まどわされ
ボクシングファンの人には、
怒られるかもしれないけれど、
僕は男のくせにあまりボクシングが好きではない。
言い方は悪いけれど、
今の時代、どうも野蛮に思える。
相手がふらついたと思いきや、
情け容赦なくラッシュをかけて、
どつきまくる。
相手がマットに沈むまで、
鍛えぬかれたパンチをくり出す。
とてもとてもスポーツとは思えない。
オリンピックのように防具を付けて、
ポイント制にするなら見るかも知れない。
明日のために、その一。
真っ白な灰になるために、
あしたのジョーがボクシングを始めた。
ロッキーの映画冒頭の、
場末のボクシング場。
ロッキーが早朝、目覚ましで起きる。
コップのミルクに生卵を入れて飲み込み、
ボクシングを始めた。
ジョーには生きていくのに、
どこか醒めた所があり、
ロッキーにはハングリー精神があった。
ジョーのくり出したクロスカウンターに、
ジョーと力石の顔が歪む。
戦うにはわけがある。
憎しみはない。
僕なんか、親の仇でもない限り、
憎しみなくて人をどつけない。
妻が台所で悲鳴を上げる。
悲鳴を上げた当人の右手には、
折りたたまれた新聞紙が握られており、
情け容赦もなくそれは打ちおろされて、
あとには無残なゴキブリの死骸が残っている。
台所を死守する妻。
戦うには、やはりわけがある。
2009年05月27日
dasaku やさしいね
ナイターや テレビの上の 花も揺れ
今まで、
何回か記事にもしたけれど、
母はひとり暮らしになってから、
プロ野球に興味を持ちだした。
とりわけ阪神を応援しているので、
僕もそれなりに阪神の勝敗など気にかかるようになった。
今日も阪神ー西武の交流戦。
先発、下柳 41歳。
母の好きなピッチャーだ。
その下柳、
二塁に走者を置いて、渾身の球を投げる。
にもかかわらず、
センターへ抜ける痛烈なヒット。
ランナーは三塁をけりホームへ。
それを見たセンター赤星。
ダッシュして球を拾うやいなや、
ホームへ矢のような送球。
さて、この時、
ピッチャー下柳はどこにいるかご存知だろうか。
マウンド上でがっくりしているわけではない。
すぐさまキャッチャーの後方へ回り込んでいる。
バックホームされた球がそれたり、後逸したりした時のために、
バックアップに入っている。
たとえばサードへの内野ゴロ。
一塁に送球されるたびに、
セカンドやキャッチャーはカバーに走っている。
そういつもいつも送球がとんでもない所へ飛んで行くわけではない。
しょっちゅうトンネルするわけでもない。
でも、万が一の時のために万全を尽くす。
野球はチームプレーだとつくづく思う。
そういうことに、つい先日、母が気づいた。
人間はミスをするものだ。
それをお互いがカバーしあう。
犠牲バントだけがチームプレーではない。
「下柳はやさしいね」 母が言う。
何も下柳だけがやさしいわけではない。
そういう優しさが野球というスポーツには漂っているのだろう。
年老いてから、
母が野球に興味をもちだした理由が、
なんとなくわかったような気がした。
2009年05月26日
dasaku 汗の花
働けば 額に汗の 咲くごとし
汗かきの母は、
夏がきらいなのかと思っていたら、
汗をかく方が好きなのだと言う。
こういう季節の日曜日はよく、
母が子供たちを牛車にのせて、
山の畑仕事に行った。
行く時は広々としていいのだが、
帰りは刈った草やら収穫物がいっぱいで狭かった。
暑い日の帰り道、
必ず牛車を止めてひと休みする所があった。
山々の谷にある、小さな湧水の出る所。
大きな木々の間を抜けた奥の所に、
少し開けた所があり、湧水がこんこんと岩のすき間から流れ出て、
三畳ほどの浅瀬もできていた。
僕たちが草をかき分け入っていくと、
浅瀬にいためだかのような小さな魚がパッといっせいに四方に散り、
蛙の飛び込む音も聞こえる。
くつを脱ぎ足を水に浸ける。
ひんやりと気持ちいい。
母がおしえてくれた。
近くの大きな木の葉っぱを摘んで丸めて、
岩の湧水を飲む。
魚になったような気分になる。
母がそう言っておしえてくれた。
妹が母に水を持っていっても、
汗かきの母は水は飲まなかった。
麦わらぼうしを脱いでタオルを水に濡らし、
顔を拭くだけだった。
そして牛にも水を飲ませ、弟と妹と三人で、
水かけなどして遊んで、再出発となる。
牛は足取り軽くなるのだが、子供たち三人は、
それから山道を牛車にゆられて眠るのであった。
牛車にのる父の記憶がない。
古い写真などには残っているのだが、
僕がちょうど物心つくころには、
父は大阪に働きに出ていて、二年ほどして、
家族を呼び寄せた。
遠足だといっては、運動会だといっては、
父が帰ってくるのでは、と思った。
盆と正月に帰ってくる父が待ち遠しかった。
幼い三人の子供と姑と、
父のいない家を守る母はこわかったけど、
父の帰ってきた家ではやさしかった。
母は額によく汗をかく。
父に見せてやりたい汗だった。
2009年05月25日
dasaku 狼 煙
豌豆の 焼かれて白き 狼煙立つ
どうしてだろう。
たき火でもそうだけど、なぜか、
煙が上がると郷愁が湧く。
得も言われぬ懐かしさが、その匂いと共に、
胸に込み上げてくるのは僕だけだろうか。
子供のころは飯も風呂も薪だった。
学校から帰って風呂を焚くのが僕の仕事だった。
火吹き竹の筒を吹きながら、火を熾す。
五右衛門風呂だった。
あの頃の目にしみた煙が、
ずっと脳みその中に浸けこまれているのだろう。
それはいろんな匂いを連れてやってくる。
風呂場の大きな石鹸の匂い。
土間のかまどの土の匂い。鍋釜の匂い。
天井や大きな屋根梁の黒ずんだすすの匂い。
やかんのぶらさがった囲炉裏の灰の匂い。
それらがいっぺんに、脳裏をかすめてゆく。
だから、
畑で白い煙を見ると、
懐かしい人がやって来る合図のような狼煙に見えて、
思わず走り出したくなる。
どうしてだろう。
2009年05月25日
dasaku 照り返し
このネジを 締めた日のあり 橋の裏
記憶が定かではないのだけれど、
日本で初めてネジが作られたのは、
火縄銃を見よう見まねで作った鍛冶職人だと聞いたことがある。
銃身の筒の後部を塞ぐためにネジ式の栓が使われていたらしい。
それまでは日本でネジを作ったり、使ったりした形跡がない。
小川に架かる橋の下の花を撮ろうと、
土手を下りて行った。
橋の下の水面からの照り返しが、
橋の裏でちらちらと躍っていた。
そこには無数のボルトとナットが組まれていて、
見上げた瞬間、なぜか背中がぞっとした。
いつも小学生がこの橋の上を集団登校して行く。
買物の主婦が歩いて、あるいは自転車で通って行く。
この橋がいつ造られたのか、
橋の横腹の銘板に刻まれている。
その鉄の橋は裏で細胞の鎖のように、
いくつものおびただしい数のネジで繋がっていた。
「戦場にかける橋」ではないけれど、
どんな小さな橋でも、架けるとなると大変だ。
大変ではあるけれど、
一度架かった橋は半永久的に恩恵を与えてくれる。
竣工の年月日を見るたびに、
僕はいつもそれに携わった人たちのことを思う。
この橋も、二十八年前、
このネジのひとつひとつを締めてまわった人たちがいた。
このネジのように、
橋の裏で日の目を見ないような人たちの力が、
ひとつひとつ積み重なって今の社会があるのだろう。
思えば遠き昔、
この日本で初めてネジを作った人がいた。
この橋も決して、
たった一本のネジで支えられているわけではない。
2009年05月24日
dasaku 草いきれ
腰掛けの 日影恋しや 草いきれ
日射しが強くなり、
この腰掛のまわりに高く伸びていた草も刈られた。
あとには強烈な草いきれの匂いが残った。
草が茂り出すと、子供のころ、
休耕田の田んぼに小さな小屋を立て、
草で覆い隠して、秘密の基地を作った。
秘密基地といっても親や大人に秘密なだけで、
遊び仲間には公開していた。
ある時、仲間の一人が転校生を連れて来た。
僕たちはてっちゃんと呼んだ。
頭のいい子でいつもこぎれいな服を着ていた。
その日も、洗いたてのシャツと半ズボンを穿いていた。
それがいつも汚れて帰るものだから、
ある日、学校から帰ると、ちょうど彼のお母さんが僕の家に来ていて、
帰る所であった。
彼女もまた我家には場違いのようなきれいなワンピースを着ていた。
何をしに来たのか、もんぺ姿の母に尋ねると、
「いいんだよ、今まで通り遊んどき!」
少し機嫌悪そうに言った。
後日、わかったことだが、
あまり遊びに誘わないでほしい、ようなことを言いに来ていたらしい。
それからも、てっちゃんは秘密基地に来た。
彼のお母さんがそこに押し掛けて来なかったことをみると、
彼は、大人には絶対に秘密基地のことはしゃべらない、
という鉄則だけは守っていたらしい。
そんな夏真っ盛りの日曜日。
秘密基地に行くと、内にマンガの本が山積みして置いてあった。
とても俺たちが買ってもらえるような代物ではなかった。
てっちゃんが置いて行ったと、仲間が言う。
また転校して行くのだと、今日の午後、
引越しのトラックで出ていくのだと言った。
俺たちは走った。
てっちゃんの家の前に、荷物を積み込んだトラックが止まっていた。
てっちゃんが家から出てきた。
てっちゃんもお母さんも、夏の日射しにまぶしい白のシャツを着ていた。
てっちゃんは俺たちの顔を見ると、
最初は笑っていたけれど、次第に目をこすりはじめた。
お母さんにせかされてトラックに乗り込んだ。
トラックは土埃をあげて走りだした。
それがてっちゃんとの最後だった。
秘密基地に残されたマンガの表紙に、
夏草の影がゆらゆらと揺れて、
草いきれの匂いがむんむんとしていた。
2009年05月24日
dasaku 千秋楽
夏場所や 赤房下の 力水
ひとしきり降った雨あがり。
キャベツ畑の緑が一層鮮明に。
本日の夕刻。
・・・この相撲一番にて千秋楽にござりまする~。
立行司庄之助が述べる。
夏場所千秋楽。
国技の大相撲。
五穀豊穣を祈る神事であり奉納相撲として始まった。
土俵の東西南北に上から四つの房が下がっている。
春夏秋冬をも表しており、赤房は夏で東方。
相撲界で一番強い男、東方の正横綱。
横綱でも昔は張出横綱もいた。
近年、聞いたことがない。
力士の肩の力こぶのような、
いかついキャベツが畑に居並ぶ。
張出横綱もいる。
どすこい、どすこいと、
いまにも土から足を出し、
がぶり寄ってくるようだ。
その中の、関脇を買って帰る。
関脇の強い場所は面白いという。
包丁でみじん切りにして、
夕べはお好み焼きにした。
口の中が、大一番となった。
2009年05月23日
dasaku 古ギター
あのままの スリーサイズや 古ギター
ギターは女の体だと。
やさしく抱いてやれと。
妻が言う。
妻のj実家の蔵から、
一本のギターがわが家にやってきた。
実に三十年ぶりにまた日の目を見た。
俺もあの頃はアルバイトしてギターを買った。
そのギターはもうとっくにどこかに行ってしまったけれど、
久しぶりにギターを抱くと、
指先は弦の感触を覚えていた。
あの頃の流行ったフォークソングがよみがえってくる。
俺たちの青春時代にはいい歌があったように思う。
今でもテレビなどで、七、八十年代の歌をCDにして売られている。
高校に進学した下の娘が、
ギター部に入った。それならと、
妻の実家で眠っているギターを、ということになった。
妻も学生のころギターをやっていた。
そういう訳で、この頃、
二階からギターの音色が時々響いてくるようになった。
まだまだ上手ではないけれど、
入門用の歌が久方に胸を揺り動かす時がある。
思わず二階にあがり、いい音だとほめてやる。
そういえば、俺の親父も、
その頃流行っていた歌をギターで弾いていたら、
部屋に入ってきて、上手やなあ、と言ったことがある。
もっとも俺の場合は反抗期に入ったころで、
親父ともあまり口をきくことも少なくなっていたから、
その辺のことも気を使っていたのかも知れない。
自分の子を持って思うことである。
音楽のことなどてんでわからない親父だったけれど、
ほめてくれたあの時は妙にうれしかったことを覚えている。
ギターを、
女の体のようにやさしく抱けば、
心もやさしくなるのかも知れない。
2009年05月22日
dasaku 苗取り歌
苗取りの ボードほりなげ 泥遊び
「何か、おさがしですか?」
二十代後半位のポニーテールの髪の店員がきいてきた。
「歳時記はどこに置いていますか?」
たずねた。
「サイジキ、サイジキ・・・。サイジキって何でしたっけ?」
逆にたずねられた。
郊外にある大型書店。
「歳時記を知らんか、本屋に勤めてて」
思わず言ってしまった。
口にしてから、少し言い過ぎたと思ったけれど、
彼女は僕の説明をきいて、
ちゃんと俳句のコーナーに案内してくれた。
何をさがしているか、
向こうから訊いてくるくらいだから、
そんな新米でもなかろうに、
まさか本屋で歳時記を教えることになろうとは、
夢にも思わなんだ。
この本屋の下には、昔、一面の田んぼがあった。
隣には今でも JA があり、
今日はそこで苗取りが行われていた。
小雨の降る中、数人の若者が、
苗取り用のボードをバケツリレー式で運んでコンベアにのせていた。
それが実に楽しそうで、はしゃぐ声がここまで聞こえてくる。
合間には、泥を投げ合ったり、追いかけまわしたり、
まるで子供の楽しい泥遊びのようだった。
当世の若者がやっていることで、
少しほほえましくは思ったけれど、
昔のような重労働ではない。
苗取り歌や田植え歌は、
そういった重労働をまぎらすために生まれてきたそうな。
そこまで農業も改善されてきたのだろう。
そうでなくても後継者不足。
泥田をも遊び場にする今の若者に、
米一粒を拝むほどに大事にしてきた昔人の思いなど、
理解できないのかも知れない。
現代の多岐にわたる価値観。
昔とは比べものにならない利便性。
そんな科学的データに基づかなくても、
桐の花が咲いたら籾を振り、
栗の花が咲いたら苗を植える。
それがよっぽど自然のような気がするけれど・・・。
歳時記など、昔の方が、
知らない人は多かったのだから・・・。
2009年05月21日
dasaku 裁 く
裁かれし 用足し猫や 夏砂場
ウソをつくのはよくない。
大病の患者に本当の病名を告知せず、
うそをつく。父親の時にはうそをつき通した。
妹は、ベッドの父の耳元で、泣きながら、
うその病名を何度も叫んだ。
あいつはうそをつくのがへただった。
家族ぐるみで罪を犯した。
嘘も方便。
カルネアデスの舟板。
自分の身を守るのが最優先。
緊急避難。
正当防衛。
裁判員制度始まる。
最近、近くの小さな公園の砂場に、
猫や犬の糞が多くて困る。
自治会から回覧板。
飼っている人は注意してくれと。
先日、その公園に一匹の猫がやって来て、
その砂場に糞をする所を見かけた。
小さく穴を掘ると、おもむろに用を足し、
その現物をのぞき込み確認してから砂をかけていた。
その砂のかけ方が可愛かった。
前足と後ろ足で、ゆっくりと、
何かを惜しむようにゆっくりと砂をかけていた。
かけ終わり、ひょいとこっちを見た時に、
目線が合ったような気がした。
写真を撮りたかったので、
思わず見ぬふりをした。
猫は、
宝物の隠し場所でも見られたような顔をして、
しばらくじっとこちらを見ていた。
証拠写真は失敗に終わった。
2009年05月20日
dasaku 茄子畑
茄子の葉を 座布団にして 花の咲く
茄子のうまさ二十四にして知り。
テレビでどこかの芸人が言っていた。
確かに子供には嫌われる野菜である。
れんこんや竹の子、ごぼう。
自分も子供のころ、好きではなかった。
でもいまは実においしい。
なかでも焼きナス。たまらん。
こういったものはあるていど社会にもまれないと、
その旨みがわからないのかも知れない。
妻がこんなおいしいものがどうしてわからん、と言う。
娘がこれのどこがおいしいの?と反論する。
「茄子の葉は座布団にせよ」と言う。
開花するまでに、
枝葉を充分に発達させると、うまいなすびができると言う。
味覚も、
身体を充分に発達させないと、
そのうまさが実感できないようになっているのかも知れない。
娘も早くなすびの味の分かる女になってもらいたい。
黙っていても、おそらく、
涙の味を調味料にして、心が座布団になったころ、
しみじみ、
その味をかみしめるのかも知れない。
2009年05月19日
dasaku イージーフライ
花ばかり 目にとまらせて 竜のひげ
世の中には、
イージーフライばかり、
ひたすらに捕り続けている人がいる。
まわりから見れば楽そうに見える。
何でもなさそうに見える。
裏方という言い方があまり好きではない。
確かに、物事には表と裏がある。
光と影がある。
ひまわりと月見草の話とは、
少しニュアンスが異なるけれど、
人知れず咲く花に想いを寄せて、
涙水を与えつづける人がいる。
ファインプレーと言われるうちは、まだ、
修行が足りないと言う。
誰も言わないけれど、
捕って当たり前のイージーフライを、
ひとつも落とさず捕りつづけることが、
その人の人生のファインプレーなのだ。
観客や拍手がなくても、まぎれもない、
その人の、歯を食いしばった花道である。
だから、「イージーフライ」と言うのは、
本当はその人に対して、
失礼な言い方なのである。
2009年05月18日
dasaku 蛇 苺

くちなわの 苺摘み捨て 通学路
夜中に爪を切るとお化けがでるぞ。
小さい頃言われた。
昔の家の照明の乏しかった時代。
手元の暗い所で爪を切るとケガをする、
という戒めも一説にはあるらしい。
蛇苺。
いかにも蛇の出そうな所に生える。
その刺々しい色に毒キノコのような怪しげな毒性を感じる。
実際には無毒であるらしいけれど、
子供の頃は、
毒苺とも呼んで食べてはいけないと言われた。
まむしのような蛇の出そうな藪に生えるし、
食べて腹をこわさないようにとの、
親の愛情だったのかも知れない。
河豚やキノコのように、部位や種類によっては、
死にいたる猛毒を持つものがある。
人類の祖先にもそれらを口にして、
命を落とした者もいたのだろう。
食っていいもの、いけないもの。
食っていい所、いけない所。
それらの経験と見分ける知恵が累々と積み重ねられ、
今にいたっているのかも知れない。
言い伝えられてきた言葉にも、
それなりの貴重な裏付けがある。
そういうことを、
昔の長老はよく知っていた。
後世に伝えねば、
という使命感をも持っていた。
はてさて、平成の今、
何をや伝えん・・・。
2009年05月17日
dasaku 語り草
悪さする 子の家にあり 蠅叩き
夏の近づく夜。
コンビニの店頭の電撃殺虫器がイヤな音を出す。
青色波長に誘われてきた虫が、
高電圧に触れ、昇天する音がする。
子供の頃に住んでいた田舎の家には、
牛小屋もあり、トイレも汲み取り式で、
当然のようにハエが多かった。
食事時にはみなそのハエを団扇などで追い払いながら、
食べていたけれど、
そんなに熱心に追い払ってはいなかった。
追い払うのが追っつかないほどハエが多かった。
結婚して一年目の夏。
妻が僕の生まれ故郷を見たいと言うので、
連れて帰ったことがある。
自分の生家は、
今もいとこが住んでいてそのまま残っている。
田舎のことで、帰れば自分の家だけではなく、
あちこち顔を出し、挨拶して回らなければならない。
行かなければまた何を言われるかわからない。
田舎の面倒な所である。
その頃にはもう牛小屋もなくなり、
ハエの数も少なくなっていたが、
都会に比べれば、まだまだ多かった。
挨拶にまわった伯父の家で、
僕たちは座敷に通された。ほんの挨拶まわりなので、
どこでもお茶などをもらって退散していた。
この地の方言は妻にはなかなかわからず、
いつも笑っているしかなかった。
夏のことで、
この家ではサイダーがコップに注がれて出た。
妻がそれを戴こうと手にした時、一匹のハエがコップに飛び込んだ。
団扇を使いながら、そのハエに気を使っていた家の人が、
コップを交換するか何か言いかけた時には、
もう妻はそのままサイダーを飲んでいた。
もちろんハエごと飲み込んだわけではないけれど、
向かいに座った伯父も伯母も、
あっと、言ったまま絶句した。
コンビニの前の虫取り器を見ていると、
もう今はこの世にいない、
あの時の伯父と伯母の顔を思い出す。
結局、
妻が僕の田舎の土を踏んだのは、この時だけだったけれど、
以来、それは今でも語り草となっている。
2009年05月17日
dasaku あの時の青い空
思い出の 紫蘭の花や 庭の隅
彼女を初めてドライブに誘った日。
スカイラインの見晴らしのいい、
小高い丘の草の上にシートを敷いてランチした。
彼女の作ってきた弁当には大食いの僕のために、
食べきれないくらいのおむすびが入っていた。
これはかつお、こっちは梅干し、こののり巻きは鮭、こんぶ、高菜。
少食な家族を見てきた彼女は、その食べっぷりに目を丸くして驚いた。
ことのほか玉子焼きがうまかった。
どこまでも続く青空の下、
家族連れやアベックのカップルが点々と、
あちこちで輪になって、あるいは並んで、
高原の初夏の景色にとけ込んでいた。
僕たちの座った傍らに小さな赤い花が咲いていた。
花の名前に疎かった僕は、
花の名前に詳しい彼女にその花の名を訊いた。
「しらん」と答えた彼女の返事を僕はそれからしばらくの間、
彼女にも知らない花があるのだと勘違いしていた。
ほんの短いやりとりだったので、
その話はそれで終わり、それが花の名前だったと気づいたのは、
それから二年後だった。
二年後の初夏の日曜日。
僕たちはまた同じ場所でランチした。
今度は三人だった。
ふたりの間に、よちよち歩きの娘がいた。
横には、二年前と同じ赤い花が咲いていた。
赤い花が初めて「紫蘭」という名の花になった。
二年前の勘違いを、ふたりして、
どこまでも続く青空に向かって大笑いした。
いや、三人だった。
つられて、横の娘も笑っていた。
2009年05月16日
dasaku 雨の予報士
予報士の 声も鳴き出す 青時雨
この週末は雨模様らしい。
先日の記事の雨蛙が、
うつろな目をして、
自転車の前かごの縁に座り込んでいた。
その横のつつじの花を写真に撮っていて、
しばらく気が付かなかったのだが、
そちらの方にふいと目を向けた瞬間、
蛙とばったり視線が合い、おどろいた。
ちょうど蛇を見た時の、
背筋の、ぞっと感に似ている。
僕は蛇が苦手である。
けれども相手の蛙は、
いかにも親しげな眼差しでこちらを見ていた。
そういえば朝から蛙が鳴いていた。
もう鳴き疲れたような表情で、
「雨になりますよ」と言う。
蛙も蛇が苦手である。
似た者通しを見透かすような目で、
じっとこちらを見ている。
雨が落ちてきた。
どんよりと暗い空を見上げて、
ふりむくと、さよならも言わず、
雨の予報士はいなくなっていた。
しきりとまた、
あちこちで蛙が鳴き出した。
肩を打つ、清々しき、
青葉時雨。
2009年05月15日
dasaku 寝乱れて
寝乱れて 瑠璃唐草の 花めしべ
天の才分。
自然界にはいったいどれだけの色があるのだろう。
学校に行くようになり、
初めて買ってもらったクレパスのうれしかったこと。
絵の上手下手は関係なし。
物には形と共に色があることを教えてくれた。
一生懸命、チラシの裏に描いたっけ。
貼り替えたばかりの障子に傑作を描いたつもりが、
父に怒られ、どつきまわされた。
落書きは芸術ではないのだと。
芸術も溺れるほど夢中にならなければ、
大成はしないようだ。
もっとも、
色欲に溺れるものは後を絶たないけれど・・・。
男と女の色もまた、
クレパスで描き切れないほどある。
この花のように、
思わず押し倒したい色もある。
2009年05月14日
dasaku ある日突然
節穴の 目にも鮮やか さくらんぼ
知らなかったの?
彼と彼女はもうだいぶ前からできている。
お前の目は節穴か、
と言われるのはあまり名誉なことではない。
毎日が平々凡々と過ぎてゆく。
ある日突然、夏がやってくるわけではない。
感性を研ぎ澄ましている人だけが、
夏の到来を感じ取るわけでもない。
みんな身体の感覚で感じていながら、
日々の凡々なことに惑わされて、
気付いていないだけのことである。
桜に実が付いてきた。
緑の葉の裏に、赤い色が鮮やかに色付いている。
花の下の騒々しさが昨日のことのような気がする。
そんなことだから、節穴と言われる。
ある日突然、ふたり黙るの~♪
彼と彼女にそんな時があったはずなのに、
そばにいて気がつかない。
ふたりのためには、
節穴でいることもやぶさかでないけれど。
2009年05月13日
dasaku 星の降る夜は
星の降る かまびすしさや 夜薄暑
「今夜は星の降るような天気でしょう。」
ラジオの天気予報が言っていた。
星降る街角。
昔カラオケでよく歌った。
・・・あなたとふたりで・・・
・・・ふれあう指先・・・
・・・いたずら夜風が・・・
・・・何も言わないで・・・
・・・二つのくつ音・・・
・・・ほほえみを交わす
あの街角は今もあるだろうか。
風呂上り、表に出てみる。
確かに星は出ているが、降るほどではない。
昔、子供のころ見た星空はほとんど見れなくなった。
窓を開けている家が多いのだろう。
あちこちからテレビの音が漏れてくる。
野球中継やらバラエティー番組の笑い声。
家の前を若いアベックが、手をつないで通り行く。
・・・寄り添う肩先・・・
・・・やきもち夜風が・・・
・・・・何も言わないで・・・
・・・ああ 恋の夜
2009年05月12日
dasaku 男の乳首
黒岩の 見えし隠れし 夏の川
これはと思って撮った写真は、
これはと思った時に使わないと、
あとで、そのうち、と思っていると、
何でもない平凡な一枚になりさがってしまうことが多い。
逆に、
何気なく撮った写真が、
後で思わぬ展開に結びつくこともあるけれど、
大方の撮りだめの写真は、
パソコンやメモリーの肥やしになっていることが多い。
あってもなくてもいいような、
男の乳首みたいなもんだ。
時々、あったことを忘れてしまう時がある。
川の水が減って、
普段目にすることのない岩が、
今日は見え隠れする。
別にどうの、という訳ではない。
いつかの台風や大水の時に、
どこからか流されてきたのだろう。
誰に決められたのでもなく、
この場所に居座ってどれくらいになるのだろう。
また水が増えて、
この岩のあったことなど忘れてしまう時が来る。
これはと思った時には、
見えない何かを心の中で、
感じているのかも知れない。
それが写真にのり移っていないものが、
おそらく半導体の肥やしになるのだろう。
何も肥やしが悪いと言っているわけではない。
芽が出ないだけのことである。
2009年05月11日
dasaku 愛鳥週間
親烏 眼を潤ませて 鳴くような
人は見かけによらない、と言う。
先日の新聞の投稿欄にも、
金髪でイヤホンの耳にピアスを付けた青年が、
エレベーターで立ち往生した車椅子に、
真っ先に駆け付けてくれた、と。
まだまだ世の中、捨てたもんじゃない、と。
事件が起こる。
まさかあの人が、という時と。
やっぱり・・・という場合がある。
見かけによらないのは、もちろんまさかの方だけれど、
やっぱり、と思われるような人がいい事をすると、
これも見かけによらなくなる。
カラスはその黒さから見かけが悪いのだろう。
鳥の中でも憎まれ役を買って出る。
ゴミは漁るし、あまりいいイメージがない。
清掃工場の前の道路に、
一羽のカラスが車に轢かれて死んでいた。
その近くの電柱のてっぺんに、
別のカラスがとまっていた。
見下ろすようにじっと見ていた。
君たちの関係は知らないけれど、
カラスにも情があるのだろうか。
これは人の情なのだけれど、
山にかわいい七つの子があったのだろうか。
カラスも見かけによらず、鳥なのである。
愛鳥週間。
2009年05月10日
dasaku 明かり
日の影を 灯の影踏みて 夏の暮
「お父さん、お父さんっ、トイレ、トイレ!」
夕べ遅く、、娘が飛んできた。
前世は虫でも食って生きていたか、そのたたりか、
大の虫嫌いの娘。
どうせまたトイレの壁に、
ちっちゃなムカデの子でもいたかと思い行ってみると、
トイレの電気が点かないとのこと。
そりゃあお前、球が切れただけのことでしょ。
あきれて物置から予備を取ってきて交換する。
今時の子は電球の球が切れることも知らんか。
そう言いながら、
僕は少し子供の頃のことを思い出した。
あれは八つか九つの頃だったか。
田舎の家にいたころ、下の豆腐屋で、何かの祝い事があり、
父と母は夜、出かけて行った。
留守番をしていたところ、急に部屋の電気が消えた。
電球のヒモをいくら引っ張っても点かない。
外に街灯があるような家ではなかった。
まわりの家の人たちも寄り合いに行っていた。
家の中が真っ暗になり、弟と妹が不安そうにすり寄ってきた。
弟と妹がいなければ、泣きたいくらいだった。
心細くて僕は二人の手を引いて、夜道を豆腐屋まで下りていった。
豆腐屋の裏の縁側から、少し障子を開けて内をのぞくと、
大勢の大人たちが酒を飲んでいて、唄ったり踊ったりしていた。
何の祝い事だったか知らないけれど、
その奥で母が畳に座り、三味線を弾いていた。
母の三味線に合わせて、みんな楽しそうに踊っていた。
今でいう、どんちゃん騒ぎであった。
その母を呼んでいいものかどうか、
子供心に躊躇していた所までは覚えているのだが、
そのあとは記憶にない。
ただ、初めてみた母の三味線を弾く姿がかっこよかったのを覚えている。
まだ家にテレビのなかった時代。
明かりの消えた心細さと、母の三味線と、頭にタオル巻いて踊る人。
それらがいっぺんに脳裏に浮かんできた。
きょうの夕刻、
ホームセンターの駐車場の明かりが、
まだ青空の残る空に、自動点灯した。
その下に、
カーネーションなど思い思いの花や鉢植えを持った人たちが多く見られた。
自分の母親に贈るのだろう。
中には、結構お年を召した人もたくさん見受けられる。
このまわりには老人ホームが三軒もある。
年老いた自分以上に年老いた親。
それでも、
生きている限り息子や娘にとって、いつまでも、
このうえない心の明かりなのであろう。
切れた電球のように、
交換はきかないのである。
2009年05月10日
dasaku 母の日

息詰めて 水屋の奥に 母がいた
重い布団に横たわる
そのか細い手に
痛々しく食い込んだ指輪が
どこまであなたを幸せにしたのだろう
すっかり枝葉を落とした
庭先の老木のように
若い頃の着飾った夢を
あなたはどこに捨ててきたのだろう
いつも水屋の
逆さにふせたコップの中で
息を殺してこらえていた
悲しみよりも
タンスの奥にしまった
夏服の小さなポケットの中で
そっとぬくめていた母の喜びが
いまは 急流を遡る鮭のように
とてつもなく愛おしい
文 2005.5.14 母の日に 再掲
2009年05月09日
dasaku 心 太
天突きの 想ふことなく ところてん
娘がアルバイトの面接に行ってくると言う。
社会面に載るような顔写真を履歴書に貼って、
なにやらうんうんとうなっている。
志望動機の欄にどう書いたらいいかと考えている。
なんで、そこにしたん?
近いから、と。
じゃあ、そう書いたらいいやん。
結局、長々と作り話のような動機を書いて、
最後に楽しく明るく働きたいです、と結んでいた。
俺が面接官だったら、最後の一行で十分だと言ってやった。
スーパーの中にある売場の店員の募集だったが、
店の隅の小さなテーブルで面接はあり、
動機どころか、「大きな声が出ますか?」と聞かれたそうな。
それよりも、
店内の超忙しい雰囲気に圧倒されて、
私には無理と言って帰ってきた。
松本清張の社会派推理小説ではない。
動機ももちろん大事かも知れないけれど、
何事もやってみなくてはわからない。
内に入ってみると、無理と思っていたものが、
なあ~んだと思うこともよくある。
天突きに突かれたところてんのように、
あとはなるようにしかならない時もある。
と言いながら娘とあんみつ屋へ。
つるりんとところてんののどごし清し。
この店ののれんも、もう夏である。
2009年05月09日
dasaku 雨 蛙
鳴きやまぬ 車輪の下の 雨蛙
夏の蝉、秋の虫、春の鶯。
季節を感じさせるものは多々ある。
植物や花、食べ物、空景色、着る物。
鳴き声で知らせてくれるものにも人は、
敏感に反応する。
日本人なんだなあ、と思う。
そういった感動を表現する手立ても、
古から日本には存在する。
俳句もそのひとつだと思う。
妻が買物に行くと言ってから、
庭をのぞいたまま、なかなか出かけない。
どうしたの?と聞くと、
自転車の後ろで蛙が鳴いている。
この季節、初耳の声。
鳴き終わったら自転車で出かけようと思っているのだが、
蛙も喉の調子を確かめているのか、
なかなか鳴き止まない。
表現する方法は、古からあるけれど、
凡人には解説が要る。
それでもいい。
心の感動を表わすものは何も、
高尚な俳句だけではない、
と思っている。
2009年05月08日
dasaku ごくらく
十尺の 竿を枕に 夏座敷
魚が動き始めた。
ちょっと前には夜明け前から来ていた。
今は夜の明けるのもはやい。
早朝の二時間くらいがウキもよく動く。
陽が昇り出し、この頃は日向にいると暑い。
そろそろパラソルの出番となる。
午前十時頃から食いが止まる。
この陽気、
ウキも動かなくなると朝が早い分眠くなる。
気分転換に他の釣場をのぞきに行く。
魚もいっせいに移動するのか、どこも釣れていないようだ。
ここの釣場は木陰で夏は人気のポイント。
しばらく後で見ていた。
なかなかウキにも変化がない。
えさがバラケてウキがもどってくる。
もうえさ落ちのはずなのに一向に打ち返す気配がない。
よく見ると、このおじさんもこっくり、こっくりと舟をこいでいた。
水にはまりそうではまらない。
ハッと我に返って、竿を上げる。
竿を枕に水上の夏座敷。
ウキの消し込む夢でも見たか。
ごくらく、ごくらく。
2009年05月07日
dasaku シャンプーとリンス
シャンプーの 泡飛び散るや 掛け簾
浴室に新しいシャンプー。
しっとりと仕上がり、満足し妻に話すと、
あれは犬用のシャンプーだと・・・。
先日の新聞の投稿欄の担当デスクの話。
思わず笑ってしまった。
これはある投稿者の記事に対するコメントで、
その投稿内容は次のような話だった。
友人の家族と温泉旅行に行ったときのこと、
露天風呂の鏡の前に、
シャンプーとリンス、ボディシャンプーらしきものが並んでいるが、
容器はいずれも似たような白色系で、
容器の判別がつかず、洗い場でとまどったという話であった。
温泉地には時間にゆとりのある高齢者が多く訪れる。
老眼には字が小さくて読めない。
もう少し、色分けするとか、容器の形状を変えるとか、
表示文字を大きくするとか、業界に改善をお願いしたいと、
結んであった。
これを読んで思わず、にやりとした。
一年くらい前だったか、同じようなことをここで記事にしたことがある。
我が家は四人家族で、私以外は妻と二人の娘の女連中。
だから浴室の洗髪剤も彼女らのもので、
あまり構うほどの頭ではない私の頭にもそれを使っている。
ある時、このシャンプー全然泡立たないな、と思ったらリンスだった。
いつも左からリンス、シャンプーの順で並んでいるので、
右がシャンプーだと思い込んでいる。
それが入れ替わっていた。
色も形状も同じで、本体の下の方に小さな文字で表示はしてある。
分かりにくい。女連中に言うと、
書いてあるでしょ、使えば分かるでしょ、だと。
頭にきて、今度からマジックで書いとけって・・・。
以来、我が家では写真のように表示してくれるようになった。
この頃は、設計や企画の段階で、
いろんな物に、女性の視点が取り入れられるようになった。
車の内装でも、
女性ならではのアイデアやちょっとした工夫が生かされている。
そんな時代に、
今でも不思議に思うのだが、この記事のように、
どうして色や形を変えて区別しやすいようにしないのだろう。
そうすれば俗に言うダサクなるのだろうか、女性独特のファッション性なのか。
一度是非聞いてみたい、と思っている。
2009年05月07日
dasaku 夏来る
沈む日が 親の敵か 夏の立つ
日が長くなってきた。
米一粒ずつ日が長くなるのだと、
死んだばあちゃんが言っていた。
ゴールデンなウィークが過ぎ、
また世間がグレーな平常に戻る。
この公園にも、
つい先ほどまで多くの子供たちの、
黄色い歓声が鳴り響いていた。
暮れかかる日が、
その場を一歩も動けない木々たちを照らす。
砂場の小さな足跡が、
うす暗い影の中に一粒ずつ崩れてゆく。
植物たちの細胞をすべて暗くして、
もう明日は来ないような速さで、
日が沈んでゆく。
追いかけるように影も消える。
米一粒分残して、
夏の夜が始まる。
2009年05月06日
dasaku 何かがおかしい
百年に 一度の危機の なれの果て
池に釣りに行く。
もう少しすれば、水田に水が引かれ、
池の水も減ってくる。
雨が降らず、渇水でもあれば、
干上がった池の底から、
こういった遺体があがってくるときがある。
百年に一度の危機だという。
夕べは、
子供たちと回転寿司屋に行った。
子供の日で人も多く、
回転するレーンの末端の方に座った。
その末端のその向こうから、
時折、ガシャンという音が聞こえてくる。
気になって見てみると、
時間制限を超えた皿のものが、
自動的に廃棄されている。
皿の裏側のコードを読み取り、
55分以上、食されないものは横に傾いて捨てられてゆく。
新鮮さと安全性を店内の大きな張紙にもうたっている。
確かに、このチェーン店の回転寿司は、
そういった数ある店よりも人気があり、客も多い。
うまいからだろう。
何もこういった店を責めているわけではない。
そういったものでないと成り立たない社会構造が問題だと思う。
みんなそんなことはわかっていながら流されてゆく。
片方では子供の日に、
世界では何分間に何人の子供が、
餓死していると訴えている。
何かがおかしい。
本当に、
百年に一度の危機なのだろうか?
疑ってしまう。
2009年05月05日
dasaku 五月五日
孫の背の 柱のきずや 子供の日
実家に行くと今でも、
自分の子供の頃の背丈の印のきず跡が、
座敷の柱にうすく残っている。
孫がまだ小さかった頃、
母はそのきず跡に孫を並ばせて、
自分の子供の幼い頃とよく比較していた。
そしてお前のお父さんがお前くらいの頃は、
これくらいだったと言っては孫の頭を撫でた。
買物に行く途中、
どこかの子供とそのおばあちゃんらしき人とすれ違った。
写真の乳母車の前の方には、
まだ二歳と三歳くらいの男の子が二人楽しそうに乗っていた。
あぶないよ、やめなさい、じっとしてなさい、
それはそれは、わあーわあーと、
三人の子供と一人の年寄りと、
にぎやかに向かいからやってきて、
僕たちとすれ違って行った。
乳母車の両脇には袋に一杯のおもちゃ。
おばあちゃんが孫を連れておもちゃでも買いに行ったのだろう。
孫には果てしなき未来があると思っている祖母と、
人生には限りがあり、その祖母もとっくに、
その折り返し点を過ぎていることなど、知らぬ孫と。
うれしいような哀しいような、
時の憂いが、笑い声と共に遠ざかっていった。
家に残る柱の古きずを、
孫は上に見、母は下に見る。
そんな気がした。
2009年05月05日
dasaku 矢車鳴る
矢車の 父が背中に 風の音
毎年、今頃になると、
鯉のぼりの句や記事を書くけれど、
よく考えたら自分自身、
家に鯉のぼりのあった記憶がない。
家には弟もいて男は二人だったけれど、
五月の節句のような祝いなど無縁だった。
もちろん経済的な理由もあったのだろうけれど、
幼心に自分たちには遠く関係ないもので、
人ごとのように考えていた。
それでも一度だけ、
父の背中で見た記憶がある。
場所も時間もまったく覚えがないのだけど、
どこかの田舎の大きな家の庭に、
鯉のぼりが上がっていて、
父もすごいなあ、と感嘆していたような気がする。
子供の目には、怪物のように大きく見えた。
しばらくそこに佇んで父といっしょに眺めていたような気がする。
父がわざわざ見に連れて行ってくれたのか、
たまたま通りがかりに見つけたのか定かではない。
僕の記憶に残っているのは、
その驚くような大きさと、からからと鳴っていた矢車の音だけである。
人様の家の鯉のぼりを見て、
うらやましいとか、ほしいとか思ったことは一度もない。
ただ、後年、
自分が子を持つ親になった頃、
あの時の父の背中が妙に淋しそうで、
申しわけなさそうで、無念そうで、
それでも自分の背中の息子に見せてやりたくて、
しばらくそこにたたずんでいた父の気持ちが、
からからと鳴く矢車の音と共に、
今になって、溢れ出てくるのである。
僕にも弟にも娘しかいないが、
妹には男の子がいた。
それが父の初孫だった。
初節句に父は鯉のぼりを贈った。
どんな気持ちで贈ったのか、
これもまた子を持つ親になって知ることである。
2009年05月04日
dasaku 蜜 蜂
羽音の やみて蜜蜂 重なりぬ
今日は父の13回忌。
家族親族がみな揃い、
午前十時、お坊さんが来る。
「ナ~ムアミダ~ブ」
ゆっくりと経に入ってゆく。
いつもの住職ではなく今日は若いお坊さん。
母とはなじみで、母はお兄ちゃんと呼ぶ。
今日はいつもと違って人も多く、
お兄ちゃんにも気合いが入る。
懐の携帯をちらっと覗いてから経を読む。
普段、正坐することのない者にとっては、
拷問以外の何ものでもない。
約四十分間、足をもじもじ、裏返し裏返しひたすら耐える。
お経のありがたさも何もあったものではない。
まわってくる焼香をみなが順番に済ませ、
父のひ孫も親にうながされて小さな手を合わす。
開け放たれた窓から、
五月の心地よい風が吹き抜けてゆく。
その風に乗って一匹のミツバチが迷い込んできた。
みな無言のまま手で追い払うのだが、
なかなか部屋から出て行かない。
仏壇の菊の花にとまり動かなくなった。
お坊さんはそれを見ながら経を読む。
経本を目の前に開いているのだが、
そんなものは一向に目にせず、
経を読む。もう覚えているのだろう。
やっと終わった。
説教もそこそこにお茶の代わりの缶コーヒーと、
もらうものをもらって帰って行かれた。
いつも缶コーヒーをよろこんでもらって帰るのだと母が言う。
あとは母の手作りの料理で宴が始まる。
みな、久しぶりの母の料理に酒もすすむ。
ことのほか、母がうれしそうに見える。
料理には、食ってもらえる喜びもあるようだ。
一番しのぎやすい季節。
開け放たれた窓から、先ほどのミツバチが飛んでいった。
帰って来ていた父が、
安心して天にもどっていったのかも知れない。
仏壇の上の遺影が、
こころなしか微笑んで見える。
亡くなった頃は、年老いて見えた父が、
今は若々しく見える。
それだけ、
俺たちが年老いたということなのだろう。
2009年05月04日
dasaku green collar
花々の 葉色に化すや みどりの日
ビジネスの世界でも、
新色が普及し始めてきたらしい。
ブルーカラー、ホワイトカラーに対して 「グリーンカラー」。
環境産業に従事する労働者を表す言葉らしい。
多くの事業所が今や環境問題を抜きにして操業できない。
ISO国際標準規格を取得するのは今や当然のことだし、
廃棄物の分別は当たり前だし、
環境に配慮されたもの、所謂エコ製品には、
国からの特別補助も出る。
近所の公園の時計や照明にも、
小さな太陽電池パネルが取り付けられ、
車も、今や石油依存脱却に目の色を変えている。
光、風力発電、バイオ燃料etc・・・。
新型インフルエンザではないけれど、
万国共通の敵であるウィルスに対抗するため、
世界中の人間が人種を飛びこえ、
「人類」というユニホームを着なければならないと、
新聞に表現されていた。
これはそのまま環境問題にも当てはまることだと思う。
そうでなければ、
人類のgreen collar どころか、大自然の green color さえこの地球上から、
絶滅するかも知れない。
知ってか知らずか、
様々の色に咲き誇っていた花たちが散り、
少しずつ緑の色に統一されてゆく。
それは 「みどりの日」 があるからではない。
言わずと知れたことである。
2009年05月03日
dasaku 親 心
屋根よりは 高くないけど こいのぼり
初夏の風を、
大きな口に吸い込み、
五月晴れの空にこいのぼりが泳いでいる。
少し郊外の昔からの大きな家などには、
庭に高いポールが立てられ、
見事な鯉が雄大に泳いでいたりする。
かと思えば、
都会の高層マンションにも、
小さなこいのぼりがベランダからはみ出て泳いでいる。
先日も、
釣りからの帰り道、
信号で止まった交差点近くのアパートの窓の手すりに、
かわいいこいのぼりがくくり付けてあるのを見かけた。
ああ、この家にも男の子がいるんだなあ、と思った。
子のありて 知るうれしさや こいのぼり
子を持つ親心に、大小はない。
・・・と、思うのだが、
近頃の悲惨な事件をみると、自信がない。
2009年05月02日
dasaku 生命力
うれしさや 乳房に見えし 枝の梅
みんなが桜にうつつを抜かしている間に、
梅は着々と緑の葉の裏にその実を生していた。
花の散ってからがこのものたちの生命力の見せ所なのかも知れない。
子供の頃に住んでいた家の裏庭に、
大きな梅の木があった。
おやつと言うような上品なもののなかった時代。
学校から帰ると、
大きな釜の中のさつまいもを手に表に飛び出した。
何もなかったけれど、
イモだけはいつも母が釜で茹でて置いてくれていた。
遠く江戸の時代から飢饉や、
天災などの餓死から人を救ってきたさつまいも。
幼きころの我が腹もまた少しは満たしてくれた。
イモだけではない。
裏山に行けば、柿や梨、みかん、桃、枇杷、グミの実、あけび、
季節ごとに口にするものはいくらでもあった。
俺たちは裏庭の梅の実にも手を出した。
木にのぼり実をかじる。
ガシガシとして決してうまいと言えるものではなかったけれど、
食べ慣れるとそれなりに腹の足しにはなった。
ただ、他のものは別としてこの梅の実だけは、
梅干しにするのだからと、おふくろにきつく叱られた。
それでもバレないように、
あちこち少しずつ少しずつ点々とちぎっていた。
その辺が、せいぜい、
俺たちの生命力の見せ所だったのかも知れない。
2009年05月01日
dasaku ピクニック
飯粒を 運ぶものあり ピクニック
ジャックニコルソンの運転する車が、
前から来たトラックをよけそこねる。
その反動で助手席のドアが開き、
乗っていたジェシカラングが放り出されて死んでしまう。
それまでの曲折の多さに比べたら、
まことにあっけない幕切れだった。
「郵便配達は二度ベルを鳴らす」
もう30年くらい前に見た映画。
辺鄙なドライブインの調理場での、
キッチンテーブル上のものを全部払いのけての、
そのシーンも圧巻だったけれど、
ジャックニコルソンの演技がものすごく気に入っていた。
亭主殺しやその裁判、様々な方向にストーリーは展開し、
見るものを飽きさせない。
流れ者のジャックニコルソンが、この安食堂に初めてやって来たシーン。
注文したハムエッグだったか、ベーコンエッグだったか食べるシーン。
ナイフとフォークで実にかっこよく食っていた。
皿に当たるナイフの音。コーヒーを飲み話しかける場面。
そこの女房のジェシカラングと出会う場面。
二人はやがて共謀して亭主を事故に見せかけて殺すのだが、
運命はいろんな方向に突き進み、愛憎の修羅場も見せ、
最後にやっとうちとけた二人が、再出発を祝うつもりで、
ピクニックに出かける。
田舎の畑の広がる草はらにシートを敷き、
二人並んで座りバスケットのサンドウィッチを食べる。
この映画のパンフレットには、
そんなに重要な場面でもなさそうな、
このピクニックの写真が載せられていた。
それがまた妙に印象に残っている。
幕切れはこのピクニックの帰路で起きるのだが、
本当に一から出直そうと決心していたジャックニコルソンの涙が、
ラストシーンだった。
今でもシーズンになると、
どこにでもあるような草原での、
あのやや横に寝そべった二人のピクニック風景が目に浮かんでくる。
それは、
罪を犯した者の顛末を見せる前の、
束の間の幸せを象徴して見せたのかも知れない。
だから、
お天道様の下で食べるおにぎりは、おいしいのだ。

