2009年10月31日

dasaku   空巣老人


 
 
 
          秋夕日 散りばめられて 森に消ゆ 
 
 
 

独り暮らしのお年寄りのことを、
中国語では「空巣老人」というらしい。
雛が育って飛び立てば、巣は空っぽになる。 
ひと月ほど前の天声人語に紹介されていた。
なんとも虚しい言葉の響きではないか。

同じ漢字を使う日本でも、
老人という言い方は失礼だと、
高齢者という言い方に改めているところもある。
そして今、後期高齢者という言い方にも、
波紋が広がっている。

言葉はその時代時代の人々の感覚に合わせて、
自然淘汰される。
老人だろうと、高齢者だろうと、
呼び名は変わっても中身は同じである。
中身が伴なわないものほど着飾ってくる。

先日、ふっと自分の家の電話番号をど忘れした。
とうとうボケてきたかと、妻が冗談で言った。
このボケという言い方も失礼だとして痴呆症と言うらしい。
とうとう痴呆症かと思うと、
冗談にもその辺を徘徊したくなる。

細胞分裂を逆行するように、
最後には一個になる淋しさ。
その最後の細胞が砕け散ったように、
秋の夕刻の森には、
夕日が点々と木肌に散りばめられていた。

飛び散った夕日が、
ろうそくの火のように、
暗闇に立ち消えてゆく。

「空巣老人」という言葉に匹敵する、
秋の森の一日のジ・エンドである。

 
 

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2009年10月31日

dasaku   救 い


 
 
 
 
 
          がまぐちも 口細ぼりて 秋の風 
 
 
 

妻に時々、買物を頼まれる。

いっしょに行くときは車で行くのだが、
一人の時は自転車で行く。
この頃、また妻の体調が思わしくない。
見るからに女物のがまぐちの財布と、
チラシを持ってスーパーに行く。

不景気のこのご時世、
我家の大蔵大臣(今は財務大臣か)も、
今年は子供の進学もあり、あれこれと、
やりくりに四苦八苦していた。
電気やガスの種火、こまめに消さないと口うるさい。
子供らの携帯も無駄な使用はないか、
毎月の請求書でチェックされる。
今年は春の卒業旅行も、
夏の小旅行もとりやめになった。
そして今年ももうあと二カ月ばかり。
それなりに不安のある十か月だった。
それでもその間、
屈託のない子供らの笑い声は絶えなかった。

レジーの前で開けるがまぐちには、
買物する分のお金しか入っていない。
経済観念のない僕が、
渡されたメモ書き以外の余分な物をついつい買うからだ。

日差しの暖かい、
十月、最後の日の土曜日。
家に帰ると、布団の干された二階の窓から、
子供らの笑う声がする。

金には換えられない救いがある。
  
   
  
    

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2009年10月30日

dasaku   おめかし


 
 
 
 
           御粧しの 女心や 秋さらば 
 
 
 
  

秋が最後のおめかしをして、
僕のところに挨拶に来た。
ほんの枯葉一枚、手の平に置き土産して。

歳時記の秋の字が、
余白寂しくやってきたのが、
つい先日のような気がする。

そしてついに、
将軍と呼ばれることもある冬がやってくる。
冬には化粧がよく似合う。
冬化粧。

この頃は、
男性化粧品がよく売れているという。
真っ赤な紅をひいた自分を想像するだけで、
背中が寒くなる。
覗き魔と露出症と化粧。
化粧以外は男の専売特許らしいが、
男には化粧願望も少なからずあるらしい。

だから仮装行列の男どもは、
あんなに嬉々としているのだろう。

冬はまた、
化粧して厚着して、
別人になれるチャンスかも知れない。

 
 
 

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2009年10月29日

dasaku   心の台紙

    
 
 
  

         席ひとつ 空けて月見の 男女かな 
 
 

  

月を撮る。

今日は少し仕事が遅くなり疲れて帰った。
PC に向かうのもおっくうだ。
少々の酒と晩飯を食い、
雨戸を閉めようと空を見る。
雲のない夜の空にきれいなお月さま。

コップ酒を手に、
庭に下り椅子に腰かける。
やおら三脚の脚を広げてカメラを据える。
ファインダーを覗き焦点を合わす。
いつもの月の素顔だ。
だが、今夜の月はなかなかシャッターを押させてくれない。
ズームにしたりワイドにしたり、
カメラを望遠鏡代わりにしてそれこそ月を覗き見している。
覗き見の快楽ではなく美しさの鑑賞に心が癒やされる。

人が写真を撮るのは、
アルバムの備忘録のためではなく、
その時その時の自分を真っ白な心の台紙に、
正直に貼り付けるためなのかも知れない。

今夜の僕の心の台紙は、
真っ黒なので月もなおさらきれいに見えたのだろう。
やっとこさ、最後の最後にシャッターを押した。

夜の静寂に、
月にも届きそうな澄んだ音がした。
  
   
  

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2009年10月28日

dasaku   破れ提灯


 
 
 
 
 
            黄葉の 破れ提灯 森の奥 
 
 
 

山池の釣行。

小用を催し、立ち入ったうす暗き森の奥。

小さな黄色い葉っぱがそこだけ提灯のように眩しく、
輝いて見えた。

紅葉は天空で日に照らされた方がお似合いだけど、
黄葉はどこか場末の路地裏あたりがよく似あう。
それも、
イチョウの葉のような黄色の群生もいいけれど、
寒い夜の夜鳴きそばの屋台にかかる提灯のように、
そこだけポツンと照らすはぐれ黄葉の方が僕は好きだ。

立ち入らなければ会えなかった虫食いだらけの葉っぱ。
子供の頃の戸外にあったトイレの、
小さな裸電球の灯を思い出す。

滅多に人の入らない晩秋の森。

その奥で、破れ提灯が、
じっと僕を待っていてくれたような気がした。
 
 
 

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2009年10月27日

dasaku   旅 愁


 
 
 
          宛先を 尋ねあぐねて 秋飛脚 
 
 
 
 

「胸に届く言葉、頭脳に届く言葉、言葉にも“宛先”があるらしい。」
今朝のよみうり編集手帳。

先日の鳩山首相の所信表明演説を受けて、
「胸」宛てだけでなく、もっと具体的にわかりやすく、
「頭脳」へ言葉の宛先を変えてもらいたい、と述べている。 
 
宛先で思い出したけれど、
事情があって連絡を取りたい相手がいるのだけれど、
心当たりの住所にいくら手紙を書いても、
宛先不明で返ってきて困っているという友人がいる。
この頃は個人情報の規制がやかましく、
なかなか一般人では捜し出すのに苦労するらしい。

言葉にも宛先があるのなら、
宛先不明で返ってくることもあるだろう。
でもそれは言葉を発した方だけの責任ではなく、
言葉を受け取る側にも、
それなりの器を用意する必要があるのではないか。
人を思いやる心、察する心をいつも器に用意しておけば、
どんなに語尾のはっきりしない言葉でも、
読みにくい言葉でも、そこからいくらかでも、
相手の心をすくい取ることができる。
宛先不明で返って行くことはない。

所信表明演説ではないのだから、
このブログでは、
心に届く言葉を発信する努力をし、弱い電波でも、
心に受信できるようアンテナの感性を高めておこう。

でも、
心に届く言葉は案外、身近にあることが多い。
ありがとう。
  
  
  

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2009年10月26日

dasaku   誰が言ったか食欲の秋


 

 
 
 
           食欲は 秋ならずとも 三度飯 
 
 
 

この頃は若い頃のように、
めしが食えなくなった。

昔は特に酒が入ると底なしに、料理も腹に入ったのだが、
どうも食ったものを消化する力が衰えたようで、
すぐに満腹感を覚える。

父がいなくなってからひとり暮らしの母の実家に、
時々、晩飯を食いに行く。
母は今でも昔のようにいろいろと料理を作る。
当然僕の好きなものも知っている。
問題はその量である。

昔の感覚で、息子の年も考えず大量に作る。
もちろんこの頃は食えなくなったと言ってある。
入らなければ残したらいいと言いながら、
これはおいしいのに、ここがうまいのに、
お前の好物やったのにねえ、とけしかける。
いくら好物でも限度というものがある。
   
母の作る料理をうまいうまいと言いながら、
食ってやるのが親孝行だと思い、
それでも数年前までは無理して食えていた。

それが本当にかなわなくなった。
親孝行の手段をまた一つ失った。

思えば寂しげにぜいたくな話である。

  

  

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2009年10月25日

dasaku   冬支度  


 
 
 
 
           漕手なき 舟は逆さに 冬支度 
 
   
  

舟は水に浮かべてこそ様になる。

陸に打ち上げられた魚のように、
無残に腹をさらけ出す。 

子供たちが小さかった頃、
よくここでボート遊びをした。
家からほど近い山の頂に池があり、
池のまわりを散策したり、釣りをしたり、
ちょっとした近場の遊び場だった。

娘が小学生の頃、
「森の中の水上船」というタイトルで、
ボート遊びする家族の絵を描いた。
今でも家の壁に無造作に張り付けてある。

青い空と青い水面の間に、山の緑があり、
小さな白いボートに家族4人がはみ出すように乗っている。
頭でっかちの4人の顔はみんな大きな口を開けて笑っている。
水の中では、海にいるような魚が泳いでいる。
僕と妻の間で小さく描かれている子供たちに、
今はもうとうに背は追い越された。
いつのまにやら子供たちも成長し、
そのうちこの池からも足が遠のくようになった。

この池を久しぶりに見るには、
季節が悪かった。
人影の少ない晩秋の枯れかけた山は、
どこか忘れ去られてしまった公園のブランコのように、
動くものたちの痕跡を消し、心だけがひとり淋しく揺れている。
あの頃の思い出までが秋寂びてくる。

思い出は、
過ぎ去りし「時」に浮かべてこそ様になる。
 
 
 
 
 

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2009年10月25日

dasaku   冬近し


 
 
 
 
 
          吐く息の 眼鏡に曇る 暮の秋 
  
 
 

冬遠からず。

めっきりと夜明けも遅くなり、
池に着くころにやっと空が明るくなる。
車のサーキュレーターが青から、
赤の暖房の領域に変わる。

対岸にも車が一台先に来ていて、
エンジンかけたまま同じく夜明けを待っている。
早朝はもう冬装備の服なのだが、
日が昇り山陰から日向に入ると、
まだ秋の名残りの日差しは暑い。

うっすらと明るくなる。
車から荷物を下ろし釣座に向かう。
もうこの時期になると、夏場のように人も多くない。
釣れなくなるからだ。
人も魚も正直だ。

対岸でも釣り支度の始まる音がする。
波ひとつない水面を滑るように伝わってくる。
離れていても、
朝の空気は吐く息の音さえ響かせてくる。
 
好きなんだなあ、と思う。

見知らぬ者どうしでも、
同じこの朝の空気を共有している。

竿や仕掛け、えさの準備が整い、釣座に座る。
さあ釣るぞ、というこの朝の瞬間がたまらない。

やがて後ろの山のてっぺんからお日様が顔を出し、
山影がゆっくりと後退する。
分厚いジャンパーの背中に日が当たる。
じわ~っと日の温もりが沁みるように伝わってくる。

この時期でないと味わえない、
生きているよろこびが湧いてくる。

だから釣りはやめられない。
釣果は別として・・・。
  
  
  

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2009年10月24日

dasaku   銀木犀


 
 
  
 
          木犀の 銀の鞍には お姫さま
 
 
 

「おはようございます」 
「迷惑じゃないですか?嫌いな人もいるから」
隣のおばあちゃん。
自分の庭に咲く金木犀の匂いに気を使う。

土曜日の朝。
たしかに金木犀の匂いが一年ぶりに、
強烈に漂ってくる。

隣家には毎年、今頃には金木犀の花が咲く。
うちの庭には小さな銀木犀の花が咲く。
銀木犀は金木犀ほど匂わない。
目立たなくひっそりと咲く。

金と銀でお似合いだと、
毎年同じことを言う、おばあちゃん。
めっきりと彼女の頭も銀色が目立ち始めた。

一年の経つのは早い。
何もなかったように家は並んでいても、
子供のこと、親のこと、病んでくる身のこと、仕事のこと、
それぞれに担ぐ荷は異なっても、
それぞれに時は同じく流れて、
木犀はまたおばあちゃんに花を咲かせる。

来年もまた、再来年もまた、
金と銀とのおそろいの姿を見せてくれることを、
木犀の匂いに思う。

 
 
 

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2009年10月23日

dasaku   小さき夢の跡


 
 
   

         秋寂びぬ 破れし夢の 眠りをり  
 
 
 

人は何かの役に立っている時ほど、
やりがいを感じるものはない。 

日がな一日、
バケツの水をなんの意味も目的もなく、
ただ右から左に、左から右に延々と移しかえるのは、
拷問以外のなにものでもない。

男は単純だから、
今日もお疲れ様、という一言で、
疲れが半減する。

妻は何も言わないけれど、
この味噌汁うまいね、と言う一言で、
日々の献立に悩ます頭を、
ちょっぴり癒される。
酒の肴も、ひょっとして、
一品増えるかも知れない。

ボヤの時の、
バケツリレーほど、
人もバケツも水も役立つものはない。

もっとも、
バケツの底が破れてなければの話だけれど・・・。

  

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2009年10月22日

dasaku   クライマックス


 
 
 
   
          望外の くらいまつくす 秋の虹

 
  
  
  
逆転満塁サヨナラホームラン。

ファンにとってはこれ以上ない突き抜けるような興奮だろう。 
昨日のクライマックスシリーズ、楽天ー日本ハム戦。
冠した名前の如く、最後の最後にクライマックスが待っていた。

野球にあまり興味のない人にとっては、
不思議に思うこともあるかも知れない。
バッターが全くバットを振らなければ、ピッチャーは、
ストライクゾーンにボールを投げなければ試合は終わらない。
相手の打ちやすい所に投げさせて、
打たれるのは当たり前では、
あるいはあんなボールなぜ打てないと、
いぶかる人もいる。 
投げる方も打つ方も、
人間だという所に面白さがある。
タイミングやコース、球種、スピード、駆け引きがある。
機械が投げ、打っているわけではない。

野球のサッカーにはない醍醐味は、
やはりホームランかも知れない。
どんなにスーパープレイする野手がいても、
どんなに足の速い守備力があってもホームランは、
それら全てを無為にさせて得点となる。
ましてや、逆転満塁サヨナラホームランのような歓喜の結末は、
引き分けをゴールキックで決着するサッカーにはないと思う。

でも、
サッカーの試合を見ていつも感動する場面がある。
入場する選手が皆チビッコ選手と手をつないで入ってくる。
どんなスーパースターも年には勝てない。
サッカーには次の世代を育てるのだという強烈な意志がうかがえる。
もちろん野球も元プロ野球選手などが野球教室を開催したりしている。
僕たちが知らないだけで地道な努力もされているのだろう。
でもサッカーはそういうことが誰の目にもあきらかだ。
あこがれの選手と手をつないで歩く子供たちの顔を、
いつもほほえましく思いながら見ている。

それに似たほほえましさで、
久しぶりに虹を見た。
街中の団地の向こうに七色の帯が短く立ちのぼっていた。
自転車を止めてしばし見とれていた。

大差で負けている時のソロホームランのように、
相手には痛くもかゆくもないのかも知れないけれど、
ベースを全力疾走しないで自分の好きなペースで走れる嬉しさが、
打った本人にはある。

虹の立つ所には幸せがあると言う。
そうかも知れない。
  
  
  

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2009年10月21日

dasaku   暗夜行路


 
 
 
  
        その昔 読みかけのまま 直哉の忌 

  
 

娘が、
ノートになぐり描いた絵をそのままに、
つい先日出した炬燵でうたた寝している。
なんの絵だかわからないまま盗撮する。

朝晩は冷え込んできた。
読書の秋。
長い夜は炬燵で本でも読んで、
と思うけれど、炬燵の睡魔は伊達じゃない。

今日は直哉忌。
若き頃、「暗夜行路」を読みかけて、
炬燵の睡魔に負けて眠りこけた。
推理小説に凝っていたころで、
それっきりその本は閉じられてしまった。

娘が目を覚ました。
これは何かと尋ねると、
夕べ夢に出てきた竜だと言う。

何の夢だったか知らないけれど、
せめて罫線のない画用紙にでも描けよ。

俺はまた、睡魔かと思ったよ。

                              

 
 

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2009年10月20日

dasaku   旅 愁


 
 
 
 
 
         樹皮の落つ 音は静かに 山紅葉   
 
 
 

季節は、
山の厚化粧。
歩く人のにぎわいも、
いつしか遠のく足土産。

晴れやかに染まる天空の紅葉。
その下で身ぐるみ剥がされるように、
樹皮が蜘蛛の糸に支えられ風に揺れている。

ちっとも派手ではない地味な色で、
樹皮はめくれて落ちてゆく。
落葉の上に声を殺して落ちてゆく。

もうこれ以上風が冷たくなると、
麗しの秋から愁いの秋になる。

美しさの危うさを表裏一体にして、
秋が心に沁みてくる。

いつもの散策路。

旅に出て、
初めて見る森のような気がする。

  
  
  

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2009年10月19日

dasaku   川の流れのように

  
 
 
 
 
         野良猫の 蟷螂流る 歩幅かな
 
    
   
  

死んでいるのかと思った。このカマキリ。
稲刈りの済んだ畔の川をゆっくりと流れてゆく。

よく見ていると時々、手足を動かしている。
畔道から伸びた草の蔓につかまって、
やれやれ助かったと思ったら、
草の根っこの方に行かず、
先っぽの方に行く。
そっちに行けばまた流されるだけではないか。
案の定、カマキリはつかまっていた草の先から、
後ろ足をはなし、また流浪の旅に出る。
その気持ちわからんでもないけれど・・・。

さっきから、畔の土手道を、
一匹の猫がずっとこのカマキリの流れを追いかけている。
カマキリが手足を動かすたびに、
興奮したように前足を伸ばす。

カマキリは知っているのかも知れない。
それなら尚更、
流れにまかせてじっとしていればよいものを。

人生も時にはなるようにしかならない時がある。

水の流れはもうすぐ土管に入る。
そこに入ってしまえばもう猫も手出しはできない。
そこまでの辛抱ではあるけれど、
果たして土管の中がどうなっているのか分からない。

カマキリの運命やいかに。

 
 
 

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2009年10月18日

dasaku   どんぐりめが!

   
 
 
 
 
         どんぐりめ いまだに俺を つれもどす 
 
 
 

これで最後だと思った。

小学校四年のクラスは十五人しかいなかった。
転校するぼくのためにみんながさよならの手紙を書いた。
担任の女先生がそれをまとめて僕に渡してくれた。 
そして先生はもうひとつ、
マッチ箱のような小箱を差し出した。
振るとコロコロと音がした。 

二年ほどさきに父は大阪に単身働きに出ていて、
僕たち家族をを呼び寄せた。
盆と正月しか帰ってこれなかった父と、
これからいっしょに暮らせることがうれしくて、
みんなとの別れに涙はなかった。

それからの数日は目まぐるしく時間が過ぎ、
僕たちの勉強道具も他の荷物といっしょに先に大阪に送られた。
みんなからの手紙も先生からもらった小箱も、
それらといっしょに送られて、大阪に着いてからも、
僕はしばらくそのことを忘れていた。

狭いアパートながらも、
家族五人いっしょに暮らせる喜びはあったけれど、
新しい学校の方には、なかなかなじめずにいた。
田舎訛りも取れず、よく笑われたりからかわれたりした。

そんなある日、学校から帰ると、
荷物の中から出てきたと、母があの、
みんなからの手紙と小箱を差し出した。
僕はこのとき初めて手紙を読んだ。
故郷の学校で別れてきたみんなの顔が浮かんだ。
そして、コロコロと鳴る小箱も開けてみた。

中には、十五個のどんぐりが入っていた。
そのひとつひとつにマジックペンで顔が描かれていた。
男の子や女の子、十四個の顔と先生の顔、一個。

僕はその小箱を持って表に飛び出した。
走りながら泣いた。
初めて泣いた。
先生はこうなるのを知っていたのかもしれない。
子供心に先生の気持ちがうれしかった。

今でも、
どんぐりを見ると、なんだかじわぁ~っとくる。
走りながらコロコロと鳴っていた小箱の音が、
手の中から聞こえてきそうな気がする。

この、どんぐりめが!

 

 
 
 
  

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2009年10月17日

dasaku   月見紅葉

      
 
 
 
 
         なにげなく 卵おとせば もみじ鉢 
 
  

  

現代の食物は、ほとんど、
すでにどこかで命を奪われたものが食卓に並ぶ。
今さっきまで生きていたものの命を、
目の前で奪って口にするということは少ない。

妹が中学生の頃だったか、
朝、登校する時に、庭のきんかんの木に被せていた網に、
ひよどりが一羽からまって動けなくなっているのを見つけた。
妹はそれだけを父に言って学校に出かけた。
てっきり父がそのあと逃がしてくれたと思っていたのだろう。
学校から帰って、父に尋ねると、父は、
毛をむしって焼いて昼飯のおかずに食ったと言った。
妹はそれを聞いて泣き出した。泣きながら、
なんて残酷なことをと怒っていた。

僕や弟は子供の頃から、
裏山にひよどりの罠を仕掛けてよく捕まえていた。
年に一度の正月には飼っていた鶏を一羽つかまえて、
包丁でさばくのが父の仕事だった。
その前に父は鶏の首を包丁で切り落とし、
木の枝に逆さに吊り下げて血を抜いた。
その後の羽をむしり取るのが僕と弟の仕事だった。
裸になった鶏を一度火にあぶってから父は包丁を入れた。
そして父はまっ先に砂肝を取り出し、焼いて食べさせてくれた。
それが僕たちの何よりの楽しみだった。

だから妹が泣き出したとき僕たちは少し驚いた。
そんなことがあったのを田舎にいたころの、
小さかった妹は覚えていなかった。

やっぱり女の子だなあ、と思う半分、
命をいただいているという実感がわかないのだろうと思った。

首を落とされた鶏はしばらくまだ動いていた。
それを木の枝に吊るしながらも、
かわいそうだなあ、という思いはなかった。
ただ、子供心にも、そうやって、
いただく命に感謝するような気持ちがあったのを今でも覚えている。

それは父が教えてくれたのか、
鶏に教えられたのか定かではないけれど・・・。
 
  
 
 
 

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2009年10月16日

dasaku   秋深む

   
 
 
 
 
 
          縁側に 干されし柿の 蔕ひとつ
 

  
  

カラスが食ったわけではない。

柿の枝には今頃、
カラスにつつかれた柿の残骸が残る。
熟した順につついていく。
さすがにカラスも熟知している。

縁側に、丸かじりした柿の蔕が残る。
カラスと違って、熟々の柿より、
少々、歯ごたえのある実が好きである。
歯はまだカラスの嘴には負けない。

日向ぼっこして食った柿の蔕を、
そのまま縁側に忘れて妻の小言ひとつ。
カラスといっしょだと・・・。

いやいや、
カラスの方がずっと僕より賢い。
歯と引き換えに、
脳みそを少しばかり分けてもらいたい。

秋深し。
 
 
 

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2009年10月15日

dasaku   亡羊の嘆

      
 
 
  
          芒の字 亡草にして 暮るるなり

  
  
  

途方に暮れるには、
もってこいの秋の空。

少なからずも日々の食い扶持はある。
生死の境の病人がいるわけでもない。
多額の借金に追われているわけでもない。
為す術がなくなって途方に暮れているわけではない。

あとひと角を曲がれば家に着くという夕暮れ時、
ふと川岸の土手を見上げると、
芒の群生がゆったりと風に揺れていた。

ひと角を反対に曲がり、
背中にこびり付いた長年のしがらみの垢を、
思いっきりこさぎ落とし、
一度でいいから、
記憶喪失になるくらい途方に暮れてみたい。

図体の大きい、
幼子の迷子のような心が、
芒に甘えている。

 

2009年10月15日 »

2009年10月14日

dasaku   優柔不断

  
 
 
 
 
          部屋隅に 雁首並べ 秋扇 
 
 
  

この方たち、この一週間、
ずっとこのまま部屋の隅に鎮座してなさる。

家人が思い立つまで待っているのか。
覚悟を決めた寒さが来たかと思えば、
またコンセントにコードを引きたくなる日もある。

彼らをここに残したまま、
家人は先日、こたつ布団を出した。
さすがに朝と夜はこたつで、
昼は扇風機というわけでもないけれど・・・。
 
金木犀の咲くころ、
やたらと季節の往来が激しくなる我が家。 
 
家人は四季の優柔不断を、
たっぷりと楽しんでいるのかも知れない。

君たちにはすまないけれど、
許してやってくれたまえ。 
  
  
  

2009年10月14日 »

2009年10月13日

dasaku   言われなくても

  
  
  

          高札の 言わずもがなに 秋寂びて
 
 

江戸期のベストセラーと言われる、
東海道中膝栗毛、南総里見八犬伝。
ベストセラーは庶民が文字を読めてこそ成り立つ。

幕末期に来日した西欧人達が日本の識字率の高さに驚いた。
調べてみると、
幕末期の江戸の識字率は男子が79%、女子が21%。
武士は殆ど100%、農村の僻地でも20%。
これは当時の世界の中では群を抜いていたらしい。

明治以降、日本の類をみない発展の下地には、
島国であったこと、多民族でなかったこと。
(国境紛争や民族間紛争など余計なことに惑わされることがなかった)
国土が広過ぎなかったことなどがあるが、
一番の原動力は識字率に見る教育の高さ、
それも一般庶民への普及があると言われる。
読み書きそろばんに始まる、寺子屋の役目が大きい。

小学生の頃は、
ろくに学がない親でも、
火箸片手に子供に勉強をさせた。
一朝一夕にはいかない教育を受けさせるのが、
将来、子供のためになることを大和民族は心得ていた。

江戸市中に立てられる高札。
「お武家さん、これなんて書いてあんだい?」
時代劇の中などで町人が尋ねるシーンもあるけれど、
識字率が高いから高札も立てられるというものだ。

ところで、字は読めても、
この畑の高札にはなんと書かれているのか分からない。
立ち止まって、あたりを見回してみたり、
いろいろと考察してみたが見当もつかず。

歩き始めて、ふと、
ああ、ここもどっぷり秋なのだと、
言っているような気がした。

言われなくても・・・。

 

 
 

2009年10月13日 »

2009年10月12日

dasaku   秋 思

 
 
 
      手すさびの 老いのひと編み 身に沁むや 
 
 
 

「きれいに編んではるねぇ」
娘が下げていた小物入れの袋を見て、
電車の隣に座ったおばあちゃんが声をかけてきたとのこと。

「誰が編みはったん?」
娘は編み物好きの自分のおばあちゃんの話をした。
話しかけてきたおばあちゃんも編み物が好きだということで、
電車のなかでしばらくその話になったらしい。
そして先に下車するおばあちゃんに、娘は、
よかったらこれもらってくれへん、と言われて、
一枚の白いマフラーをもらってきた。

今年から京都の大学に電車で通うようになった娘。
本格的に電車通学するのは初めてのことで、
いろいろとその道中の出来事を話してくれる。

義母は昔から編み物が好きで、
娘たちも小さい頃から、いろんな編んだものを、
これまでいっぱいもらってきた。
今日も妻の実家に行ったら、
空ビンや空缶をくるむものを編んで小物入れにするものを、
もらって帰ってきた。

そして、娘は、
この前もらった白いマフラーを見て、
このマフラーは誰にあげるつもりだったのだろう、
とぽつんとつぶやいた。 
誰かにあげるつもりで編んだのに、
あげることができなくなったのか・・・。

大学だけが、教育の場じゃないのだと、
その通学の途中にも学ぶべきことはあるのだと、
わが娘をみて思った。
 
 
 

2009年10月12日 »

2009年10月12日

dasaku   田吾作


 
 
 
 
         びろうどに 化けし狐の 尾花かな 
 
 
 

ビロードに輝く狐の尻尾が、
秋の風に揺れている。
「他人の関係」を歌う金井克子の手の平のようだ。

芒がこれほどに輝いて見えることは、そうもない。
月見の席のだんごといっしょで、
いつも主役の月の脇役に過ぎない。
その存在はどこか秋の終わりを告げる。
枯れて見せればまた冬の脇役になる。

  
  
それがこの谷の河原でひときわ主役を演じている。

  ♪ 逢う時には いつでも他人の二人 ♪

バックダンサーを従えて、華麗に舞う。
つい、引き込まれてしまう。

日本昔話に出てくる、
芒ケ原に棲む狐にだまされる田吾作どんを思い出す。
美女に化けた狐の、くすぐるような指で、
ほくろの数も一から数え直して、
もらいたい気分になる。

この田吾作どん、
助平ごころの結末は、
馬の尻を抱きしめて、
馬に蹴られて、
夜空に飛んでいってしまうのだけれど・・・。
  
  
  

2009年10月12日 »

2009年10月11日

dasaku   体育祭


 
 
 
 
          口もつれ 足からまりて 体育祭 
 
 
 

足はたった二本しかないのに、
もつれて思うようについて来ない。

地区対抗の区民体育祭。
小学校のグラウンドで毎年行われる。
この頃は子供らの運動会は春に行われている。

今年もまたメンバーが足りないからと、
出場の要請がくる。去年は玉入れに出た。
リレーなどごめんだと言うと、
ドッジボールに出てくれと。

そしてその試合。
リーダーの年寄りが指示を出すのだが、
もうボールの速さについていけない。
口に出たときにはボールは放たれている。
中には若い母親もいるけれど、
この頃は年寄りだらけ。

それでも教頭先生のような人もいる。
僕より年上だがはつらつとしてその動きは若い。
その教頭が僕をめがけて当ててきた。
ぼくはかろうじて腹のあたりでボールを拾う。
そして中央線まで走り寄って投げ返すつもりだったが、
足がもつれていうことをきかず、
前のめりに倒れてしまった。
相手コートに転がったボールで僕は反撃にあい当てられた。
その時、ありさき老いたり!、教頭が大きな声で思いっきり笑った。

外野にまわる。
ボールがまわってくる。
教頭は身も軽やかに左後方へ後ずさりする。
僕は顔と目は右側に向けて、ボールだけ左の教頭めがけて投げた。
教頭はびっくりしたように足をよけようとしたが、
もう間に合わない。ボールは教頭の右足に当たってはずんだ。
見事、フェイントが決まった。
教頭はひきょうな、とかなんとか言っている。
僕は自分の頭を指差しながらにんまりとして、
コートに戻って行った。
でも、
この奇襲作戦は二度と通用しなかった。
われらのチームはこてんぱんにやられた。
だって相手は学校の先生のチームなんだから・・・。

毎年、この時期になると、
我が老いを感じさせられる、
万国旗たなびく体育の日の頃。
  
   
 

2009年10月11日 »

2009年10月10日

dasaku   貧者の一灯


 
 
 
 
 
          街灯に 釣瓶落として 灯の点る 
 
 
 

まだうす明るいのに公園の街灯に灯がつく。
誰かがどこかでスイッチを入れたわけではなく、
感知センサーで、ある暗さになると勝手に灯が入るのだろうけれど、
釣瓶落ちの秋にはこころもち早めに入るような気がする。 

この頃はこういうセンサーも家庭で使われるようになり、
夜、人の家の玄関寄りを歩いていると、
突然スポットライトの明かりがついてびっくりする時がある。
  
  

子供の頃、
田舎の家への曲がり角に、
一本の街灯が立っていた。
田舎の夜道は暗い。
田んぼ道から山の道に入った所には明かりは何もなく、
いつもその街灯が我が家の目印になっていた。
当初は電球だったがそのうち小さな蛍光灯に変わった。
夏の夜は、虫たちの集会場になり、
冬は暗い闇をそこだけくりぬいたように、
一晩中照らしていた。

畑仕事で遅くなった夜は、
あの明かりが見えると家に着いたようなもんだった。
大きくなって夜に帰郷すると、
あの明かりが一番に出迎えてくれた。
我が家にとって、岬の灯台のような存在だった。

いつだったかその蛍光灯が点いたり消えたりしだした。
母が、どこかネジがゆるんでいるんじゃないか、と言った。
それを聞いて、僕はなんだかおかしくて声を出して笑った。
すると、父が真剣になって怒った。
僕はなにも母をバカにしたわけじゃない。
その感性に驚いて、おもしろいと思ったのだ。
なにもかも仕組みを知り過ぎると、
人間の感性は失われていくような気がする。

それからしばらくその街灯は、
ネジがゆるんだまま点滅していたけれど、
何回目かの帰郷では、撤去されて跡形もなくなっていた。
そのかわりに都会的な街灯がアスファルトの道に、
ズラリと並んでいた。

地元の代議士が国政に当選してからのことだと、
後年になって知った。
おかげで夜道は整備され、灯台もいらないくらい、
明るくなったけれど・・・。
  
  
  

2009年10月10日 »

2009年10月09日

dasaku   いつか来た道


 
 
 
 
          遠き日は 今更ながら 稲の道 
 
 
 

遠き日に、
母と牛車で通ったような気がする。

向こうからも牛車が来て、
脇に牛を寄せて、やっと通り過ぎた人と、
母はしばらく野良談義になったものだ。
牛は背中にたかるあぶを尻尾で追い払っていた。
弟や妹はわらにもたれてとっくに夢の中。
草と汗の匂いがまぜこぜになって、
鼻の粘膜によみがえってくる。

いや、そんなはずはない。
あれはここからはるか南方の地である。
ここに立つのは初めてのはずだ。
でもこの場面は確かにどこかで見たような気がする。

錯覚でも幻影でもない。
記憶の中に昔からあったような気がする。
連綿と続けられた農耕民族の血が、
豊作の稲の香の漂う道に湧きかえり、
祭囃子の聞こえる道を親と手をつないで歩く。

それは、
生まれる何代も前の自分であったかも知れないし、
生まれてからの自分であったかも知れない。

それは、
これからの世代にも受け継がれてゆくのかどうか、
なんとも言い難い。

この道がいつか来た道と思えることが、
いつまでも続くことを祈る。

 
   
  

2009年10月09日 »

2009年10月08日

dasaku   目黒のさんま

      
  
 
 
 
        背と腹を 尾頭にして 秋刀魚喰ふ
  
  
 
  
  

秋が深まる頃、
サケは自分の生まれた川へ産卵の為遡上する。
その群れにクマが飛び込み一匹のサケを咥え上げる。

秋の味覚の秋刀魚は僕にとって、
そんな感じの食し方なのである。
食うという感覚ではなく、喰らうという感じ。
だから食べ方があまり上手ではない。
野蛮である。

釣りは淡水なのに、
食べるのは海の魚が好きである。
うちの母も妻も魚は、
見た目もきれいに骨だけにする。
どうやったって真似できない。
目黒のさんまではないけれど、
大衆魚は無造作に食べるからうまいのだ。

野蛮だと言っても、クマのように、
鮮血をしたたらせて食うほど野蛮ではない。
やはり塩焼きにかぎる。

初めて秋刀魚というものを食した、
目黒のさんまの殿様は、
どうやって食べたのか知りたい。

その部分は落語にも詳しくはないけれど、
おそらく、母や妻のように、
きれ~いに骨だけにしたとは、思いにくい。
  
   
   

2009年10月08日 »

2009年10月07日

dasaku   嵐の夜

 
 
 
 
          塵払ふ 長老が鬚 野分立つ
  
  
  

はるか南方に発生した台風は、
その生まれる前の温帯低気圧の頃からすでに、
人間の手中に掌握されている。

通過するルートまで高い確率で線引きされ、
気象衛星を持ち出すまでもなく、
科学の発達は人類に計り知れない恩恵を与えている。
災害の犠牲者も昔に比べると格段に少ない。

昔の海や山の男には、
空の色、雲の流れ、風の向き、魚や鳥や獣、生き物たちの習性、
今まで蓄積され、語り継がれてきた経験の記憶から、
大自然の動きを読み取る高い能力があった。
それは人間がこれまで払ってきたおびただしい数の犠牲の上に、
長い年月をかけて獲得した言葉では言い表せない、
生きるための知恵である。
俳人の感性とは違い、まさに命のかかった剣のような、
研ぎ澄まされた感性である。

科学は、
そういった人間の感性を引き換えにして、
たった数世紀の間に著しい発展を遂げた。
使われない能力はあっと言う間に錆つく。

人間の感性には、
何千年、何万年の年季がかかっている。

おそろしいほどの年月を、
気の遠くなる意識で遡る、
嵐の夜。

   
   
   

2009年10月07日 »

2009年10月06日

dasaku   親の意見とナスビの花

    
 
 
 

         いやふぉんに 親の意見の 秋袷 
  
 

   

「親の意見とナスビの花は千にひとつの無駄もない、というのに・・・」
妻が台所で娘に怒っている。 
事情はよくわからないが、どうも、
親が説教しているのに、
娘が耳にイヤホンを付けたまま聞いているのが頭にきたらしい。
普段は三姉妹のように仲がいいかと思えば喧嘩もよくしなさる。

この頃の音楽メディアにはモーターのような駆動部分がない。
かつてのウォークマンよりもはるかにコンパクトになっている。
音質は良くメカも耐久性がある。
娘たちに限らず今の若者の体の一部になっている。
 
  
   高校生の頃、
   アルバイトして初めてテープレコーダーを買った。
   家族の声なども録音して面白かった。
   録音された声が自分の声でないようで驚いた。

   ある日、
   二階の勉強部屋でヘッドホンをして、
   録音した気に入りの歌を聴きながら、
   いっしょに大きな声で歌っていた。
   自分ではそんなに大きな声とは思わなかった。
   そのとき、背中を急に誰かにつつかれて驚いてふり向くと、
   母が本当に心配したという顔で立っていた。

   階段の下から何度も何度も大きな声で僕の名を呼ぶが、
   返事はなく、ただ歌を歌い続ける僕に、
   母は気がおかしくなったのだと思い、
   心配しながら上がってきたのだと言う。
 
 
ナスビの花は咲いただけ結実するという。
「ナスビの花はなんで無駄がないの?」
娘が親の意見に質問で反論してくる。
妻はまずその説明から入ろうとして、
その前に、そのイヤホンをはずせと迫っている。

そんなやり取りを耳に、
僕は二階に上がってきたあの時の、
母の顔を思い出しながら雨戸を閉めた。

空の月が、
思い出し笑いに輝いた。 

 

 

2009年10月06日 »

2009年10月05日

dasaku   夕 餉


 
 
 
 
        藁仕事 かまどに飯の 吹きこぼれ 
 
 
  

当然、今の話ではない。
遠い遠い子供のころの話である。

記憶の前後のつながりが全くわからないのだけれど、
雨の日に牛小屋にある牛車の上で誰かと、
藁で縄やわらじを編んでいる記憶が残っている。
縄は畑仕事などで使っていたと思うのだが、
なぜわらじを編んでいたのか分からない。
いくら田舎と言っても、
さすがにわらじを履いている人はいなかった。

僕たちの子供のころは、
多少の雨でも外で遊べと家から追い出された。
でもさすがに雨が続くとそうもいかない。
おそらくおじいちゃんに教わったか何かで、
牛小屋に積んであった藁を使ってやり始めたのだろう。
片方を足の親指に引っ掛けて、
手の平に唾を吹きかけ、藁を撚っていく。
靴を脱いで、自分の作ったわらじをしばらく履いていた。
子供心に面白かった記憶がある。
そして、
必ずそこにはかまどから飯の炊ける匂いがした。

飯の炊ける匂いが、
記憶の襞に張り付いているのは、
腹を満たせるよろこびが子供心にもあったのだろう。
今でも、
たとえ電気釜でも飯の炊ける匂いには、
腹のあたりでホッとするところがある。

ひもじさに醤油を飲んだこともあるけれど、
ひもじさがつらかったという記憶はない。
それが当たり前の時代だったのだろう。
  

「ピーッ!」

飯の吹きこぼれる音ではない。
炊けたという、お知らせである。
今の時代、吹きこぼれなどもってのほかだと、
電気釜が言う。

さあ家族そろって飯にしよう。
それは今も昔も変わらない。
ありがたや。

 
 
 

2009年10月05日 »

2009年10月05日

dasaku   おしどり夫婦

  
 
 
 
          おしどりの 息を殺して 鵙高音 
 
 
 

里山のこの野道は、
時々、定例の撮影会が行われるようで、
たまにご一緒するときがある。

この日も、20人くらいの人たちが、
三脚とカメラを担いで歩いておられた。
ほとんど全員がお年を召された方が多い。
僕は自転車で気ままに後ろを付いて行く。

その中で、この日は、ある老夫婦が参加されていた。
いつも最後尾の方をゆっくりと歩かれていて、
たいがい二人ごいっしょに同じ被写体に向かわれる。
この時も、二人いっしょに何かを狙っておられた。
何かを待っているようす。

「すみません、何を撮っておられるのですか?」
カメラの先を見るがよく分からない。
「もず、です」 旦那さんがファインダーを覗いたまま答えた。
遠くの木の枝に鵙がいるらしい。
ちょうど日陰だったので、僕は自転車を止めて見ていた。
日中はまだ日向は暑い。秋晴れのいい天気。

そのうち、遠方でひとしきり鵙の啼く声がした。
続けてカメラのシャッターが切られた。
お二人は視線をこのときだけ見合わすと、
三脚をたたんでまたゆっくりと並んで歩き始めた。
目線だけでOK を確認し、言葉はない。

僕はそんな望遠レンズは持たないので、
もっぱら近くの木や花や虫などを見つけて撮りながら、
追い越したり、追い越されたりして、
この団体さんに付いていった。

先ほどのご夫婦は、
どちらかが何か被写体を見つけると、
指を差し確認しあう。
そしてお二人の距離を少し置いて三脚を立てる。
被写体によってシャッターの押されるタイミングは異なるけれど、
それは一連の動作の中で、決まりごとがあるようで、
昨日今日始まったことではないリズミカルさがあった。
長年連れ添った味がにじみ出ていた。

子供の独立した老後には、
夫婦同じ趣味を持ったほうがよいと聞く。

今日の僕の被写体は、
何よりもこのお二人になってしまった。

 
 
 

 

2009年10月05日 »

2009年10月04日

dasaku   ひっつき虫

      
 
 
  
 
        まだ青き をなもみ三つ 連れ帰り
 
 

プロ野球、楽天の野村監督は選手時代、
王、長嶋をひまわりに例えて、自らを月見草と言った。
「月見草にまばゆい光が当たった」、
と今朝の新聞記事が締めくくっていた。

その楽天が昨日の試合で
球団創立五年目で初のクライマックスシリーズ(CS)進出を果たした。
このCS制が始まって、今年が一番その本領を発揮していると思う。
優勝チームが決まっても、あるいはほぼ確実になっても、
肌寒くなった秋風に、試合を熱くして見ることができる。
もっともこのままでは、
勝率五割を切るチームが、日本シリーズに優勝する可能性がある。
それもまた一興かも知れないが、個人的にはいかがなものかと思う。
日本シリーズと冠するからには、日本一を決めるシリーズである。
負け越した力士が、優勝決定戦に出場し、
優勝をさらうようなものだ。
まだ制度に改善の余地があると思われる。
  

小学生のころ、
同級生が盲腸で入院してその見舞いに行った。
あまり仲良くしていた間柄ではなかったが、
見舞いには花を持っていくもんだと母が言うので、
小遣いのなかった僕は、
野原や川の土手に咲いている花を、
片っぱしから摘んで花束にして持って行った。
見栄えのよくない花だったが、彼は、
とてもよろこんでくれた。

でも、一番よろこんでくれたのは、
僕の背中に付いていたひっつき虫だった。
知らない間に、茶色のひっつき虫が背中に三つ付いていて、
何かで僕がふり向いたとき、彼が見つけて叫んだ。
ふたりで笑った。
それから彼が退院して元気になってからは、
大の仲良しになり、中学まで一緒だった。

散歩の途中でこのオナモミを見つけた。
正確にはオオオナモミらしいが、
まだひっついて連れていってもらうには青かった。
それでも無理やり三つほど摘んで、服に付けて持って帰った。
あの時の思い出が服に揺れていた。

ひまわりも月見草も花が咲く。
世の中には、
オナモミのように努力しても、
開花まで辿りつけないものがいくらでもいる。

 
    

                                                                   

2009年10月04日 »

2009年10月03日

写真俳句 7

        
  
 
     
   

  
          無月なる 雲を肴に 酒を酌む 
 
 
 

あいにくの雲に隠れてとても、
月の顔を拝める状況ではない。

それでも写俳では各地からお見事な名月と句が次々と、
届けられる。
我の月さがす合間にも、
どこかの地で同じ月にみなさんが同じように視線を注いでいる。 
思えば不思議な気がする。
ひとつの句会がこの場で開かれているような気がする。
雲をうらめしく思うことなかれ。

    名月は 人の数だけ あるらしき

 
 
 
 

2009年10月03日 »

2009年10月03日

dasaku   おめでとう!

    
 
  
 
 
          ひよどりの 声とび走る 朝枕 
 
 
  

今朝はひよどりの声で目が覚めた。
チュン、チュンという雀のようなかわいいものではない。
夜明けのカーテンを引き裂くような声で、
西から東に飛んでいった。

枕に寝返りを打ち、
窓側にうす目を開けると、
誰かがそこに立っている。驚いて目を見開くと、
ハンガーに着物が掛かっていた。
そういえば、今日、娘のクラブのお茶会があるというので、
ゆうべ妻と娘が着物を引っ張り出して物色していた。

だから今朝はいつもの朝食タイムより、
そちらの方が忙しく、こちらは勝手にパンを焼いて、
コーヒーを入れる。みんなの分も用意して、
騒々しさを後に、一人散歩に出た。

昨日までの秋の雨とは打って変わり、
東の空から西の空まで、澄んだような、
青い絨毯が日の通る道に広がっている。

歩きながら両手を伸ばし、背伸びする。
自然と深呼吸になる。
うしろからひよどりが二羽、追っかけっこしながら、
頭の上を通り越して先の角を曲がっていった。
お前たちに引き裂かれた朝が、
今は静かに僕の行く道に広がっている。

お天道様と我の一日が今日も、
ゆっくりと地球を回しながら、始まる。

オリンピックは、
この足の地の真裏で開催されることに決まった。
裏側と言っても、丸い地球に、
裏も表もないのだけれど・・・。

決まったからには、
おめでとう!

  
  
  

2009年10月03日 »

2009年10月02日

dasaku   証拠物件

        
 
 
 
 
 
           木犀の 香の道に泣く 童かな 
 
 
 
 

小学生が並んで、
家の前を登校して行く。
仕事に出るのが遅い日は 
朝、子供らのかん高い声が窓から入ってくる。

今朝はその中の、上級生の子が、
下級生の子に蹴りを入れて、
泣かせていた。
「こらっ、やめといたれやっ!」
たまたま玄関に出ていて叫んだ。
「おっちゃんには関係ないやろ」
そう言って列を乱して走って行く。
あと数十年も若かったら、追いかけて、
蹴りを入れてやるところだ。

子供のころ、親父にはよくどつかれた。
でも妻の親は、
今まで子供を叩いたことは一度もないと言う。
妻の実家で子供に手を上げかけたら、
子供を叩きなさんな、と諌められたことがある。
お義母さんはとくとくと話してきかせる方である。
僕の親は口より手の方がはやかった。
そうかと言って、親を恨んだことはない。
昔はどちらにも愛情があった。
 
子供の喧嘩に口をはさみたくはないが、
どんな事情があろうと、
子供の泣く顔には胸が痛む。 

近頃は、
年をとった証拠が、
あちこちから出てきてごまかせなくなっている。

子供たちの遠のく足音に、
金木犀のかすかな匂いを感じ取る。

それもたしかな証拠物件かも知れない。
ひたすらに白状するしかない。

 
 
 

2009年10月02日 »

2009年10月01日

dasaku   ある秋の一日

 
 
 
 
 
          思い出を 満開にして 秋桜  

   
  

その日は、 
家族で遊園地に遊びに行く日になっていた。 
何日も前から娘たちも楽しみにしていた。
ところが当日の朝になって、
お姉ちゃんの方が熱を出して行けなくなった。 

お姉ちゃんだけ置いて行くわけにいかないでしょ。
妻が下の娘に言う。
下の娘も小さいながらそんなことは言われなくてもわかっている。
でも、機嫌が悪い。
夕べも、明日はあれに乗る、これに乗ると、
二人ではしゃいでいたらしいし。
軒下にてるてる坊主ぶらさげて早く寝たのになあ。
おかあさんもお弁当の下準備すませて、
よし、明日の朝は早く起きるぞって、
気合い入っていたのにねえ。
お父さんは仕事の飲み会で夜遅く帰ってきて、
バタンキューだったけど・・・。
多忙な仕事の頃で、明日は久しぶり連休とれたのになあ。

口には出さないけれど、拗ね気味の下の娘を、
僕は車で郊外のコスモス畑に連れ出した。
お姉ちゃんが一番がっかりしていると思うよ、と言いながら。
出勤の途中で見かけたコスモス畑を、
花好きの娘たちに見せてやりたいとは思っていた。

畑一面のコスモスに娘の目の色が変わった。
あちこち親子ふたりで写真を撮り、
娘も両手でV ピース。
娘はいくつか花を摘み、小川の水をくんだ空き缶に挿して、
おねえちゃんに持って帰るのだと言った。

その日のお昼は家でお弁当だった。そのおかずも、
僕は昨日のことのように思い出せるのに、
娘はあの日のことさえよく覚えていないと言う。

この次の年の父の日に会社の社内報で特集が組まれ、
子供の作文の要請が僕の所にもきた。
作文と父との写真が要るとのことで、僕は、
妻に娘の作文とそれから何か写真を選んでおいてくれと頼んでおいた。
その娘が選んだのがこの写真だった。
娘はにこやかに笑っているからいいものを、よくもまあこんな、
二日酔いの親父の顔を写した写真を選んだもんだと思う。
でも、内心は喜んでいた。

思い出が娘の記憶から薄れるのは淋しいけれど、
それだけ細胞分裂のように記憶の引出しは、
次々と子供の発達する脳のどこかに作り出され、
一度は忘れ去られるのだろう。
そしていつか大人になり人生を重ねて年をとるごとに、
ある日、ふいに引出しが開かれ、あの時の弁当のおかずも、
鮮やかに瞼の裏に映し出されるのかも知れない。

秋の桜と書いて、秋桜(こすもす)。
と言えば、山口百恵。

  ♪ こんな小春日和の 穏やかな日は
       もう少し あなたの子供でいさせてください ♪

 
 
 
 
 
  
 

2009年10月01日 »