2009年11月30日

dasaku   冬満月


 
 
 
         ぽけつとの 穴に指入る 冬の月 
 
 
 

11月が終わる。明日から師走。

なんとも淋しげな冬の月。
冷蔵庫の月カレンダーが最後の一枚になる。
家族それぞれの行事が書き込まれたカレンダーは、
ひたすらに待つ日から過ぎた日をくりかえしてきた。
そして、今年も待つ日が30日余りとなる。

今朝の出勤時、
隣のおばあちゃんが家の前の落葉を掃いておられた。
「おはようございます」
「おじいちゃんの具合いどうですか?」
「寒くなってきましたね」
他愛もないあいさつに、今月の、
森村誠一の写真俳句のすすめ、を思い出す。
「おはよう」という、
なんでもない朝の挨拶に平和が象徴されているとあった。
夕べは無事、眠れたか、
夕べは飯食ったか、
そんな時代から、やっと、
夕べはゆっくりやすめたか、
という挨拶になるまでの苦難の時代が隣国にはあったと。

「いってらっしゃい」
無事に帰って来るのが当たり前のように、
おばあちゃんに声をかけられて、
今朝は家を出た。

11月最後の夜。
引っ張り出した厚手のジャンパーのポケットに、
手を突っ込んで満月を見上げる。
ポケットに穴が開いている。
その途端、
僕はこの前の冬の終わりをあわてて思い出す。
次の冬には穴を繕ってもらわないと、
と思いながら春を迎えたのに、
春も夏も通り越して、
ポケットの穴は、つい、
昨日のことのように鮮やかに、
カレンダーの過ぎた日の記憶を甦らせる。

今夜もよく眠れそうである。
 
 
 

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2009年11月29日

dasaku   柳葉魚

     
 
 
 
        突出しで ひと酒飲めば ししやも来る 
 
 

少し冷え込んだ日。
外出先からの帰り、
お銚子の一本でもひっかけて帰ろうと思い、 
駅前の居酒屋ののれんをくぐる。

引戸を開けると、
新人らしい女性店員が、
入り口近くのカウンターに案内してくれる。
おしぼりをもらい椅子に腰掛けると、
奥の方でチーフがその店員に、
奥の席が空いているときは、
入り口近くは寒いから奥の方に案内するように、
と注意するやや小さな声がもれ聞こえてきた。
ほどなくしてその店員がやってきて、
よろしければ、と奥の方のカウンターに案内してくれた。
僕はさっきのことは聞こえなかったふりをして、
ありがとう、と礼を言って、すぐに帰るから、とも言った。
ポニーテールの髪の女性店員のかわいい笑顔についていった。
 
熱燗に、肴はししゃもを焼いてもらうことにする。
すぐにお酒と突出しが運ばれてきた。
盆の上に小鉢が三つほど載っていて、
どれかひとつ好きなものを選べと言う。
「これは、何?」
とそのうちの一つを差して言うと、
本日の突出しです、と言う。
僕はなんの料理かと訊いたつもりだったので、
笑っていると向こうも気がついたようで、
苦笑いしながら、
いったん引き下がって厨房に確認しに行こうとする。
いや、いいからと彼女を引きとめて、
その小鉢を取る。
それくらい教えとけよ、チーフも。

細かく切った鶏肉の煮込み。
なかなか味が浸みて旨かった。
それを肴に酒を飲む。
こういう場所で飲む酒はなぜか、
家で飲む酒とまた味が異なる。
明日からの仕事の段取りのメールを、
携帯で確認しながら飲もうと思ったが、やめた。

携帯を閉じて店内を見渡す。
テーブル席は半分くらい埋まっているけれど、
座敷の方ではどこかの家族の何かの祝いなのか、
お年寄りから小さな子供まで大勢集まって騒いでいる。
もう11月も終わり、今年もあとひと月。
早いなあと思いながら飲んでいると、
酒のなくなるのも速い。

お銚子一本空けた頃、ししゃもが焼けてきた。
どうしようか・・・。
仕方がない。
お銚子、もう一本おかわり!
さっきの笑顔のかわいい女の子に言う。

結局、三本飲んじまった。
ししゃものせいで・・・。
  
  

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2009年11月29日

dasaku   朽 木

  

          年輪の 数よむ冬の か細さよ
 

  

森の奥。
 
苔むした古木が年輪を剥きだしに、
放置されている。
朽ちていくだけの年月は、
年輪に刻まれることもなく、
無言のまま、
忘れ去られたように静かに、
ただそこに横たわるだけ。
 
興味本位でその年輪を数え始めたが、
越えてきた冬の数など読んでみたとて、
今更なんになる。
憐みや同情などいらんと、
取り囲む森の歴史が、
地の底からも天空からも、
やさしく包みこんで言う。

わが歳の数のあたりで、
輪の数を読むのはやめた。

もの言わぬ倒木の、
いくたびも越えてきた、
冬の輪のか細さだけが、
心に沁みてくる。
 
 
 

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2009年11月28日

dasaku   冬の森

 
 

                幻燈の 落葉映すや 森の道
 
 
 
 

山に入る。冬の朝。
歩く先々に光の帯が道を照らす。
照らされた落葉が陰影をもち、
そこだけ油絵のように盛り上がる。
小学校の頃の幻灯機を思い出す。

家にまだテレビのなかった時代。
紙芝居やら先生が教室のみんなの席の間をゆっくり歩きながら、
読んで聞かせてくれた童話や昔話。 
何よりの楽しみだった。

初めて歩く山の道。
曲がった道のその向こうに何があるのか、
胸をわくわくとして聞いたあのころの、
少年の記憶が甦る。

 

 
 

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2009年11月27日

dasaku   ありふれた暮らし


 
 
 
        ありふれた 暮らしのどこか 怖ろしき 
  
   
   

いくつもの
団地群の中では
つながらない鎖が
じゃら じゃらと
ほどけた音をたてる
この足の下には
昔 ぶどう畑があった
ふさふさと寄りそった
やぐらの下では
ぶどうの実が
いくつも
いくつも
連なっていた
その
一房を盗みとるために
俺たちの胸は躍った
 
 
 

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2009年11月26日

dasaku   九州場所


 
 
 
        前褌を 取られて冬の うつちゃられ 
 
 
 

歯をくいしばる寒さが、
近年は少なくなったように思う。

年をとると感覚も鈍くなるのかも知れないけれど、
昔はもっと芯の底からかじかむ日が多かったような気がする。
  
  

冬の冷え込む受験勉強の夜は、
靴下を何枚も履き、セーターを重ね着して、マフラーして、
厳しい寒さとの戦いだった。
そんな頃、
母が夜遅く持ってきてくれる熱々のインスタントコーヒーには、
クリープがたっぷりの独特の味と、
どんな暖房器にも負けない暖かさがあった。
お前だけではないのだという、
芯の底からあったまる無言のぬくさがあった。

「クリープを入れないコーヒーなんて・・・」

という CM コピーが昔あったけれど、
クリープを入れたコーヒーには僕だけのオリジナルの味がある。
それは歯をくいしばる寒さの中から、
生まれたような気がする。
  
 
 
なんやかや言われても、
モンゴル出身の両横綱には、
ぬるま湯に浸った日本人力士とは比べものにならない、
歯をくいしばる寒さがその昔あったのだろう。
 
ファンの方には申し訳ないけれど、
千代大海が大関陥落して引退しないのも、
魁皇が勝ち星を伸ばせるのも、
下から突き上げてくる若き獅子たちがいないからだと、
無責任に個人的には思う。

観戦する方も、
手に汗握り、歯をくいしばって見たいものだ。
  
  
  

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2009年11月25日

dasaku   もみじマーク


 
 
 
 
                並木道 走る車の 枯葉章 
 
  
  
 

高齢運転者標識。
通称、もみじマークが不評と聞く。

枯れ葉のようでもあり、
年寄りの涙のしずくのようだと、
警察庁はこのたび再度、
デザインを公募して見直すのだと言う。

まだ車に表示しなければならない年令ではないけれど、
個人的には違和感は感じない。
警察庁の行ったアンケート調査の中にも、
暖かみや親しみを感じると言う意見も少なくない。
でも、半数近くの人が不愉快に感じるのであれば、
デザインの変更もやむをえまい。

銀杏並木を走る車に、
黄色い葉が乗っかっている時がある。
何もむずかしく考えずに、
こんな銀杏の葉っぱの図柄でもいいのではないかと、
思って見ていた。
でもよく考えたら銀杏並木を走る車は全部、
高齢者になっちまうなあ・・・。
うまくいかんなあ。

いずれにしても、
被害者、加害者とも高齢者のかかわる事故が増えている。
それを少しでも減らそうという試みである。
枯葉マークとも呼ばれ、
年寄りの涙のしずく、とまで言われるくらいなら、
ちっともやぶさかではない。
  
これをデザインした人のやさしさを無にするようで悪いけれど・・・。
                       ⇒⇒⇒
                        
    

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2009年11月24日

dasaku   夢は瓶の中に

  
  

         甲州を 出でて冬日の 夢うつつ
  
   
  

妻が子供らを連れて泊まりがけの里帰り。
久しぶりの独身。
食卓に日差しの届く休日の午後。
コンロの上の小さな鉄板に、少しばかりの、
やや贅沢な肉を焼く。
ジャズを鳴らしながら・・・。

玄関のチャイムが鳴る。
酒屋が甲州ワインを届けてくれる。
千円もしないぶどう酒を開けて、
その昔、結婚祝いにもらったワイングラスに注ぐ。
穏やかな冬日さす貴重な時間を、
村野四郎の体操詩集を読みながら・・・。
 
 

逆手車輪からムーンサルトで着地する。
続けて前転して連続バク転宙返り。
ボトルの真ん中あたりで十字バランス。
いつのまにか空けてしまったボトルの中で、
かつて学生の頃、練習に明け暮れた、
体操を演技している。

僕は少し背もたれの長い椅子で、
うたた寝をし、狭いボトルの中で、
息苦しい酸欠の夢を見る。
最後の息を吸い込み僕は必死で走る。
もう止まってしまったらおしまいだ。
腕を振り、つま先を蹴り、両足をそろえて、
とび板に飛び込む。
ロケットのような反動で、
跳馬の背を両手で思い切り突き放し、山下跳びで、
ボトルの口から泡のように噴き出して目が覚めた。
 
窓からの風にボトルが揺れている。
夢うつつの瓶の影が、
その軌跡を残しているようだ。

久しぶりの独身でいい気になっても、
あの頃には戻れないことをあらためて、
教えてくれたような気がする。
    
  
  

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2009年11月23日

dasaku   寺のにぎわい


 
 
 
 
          砂利音の 行きつ戻りつ 冬紅葉
  
   
  

今日はまさに、
勤労を感謝するような好天気だった。

少し高名な寺に足を運ぶと、
朝から駐車場も満車状態。
車を降りて参道の砂利道を歩くと、
三脚やカメラバッグを下げた人が多いのに気づく。
目的は寺の境内の紅葉。
見事に紅く染まり、寺の屋根瓦も、
散りゆく紅葉を惜しむように見とれている。

信心のお年寄りも、
背丈ほどのもみじの葉に少し背伸びして、
足を止める。
携帯のカメラも含めると、
全ての人がカメラマンになっている。

金堂の仏さまも拝まずに帰還する、
紅葉の狩人たちには、
日ごろの勤しみを癒やす絶好の日和になったにちがいない。

仏をさしおいて、
寺の入山料も拝観料も、
ことのほかの浄財になったことだろう。

御利益のあらんことを・・・。
 
 
 

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2009年11月22日

dasaku   くもの巣

       

  
 

          張る糸を 払いのけても 師走来


  
  

また今年も師走がやって来る。

桜の花が咲き始めたのが、
つい昨日のような気がするのに。

年月を感じさせるものにも、
いろいろと人によって差異がある。
独立した子供の空部屋に積もった埃であったり、
使わなくなったハサミの錆であったり、
包丁や手鍋の手あかだったりする。

学校に通う橋の欄干に張ったくもの糸。
数年前、橋は新しく架け替えられたのに、
手摺りの下に張るくもの糸。
年月以外に寂しさを感じさせることを、
このごろ知るようになった。

くもの巣を払いのけても、
時は引き返すことなどしない。
川の流れのように立ち止まることもない。

誰の足元にも、
否応なく師走はやって来る。
  
  
  

 
 
 
 

 

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2009年11月21日

dasaku   曲がりくねった坂道


 
 

         越すものを 冬だけにして 五十路坂
  
  
  

思えばあのころが、
幸せの絶頂期だったのかも知れない。

誰も腰が痛いの具合いが悪いの、
入院したのと言うものはいなかった。
正月に一族が集まると、
みなあらん限りの声を張り上げて、
カラオケを競って歌ったものだ。

兄弟の子供たちも小さかったから、
全員が顔をそろえた。そのうち、
年頃になるとそれぞれに用事ができて、
一人抜け、二人抜けみんなが揃うのが珍しくなった。
そして父は永遠に欠けてしまった。
マイクを握った父が孫といっしょに、
喉の奥を丸見えにして歌っていたころが、
とてつもなく懐かしい。

♪ この坂を越えたなら しあわせが待っている ♪

母が好んで歌った都はるみ。

坂を越えたところにいることを、
その時は誰も気づかずにいた。
  
  
  

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2009年11月20日

dasaku   昔の光


 
 
 
 
         生地あてを 繕ふ母の ちゃんちゃんこ 
 

  
 

古いアルバムの中に、
気に入りの白黒写真がある。

子供の頃の家の、
牛小屋の前に立つ、父と牛。
当時、牛は貴重な労働力だった。
牛の鼻輪を持つ父は白い歯を見せて笑っている。
いつも豪快に笑う人だった。

誰が撮った写真なのだろう。
長靴を履きカメラに向かって立つ父のズボンは、
つぎはぎだらけだった。
僕の記憶にないその頃の生活を垣間見る思いがする。
ただ、
夜遅くまで針仕事をしていた母の姿だけは、
はっきりと記憶に残っている。
糸を通しては黒髪に針を持ってゆく。
その所作を瞼にかくしいつも眠りに落ちた。

古いアルバムは、
実家のどこかに仕舞われて簡単には、
探し出せそうもないけれど、
気に入りの写真は、
いつもこの胸の奥に仕舞ってある。
  
  
  

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2009年11月19日

dasaku   ひつじ田


 
  

          冬の田に 親子二代の 晴れ姿

  
   

大きくなったら、
親父のような酒呑みにはならない。
反抗期の頃、そう思った。

あの頃と同じ今の自分の娘は、
どう思っているのだろう。

酒癖が悪いわけでも、暴れるわけでもない。
外で酒を飲んで帰るわけでもない。
仕事から帰っての普通一般の晩酌に過ぎない。
そんな父を見て、
無性に何かに腹を立てていたように思う。
親父のようにはなりたくないと思った。

成人し社会に出て所帯を持ち子の親になる。

その節々に、
同じ年代の親父と比較する自分がいることに気付く。
父と母が結婚し長男の僕が初めての子として生まれる。
その頃の親父の姿を想像する。
仕事で転勤する。
家族を引き連れて大阪に出てきた頃の親父を思う。
子供の成長の節々にも親父の顔がちらつく。
家族や仕事の問題。
親父だったらどうしただろう。
親父を亡くしてからそう思うことが多くなった。

冬のひつじ田のように、
気がつけば、
広げた手の甲のしわが、
親父そっくりになっている。
そして、
いつのまにやら、
親父のような酒呑みになっていた。

  
  
  

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2009年11月18日

dasaku   吹き溜まり


 

  

         不幸ばかり 積み重なりし 落葉踏む

  
   
 

人は悲しみを盛る器、と、
今朝のよみうり編集手帳に。

それだけでは、
よろこびを盛る器の底が、
はじめから割られているようで、
なんともやり切れぬではないか。

幼なじみを事故で亡くした通夜の晩。
寄り集まったみんなの顔は、
思い出話に、笑っては泣き、
泣いては、また笑った。
それのくり返しだった。

冬の強い風に寄り集まった、
吹き溜まりの落葉を踏むと、
カサッ、コソッと、
靴の底から、
泣いては笑う声がした。
 
 
 

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2009年11月17日

dasaku   冬 畑


 
 
 
 
           冬を轢き 畑の轍 動きだす 
 
 
 

やはり秋から冬の季節は、
どことなくもの寂しい。
春から夏にかけての、
日に日に目を見張るような成長の変化が見られない。
躍動するものがない。 

ひょうひょうと風の吹く畑には、
見渡す限り人の姿が見えない。
陸軍兵舎のようなビニールハウスに、
あちこち破れがきていても、
しばらく修復されそうにない。

物置小屋の赤く錆びた波板の屋根が、
一部めくれてパタパタと風に鳴く。

人の姿も鳥の姿も虫の姿もなく、
動くものは、
ただ、
畑の轍の跡だけが、
躍動して見える。

 
 
 
 
 

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2009年11月16日

dasaku   青二才


 
 
 
         酸つぱさの 思い出生るや 蜜柑山 
 
  

柑橘類は好きである。
カンキツという言葉も好きである。

この頃の蜜柑には、
当たり外れがあまりなくて、
ほとんどの蜜柑がおいしくいただける。
栽培技術が高く、品質も安定しているのだろう。

子供のころの家の畑にも蜜柑の木があった。
蜜柑が生る頃になると、待ち切れずに、
まだ酸っぱいうちにちぎって食ったりした。
だから、
こういったまだ青みの残る蜜柑を見ると、
口の中が唾でいっぱいになる。

甘い蜜柑もいいけれど、
時には顔を細長~くしかめて食するのも、
どこか青二才の自分を思い出させてくれて、
若返るような気がする。

カンキツに似た、
酸っぱい思い出は、
後々、甘味が増してくる。
  
   

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2009年11月15日

dasaku   一陣の風


 
 
 
  
          神の子も 人の子なりて 神渡し 
 
  

            むかし、この国は深い森に
            おおわれ、そこには太古から
            の神々がすんでいた。

        映画「もののけ姫」の冒頭シーンに出てくるコピー。 
 

「子供は神様の子じゃから」と、子供の頃、
親に叱られているとよく死んだばあちゃんがかばってくれた。
もっとも母の話によれば
自分も子供の頃は母によく火箸でたたかれたと言っていたけれど。
おばあちゃんにとって、孫こそ、神の子だったのかも知れない。

過ぎてしまえば、
一陣の風に舞う砂ぼこりのように、
目を細めている間に涙ぐむような思い出と化し、
アルバムに貼られた一枚の写真となる。

子供たちの祝いの席には、
めったに揃わない両家の親も顔を合わせた。
頑固者のあのおじいちゃんの顎を曲げて見せた子供らは、
やはり神の子だったのかもしれない。

今はもう両方のおじいちゃんもこの世にいない。
正装したみんなといっしょに、
整理ダンスの上の写真立ての中に納まっている。
これ以上はないという笑顔で。

神の子は、
暗い海の底から打ち上げられてくるのか、
深い森の奥からやってくるのか、
定かではないけれど、この頃は、
その子供の数も少なくなってきた。

きっと、
森は荒らされ、海は汚れ、
神々も居づらくなっているのかも知れない。

 

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2009年11月14日

dasaku   ゲートボール


 
 
 
  
         白手袋 生きるこの日を 打たんとす
 
  
 

休みの日になると、
時々、公園の方から、
ボールを打つ乾いた音が聞こえてくる。

夏は手ぬぐいを首から下げて、
冬は真白なる手袋をして。 
 
このゲームは総じてお年寄りが多い。
ゴルフに似ているけれど、
ゴルフのような個人競技ではない。
何人かのチーム対抗で競技する。 

転がるボールがゲートをくぐると歓声が湧く。

いつも公園のベンチに腰かけ、
そのプレーを眺めている人がいる。
同じような年配の人で、いろいろと指示を出している。
監督さんらしい。
横に車いすが置いてある。
昔、事故で片足を失くしたと言う。

この競技の面白い所は、
ボールを足で踏んでスティックで打つところかも知れない。
スパーク、と言うらしい。

ルールを知りだすと見ていても面白くなる。
見ていても面白いけれど、
監督さんはやはり自分でもやりたそうだ。
打つだけならいいけれど、
スパークができないからなあ、と言う。

転がるボールはいつか必ずどこかに静止する。

それにまた息を吹きかけ、
息を吹き込み、球を打つ。
長い人生の経験を面白く楽しく遊べたら、
監督さんでなくてもやりたし。

ゲームは、
ゴールポールに球を当てて、
人生にはない「あがり」となる。

ゲートボールは日本が発祥のスポーツらしい。
分かるような気がする。
  
  
 

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2009年11月13日

dasaku   喫水線


 
 

 
          喫水の 首も出さずに 浅き冬 
 
 
 

暖かい日が続いたと思ったら、
急に冷え込んだり、
気まぐれな冬。

急に冷え込んだ朝の池には、
靄のような水煙が池の水面に立つ。
外気より水の方がぬくい。
こんな日はまだ魚に活性がある。
冷え込みが2~3日も続くと魚の動きも悪くなる。
釣れなくなる。

思えば、
喫水線を境にして、
二つの世界がある。

お互いがお互いの世界では暮らせない。
広い宇宙の狭い地球の中で、
それは不思議な気もする。

もっとも、
人間が溺れるのは、
何も水だけとは限らないのだけれど・・・。
  
  
  

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2009年11月12日

dasaku   心象風景


 
 
 
 
          この家に 嫁に来た日の 吊し柿 
   
  
   

母が、 
今年もまた、
僅かばかりの柿を剥いて吊るす。

それは姑と母の、
この季節ならではの仕事だった。

姑を見送ってからは、
たったひとりの仕事になった。
時々、妻も手伝うことがあるが、
元気なうちは自分でできると言うて、
ひとりのうちに、さっさと済ませてしまう。
これだけには、何よりも、
姑との長い長い歴史が詰まっているようだ。

今は干す柿の数も少ない。
この家に嫁いで来た時、
家のまわり中にこの柿が吊るしてあったと、
柿を剥く時の、それは、
母の決まり文句になっている。

今年も、あの時の、
花嫁を出迎えた柿が清楚に、
母の家の庭にぶら下がっている。

そうやって何十年も、
年を越えてきたのだろう。
 
  
 

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2009年11月11日

dasaku   冬落葉


 
 
 
 
         一葉の 報われずして 舞落葉 
  
  
  

秋には秋の、
冬には冬の落葉があるらしい。

たった一枚の葉っぱにも生まれがある。
記録にないだけで、
この山のどこかの木で芽吹いて、
りっぱに光合成を行い、やがて、
枯れて落ちていく。

枝先から落とされるきっかけってなんだろう。
思わず吹いてきた風か、それともあらかじめ、
今日のこの日の決め事だったのか。

一枚の葉っぱの単なる思いつきか気まぐれか。
いずれにしても、
せめて大地に落としてやりたし枯れ落葉。

同じ落葉でも、
冬の落葉はどことなく憐みを誘う。
  
  
 

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2009年11月10日

dasaku   小春日和

  
  
  
 

          銀輪の 走りて止まる 小春道

  
  

ここ数年の冬は、
この地方ではあまり悴むという言葉が、
似合わない季節になった。
昔の冬はもっと寒かったような気がする。

寒かったけれど、
着るものは今より薄物だった。
鼻の下に跡が残るような、
鼻垂れ小僧もいたけれど、
あまり風邪などひくものはいなかった。
マスクなど当時の医者さえしていなかったように思う。

小学生のころは毎年のように手に霜焼けができた。
その年はよっぽどひどかったのだろう。
母とバスに乗って小さな温泉に、
湯治に連れて行ってもらった記憶がある。
素手なのに手袋をしているように腫れあがった手が、
それで治ったのかどうか覚えていない。
滅多にバスに乗ることなどなかったものだから、
帰りのバスの窓から母といっしょに見た、
海に沈む夕日の美しさだけが、今も、
冬と寒さと霜焼けの思い出につながっている。

子供の頃の思い出には、なぜか、
そんなものが少なくない。

悴む頃になればまた、
指も胸も疼きだすのだろうけれど・・・。
  
  
  

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2009年11月09日

dasaku   冬来たるらし


 
 
 
 
         山の背の 身じろぎもせず 冬がまへ 
 

  
  

おかしなもので、
立冬を過ぎるとなぜか、
目にするものがみな冬景色になって困る。

一週間前とそんなに変わらない気候なのに、
朝、登校する子供たちの背中が寒そうに見える。
信号待ちする赤信号の色がこころもちくすんで見えて、
青信号が冷たそうに見える。
歩行者用の信号などどこかせわしなく映る。

冬は年の暮れにも近い。
空の雲もなんとなくよそよそしい。

みんなどこかで冬を構え始めている。

小さい秋を見つけた頃のように、
心がまた小さい冬をさがしているのだろう。

俳句人のように・・・。

 

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2009年11月08日

dasaku   狐がコン


  

 

 
           陽だまりに 狐の影や こんと鳴く
  
   
  

おそらく狐ほど、
昔話に登場する動物もあるまい。

狼や狸より理知的でどこかずる賢さもある。
人間をだましたりするものだから、
人間に懲らしめられたりする。
憎めない悪役のようなものだ。
  

昔、
大きな屋敷で働く飯炊き女がいた。
いつか一度でいいからお伊勢参りをしたいもんだと、
叶わぬ夢を持っていた。

この屋敷の裏山に老いた狐が小さな洞に棲んでいた。
もう自分で餌をとるのにも難儀している。
飯炊き女は屋敷から出されるわずかな食事の一部を割いて、
いつもこの老いた狐の所にこっそり運んでいた。

そんなことが一年ほど続いたある冬の夜。
女はお伊勢参りに行く夢を見た。
ところがその夜の夢は、
夢とは思えないほどリアルで、
歩けば足も疲れるし、お伊勢さんの情景に  、
実際に行った者でなければ味わえない有難味があった。
ありがたや、ありがたやで目が覚めて女は、
また朝の食事を少し残し、そっと裏の狐の所に持って行った。
雪の降り積もった朝。
狐は洞の奥に横たわったまま死んでいた。
傍らには、
夢の中でお伊勢さんからいただいたお札が置かれていた。

  

そんな話を思い出しながら、
窓から差す日に手を伸ばし影絵で遊ぶ。
他愛のないたわむれに、
老いてゆく手の狐が、
コンと鳴いた。
  
  
  

2009年11月08日 »

2009年11月07日

dasaku   歳時記

   
 
  
   
 
        冬の字の やけに小さく 見えにけり 
 
 
  

シーズンが終わった。
立冬のこの日。
日本シリーズは巨人が制覇して、
今シーズンを締めくくった。
なかなかの熱戦であった。

我家では僕以外は野球に興味がない、と思っていた。
妻など野球のやの字にも反応しない。
母親がそんなもんだから、
子供たちもテレビ観戦することなどなかった。

ところが今シーズン終盤あたりから、
下の娘が時々野球中継を見るようになった。
クライマックスシリーズから日本シリーズと、
ルールはまだ把握しきれなくても、
投手と打者との勝負に関心を示すようになった。
どうもイチローの9年連続200本安打達成が、
きっかけになったような気がする。
野球の何がこんなにみんなを熱狂させるのか、
理由を知りたくなったのかもしれない。

そういう僕も長嶋が引退するまでは、
ほとんど野球に興味がなかった。
あの頃のラジオはシーズンになると、
どこも野球中継ばかりでうんざりしていた。
ところがあの長嶋の引退セレモニーをテレビで見てから、
野球に興味を持つようになった。
野球の何がそんなに面白いのだろうと思った。

今夜の日本シリーズは、
下の娘と二人でテレビ観戦した。
妻と上の娘は他の部屋でバラエティーを見ていた。

これまで、
息子なら・・・、と思わないこともなかったけれど、
今夜は娘と久しぶり野球を堪能した。
今年最後の野球にふさわしい夜となった。

冬のおいでなる日に、
飲む酒のうまさかな。

  
   
  

2009年11月07日 »

2009年11月06日

dasaku   美術の秋


 

  

         見えざれど どこかで秋の 絵描き人

  
   
   

公園と言っても、ピンからキリまである。
街角の小さな三角公園から、
ひと山がすっぽり入りそうな大きな公園まで。

公園に集まる人々も実に多彩な人が集まる。
散歩の人、ジョギング、自転車、撮影会、バードウォッチング、釣り、吟行会、幼稚園の遠足、バーベキュー・・・。
年代も子供連れの家族、若いアベック、シニア夫婦、学生・・・。

ここも大きな公園で、
休日の天気の良い日にはたくさんの人でにぎわう。
先日の日曜日も好天に恵まれ、
いろんな人が思い思いの秋の一日を過ごしていた。

このよく管理された公園には、
売店もありそこで働く店員もいる。
定期的にゴミを集めてまわる人、
トイレを掃除する人、
パトロールしてまわる人。
催事の準備する人、運営する人。
入ってはいけない所に入ったり、
禁止事項を破っている人がいると、
すぐに注意の放送が入る。

四六時中見張られているような、
何もかもがんじがらめに管理されているような息苦しさの中で、
樹木の四季の移り変わりがことさらに自然に見える。
植樹も計画的に行われているのだろうけれど、
花の咲く時期、実のなる時期、木の葉の色付き具合までは、
自由にならない。

なにげなく撮った一枚の写真の中にも、
様々の人がいて、切り取られた秋の一面がある。
まるでどこかで誰かがこの風景を絵に描いているような気がして、
ふとふり向いてしまう自分がいる。

少し厚めの上着を着た自分もまた、
秋のモデルの一部なのかも知れない。
  
   
  

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2009年11月05日

dasaku   辣 韮

       
 

 

          利発なる うす紫や 花らつきょ


 

土曜日の昼になると、
テレビの前で下の娘の笑う声がする。 
 
下の娘は吉本新喜劇が好きである。
超マンネリの笑いをこよなく愛する娘のクスクス笑う声は、
隣の部屋にいる僕の口までにんまりとさせる。

その新喜劇の中で、桑原和夫がいつもおばあさん役で登場する。
  「私はここに住んでる八千草薫と申します」
  (それを聞いて相手が驚いたのを見て、すぐ)
  「八千草薫・・・のファン、」 と決まって同じことを言う。
だから子供たちは昔から八千草薫という名前はよく知っている。
いつだったかその八千草薫本人をテレビで見て少々驚いていた。
随分と年をとっていたから・・・。
昔はもっとべっぴんさんだったんだぞー、と口をはさむ。

これも超マンネリズムの男はつらいよの何作目だったか、
八千草薫がマドンナ役で出演していたことがある。
もちろん若い頃の話である。
さくらと八千草薫がふたりでいる所へ寅さんがやってきて、
「やい、そこのちびらっきょにでからっきょ、二人そろってなんの相談だい」
とおちょくる場面がある。

うちにも、
ちびらっきょにでからっきょがいる。
時々、親子喧嘩もするけれど、
この頃はどちらがちびらっきょかでからっきょか、
見わけがつかなくなっている。

特にみんな用事がなければ、
土曜日の昼はテレビの前で家族そろって昼飯を食う。
あり合わせのラーメンでもすすりながら、
超マンネリのここぞという場面になると、
口をこぞって笑う方に使う。

これからは、
炬燵が超、似合いそうである。
  
  
  

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2009年11月04日

dasaku   ひつじ田


  

  

         穭田に 情けばかりの 残り水
   
  
   
   

晩秋の穭田にはどこか、
やるべきことをやり遂げた安堵感のようなものが漂っている。

田に水が引かれ、
大きな水鏡が広い空を映していた頃から、
天変地異や水害、鳥害、天候、様々の弊害に気をもんで、
やっとたどり着いた刈り入れまでの期間は決して短くはない。

今はただ、
田の土も静かにほっと一息ついている。
かつては満々と満ちていた水も、
水引口にわずかばかりのたまり水を残すのみ。

これくらいの水たまりなら、
ちょっとの冷え込みであっという間に凍り付く。

その水ももうすぐ干上がってしまう。
残された穭には悪いけれど・・・。

これからはこの辺りの水田も、
また来年があるかどうかは、わからない。

 

 

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2009年11月03日

dasaku   働く手


 
 
 
  
         手の甲に 血を滲ませて 照黄葉
  
  
  
  

     はたらけど はたらけど猶わがくらし楽にならざり じっと手を見る 
                                              石川啄木
  
  

じっと見た手は手の平にちがいない。

裏返して手の甲を見る。
じっと見る。

死ぬまで働き続けた父の手に似ている。

手の平は指を結べば五本の指が、
それでもあたたかく包んでくれる。

手の甲はどんなときでも、
吹きさらしの表舞台に立つ。

そんな父の手に似て、
うれしく思う。
  
   
  

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2009年11月03日

dasaku   語らい


 
 
 
  
           語らいも 粧ふ山の 雀哉     
 

  

公園の丘の上にベンチがある。
誰もがここで一旦足を止めて、
見晴らしのいい景色に見とれる。

紅葉の森や、秋風にさざ波の立つ池。
はるか遠くの山まで続く青い空。
もう日が暮れようかという日曜日。
ひと組のカップルがベンチに腰を下ろしていた。
その横の小道を下って丘を降りると、
さっきまで明るかった空が、
電池の切れかけた懐中電灯のように、
うすぼんやりとしてきた。

ベンチの中年のお二人は先ほどから、
やたらと話し込んでおられる。
座ったお二人の微妙な間隔には、
結婚生活の長さも感じれるし、
付き合い始めの男女の遠慮にも見える。
べったりの恋仲ではなさそう。
あるいは、別れ話のもつれか。
いやそれはないだろう。
女性の方がみかんを剥いておられるのを、
下りしなに見かけたし。

いずれにせよ、
時折、笑う声も聞こえてくる。
テレビドラマの見過ぎかも知れない。
余計なお世話は丘の下からにして、
僕は止めていた自転車のペダルを漕いだ。

平凡な日常に波風を立てているのは、
暮れかけの紅葉の森を通る風と、
自転車に灯を点けて走り去る、
僕だけのようだ。

平凡に飽きてはいけない。
平凡が一番。
  
  
  

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2009年11月02日

dasaku   裏 表


 
 
 
 
          水映す ジキルとハイド 秋の池 
 
 
 

物事には裏表があるけれど、
あの人には裏表がある、というのは、
あまりいい意味では使われない。

秋。
枯葉が風に吹かれてはらっと舞い降りてくる姿には、
どこか侘しさもあり、感傷に耽る風情がある。

我家の前の通りには街路樹に銀杏の木が、
数十m間隔で植えられている。
その葉っぱも色づき始めてきた頃、
役所の軽トラックがやって来て銀杏の枝を伐採していく。
銀杏の葉は散ることもなく枝ごとバッサリと切られてしまい、
裸同然になる。
毎年のことだ。
ある年、
どうして散る前に切っていくのか職員に尋ねたことがある。
落葉が困るのだと苦情があるらしい。
掃除するのが大変なのだと・・・。

人間の心にも裏表がある。

緑は増やせ、けれども落葉は困る。
ペットは飼いたし、糞は困る。 
結婚はしたいが子供は困る。
子供は欲しいが泣かれちゃ困る。

きりがない。

 

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2009年11月01日

dasaku   秋収め


 
 
 
 
         甲冑を 脱ぎ捨て山の 秋収め 
 
 
 

落人伝説やら、
落武者伝説が各地に残っている。

自分の生まれ故郷にも、その昔、
平家の落武者が住み着いたという言い伝えがある。
あちこちに記銘のない墓碑のような石柱が立っている。
そこを掘れば槍や刀や鎧が出てくると、言われてきた。
甲冑を捨てて土着した者たちの決意が埋められていると聞いた。 
でもいまだに掘られたことはない。
昔、誰かが掘ろうとして、
訳のわからない病気で狂い死んだという話も残っている。
それ以来、そのことは封印されてしまった。
  
  

山に朽ちる木の姿がある。
まるで戦から帰還した武者のように、
裸木は傷だらけで、今にも息絶えそうな、
鬼の形相に見える。

戦に明け暮れた武者たちの、
疲れ切った表情をして、
逃げ延びてきたこの地に甲冑を埋め、
百姓として生き延びる決意をする。
そんな昔を彷彿とさせる木が、
紅葉の山の麓にあった。

この山里にも落武者伝説が残っていると、
道を尋ねた老百姓が言っていた。
肩に鍬を担いでいたが、
手はその昔、刀を握っていたような、
ごつい手をしていた。

でも、
何代も引き継がれてきた面構えには、
秋の収穫に笑みのこぼれる、
れっきとしたお百姓さんの喜びが、
日焼けした顔の皺に深く刻まれていた。

どこかで会ったような気がして、
声をかけたのは、
やはり気のせいだったのかも知れない。

  
  
  

2009年11月01日 »