2009年07月31日
dasaku かき氷
しゃりしゃりの いちごふらつぺ 百日紅
夏。
この花が咲くと思いだす。
いつだったか父と母とわが家族で、
お寺さんに行った帰りの暑い昼下がり。
軽食屋に入り、かき氷を頼んだ。
母はこめかみが痛くなるというので蕎麦にして、
子供たちはイチゴフラッペにして、父は宇治金時を頼んだ。
子供たちが舌を真っ赤っかにして早くも食べ終わる頃、
父が何ごとかぶつぶつ言い出した。
「金時が出てこん・・・」
掘っても掘っても小豆が出てこないと言う。
こういう所の金時は少ないのだろうと、
みんなは言ったけれど結局、器の底が見え始めても、
金時豆は出てこなかった。「この宇治金時、金時入ってないでぇ~」
父が店の人にクレームをつけた。
店の人はえらく恐縮して謝り、代わりのものをと言ったけれど、
もうこれ以上よう食わんと、断った。
結局、お代はいらないと言う店の人に父は、
普通の宇治フラッペの代金を支払った。店の外に出てしばらくして、
その店の主人らしき人が、小さな紙袋を提げて追いかけてきた。
丁重に何度も頭を下げてわびると、その袋を差し出した。
中には、金時饅頭が二個入っていた。以来、夏になり、
みんなが集まると父は必ずこの話を、
おもしろおかしく話すようになった。
そして父が鬼籍に入ると、
墓参りの帰り、誰かれともなくこの話を思い出話にするようになった。人間は変哲もない、小さなささいなことを、
宝石のように大事に心に仕舞っている時がある。
それはかき氷の、
氷のようにしゃりしゃりと鮮明に、
イチゴシロップのように甘く心に残る。
笑うと口中のベロのように、
胸が真っ赤に熱くなる。
2009年07月30日
dasaku 生きる力
生きるのは 辛いもんだと 風の死す
よりによって、
何を好き好んで、
こんな所に花の咲く。荒れた地の貸農園に、
それでも生きる力の尊さや。世の中には、
四角い西瓜もある。
生きる力を四角に曲げられて、
なんの嬉しき結実や。あとからあとから、
身を縛り、
生きる力の哀しさや。
生きる力の哀れさや。それにもまして、
生き抜く力のありがたさ。
君に習い、君に貰う。風は死すとも・・・。
2009年07月29日
dasaku 草刈り機
二分刈りに 刈られし畦に 秋迫る
中学の頃は丸刈りの頭だった。
あの頃のようにまた頭にバリカンを当ててみたくなる。だいたいそれは天気の良い日だった。
庭に出て風呂敷を前掛けにして、
親父がにわか散髪屋さんになる。
後ろからバリカンは這い上がってくる。
伸びた髪の毛が頭上から落ちてくる。
息子の成長を喜ぶように父の手つきは踊っていた。
ことあるごとに頭は丸刈りにされた。
少々手荒かったけれど散髪の日は、
親父も機嫌が良かった。
田んぼの畦道を、
親父に似た人が草刈りをする。
草刈りと言っても今は鎌などではない。
草刈り機がぶんぶんとうなりをあげて、
あっという間に畦道を丸坊主にしてゆく。
田んぼの稲葉が、
散髪の終わったうなじのように、
どこか涼しそうに見える。それとも、
もう秋の気配がつむじを撫でて、
ふっと通り過ぎていったのかも知れない。
2009年07月28日
dasaku 暮の夏
舗装路に 来る秋の葉は ひるがえり
ついこの間まで、
鏡のように空を映していた水田が、
緑一色に変わった。
小さな稲葉は波打ちながら、
流れ行く風の姿を、
私たちに見せてくれる。
傍らの祠には、小さなお地蔵さま。その見渡す限りの、
一面の田んぼの真ん中に、
最近大きなアスファルトの舗装道ができた。
幹線道路のバイパス。信号のない一直線の道。
通勤には便利になったけれど、なんとなく場違いの感。
先日、
その道に、写真のような注意書きの看板ができた。
これはもちろん、
横断する農耕車両があるので注意せよ、ということだと思うのだが、
どうもこの頃は言葉にひっかかって仕方がない。
農耕車両は注意して横断しなさい、と言っているのかもと。似たようなものに、
政府の内閣に少子化大臣、少子化相という所がある。
これも何か耳に障る。
中国のように人口を抑制する部署のように聞こえる。
ま、正式には少子化対策担当大臣らしいけれど。
それなら分かる。
なんでもかんでも省略すればいいというものでもない。ところで、またまた先日。
この道の歩道にお百姓さんが折りたたみのイスに腰掛け、
少し大きめの竹かごを前に置き、なんだか不自然な恰好で、
麦わら帽子を目深にかぶり、道路側を向いてじっとしている。
野菜でも売っているのかなあ、とチラッと見ただけで通り過ぎた。
すると少し行った所で車が何台か止められていた。
ビニールハウスの陰に警察の車が隠れていたではないか。
何ということはない、スピード違反のねずみ捕りをやっていたのだ。
たまたまスピードを出していなかったからよかったけれど、
わざわざお百姓さんにまで化けて、ご苦労さんなこった。「通行車両 ねずみに注意!」
と看板を描き直してやろうかと思った。まてまて、それでは、
道を横切るほんまもんのネズミやイタチに、
目をこらす人がいるかも知れないな・・・。
2009年07月27日
dasaku 生命の殻
空蟬や 生命の殻の かろきこと
どういうめぐりあわせか、
庭の銀木犀の根っこあたりに、
蝉の脱け殻が、三つ、四つあって、
ひとつは地面にころがっていた。
拾い上げて、
そのあまりの軽さに驚いた。この元々の持ち主は、
今頃、どこかの木の枝で、
命の限り鳴いているのだろう。アルキメデスの原理ではないけれど、
この世に生を受けたものは、
湯船からあふれた水の分だけの、
大気を押しのけてこの世に存在する。我の身もまた、
この世を去る時は、
焼かれて煙突の煙になり、
あるいは腐敗して土に返り、
遅かれ早かれ、
身丈の体積分だけの大気がしぼむ。もぬけの空の空蝉には、
見た目の大きさの割りに体積が残っていない。
だから、
その存在の軽さに驚くのかも知れない。
2009年07月27日
dasaku 七月場所
七月も 千秋楽の ふれ太鼓
「この相撲一番にて、千秋楽にござりまする~」
東西より上がった両横綱が大きく四股を踏む。
立行司、木村庄之助の軍配が返る。
賜杯の行方が決した。
相撲はスポーツではない、と思う。
どちらかというと、歌舞伎のような伝統文化であって、
閉鎖的な限られた世界の催し的競技である。
薬物問題は別として、その他の様々な問題は、
寝起きを共にし、限られた人数の中での勝負の世界だ。
心も情もある人間の世界だ。
やむを得ない所もあると個人的には思う。そういう意味での裏返しと言ってはなんだけど、
相撲界の外国人力士の日本語のうまさには驚かされる。
あ~、う~としか言わない日本人力士よりも、
聞き取りやすい時がある。
プロ野球の外国人選手など、何年たっても通訳が要る。日本人にとっても異質な相撲界に、
外国生まれの人が入門し出世してくる。
国は違えど、同じ人間として見れば、
ちょっとやそっとの努力では成し遂げられない精神的な強さに惹かれる。
当然、応援もしたくなる。
相撲が国際化されるのではなく、彼らが日本人化するような気がする。八百長問題を突き上げるのもいいけれど、
もう少し日本の伝統文化としての相撲、取り組みだけでなく、
取組による行司の違い、所作、装束の色の違いや形式の意味、
決まり手の数や種類、元々の相撲の成り立ちにまで思いを寄せて、
異なる視点から見ると、もっともっと相撲も面白くなると思う。
そして、できるなら実際に、
仲間内でも相撲を取ってみることだと思う。遠き時代に豊作を祈った農耕民族の相撲への思いが、
ひしと伝わってくるかも知れない。
2009年07月26日
dasaku 朝 顔
夏は悲喜 こもごもを足し 花に生る
先日、
森光子さんへのあるインタビュー番組の中で、
円熟だ、完熟だと言葉を向けられると、
いえいえまだ半熟ですので・・・とおっしゃった。
とっさに言われたその言葉に、謙遜でも照れでもなく、
自分の人生に謙虚さを持って生きておられるんだなあ、と思った。ちょうどその日の、よみうり編集手帳に、
バートランド・ラッセルの幸福論というのが紹介されていて、
できれば仕事は楽しくやりたい。そうするための要素として、
「建設的であること」と書かれていた。これを読んで妹の結婚式を思い出した。
ずいぶん昔のことで、
妹の結婚披露宴に招かれた、
彼女の職場の上司の方の来賓の挨拶があり、
もうだいぶお年を召しておられたのだけれど、
「彼女には『建設』という言葉を贈りたい」、と挨拶された。建設?土建屋でもあるまいし。
まだ若造だった僕には、もうひとつピンとこなかった。
でも、社会に出て、結婚し子をなし、育てていくなかで、
分かってきたことがある。
自分の人生に、ある程度の希望と目標を掲げ、
計画性をもって、わが身に合った人生設計を組み立てる。
思うようにいかない日もある。
むしろそういう日のほうが多いかも知れない。
へこたれず修正を加え、一日一日を愚直に積み重ねていく。その妹も、二人の子供を育て上げ、
大学から社会へと送り出して行った。
土建屋にも負けないりっぱな人生を築きつつある。
悲喜こもごもを足して二で割るのが、
建設的で半熟な人生の積み重ねなのかも知れない。
2009年07月25日
dasaku 月下美人
今宵限り 月下美人を 抱く夜は
今年も、
玄関の月下美人が咲いた。
夕べ四輪、隠れるように密かに咲いて、
今朝には萎んでいた。
今夜は残りの一輪、長き夜。
花言葉は「儚い恋」。
一夜限りの儚い恋のように、
咲いては一夜でしぼむ花。
他に「快楽」の花言葉。
この花が咲くと、
男を目覚めさすような、
性感帯に沁みる芳香を放つ。
原産地では、コウモリがその花粉を運ぶらしい。
コウモリは舌を伸ばして花の蜜をいただくかわりに、
花粉まみれになった顔で、他の花に移る。
知らず知らず花粉を運ぶ。
なんだか、だまされたみたいに。
だまされたふりして、
コウモリにでもなってみるか。
2009年07月24日
dasaku 神 社
結界を越えかしこまる蟬の声
もう後がない窮地を救ってくれた人のことを、
神様仏様何々様とよく言う。
西鉄の稲尾様が始まりのようで、
この前は楽天の野村監督が田中様と使っていた。
仏様には悪いけれど、
願い事は神様の方がよく叶えてくれそうな気がする。
叶えてくれそうな気はするけれど、
ちょっとでも曲がったことは赦してくれそうにない。
塀などへの立小便の防止や、
ごみ置場とちがう所にごみを出さないように、
ちっちゃな鳥居が立てかけられている時がある。
神聖な場所を汚すと罰が当たるという心理だろう。鳥居の石段を登ると、
なぜか蝉の鳴き声さえ神妙に聞こえてくる。
神様の領域だ。
当然、蝉たちも飛び立つ時の、
おしっこは慎んでもらいたい。この日本の現状の窮地を救ってくれるのは、
神様か仏様か、はたまた新しいリーダーの、
なにがしか様か。蝉の声にかき消されし柏手の音。
そんな救世主の現われることを祈る、朝。
2009年07月24日
dasaku 記念写真
子供らの 記念写真は ぶいぴいす
♪ 久しぶりに 手をひいて
親子で歩ける うれしさに ♪
(東京だよおっ母さん 島倉千代子)
昔、昔、若かったころ、
ビデオ撮影に凝っていたころがある。当時は、レコーダーとカメラがセパレートで、
レコーダーを肩にぶら下げ、カメラを肩に載せて撮影した。
ホワイトバランスもカメラの前に白い紙を持ってきて、
その都度、合わせなければならなかった。
そのレコーダーとカメラをなんとか一体にしようと、
軽いアルミのフレームなどで無理やりひと塊りにして、
肩に担ぐようなものがビデオ雑誌などで紹介されていた。
そのうち、少しずつ一体化はされていったけれど、
今のように手のひらにすっぽりと納まるようなものが、
自分の生きている間にできるとは、夢にも思わなんだ。友人や知人の結婚式や、子供の宮参りなど、
また各地の催し物などを友人といっしょに撮りに出かけた。
機材の持ち運びだけでも大変だった。またある時、家にあった古いアルバムの写真を一枚一枚ビデオに撮り、
効果音やBGMを付けて、一本のビデオアルバムを作ったことがある。
父も若い頃からカメラが好きで、
家には膨大なアルバムが押入れの中に眠っていた。
ほとんどが白黒写真で、それを見ると思い出がよみがえって、
なかなか作業もはかどらなかった。
僕の生まれた頃の写真。生まれる前の父と母の若かりし頃のもの、
牛を引いた、つぎはぎだらけのズボンの父の笑った写真、
素っ裸の弟を抱き上げた歯がこぼれんばかりによろこぶ、
破れかかったセピア色の父の写真。
どれもこれも、はずしがたきものだったけれど、
何度か選別をくり返し年代順に編集を重ねて、
なんとか2時間のテープにまとめ上げた。父と母はそれを見て、笑っては泣き、泣いては笑った。
息子がこんなものを作ったと、親戚のものまで呼びに行った。
夕べは寝てからもなつかしい夢ばかり見たと、翌朝父は言った。
こんなことでもなければ、おそらく押入れの古いアルバムの写真など、
わざわざ見ることもない。
このビデオさえ、それから以降、そうたびたび見ることもなかった。人はなんでもカメラに収めたがる。
いつか懐かしんで再び見てみたい気持ちと、
取り戻せない時間の経過に切なさを持ってシャッターを切る。
最初ならともかく時が経過するにつれ、
わざわざ取り出して見ることも少ない。♪ ここが ここが二重橋
記念の写真を とりましょね ♪この方の写真もおそらく大事に大事にアルバムに、
収められているのだろう。
でもそれを開けて見ることはめったにない。
現像された写真は複製であって、
本当の記念写真はその時の胸の奥の、
心の印画紙に熱く焼き付いている。
思い出せばいつでも脳裏のスクリーンに鮮やかに映し出されてくる。いつの頃からか、
ビデオ撮影から遠のくようになった。
自分の両の眼でしっかりとものを捉え、胸に焼き付ける。
いつだったか子供の運動会で、
演技が始まる前に先生が放送でおっしゃった。「この日のために、子供たちは一生懸命、練習してきました。
どうかカメラではなく自分の眼で子供たちの演技をしっかり見てあげて下さい」心に焼き付いた写真は、もはや、
備忘録ではない。
2009年07月23日
dasaku あの時
向日葵の 背中の首に 父を見る
ひまわりがラッシュ。
川の土手に背の高いひまわりが、
整列して東の空を仰いでいる。思春期の反抗期の頃、
それまでは親父に何事も上から、
抑え込まれていた自分が、ある日、
何かのことか忘れてしまったけれど、
親父と喧嘩になり言い負かしたことがある。
そんなことはそれまでにないことだった。
自分でも驚いた。ふり返って背中を見せた父の首が、
妙に寂しく見えた。
少し父が遠くに行ったように思えた。今になって思うと、
あの時、
父も息子を遠くに感じたのかも知れない。あの時、
反抗期というものが、
自分の気持ちの中ですーっと、
水に沈むように消えてゆくのが、
目に見えて分かった。
2009年07月22日
dasaku わが家の日食
日食や トマトが月に 夜の卓
おばあちゃんが小さい孫に、
日食の見方を教えている。
水を張ったバケツに墨汁を入れ水を真っ黒にする。
そこに映る日食を見る。
おばあちゃんがこの孫くらいのころ、
同じようにその時のおばあちゃんに、
目を傷めないようにと教えてもらったやり方だと言う。残念ながら空は雲に覆われて、
いっしょにバケツの日食は見ることはできなかったけれど、
窓から見える夕闇のような景色を、
子供は驚いたように老人と並んで見ていた。
きっとこの子がまた次の世代に、
おばあちゃんの思い出と共に伝えていくのだろう。
( テレビの皆既日食特集番組の中国での取材場面 )
わが家の夕食時。
テレビのその特集番組を見ながら、
下の娘がにわか科学者になり解説を始めた。
たまたま食卓にあったトマトのヘタをつまんで、
宙に持ちあげて蛍光灯に照らした。
ふむ、ふむ。
他の観察者も、また始まったとばかりに、
驚きの表情を作り、あたかも悪石島にいるような雰囲気を出す。
よし、それなら記録写真を撮ろうとカメラを持ってくる。
ファインダーをのぞいて、それらしく興奮して撮っていると、
早く、早くしてと言う。つまんだヘタがちぎれそうだと。
カシャッ!
と同時にヘタはちぎれ、わが家の月は突如、
テーブルに落ちて割れた。貴重なわが家の日食の写真は、
たった一枚しか撮れなかった。
それでも、
さきほどの老人と子供のように、
日食の思い出の記録にはなりそうな気がする。
2009年07月21日
dasaku 解 散
藪蛇も 藪から棒に 藪の外
小さな川岸の対岸は、
夏草が茂りに茂り、じっと見ていると、
蛇にも鬼にも仏にも見える。
見る者によって百面相の体を現す。これからこの土手道を選挙カーが走る。
窓から出された白い手と、
お願いばかりする顔が次々と通る。
大音響に驚いた雀が、
藪の人面の口から、いっせいに飛び立つ。やがてこの藪も秋になると、
ことごとくに枯れ果て、
藪の中にあったものを丸見えにする。
捨てられた空き缶や古い自転車ならまだしも、
舌の根の乾かぬうちに、走り去った公約の、
本当の正体を知ることになる。秋は夏の次にやって来る。
2009年07月20日
dasaku 海の日
海の日は 初めて蛸を 見た日なり
ドラマなどで、
若き頃の伊達政宗や織田信長が、
生まれて初めて海を見るシーンがある。
それが彼らの海の日であり、
海を見ることがなければ、
歴史もまた変わっていたかも知れない。自分の海の日ってあったかな?
生まれた時から家の前に海があり、潮騒を聞いて育った。
その海に蛸のような生き物が棲息していることの方が驚きだった。昔は海どころか、
あの山の向こうに何があるかさえ知らずに、
一生を終える人がいたに違いない。祝日法には、海の日は、
「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」とある。
また、海の日として、
国民の祝日に定めているのは世界でも日本だけらしい。
でも、海の日は、
その人それぞれの記憶の中にある。
生まれた時から身の回りに、
テレビや電話や冷蔵庫、パソコンが当たり前のようにある時代、
何があっても不思議ではない、可能性の氾濫する時代。その分、
夢や驚きの少なくなった時代でもある。
2009年07月20日
dasaku アポロ
道端の 地球の石も 四十年
路傍の草むらに石がある。
何も博物館に展示されるほどのものではない。もうあれから四十年になるのか。
なんの変哲もない人類が月に飛び立って、
宇宙人になって帰って来た。「 こちら、ヒューストン、よく見える 」
月面をうさぎのようにとび跳ねる映像が、
人類にとっての大きな飛躍とともに、
若者の胸に飛び込んできた。一人の人間にとっての小さな一歩は、
あれからもずっと続いている。
若者も恋をし結婚をし、子をなし、育て、
やがてその最低限度の任務を終える。
この地球上に棲む者は人間だけではない。路傍の草むらにも、よく見れば、
小さな虫が地面を這っている。
その地面の一角もまたまぎれもない地球である。路傍の石さえ小さな地球に見えてくる。
2009年07月20日
dasaku 情
盲目は 振り込め詐欺の 親の情
「・・・おかあさん、・・・おかあさん・・・」
ビルマから復員してきた息子が、くぐもった声で母を呼ぶ。
博多まで迎えに行った母は、その息子の顔をみて驚く。
犬神家の一族。横溝正史。
つい近年、この映画もリメイクされたけれど、
僕は三十年前の映画しか見ていない。自分の息子なのか分からないほどに顔中に火傷を負っている。
けれども、引揚船の数多い復員兵の中から自分を母と呼ぶのは、
この世に一人しかいない。
そんな息子でも生きて帰って来てくれたうれしさに、母は、
何の疑いもなく、息子に白いマスクを作ってやり、
信州の財閥の家に連れて帰る。このマスクが実は、
この映画の事件の巧妙さにあるのだけれど、
横溝世界独特のおどろおどろしさの中に、僕は、
この親子の情の描き方に心惹かれた。
市川崑監督の描写に、高峰三枝子の台詞のない時の表情。
本当の息子なのか、母として一時でも疑いを持ったことへの葛藤。
みんなが集まった手形合わせの席で、
神社に奉納されていた手形と一致した時の母の無表情な顔。
当たり前だと言う顔の裏に隠れた、安堵の表情。
彼女もまた母親というもうひとつの哀しい仮面をかぶっていた。この映画のような事件が、珍しくなくなった現代。
誰でもいいような事件の起こる社会。
あれだけ対策してもまだなくならない振り込め詐欺。
奉納手形など持ち出さなくても、
無条件に子供に疑いを持たない素顔の親が、
まだまだ多いということだ。ある意味、
救われるような気もするけれど、
人の情を犯罪に使うのは赦せない。
仮面舞踏会の世の中になっちまう。
2009年07月19日
dasaku 冷西瓜
井戸水に 待ち切れぬ子の 冷西瓜
大きなスイカをまるごと一玉買って帰っても、
冷蔵庫にはもう入る余地はない。
スイカ好きのひとり暮らしの母の所に、
スイカを一玉ぶら下げて遊びに来る人がいる。
なんぼなんでも食い切れんと迷惑がる。
遊びに来た孫もそれほどスイカが好きではない。僕たちの子供の頃は、
スイカは夏のごちそうだった。
当然そのころはまだ冷蔵庫などないから、
井戸水や山からの湧水に浮かべて冷やした。
夏のひとつの風物詩だったような気がする。裏山や畑のまわりの木になるものは、
取って食べてもよかったけれど、
お百姓さんの畑に植えた作物は、
たとえ多少でも失敬してはならないという、
子供のころからの暗黙の決まりがあった。
たらいに冷やしたスイカを、
母が切り分ける。
近所の子供たちも、畑仕事から帰った大人たちも、
首に巻いた手ぬぐいで汗を拭きつつ、
縁側や縁台に腰掛けかぶりつく。
そもそもスイカというものは、
そうやって食するものだと思う。
スーパーですでに切り分けられたスイカを、
皿にのせ食べてもうまくない。
ましてや、核家族化の今、
一玉まるごとのスイカを、
半分に割っただけでも、もうどうしようかという気分になる。うちの母もそうだが、実は、
義母もスイカが好きである。
大きなスイカを真っ二つに割って、
瑞々しい赤身が横たわった時のみんなの歓声。
その切り分けたスイカを、
みんなでおいしく食べたあの頃が、
きっと忘れられないのかも知れない。
2009年07月19日
dasaku サーフィン
青鷺や 波の斜面を 滑りゆく
上方落語の中に、「鷺とり」という、
鷺を捕まえようかという男の滑稽噺がある。
田んぼでドジョウなどコツコツやっている鷺に、
遠くの方から男が「サァ~~ギィ~~」と呼ぶ。
鷺はコツコツやりながら、おっ、人間の声。
でもまだ遠くの方だなと。
もうちょっと知らんぷりして、
捕まりそうになった瞬間に逃げた方がオモロイと、
上方鷺がそのままコツコツやっていると、
その男は少し鷺に近づいて行って、
「サァ~~ギィ~~」と、
今度はさっきより小さい声で呼ぶ。
鷺はまた人間が呼んだけど、まだまだ距離があると思い油断する。
その間に、男はさらにどんどん鷺に近づき、今度は、
最前よりず~っと小さい声で、「さぁぎ~」と呼ぶ。
鷺もここにきて、
捕まえるのに段々遠ざかっていくのはおかしいなと思いながらも、
コツコツやっている。
男はついに鷺のすぐ後ろに来て、「・・・・」。
何にも聞こえないほど遠くに行ったのだと鷺を安心させといて、
後ろからコ~ンと。これで鷺が捕まるわけではない。
そんなもんで鷺が捕まえられるかいな、という本筋の中の、
ちょっとした小話にすぎない。
本筋では捕まえた鷺と空を飛ぶはめになる。
桂枝雀の十八番だった。
昔、落語好きの友人とよく見に行った。
試しに、
「サァ~~ギィ~~」と呼んでみる。
鷺はひょいと首を上げ、こちらをじっとうかがっている。
近づくと、
青田の波に乗って、滑るように逃げて行った。詐欺のような話である。
2009年07月18日
dasaku いいなあ

子供らの 早く早くと 夏帽子
外から帰ると、玄関に、
娘の友だちが来ていて、
今日はプールに泳ぎに行くと言う。早く早くと急かされて、
去年の水着を持っていったけれど、
大丈夫か?やれ日焼け止め、タオル、小物入れ、
女の子のお出かけは忙しい。
俺なんか、
海パン一丁あればなんとでもなるけれど・・・。「イケメン、ナンパしといで!」
「そんなん、ちゃうし~」子雀がピーチクパーチク、
そのままでも泳げそうな薄着して、
自転車こいで出かけて行った。「いってらっしゃい」
2009年07月17日
dasaku 季ちがい
季になくば 詠み人もなし 金木犀
庭の隅の、
石蕗の葉は年中そこにあるのに、
季にない季節には、
まるで眼中にないかのように無視されている。
垣根の向こうに、
金木犀の木が並んでいる。
常緑の彼らは季節を通してほとんど変わらぬ姿をしている。
ただ、
春の沈丁花、夏の梔子、秋になると、
金木犀の花がその強い香りに一段と注目を浴びるけれど、
その時期は短く、あっけなく散ってしまう。そしてまた平凡な日常にもどってゆく。
夏の夜の花火のようでもあるし、
待ちに待ってどこか寂しく終わる祭りのようでもある。平凡で退屈な日常にこそ光を当て、
輝くものを見出さねばならない。春、
桜の白い花びらの散りつもる、石蕗の葉の緑。
夏、
金木犀の梢から聞こえてくる初蝉の声。季にないものを無視してはならない。
と、思う。
2009年07月16日
dasaku プール開き
ばすたおる 干されて猫の 三尺寝
いま眠れたら、と思う時の眠りほど、
深あく沈む心地良さはない。
車の運転をしていて、
どうあがいてももがいても、
音楽の音量をあげても、窓開けても、
もうどうしようもなく、
両の目蓋が落ちてくる時がある。
そんなときに車を止めて、
そのまま座席を後ろに倒して眠る。
スコーンと後頭部あたりから意識が抜け落ち、
記憶まで消えてしまいそうな眠りに入る。
そして、
目覚めると、もうどれくらい眠ってしまったのかと、
ハッとして時計を見る。
ほんのまだ五分か十分くらいしか経っていない時がある。
それでもよく眠った感覚がある。プール開き。初泳ぎ。
夏の日射しに照らされるだけで、
体力が消耗する。
家に帰って、シャワーを浴び、ビールを飲み、
干された水着やバスタオルを眺めていると、
こっくり、こっくりさんをしている。
そのまま倒れ込み別世界へ。いま眠れたら、と思う時に眠れるほど、
ぜいたくな幸せはない。
2009年07月15日
dasaku 有刺鉄線
鉄線の 刺も枝葉に 夏の蔓
五月雨をあつめて早し最上川
五月雨を集めて川の水が、ごうごうと岩にはじけて砕け、
ものすごい勢いで流れている様を、それまでは思い浮かべていたけれど、
これは川下りの舟の上で詠まれたものだと知って、
また詠む視点が拓けた。
調べてみると、
初めは 五月雨をあつめて涼し最上川 だったらしいけれど、
芭蕉が舟下りして「早し」に変えたと言う解説もある。
見る視点を変えると、ほんの言葉の違いだけで、
怖ろしいくらい眼裏に迫ってくるものがある。
先日、
カーブの多い山道を走っていた時のこと、
道の崖下には川が流れていて、
たまたま先ほどの句のことを考えていた。この山道には、
やたらに落石注意の黄色い標識が目立つ。
いつもこの標識を見るたびに、
( そんなもん、いつ落ちてくるかわからん石をどうやって避けるんだ )
と今までは思っていた。よく考えたらカーブの多い山道の、
曲がった向こうに大きな石でも落ちてたら危ねえなあ、とも思った。
石は落ちてくるものだけではない。
すでに落ちてしまった石に遭遇する可能性もある。
元々、そういう意味も含めた落石注意だったとすれば、
自分ながら今まで生きてきてお恥ずかしい限りである。もっと視点を変えて見る修行を今更ながら積まねばならない。
それはたぶん写俳にも生きてくることだろうから・・・。
2009年07月14日
dasaku のぞき見
あちこちを ちぎりちぎりて 夏を往く
子供の頃に住んでいた家は、
他家と同じく障子のある家だった。
特に男の子の多い家は障子紙が無残に破られ、
親もまた半分諦めていた。不思議なもので、
正月前などに新しく貼り替えた直後は、
なかなか手を出しにくい。
ところがひとたびどこかが破れると、
もう怒涛のごとく、それこそ骨すっぴんにされてしまう。
覗くことの絶品は、あの指に唾付けて、
障子紙に穴を開ける。
あれに優るのぞき見の快感はない。ところで、
この頃、思うのだが、
あっち見てもこっち見ても、
何かないかなあ、と目を血眼にして趣や情緒を無理やりに、
探している自分に気づく時がある。
風景に趣や情緒をこじつけている自分がイヤになる時がある。もちろん、
俳句や歌の本には、
ただ風景をぼんやり眺めているだけではなく、
そこから自分なりの感性に響くものを見つけなさい、とある。感性に響くものとは、
こちらから攻撃的に取りにいくものではないと思う。
何を見ても、自分の感性に敏感に響く心を持つことだと、
この頃、思うようになった。
そのためには、
書物を読み、絵画を鑑賞し、映画や舞台に涙するだけではなく、
あらゆるものに興味と好奇心を抱き、自分なりの心に、
感度抜群のアンテナを張ることだと思う。
そしてそれに一喜一憂することなく、客観的な目で冷静に、
目の前にあるものを感じ取ることができたらいいと思う。
思うのだが、
偉そうなことを言っても、現実はなかなか難しい。
ファインダーを覗いて、自分を興奮させるものは少ない。
子供の頃に、指で開けた障子紙の穴のようにはいかない。すぐにバサッと大きく破いてしまうので、
趣も情緒もあったものではない。
2009年07月14日
dasaku 背負籠 (しょいかご)
背負籠や 父が背中に 汗の跡
父が野良仕事に行く時は、
竹で編んだ背負籠を背中にかついで出かけた。
いつも僕たち兄弟は父の後ろをついて行った。
細い山道の途中に見晴らしのいい小高い丘があり、
父はそこで煙草を一服した。山道は子供にはきつく、
時々父は小さい弟をその背負籠に入れて、
山を登った。少し弟が羨ましかった。
父の腰に揺れる、煙草入れとキセルについて歩いた。
竹笹の細い小道を登り切ると畑に出た。畑の草むしりが僕たちの仕事だった。
子供のことで、はかどらない仕事だったけど、
父は何も言わなかった。
夏の畑は暑かった。帰りには、父の背中の背負籠は、
畑の収穫物やら牛の餌の草やらでいっぱいだった。
僕たちの夏の楽しみは、この帰りの道々、
父がクワガタやかぶと虫を捕ってくれることだった。
山道の脇の樹液のいっぱい付いた木に、
たくさんの虫たちが寄ってきていた。
父が木の根元を蹴ると、驚いたクワガタが落ちてくる。
カサ、カサッという音で何匹落ちたかがわかる。
弟と落ちた所に行って捕まえる。帰りは、また来た時と同じ、
山道の途中の小高い丘の上で休憩する。
背負籠を降ろした父の背中に汗の跡が残る。
キセルの煙草の煙が父の鼻の穴から吹き出てくる。
僕たちは麦わら帽子の中の虫を交代でのぞきながら、
はやく家に帰りたかった。この緑の風景とおじさんの背中に、なぜか、
遠い昔の父を想う。
2009年07月13日
dasaku ピクニック
こうやつて 恋も緑に 夏木立
草に寝て、遠き昔を懐かしむ。
遠くで若いカップルが週末の日曜日を楽しんでいる。
時折、バレーボールのボール遊びをしながら、
疲れたらまた木陰でおしゃべりをする。肘立てて寝そべる僕の後でも、
妻とふたりの娘がキャッ、キャッとバレーボールに興じている。
その娘もあそこに座っていておかしくない年頃になった。
そういう自分や妻も、昔あそこに座っていた。
「お父さ~ん、ボール取ってえ~」娘がおらぶ。
起き上がって、
転がってきたボールを夏の空高く蹴飛ばしてやろうと、
思いっきり足をふり上げたら、から振りで、
おしりからひっくり返ってしまった。
少しビール飲み過ぎたみたい。かわりに、
娘らの笑う声が高らかに空に飛んでいった。
2009年07月13日
dasaku 初 蝉

初蝉は ひと声鳴いて 息が切れ
公園にベンチがいくつか並んでいる。
空いているベンチに腰をおろす。
隣では先客の半パン姿のおじいさんが休んでいる。
公園を散歩した人がよくここでひと休憩して帰っていく。
夏の朝のひととき。しばらくして、
隣のおじいさんが腰をあげ、白の履き慣れたような運動靴で、
目の前を通って行かれた。
僕は帽子を脱いで汗を拭きながら横を見た。
隣のベンチに水筒が忘れられている。
思わず立ち上がって、
「水筒忘れてますよ~」 とさっきのおじいさんに叫ぶ。
おじいさんはふり向いて、私のじゃありません、
前から置いてあったものですと、目の前で手を振った。あ、そ。
じゃ、どうしたもんかなと思っていると、
隣のベンチにまた他のおじさんが座った。
水筒には気づいているみたいだが、
あまり気にしていないようす。
そして少ししてそのままその人も腰をあげた。
入れ替わるように別の人が来て座るとすぐに、
「水筒、忘れてますよ」 と呼び止めた。
おじさんもさっきと同じようなことを言って去って行った。そんなことがくり返されたあと、
結局、最後には水筒だけが残った。
その辺の交番にでも届けてやるかと、水筒を取りに行った。
そこへ公園の入口の方から、
男の人が、はあはあ息を切らして駆けてきて、
あ、すみません、それ私の水筒です、と。僕は何度か礼を言われてそこを立ち去ろうとした。
すると、後ろから、呼び止められて、
そのタオル、忘れてませんか。
ベンチに掛けたまま忘れていた。
あ、それは僕のです、と返事して礼を言った。親切がまわり巡って、変なところから返ってきた。
どこかで蝉がひと声鳴いて鳴きやんだ。
朝のひととき。
2009年07月12日
dasaku 朝 顔
夕凪に しょぼくれて泣く 童かな
喧嘩したのか、
親に叱られたのか、
田舎の畑道をとぼとぼと歩いてゆく、
半ズボン姿の少年を思う。咲いた朝顔は清々しいが、
息詰まる梅雨の蒸し暑さに、花も葉っぱも萎えてしまう朝顔。
見ているとなお暑苦しさが増す。
隣のゴーヤなどは、
きつい日射しにも平気で緑の葉を広げ、
黄色い花をここぞとばかりに生き張って見せる。
そういう強がりのゴーヤも好きだけど、
弱い所を見せる朝顔もまた気に入っている。小学校に入った頃は、
泣き虫のありさきだった。
でも人前では泣かなかった。
泣きたい時は裏山の木に登って泣いた。
男が女々しく泣くな、と親父によくどつかれた。
その親父がこのころ、出稼ぎで大阪に出て行った。
どつく親父がいなくなったのに、なぜかなおさら、
人前では泣かなくなった。高見山ではないけれど、
汗だと言って、一生懸命に目をこすった。
でも、
木の上ではよく泣いた。
木の枝葉の向こうに広がる錦江湾の海を見て、
父のいない寂しさを紛らわせていた。木の枝に、
この写真の朝顔のような、
半ズボン姿の少年がいた。
2009年07月12日
dasaku 道先案内人
蔓巻きを 南瓜の花の 追いかけし
写真俳句ブログのトップページにも、
花が真っ盛り。夏の花のオンパレード。
なかでも夏は、食野菜の花も多い。
観賞用の花をモデル嬢にするなら、
南瓜の花は、家族を支える、
たくましき肝っ玉母さんの花かも知れない。新聞の社会面を開くと、
殺や死の字のオンパレード。
一回り大きな見出しに並んでいる。
テレビでも毎日のように大々的に報じられている。その隅っこの小さな欄に、
スズメの数の減った記事が載っていた。
環境省の統計にも、
80年代初めは300万を超えていたスズメ類の捕獲数が、
近年は10万台に減ってきているとのこと。スズメなんか南瓜のように、
その辺にありふれていると思っている。
ありふれたものが、ありふれてある大切さを、
忘れてしまっている。そのうち、南瓜の蔓も空をつかむことになる。
スズメが絶滅して済む話ではない。
2009年07月11日
dasaku もうひとりの家族
目ん玉と かんかん帽と 口の人
もう今ではうす汚れて、
とてもお客様にお見せするようなクッションではない。
その黒い目ん玉も、いく度ちぎれて妻が縫いつけたことか。
家ではみな雪だるま、雪だるまと呼んでいる。
娘が産まれた時に妹夫婦がくれたもの。
もともとは何の人形だったか忘れてしまった。
ある日。
仕事が遅れてめずらしく少しイラだって帰ってきた。
妻への返事もぶっきらぼうになってしまった。
娘の見るテレビにも、うるさいと怒鳴ってしまった。
仕事のカバンを机に放り出し、パソコンの電源を入れて、
ふり向くと、
ソファーに雪だるまがいた。
誰がのせたのかカンカン帽をかぶっている。
(どうしたの?そんなにカリカリして)
つぶらな瞳がじっとこちらを見つめて、静かに微笑んでいる。
しばらくみつめていると、
沸騰した頭に水を浴びせるように、
妙なおかしみが腹の底から湧いてきた。
僕はひとり吹き出してしまった。
「なんだよお前、カンカン帽なんかかぶっちゃって」
思わず抱き上げると、
その横に結んだくちびるに、チュッとしてやった。
なんだか家族がもうひとりいるような気がした。
2009年07月10日
dasaku お先に
夏ひとつ 話かけたや 夕間暮れ
釣りは一人で行くに限る。
このおじいさんもその口である。時々、釣りクラブの例会が入り、
早朝よりびっしりと釣人が入っているときがある。
朝から酒を飲み、口もよく動く。猥談の飛び出ることもある。
カラオケがないだけで、まるで観光バスの中さながらのときもある。
それをまた楽しみにしている人もいるのだろう。
一人で釣りにきて何がおもしろいという口である。このおじいさんや僕などはあまりしゃべらない方だ。
でも全く無口であるわけではない。
釣り座が隣になると、ウキを見る目休めに世間話はする。
このおじいさんもおもしろい。もう知り合って十年近くなる。
いつも遅く出てきて、たいがい日暮れまで竿を出す。
そろそろあがりましょうか、と言っても、
もう少しやってから・・・という返事。
好きな時に来て、好きな時に飯を食い、好きな時に帰る。
一人で来るものの自由であり、
時間に仕切られるのは仕事だけで十分である。何年か前までは、
早く帰ってもうるさいババアと喧嘩するだけやし、と言っていた。
二人の子供も独立し奥さんと二人暮らし。
ふた言目には、うちのババアが・・・とグチっていた。
そのくせ昼はいつも奥さん手作りの弁当だった。ある年の暮れ、その奥さんが亡くなった。
しばらく姿が見えないと思っていた。
「ババアがいってしもうてなあ・・・」
久しぶりに見た顔は少し痩せ、顔面に、
皺をいっぱい寄せておじいさんは言った。
泣いているのか、笑っているのかわからない表情だった。それからも、
おじいさんの帰りは遅かった。
早く帰っても、喧嘩するババアがいないからだろう。
それとも、
もう帰らなくても夕間暮れの岸辺に、
喧嘩する相手が来ているのかも知れない。
2009年07月09日
dasaku たしかに
鉄塔も あればあつたで 雲の峰
ある何かの写真で、
残念ながら電線が入っていますねとか、
この電線がじゃまですねと、
時代劇のロケ現場のようなことを言われたことがある。
趣も風情もあったもんじゃないといいたげに言う。
本当にそうなのだろうか。確かに時代考証的にはあってはならない場合もある。
しかし現実には、
こ奴に世話にならなければ暮らしていけない社会になっている。もうすぐ蝉がやかましくなる。
あの蝉でさえ鉄塔で鳴いている時がある。
いやそれは本末転倒だ、と誰かの声。
森林を猛烈な勢いで伐採され、鳴きたい木が減っている。
蝉も何も好き好んで鉄塔で鳴いているのではないと。それでもこの鉄塔を見ると、
さかのぼればいつの日か、この鉄塔に登り、
電線をつないだ人がいる。
保線する人たちがいる。
人間もたいしたもんだと思う。自分のdasakuな写俳を棚にあげて、
それならもっと他に詠みようがあろうものをと、
誰かの声。たしかに。
2009年07月08日
dasaku ほっとするもの
朝顔の 苗植う人の 夕支度
グリーンカーテンに、
妻が今年は勝手口に朝顔を植えた。
朝顔の成長の速いこと。
ちっちゃな双葉の苗が、みるみるうちに、
張られたひもをのぼってくる。成長の速いのはうれしいけれど、
どこかもの足りない。
待つ楽しみがない。人間の身勝手な思いをよそに、
朝顔は台所の窓をのぞくまでになった。
換気扇より四人分の焼魚のにおいが流れてくる。
長い夏の日が暮れて、
一日のうちで一番ほっとする明かりが灯る。
この明かりのように、
朝顔もある朝、ぽっと花を咲かすのだろう。
待つ楽しみのない代わりに、
きっとサプライズな朝をくれるにちがいない。その時の妻の顔が見えるようだ。
2009年07月07日
dasaku 憤怒の川を渡る
短冊や 慟哭の空 ちぎれ飛ぶ
失うものが何もなければ、それにこしたことはない。
失うもののない淋しさは、時に罪もない他人を道連れに死のうとする。
失うもののない淋しさは、狂犬病のように牙をむき、口から火を放つ。
失うもののない淋しさなど、失う悲しみに比して、生きる価値はない。
ひとり地獄の釜茹でに悶え苦しめばよいではないか。
うすっぺらな葉っぱ一枚にしがみつく俺はまだ死ぬわけにはいかない。
失うものが、山ほどある。
聞けば聞くほど憤怒治まらぬ七夕の夜。
2009年07月07日
dasaku 片足の鳩
片足の 鳩にたわむる 五十路かな
お前に、
ピーナツ豆を投げてやるのは、
かんたんなことだ。
でも、それが、本当に、
お前のためになるのやら。他の群れから離れて、
器用に傾いて歩くお前。
いつも仲間から、
取り残されるお前。
せめてものモデル代だ、とっておけ、
ほれっ!
いくつかの豆を放ってやる。豆を手のひらにのせ、じっとしていると、
おそるおそる近寄って来る。
いくらかのリスクは覚悟して、
食いに来るお前。
他の鳩はそんなことはしない。
意を決したように嘴を伸ばす。イタタタタッ!
それはお前、俺の指だよ!
2009年07月06日
dasaku うれしかったこと
うれしさを 思いださすや のうぜん花
下の娘が幼稚園に入った頃、
家族四人で奈良公園に鹿を見に行った。
おのれが昼食にビールを飲みたいがために電車で出かけた。うちの姉妹は結構仲が良い。
あまり喧嘩らしきことをしたことがない。
でも、下の子が幼稚園に入ったころだけは、
少しそれまでと様子がちがった。
お姉ちゃんに張り合うところがあった。
言葉使いも明らかに異なってきた。
鹿のフンを見て、「でっけー、ウンチ」と言ったり、
「フン、しやややがった」とか、慣れない口使いで、
親をドキリとさせることが多かった。
幼稚園の仲間からの影響がもろに出ていた。さて、その帰りの電車の中。
座席に親子四人並んで座っていると、ある駅で、
少し腰の曲がったおばあちゃんが、
小さな買物用の押し車を押して、乗り込んできた。
車内はそんなに混んではいないけれど、
半分くらいの人が吊革につかまっている。座る所のないそのおばあちゃんを見て、上の娘が、
「席かわってあげていいかな?」とそっと耳打ちしてきた。
いいよ、と言うと娘は少しはずかしそうにおばあちゃんの所に行った。
おばあちゃんはにこにことして僕たちにまで何度も礼を言って、
席に座った。それを見ていた下の娘。
床に足の届かない座席のシートからズリ落ちるように降りると、
目の前のおばさんのスカートの裾を引っ張りながら何か言っている。
するとおばさんは、
「私はまだおばあちゃんじゃないから、大丈夫よ~」と言って、
娘の頭を撫でて、抱っこして元の席に座らせた。
それを見ていたまわりの人たちも笑った。
それは温かい笑い声だった。去年もそうだったけど、
この花を見ると、なぜか嬉しくなる。
嬉しかったことを書きたくなる。家に帰ると、上の娘が、
あれは学校の宿題だったのだと言った。
お母さんのお手伝いでも、なんでもいいので、
なにかひとつ「いい事」をするようにと。
そして月曜日にみんなに報告してもらうとのことだったらしい。
いい事、は嬉しいこと。
嬉しかったことを思い出させてくれる花である。
のうぜん花。
2009年07月06日
dasaku ある山の道
黒南風や 百と四段の 情の階
「ありさきぃ~、ありさきぃ~」
階下より何回目かの母の僕を起こす声がする。
それは毎朝のことだった。朝七時には母は父の車に便乗して仕事に出かける。
僕は七時半の電車に乗らなければならない。
飛び起きて制服に着替えて、カバン持って家を飛び出る。
当然、朝飯など食ってるひまはない。
この山道の坂を転がるように駆け降りて駅に向かう。
駅前の遮断機の警報が鳴りだす。
もう猛ダッシュで改札での定期もそこそこに電車に飛び乗る。
かろうじて、セーフ。
夏などはもう汗だくだくで、満員電車の周りにいた人はさぞ迷惑だったろう。これが僕の高校時代の朝の風景だった。
あと五分早く起きろ・・・と、父にいつも言われた。
でもこんな風だったけど、一度も遅刻したことはなかった。
それもこの山道があればこそで、
この山道がなかったらあと三十分は早く起きなければならなかった。僕の実家あたりの住宅街は少し山の上の方にあり、
そこに住む人たちはみなこの山道を利用した。
昔は両側が山で、道の上は木の葉のトンネルに被われていた。
今は片側には大きなマンションが建っている。
もう片方の森には神社があるので、かろうじて、
この山道も開発の波に呑まれずに残っている。
奇跡に近い。両サイドに柵やフェンスができこそすれ、
この坂道はずっと半世紀近く、
粘土土むき出しの、雨の日には滑りやすい、
誰も手を加えるもののないそのままの山道だった。
それでもたいていの人はここを通った。
近道なのである。
そんなある日、
この山道に変化が起こりはじめた。
ひとりのおじいさんがそこら辺に捨ててあるブロックを拾い集めてきて、
ひとつひとつ、一段一段ずつ階段を造り始めた。
母の話によると、この近くに住む人で、
その人も昔からここを利用しているらしい。
でも、その人もそうだけど、
ここを上り下りする人たちも年をとってきた。
若かった昔のようにはこの坂を通ることはできなくなったと、
幾人かの人が嘆いていた。
仕方のないことだと諦めて、買物に行くにも、
駅に行くにも、遠まわりをしなければならなくなった。それならとこのおじいさん、もう仕事もとうに定年は過ぎて、
時間もあるので少しずつでも階段をつくることにしたのだと。
それを知った土地の人もそのうち手伝うようになり、
知り合いの土建屋からブロックやコンクリートを分けてもらったり、
うちの母も時々ビールを差し入れたりしたのだと言う。
そうやって半年くらいかかって、
坂道が全て階段になった。
これなら雨の日でも、年寄りでも、
通れるようになったと、母もたいそうよろこんでいた。この話を母から最近になって聞かされた。
人ひとりくらいしか通れず、すれ違うときには、
どちらかが道を譲らなければならないような狭い山道だけど、
愛着のある、なくてはならないりっぱな生活道路になっていた。
この前、母が数えてみたら全部で百四段あったとのこと。比較にはならないけれど、青の洞門の話を思い出した。
2009年07月05日
dasaku ホバリング
羽ありて ここに留めよ 夏の風
引力にも負けず、風にも負けず、
小さき蜂が空中の一点に静止する。静止すると、
次の花を見すえてその花弁に着地する。
ゆくりと蜜など味わう暇もなくまた飛び立つ。
見ていて、まことに忙しい。静止と言っても、休憩しているわけではない。
その透けた羽は、
見えるか見えないかの猛スピードで羽ばたいて、
いかにも命をすりきらしているようにも見える。
まことに、息の切れそうな生き物である。
我にも羽あらば、
命の限り、一生懸命羽ばたいて、
近頃、急流となりしこの時の流れに、
しばし留まってみたいものだ。
2009年07月04日
dasaku 古代杜
蝉生る やたらに掘るな 古墳跡
以前、国際免許を取って、
アメリカの道をレンタカーで走ったことがある。
当然、ハンドルや車道の位置が反対なのはわかっているけれど、
それよりも日本のような、道路にあれやこれやの標識が少ない。日本では道に、とにかく白線やら黄線やら矢印が多い。
車はここを通りなさい、歩行者はここを歩きなさい。
右折車はこの車線に入りなさい。
手取り足取り指示されている。
もちろんそのおかげで、まだまだ多いと言われる交通事故も、
ある意味、この狭い国土の日本、
よくその数でおさまっているのだと思う。
電車に乗る。
必ずと言っていいほど、
携帯のマナーモード、お年寄りに席を、と車内アナウンスが入る。
なんだかある意味、
総国民が子供扱いされているような気がしてならない。近くにある公園が、
実は日本でも有名な古墳跡だと、今朝の新聞で知った。
へぇー、と思いながら自転車こいで改めて見に行く。
あることは知っていたが、他にも大きな公園があるし、
あまり足を運んだことはなかった。
行ってみると、あまり人影はない。
こんもりと茂った小さな森の中に、古墳跡の碑があり、
一応、公園なのでそれなりにベンチや小屋の休憩所もある。
ただ、やたらに注意書きが目に付く。バーベキュー禁止、野球やゴルフ禁止、犬のフンは各自持ち帰る事。
ゴミを捨てると罰せられます、石碑に落書きしない事。
まあまあ、ここまでしてやっと秩序が守られている日本なのか、
それともそれでもまだ守られないのか。
わざわざ古墳時代にさかのぼらなくても、
つい五十年、百年前の人たちにさえ笑われそうな気がする。ハチに注意や、まむしに注意はまだいいけれど、
チカンに注意にはさすがにとどめを刺された。帰ってネットで検索してみると、
見に行った人が最後に、その注意書きが気になったと、
わざわざネットで紹介していた。そのような数々の注意書きに守られて、
この古墳に埋葬された人もさぞ泣いて喜んでいる、か?丁寧に大事に梱包されて、
ワレモノ注意、取扱注意のシールなどベタベタ貼られて、
過保護すぎないか今の日本人。歴史に学ぶ、ことを履き違えているような気がする。
2009年07月04日
dasaku さば缶
いつのまに 鯖缶好きに なつたやら
子供の頃の遊びに缶馬というのがあった。
缶詰めの空缶に穴をあけ、二本のひもを通して、
そのひもを引っ張りながら下駄のようにして歩く。
カッポカッポと響く音が馬の脚になり、
わざと水たまりの中を歩いたりした。
気持ちよかった。
他にみんなが集まると缶けりもした。
この頃は空缶の転がる音など聞かない。空缶はもっぱら鯖の缶詰が多かったように思う。
このブログにも、
ご婦人方々の手料理がよく登場する。
それを句材にした素晴らしい作品も料理と共に画面から、
おいしくお相伴にあずかっている。
うらやましく思う。そういう手前は料理なんぞてんでダメで、
作る方も食する方も、まったく、
ただ腹がふくれればいいという舌オンチである。
貧しかった時代でも、
もう少し味覚を鍛えておけばよかったと悔やまれる。あまりこれ以上書くともっと、
馬脚をあらわしそうなのでこの辺でやめておく。
2009年07月03日
dasaku 夏またひとつ
向日葵の 眩しげに咲く 朝日かな
またひとつ、
暑苦しい夏がやって来る。
ゴーヤも朝顔も長い蔓をひたすらに伸ばし、
山行けば虫取り網の親子に出会う。
物干しにカラフルな水着がにぎわい、
仕上げは、やかましく蝉が鳴くのか。
盛夏は実際はそんなに長くはないのに、
昔、井戸で冷やしたでっかいすいかのように、
一年の真ん中を大きく割ると、
真っ赤な思い出だけが瑞々しく横たわる。
子供の頃の夏は、
一年の半分はあったように思う。
夏が暑苦しい、という年代になると、
一年が昔の半分の速さで過ぎてゆくような気がする。
子供の頃の、夏休みにしかすぎない。
2009年07月02日
dasaku 田の神
つまずけば 石に神あり 半夏生
ハードボイルド。
スナイパーが狙撃銃のスコープを覗く。
携帯電話中のターゲットの胸に、クロス線が重なる。
引金にかけた人差し指が動く。
その瞬間、
ターゲットは転がってきたサッカーボールを拾おうとしてしゃがみこんだ。
サイレンサーの銃口から放たれた弾丸は、
ターゲットの髪の毛をかすめて通り過ぎた。
サッカーボールが彼の命を救った。
田植えの終わった田んぼの、
きれいに並んだ苗たちを写真に撮ろうと畦道に入る。
その入口で何かにつまずき転びそうになった。
見ると、土の中から小石がめくりあがるように現われていた。
石のほとんどは土中にあり、どうしてこんなものにつまずいたのだろう。
歳のせいにして歩きかけたけれど、
どうもこの石が気にかかる。考えたら今日は半夏生。
今日までに田植え仕事は終わらせて、
七夕ごろまで農作業はしてはならないとされる。田の神が、農作業に来た者とまちがえて、
畦道の小石を使って戒めたのか。ぽっかりと空いた穴が石の形そのままに残っている。
その穴を口にして神の声が聞こえてきそうな気がする。
秋の不作を、
この小石が救ってくれたのかも知れない。
2009年07月02日
dasaku 娘の運動会
親の顔 さがす娘の 体育祭
「来んでいいからね」
娘が言う。
この日は娘が高校生になっての最初の運動会。
「それにもう運動会じゃなくて、体育祭だから」
あれこれと注文をつけて登校して行った。
それでも妻は行くつもりでいる。
平日ではあるけれど、
僕もたまたま昼から仕事の休みが取れて、
いっしょに行くことにした。娘は知らない。
昼一番の、各組の応援合戦に合わせて、
ビデオカメラ持ってそこだけ見に行くことにした。
今日は顔にみんなメイクするらしい。
娘がどれかわからないだろうな、と言うと、
私はわかる、と妻が自信満々に言う。
生まれた時から、
あなたよりずっとそばで見ているのだから・・・と。
そのくせビデオは僕まかせにして自分では撮らない。
娘の出番に合わせて学校に着くと、
結構、平日にもかかわらず保護者もたくさん来ていた。
入口の受付で生徒名の所にチェックを入れて中に入ると、
ちょうど娘たちの組が目の前を、
入場門に向かって移動している所だった。
みんな似たようなコスチュームに身を包んで、
妻は娘の姿をさがすがなかなか見つけられない。
不思議なことに、
僕にはすぐにわかった。
あそこだ、あそこだと妻に言う。
見ていると、娘は友だちと談笑する傍ら、
時々、あたりを見渡しながら歩いている。
どうやら、
来なくてもいいと言った僕らを、念のためさがしているようす。
もっとも僕が来るのは知らなかったのだけど。
その何度目かに目が合った。
にっこりと笑うと、横の友だちに何か言って、
手を振りながら小走りに走ってきた。
「来てくれたん?」
アマゾンの奥地の人喰い人種のようなメイク顔をして笑う。
それだけ言うと、戻らないと、と言ってまた引き返して行った。
普通は高校生くらいになると、
親が来るのを嫌う。
自分もそうだった。
自分たちの高校のころの体育祭に親は誰も来ていなかったような気がする。
娘たちの組の出番になり、
グラウンドに散らばって行った。
相変わらず妻は自分の娘をさがすのに躍起になっていたけれど、
ビデオをのぞく自分にはよく見えていた。
小学校の頃の運動会ではめざとく妻がすぐに娘を見つけたけれど、
いまは逆転した。
成長した女性を見る目は、やはり男親にあるらしい。
蹴飛ばされそうなので、妻には言わなかったけれど・・・。
2009年07月01日
dasaku 盗 撮
盗人の たけだけしさや トマト撮る
通りがかったトマト畑。
青いトマトがわんさかと生っている。
思わず携帯取り出し、畑に近寄る。
あちこちと、トマトにポーズを取らさせ、
シャッターを切る。
すいか、とうもろこし、とまと、なすびと、
それぞれの畑にそれぞれの養生で丁寧に植えられている。
作る人の、作物への愛情が感じられる。
こちらも丁寧にシャッターを切ってゆく。
しゃがんでは立ち、立ってはしゃがむ。
これぐらいで、
と立ち上がって帰りかけたら、
誰もいないと思っていたとうもろこし畑の向こうから、
ひとりのおじさんが出てきた。
それも、
まるで泥棒猫でも見るような目つきをしている。
ここでへたに言い訳なぞしたら、
警察でも呼びそうな顔付きだったので、思わず、
写真撮らせてもらいました、と言った。
でも、「写真」の語が聞きとれなかったのか、
なおいっそう怪訝な顔になり、二三歩、歩きかけたので、
またあわてて、
「写真!、撮らせてもらいましたあ~」と、
一段と大きな声で、携帯を掲げて、カメラ撮るふりして叫んだ。
おじさんは前に進むのはやめたけれど、
それでもまだ理解していないような表情をしていた。
どうやら、そもそも、
畑のトマト、それもまだ青いトマトを写真に撮る、ということが、
どうも理解できていないような雰囲気だった。
丹精込めて作った作物は、
もうおいしく食するためにだけあるのだと思っている。
おそらく、
写真俳句、というもの、
ここら辺にはまだ浸透していないようだ。
一度、あのおじさんにも紹介してみるか。
きっと、この畑のおじさんのことだ、
もっと素晴らしい畑ができるかも知れない・・・。

