2009年12月31日
宵の年

佳い酔いは 良い好い善いの 宵の年
大晦日。
今年もいろいろあった。
社会的にももちろん個人的にも。
厳しい世の中になった。
rei さんの記事にあるように、
この大晦日でも寒空の下、
一生懸命働いておられる方々も沢山いる。
働きたくとも働けぬ方々もいっぱいおられる。
ネットという時代の寵児にあやかりたくともあやかれぬ人たちもいる。
dasaku のような独りよがりの酔狂を、
毎日書き留められる幸せを想う。
そういう場があることの幸運を思う。
せめて今夜は、
いろいろな方々が微々たる酒にでも、
虹の橋を渡れることを祈りたい。感謝。
2009年12月30日
dasaku 小晦日
菰樽の 四股名並べて 小晦日
30日。
早朝の、
八幡様には、
菰巻きの酒樽たちが、
化粧まわしを付けた力士のように、
威風堂々、居並んでいた。明日の夜には、
数え切れぬ群衆が押し寄せてくる。参道の砂利の一粒までにも、
ぴーんと緊張の糸が張り詰めているようだ。露払いの弁天様がお通りなる。
いよいよである。
2009年12月29日
dasaku 牛の目
数へ日や 牛も指折る あと二日
丑年の今年もあと二日。
チャレンジや変革を掲げた割には、
歩みはいまひとつ牛の如し。いままで牛のこともいくつか書いてきた。
ほとんど子供の頃の家にいた牛のこと。
一頭しかいなかったけれど、
本当によく働く牛だった。
あの頃は牛もりっぱな労働力だった。牛車の吊り金が突然はずれて、
牛が暴走した畑帰りの山道でのこと。
父と牛が納まった白黒写真の思い出。
牛の餌作りで切った足の親指に残る傷跡のこと。
種付けの話、病気のこと。
そして最後に牛買いに売られて行った日のこと。
牛は僕がもの心つく頃にはもう家にいた。
藁葺きの牛小屋があり、角の片方が半分折れていた。
庭の蜜柑の木に角をぶつけて折ったらしい。ある日。
学校からの帰り道。
その牛が見知らぬおじさんに引かれて、
向こうから歩いて来るのに気付いた。
僕には、
その牛の欠けた角を見なくても、
すぐに自分の家の牛だとわかった。
目の前まで来た時、
僕が立ち止まると、牛も立ち止まった。
牛の大きな目は淋しそうだった。
牛はおじさんに急がされてすぐに歩きだしたけれど、
すれ違う時に牛の目はまた僕を見た。
大きな瞳に僕の顔が映っていた。
しばらくそこで牛の後ろ姿に立ちつくした。
そして、
一目散に走って帰った。
母に訊いた。
母は、売ったのだと言った。
みんなで父のいる大阪に出る前の年のことだった。僕は今でもあの時の牛の目が忘れられない。
2009年12月28日
dasaku ピンポ~ン!
ご近所の お歳暮ばかり 預かりぬ
家人の出かけた時に限って、
玄関のチャイムが鳴る。自治会の回覧板だったり、
牛乳屋の集金だったり。
いまさきまで妻がいたのに。ピンポ~ン!また来た。
お隣が留守なので、
お歳暮預かってほしいと。
今さっき隣のおばあちゃん回覧板持ってきたよ↗。
尻上がりに言っても始まらない。
アルバイトの兄ちゃんに文句言っても仕方がない。こっちも遊んでんじゃねえんだ。
今日は納屋のペンキ塗り。
見ての通りの格好だ。
始めたら中断したくねえんだ。
年末の買いもんやらで、
みんな忙しいんだろうけど。ピンポ~ン。
今度はお向かいさん?
この辺の連中、俺ひとり置いてお出かけか?うちは何年か前、
申し合わせできる所は申し合わせして、
歳暮や中元はお互い取りやめることにした。
その点は随分と楽になった。
高校生の夏と冬。
百貨店の中元や歳暮の配達のアルバイトをやった。
自転車の後ろの大きなカゴに荷物を載せて、
地図を片手に走った。
いろんな家があった。いろんな人もいた。ある日の夕暮れ近く、
どうしても最後の一軒が分からなかった。
住所と地図を何度照らし合わせてもその家が見当たらない。
もうあきらめて詰所に帰ろうかと思ったとき、
二人組の警官に職務質問された。
暮れかけの空の下、自転車を押しながら、
あっちこっちウロウロする男が不審に思えたのだろう。どこの学校?身分証明書は?
といろいろ高飛車に訊かれたけれど、
事情を話すと、警官はいっしょにその家を捜してくれた。
結局、住所が1丁目と2丁目の間違いであることがわかって、
その家に着いた頃にはもう日が暮れていた。家から出てきたおばあちゃんは、
いっしょにいる警官の姿に驚いたが、
警官はやっとこの家を見つけてきたことを、
おばあちゃんに笑いながら説明した。
おばあちゃんはハンコを持ってきた手で、
僕の冷えた手をさすりながら、
「そうか、そうか」と言った。
なぜか目がうるんでいた。
そして帰り際、大福餅を一個くれた。
その大福餅をかじりながら見上げた空には、
今日と同じ月がかかっていた。
配達のアルバイトの兄ちゃんを見て、
そんな昔を思い出しながら、
やりかけの仕事にとりかかろうとしたら、
また、ピンポ~ン!
2009年12月28日
dasaku 飛行機雲
冬空に 白き航跡 夢の跡
あの飛行機、
どこまでとんでいくんだろうねぇ・・・。娘がまだ三歳のころ、
飛行機雲を見上げて尋ねたことがある。
あの頃は俺も若かった。
遠い海の向こうの見知らぬ国にでも飛んでいくのかと、
子供と手をつないで、
しっぽから消えてゆく白い雲の行方を追っかけた。
今でも、
その場所も時間も思い出すことができる。
二人のシルエットを、
外国の絵ハガキのように思い出すことができる。娘の返事もよく覚えている。
「ひこうじょうだよ」
そういえばあのころ、
大阪空港によく飛行機見に行ったよなあ・・・。あの頃から娘は、夢見るパパに、
現実を教えてくれるようになった。
2009年12月27日
dasaku 大掃除
年の瀬の 遅き昼飯 かつぷ麺
この頃は、
なんでも写真に撮られて困る、と妻の弁。カップ麺はあなたが料理したわけじゃないでしょ。
朝から大掃除。
台所も大掃除。
だから、
お昼はカップ麺。
カップ麺食ったら、
お父さんはお風呂の大掃除。
ハイ、ハイ・・・。
返事は一回。
ハイ、ハイ。その格好、撮ったげようか?
妻の弁。毎年、年末は妻の奴隷。
カップ麺、いただきまあす!
ひと仕事のあと、うめえ~!
ズズズズーッ!
2009年12月26日
dasaku 忘年会
寒き日に 息吹きかけし 茶碗飯
早いもので、一人だけの忘年会を、
このブログにアップするのも三回目になる。
去年は、
冬の夜風が中年男を泣かす、と書いた。
今年はその店だった所に貸店舗の看板が立つ。
景気は泥沼の中にある。仕事がらみの宴は、
あくまで仕事がらみであって、
内心の半分も楽しんではいない。
今年も三年続けての、
事納めほめてやりたしひとり酒、である。ところが今日の居酒屋はいっぱいで、
奥にあるテーブルをブラインドで仕切った一角に案内された。
店内は客の賑やかな声と、煙草の煙に満ちていた。
一人だけの忘年会には不似合いな雰囲気だったけれど、
とりあえず酒と一品を注文した。目の前の白いブラインドの向こうから、
男と女の声がまるで知り合いのようによく聞こえる。
酒が来る。
僕はそのブラインドに向かって祝杯をあげる。
静かな所よりこんなにぎにぎしい所が、
かえって一人になれる。
意味不明な言葉があちこちからごっちゃまぜになり、
結局、BGM のようなもんになる。
でも、目の前のアベックの声だけは、
BGMをバックに鮮明に耳に入ってくる。どうやらふたりで鍋をつついているらしい。
男の方が熱い豆腐か何かをフーフーして、
女に食べさせている。
アチアチアチッ、
口の中で置き所がないように豆腐を転がしている。
わかる、わかる。見えるようだ。
寒き日のアチアチは何よりのごちそうなのだ。
二人とも少し酔っている。
男が悪ふざけしたのか、
「んもう・・・あ・と・で」と言う女の小声。
ブラインドの力は大きい。アチアチが何よりのごちそう、で、
今朝の新聞の投書欄の記事を思い出した。
千葉県の67歳の主婦。「アツアツもごちそうのうち」が亡き母の口癖だった。
寒さのなか、フーフーと食べる食事は、
大したごちそうでなくても幸せな気分にしてくれる。
・・・・・・。
ほんとだ。
向かいのふたり鍋も幸せそうだった。
もちろん、
「あ・と・で・・・」のフーフーもいいけれど・・・。
2009年12月25日
dasaku 発光ダイオード
クリスマス 石の光を 懐かしむ
笹舟さんもおっしゃっているように、
今年はまたやたらと電飾が多くなったような気がする。
これもひとえに発光ダイオード(LED)の発明によるところが大きい。
あれが全部、白熱電球なら・・・、
考えただけでそら怖ろしい。中学生の頃、
真空管のラジオを作っていた。
もう半導体のトランジスタラジオの時代に入っていたけれど、
真空管のファンも多かった。ちょうど、
今の時代の白熱電球とLED によく似ている。
そのうち白熱電球は、
真空管のように消滅していく運命なのだろうけれど、
真空管には真空管の良さがあった。
真空管のアンプからは、
石にはない奥ゆきとやわらかい重厚味のある音がした。石が光を放つ。
どこかで聞いたことがある。
そう、火打石だ。
いやいや、
そんな遠い原始の時代の話ではない。
まだついこの前の江戸時代には、
一般では火打石が使われていた。だからみんな、
夜の闇のイルミネーションに憧れ、
石の光にどこか郷愁を感じるのかも知れない。
2009年12月24日
dasaku クリスマス・イブ
遅くなる ケーキさき食べ サンタより
サンタの正体を見破られてしまうと、
大人も少し熱が冷めるようだ。子供が小さい頃は、
サンタのおじさんも子供の夢を、
ぶち壊さないように大変だった。
セーラームーンやあんぱんまんのおもちゃは、
図体もでかく狭いマンション暮らしの頃は、
子供が寝るまで隠すのも大変だった。
朝、いつもより早く起きて、
玄関に置いて出勤した。それにしても、
日本人って不思議な民族だ。
孫やひ孫のためなら、
明治生まれのおじいちゃんおばあちゃんでも、
クリスマスを祝う。今夜は仕事で遅くなった。
先に食べといてとメールしたのに、
クリスマスケーキだけは僕の帰りを待っていてくれた。
昨日は焼酎の湯割りで、
今夜はロゼのワイン。ほんと、
日本人って不思議な民族だ。メリークリスマス!
2009年12月23日
dasaku 年賀状

お湯割りの 湯気立ちのぼる 賀状書き
「お父さん、なにやってんの?」
こたつで焼酎の湯割りを飲みながら、
年賀状を書いていると、
娘が勉強道具を持ってやってくる。
いつものことだ。
二階にちゃんと勉強部屋があるんだからそこでやれよ、
とは思っても言わない。
いや一度言ったことがある。
静かなところでやるのはいやだと言う。
静かな所でやる方が勉強もはかどるんじゃねえか?休日の午後。
特に用事はない。
外は冷たい雨の音。
湯割りの焼酎がまず一腑に沁み渡る。賀状書きは、
特に年賀状しか付き合いのなくなった人に、
思い入れが湧く。
その頃のことが思い出されて、
なかなか筆の進まない時もある。
焼酎の酔いに懐かしさが増し、
今年の賀状の文面を読み返したりする。
過ぎた年月を思い浮かべ没頭する。
こころも体もあったかくなる。
向かいに座った娘が先ほどから、
何やらぎゃあぎゃあとわめいている。そういえば、
お腹があんまり気持ち良くあったまり過ぎて、
思わずおしりの辺りから音が出た。そんなに騒ぐんじゃねえ、
静かなのは苦手だと言ったじゃねえか。
2009年12月22日
dasaku 冬 至
心持ち 若返りしか 冬至の湯
自分をほめてやりたい。
誰かがそう言って流行ったようであるが、
誰でも、時に、
自分をほめてやりたい時がある。謙遜し自己嫌悪に陥るよりも、
たまにはそんな自分にこっそり拍手する。
居酒屋のカウンターあたりで一人、
お猪口の酒の味をかみしめる。
今年もよくやったと。そして、
なにはともあれ、
自分をほめてやるのは、
ひと仕事終えて、
風呂の湯にざんぶりと浸かった時が、
一番多い。心にも無病息災を。
冬至。
2009年12月21日
dasaku 冬 耕
空風や 大売出しの 啖呵きる
風がきつい。
時折、雪が舞うけれど、
雪は真横に降ってくる。田んぼを潰してできたドラッグストアに、
大売出しの旗。
その文字を写そうとするけれど、
きつい風に字は一時たりともじっとしない。
このストアの横にはまだ畑が残っている。
白菜とキャベツ畑。
寒い中、
老夫婦がしゃがみ込んで仕事する。「すみません、ちょっと撮らせてください・・・」
「わしらを・・・か?」
怪訝そうに問い返す。
いえいえ、畑のキャベツを、と言って承諾をもらう。撮り終えて礼を述べて去ろうとすると、
ちょっと待て、と言う。
よかったらもっていけと言って、
キャベツを一玉もいで持たせてくれた。ちょっと荷物にはなったのだけれど、
ありがたく頂戴することにした。
出荷してもタダみたいなもんだからと、
年寄りは寂しそうに言った。この畑も近いうちなくなるのだろうか。
車にもどり助手席に載せたキャベツを見ながら思った。隣のストアの、
フェンスに立てられた何本もの大売出しの旗だけが、
ちぎれんばかりに威勢よく啖呵を切っている。老夫婦の長年耕してきた土の匂いが、
車の中に充満してきた。
2009年12月20日
dasaku 憐憫の情
息を呑む 石の兎の 赤き眼に
鶴の恩返し。
決して覗くなと言われれば、
覗きたくなるのが人情だ。
民話や昔話の中には、
他に似たような話がたくさんある。決してふり向いてはならない、と言われ、
恋しい女の泣き叫ぶ声や、
死んだはずの母親の呼ぶ声に、
思わず、ふり向いてしまった男は、
固い石にされてしまう。あれはいったいなんなのだろう。
誰もいなくなった冬の公園に、
かつて我が子が遊んだ場所がある。
幼子と戯れる石の獣たちには、
幼子と同様、愛くるしさがあった。
けれども、誰もいない、
寒い北風の吹く広場には、
ぽつんと孤独のみが鎮座していた。改めて対峙して、
初めてまともに石の兎の眼を見た。
石にされた男の哀しい眼を見たようで、
思わず、はっとした。民話や昔話には、
人間の哀しい性や、
憐憫の情が隠されているような気がする。
2009年12月19日
dasaku パンのみみ
パンのみに 人は生きらず 冬鴎
近くの公園に行くと、
ネコにえさを与えないでください、
という看板が目立つ。
そういえばこの頃、猫の姿をよく見かける。
それもまんまるにぶくぶくと肥えた猫が多い。
公園でランチした残り物を与えたりする人がいるらしい。
飼い猫より肥満の猫もいる。他に、
鳩の糞害に難儀しているマンションもある。
ベランダに網が張ってあったりする。人はどうして生き物に餌を与えたがるのだろう。
その心理をついてかどうか、
動物園や遊園地の一角に、
動物に餌を与えるコーナーがあったりする。
自分の手であげた餌を、おいしそうに食べる姿を見て、
わが子供たちもよろこんでいた。人はパンのみに生きらず。
生まれたときから相手の喜ぶ姿に、
幸せを感じるように神様がその昔、
インプットしたのかも知れない。夕暮れ時。
おじいちゃんが、
袋のパンのみみを手につかみ、
川に放り投げると、
狂ったように乱舞いする鴎たち。おじいちゃんは、
パンのみみの代わりに、
躍動する生きるエキスを、
鴎たちからもらっているのかも知れない。施しが相手のためになるのかどうか、
それは神様に訊いてみないとわからないけれど・・・。
2009年12月18日
dasaku 初 恋
風当たり 耐えて生きるや 寒鴉
中学生の頃、
転校してきた学校のクラスに、
負けん気が強く、
憎まれ口ばかりたたく女の子がいた。当然のようにみんなには嫌われ、
友だちらしき者もいなかった。
いつも一人だった。
掃除当番も給食当番もぽつんと浮いていた。
他の人のやることにケチをつけたり、
文句ばかりつけていた。
自ら嫌われるようなことばかりやっていた。でもやるべきことは必ずやった。
遅刻もなかった。
便所掃除当番も一生懸命やった。
ただいっしょにやる者に、あそこがまだ汚い、
ここがやり残していると口うるさかった。
いっしょにやりたがる者がいなかった。あとで知ったことだけど、
彼女の両親は数年前に離婚して、
父親の方に引き取られて暮らしていると聞いた。
小さな弟や妹の面倒を見て、
家では彼らの母親がわりともなっていた。そんな彼女の泣くところを二度見たことがある。
一度目は、偶然校舎の裏で、
ひとりぼっちで泣いている所に出くわした。
何か手紙を読んで泣いていたような気がする。
なんの手紙だったか知らない。
二度目は、
学校で飼っていたうさぎが死んだ時。
これも交替の当番で世話をしていたのだけれど、
彼女も友だちがいない分、
自分のペットのように可愛がって世話をした。
誰かが農薬入りの餌を与えたらしい。
彼女は自分のせいのように、
みんなの前で大声をあげて泣いた。嫌われ者の彼女を、
転校生の僕は好きになった。小学校二年生のとき、
気に入りの女の子を待ち伏せしたとき以来の、
ある意味、初恋だった。
2009年12月17日
dasaku 厳しさ
どこまでも 空青くして 初氷
夏の厳しさと冬の厳しさは、
同じ厳しさでも厳しさが違う。空ばかり見ると、
のどかな一日の始まりのように思える。
どこまでも高く澄んだ青い空。
足元を見ると、
空の青さと引き換えに、
田んぼの水たまりが凍っている。駅へ急ぐ人たちの口も、
急に無口になったような気がする。
「冷えますねぇ」
あいさつするゴミ出しに出た近所の奥さんも、
いつも話好きなのに、
それっきり余計な口は使わなくなった。
いつもはよく吠える散歩の犬も、
今日は下を向いたまま。でも、みんな生きている。
誰もかれもみんな口から白い息を吐き、
生きている証を見せ合っている。冬の厳しさの良いところかも知れない。
2009年12月16日
dasaku 玄関灯
玄関に みんなの靴と 冬灯り
夜、10時。
玄関の電球が切れたと言うので、
球を交換していると、表に娘が帰ってきた気配。
自転車を置いてからなかなか玄関のドアが開かないので、
不審に思って外をのぞくと、
娘は空を見上げていた。「お父さん、星がきれい!」
星かあ、どれどれ、と外に出る。
さぶっ!
今夜は、これぞ冬、
という冷たさが夜気に満ちている。
夜空を見上げると、
久しぶりに見るような数の星が、
天空にきらめいていた。
娘はあれこれと、父にはチンプンカンプンの星座の名前を呼ぶ。
そういえば、
小学生のころ、星座に凝っていたころがあったなあ。
あの頃もこうやって肩を寄せて空を見上げていたけれど、
今ではその肩も父と並ぶ。
父はまったく星座の名前を覚える気がない。
娘はよく覚えている。父は晩酌の酒の匂いをさせていたけれど、
娘からはかすかに香水のにおいがした。切れた電球をつけ替えてくれる人がほしかったから、
結婚にふみきった、という笑い話があるらしい。
それでもいいけれど、
いつまでも星をきれいに見上げられる人でもいいかなと、
そんなことを思いながらいっしょに玄関に入る。
つけ替えたばかりの電球の灯が出迎えてくれる。これで今夜も玄関にみんなの靴がそろった。
いつかは欠けるのだろうけれど・・・。
2009年12月15日
dasaku 冬本番
切つ先を 並べてみたり 冬の川
筋金入りの冷え込みが来る、と言う。
カラフルな服を着た若い女性予報士が、
深刻な顔をテレビに映して言う。
いえいえ、
まだまだこんなものではありますまい。
布団が凍るほどの寒さが、
あなたがまだ生まれていない頃には、
ありましたもの・・・。霜焼けでふくれた指の、
それでも寒風が遊び仲間の鼻たれ小僧は、
冬の野山を駆け回っていた。
あの頃の、
走りまわる風の子はみんな、
自分の体にストーブを持っていた。風呂を焚く煙に目をしょぼつかせ、
火吹き竹を吹く。
畑から帰ってきた父といっしょに風呂に浸かる。
庭先の屋根があるだけの五右衛門風呂は、
冬でもあったかい鉄の匂いがした。板敷きの囲炉裏に鍋を掛け、
母は妹を背負いながら晩飯の支度をする。
そこにも白い煙があがっていた。
温暖化は地球の危機だとしても、
あの頃は適度な二酸化炭素の放出があった。
人の心にも火鉢の炭火のような、
吹けば赤く点る柔らかな温みがありました。
時代は進んでも、
あの頃に勝る暖房器具は見当たりません。
あなたが生まれていない頃のものは、
ことごとく灰になりましたもの・・・。
2009年12月14日
dasaku 雪マーク
天気図に 初雪見たり 老い眼鏡
全国的に、
真冬の寒さ、と。
夕刊の天気予報。
近畿地区にも雪マーク。
豪雪地方の方には申し訳ないけれど、
南国生まれの者にとって、
雪にはあこがれがある。
南国でも昔は雪がよく積もった。
冷え込みの厳しい朝。
ふとんから抜けたくない冬の朝。
外は雪だと言う母の一言で飛び起きた。
雨戸を開ける。
まっぶしい。
庭一面の真っ白さは、
まるでお伽の国のような気がした。
弟と庭を走りまわった。
仕事から帰り夕刊を開く。
天気予報の雪マークを見たとたん、
雨戸を開けたあの時の、
雪景色が目に浮かぶ。
弟と走りまわった庭の小さな足跡が、
無数に脳裏に残る。思い出は、
老眼鏡をはずしても鮮やかに、
幼い頃の焦点にピントを合わせてくれる。
2009年12月13日
dasaku 蜜 柑
じぐそふの 蜜柑の皮の 残りけり
こたつの上に、
みかんの皮の残りけり。
いつもほったらかしにして妻の怒声。小さな球形の蜜柑を平面に剥きて、
少し指でなぞりけり。
甘い果実はすでに我が腹に納まりけり。怒れることなかれ。
我、
まだジグソーに戯れるなり。
2009年12月12日
福もどる

淋しさに 二泊三日の 子がもどる
娘が修学旅行などで、
なん泊か家を空けた時のように、
いくら騒いでみても、
どこか心に風穴が開いているような、
食卓にひとつだけ残されたイスを眺める、
みんなの目のような淋しさがあった。子どもの頃、
拾った子猫を、親に内緒で、
裏の空地に小屋を作って飼っていたことがある。
弟とふたり、家からこっそり食事の残りを運んだ。
まるで僕たちを親のように思い、
どこにでも僕らの後をついてきた。
それが、ある日、ふっといなくなった。
どこを捜しても見つからなかった。
あの時の、
小さな胸の淋しさを思う。
なんでもない軽い日常も、
積み重ねると鉛のように重くなる。
重なる日々が重しとなって、そのうち、
つけもんのように、
なんでもない日常から、
なんとも言えない味がにじみ出てくる。
出来の悪い、曲がりくねった大根でも、
つけもんになると、
かけがえのない大切なものに思えてくる。失くしたと思っていた古い日記帳が、
押入れの奥から手の中に、
戻ってきたような気がする。
2009年12月12日
dasaku けつねうどん
品書きの けつねのままに うどん食ふ
毎日食っても飽きないものにうどんがある。
なかでも油揚げののったきつねうどんが好きだ。
大阪では、けつねうどんと看板の上がっている所もある。
けつねうろん、と言う人もいる。
(ちなみに、揚げさんののったそばを、たぬきという)仕事先からの帰り、
昼時に和食のファミレスのようなチエーン店に入った。
そんなに空きっ腹でもなかったので、
きつねうどんにする。
壁に掛かっている品書きには、
“ けつねうどん ” とある。注文口で、そのまま、
けつねうどんください、と言うつもりが、
言い慣れないせいか、
「け、け、けっつねうどん・・・」
になってしまった。
自分でも笑ってしまったけれど、
厨房の中のおばちゃんも笑ってしまった。味はどうという特別の味がするわけでもない、
安い普通の昼飯時に食べるうどんの味がした。
けれど、
うどんを食べながらも、また食べ終わって外に出てからもまだ、
けつねうどんとおばちゃんの顔を思い出して、
どこか顔の筋肉が笑っていた。あえて言うなら、
けつねうどん、の味がした。
2009年12月09日
dasaku 人の象(かたち)
暗き森 人影怖し 冬木立
見渡す限り、
落葉ばかりの森の奥。所々に冬の日が差してきて、
そこだけ妙にまぶしい。
道にも細日の小さなかたまりが、
ゾウの足跡のように点々と落ちているけれど、
どこまでいっても人っ子一人いない。
こんな時期、こんな所まで来る奴なんぞいねぇよ、
なんて自問自答。ところがいた。
小さな坂を越えたころ、
向こうからも坂を越えてやって来る者がいた。
しばらくこちらに気付かずに、
天空の木々を仰いだまま動かなかったり、
古木の前でじっと立ったまま何かを見ている。
カメラを持っているわけでもない。
ジャージのズボンにスポーツ用のジャンパーを着て、
見た感じジョギング風に見える。
こちらの存在に気付くと向こうも、
驚いたように急に小走りになった。
ジャンパーの風防キャップをかぶっているので、
顔はよくわからない。段々、近づいてくる。
狭い山道の落葉を踏む音だけが聞こえる。
梢のすき間から射す光をさえぎりながら、
俯きかげんに走ってくる。
近づくほどに、
その動きがスローモーションに見える。
山に出てきた熊とすれ違うような迫力で、
僕の横を肩が縫っていった。「おはようございます」
低い男の声が、ぺこりと頭を下げて、
森の風のように通り過ぎていった。誰もいないと思っていた森の奥で会う人には、
目が見えはじめた子どものように、
わけもなく人見知りする。暗い森の奥では、
人の象した、
自分の影にさえ驚くときがある。
2009年12月08日
dasaku 二つの太陽
橋渡る ふた手に分かれ 冬夕焼
遠くに見えるあの橋は、
国の幹線道路。
日に何台の車が通るのだろう。二つの太陽が、
その橋のところでひとつになり、
西の空に沈む。橋渡る車には、
おそらく運転する人がいる。
少なくとも人の数だけの車が通る。思い思いの所から人は集まり、
一本の橋を通過点にして、
またそれぞれに散ってゆく。
橋の上が目的地の人はいない。
冬の日の軌道も、
橋の上が目的地ではない。今日も、
日の沈む幸せがある。ごくろうさま。
2009年12月07日
dasaku 地上の星
楽しみに する人もあり 冬銀河
毎年の、
このあたりの年の瀬の行事のように、
今年もこの家に電飾が飾られた。正直、初めて見たときは眉をひそめた。
昨年もここにこの記事をアップしたけれど、
内心では異を唱えていた。
けれどもこの写真俳句を一年続けてみて、
皆さんの記事に、
一面だけを捉えてはいけないことを教えられた。そんな目で見ていると、
ここを通り過ぎてゆく人の何人かは、
立ち止まって携帯などで写真を撮って行かれるのに気付く。
わざわざこれを見せるために子供を連れて来る人もいる。
眉をひそめる人たちだけではない。
楽しみにしている人たちもいる。何回か続けば本当に、
年の瀬の行事になる。
ああ、もう一年過ぎたか、今年も終わりだなと、
感慨にふけるようになるかも知れない。この一年でありさきも、
少し大人になった。
ちなみに下は去年のもの。

2009年12月06日
dasaku わらべ地蔵

大原女の 白足袋まぶし 三千院
京都大原三千院。
昔、「女ひとり」の歌がはやった。大原女(おはらめ)装束は、
今では観光用でしか見られないけれど、
僕はこの庭園のわらべ地蔵が好きだ。
わざわざこのわらべ地蔵たちを見に来る人もいる。
拝まれて、
思わずこちらも手を合わせたくなる。恋に疲れた女も、
さぞや癒やされたことだろう。
2009年12月06日
dasaku 家 路
父と子の 家路急がす 冬茜
さっきまで対岸で釣りをしていた親子が、
自転車で帰路につく。
川の日暮れ時。そう言えば、
親父と釣りに行った記憶があまりないなあ。
海でも川でも泳ぎにはよく連れて行ってもらったことはある。
昔の家は海の近くにあり、
友だちと磯釣りにはよく行った。
弟と川の釣りに出かけた日。
あまりに小鮒がよく釣れて帰りが遅くなった。
父が心配して自転車でさがしに出たことがある。
チェーンのよくはずれる古い自転車で、
日が暮れてから家に帰った頃、
父も自転車で帰ってきた。
はずれたチェーンを何度も直しながら僕たちを捜したのだろう。
父の手は油に汚れていた。
父はその手で、
釣ったバケツいっぱいの魚をみんな近くのどぶ川に捨てた。
僕たちは釣った魚を見せてやりたくて、
ウキウキと帰ったのだが、
家ではそれどころではなかった。
折しも世間では、
子供の誘拐事件が大きく報道されていたころだった。
親の心子知らず。こんな風景を見ると、
なぜかあの頃のことが思い浮かばれてくる。
あの時の油に汚れた父の手や、
腹立ちまぎれにバケツをひっくり返した父の背中が、
後年、年月を重ねるごとに、
愛情の裏返しとなってかえってくる。
息子の自転車をふり返りふり返り、
家路を急ぐふたりには、
きっとあったかい家が待っているのだろう。
2009年12月05日
dasaku 哀 愁
そんな目で 見るなよ波止の 冬かもめ
ちょっとポケットに手を突っ込んだだけで、
寄ってくるなよお前たち。
なんにもないとわかっていながら、
ものほしげに見るなよそんな目をして。かもめはかもめ。
孔雀や鳩や、
ましてや女にはなれない、けれど、
そんな哀愁を帯びた女のような目に、
俺は弱いんだ。わかったよ。
なんにもないけどせめて写真撮ってやるよ。
なんの腹の足しにもならないけれど・・・。
2009年12月05日
dasaku 土曜の朝
顎髭も 枯るることなく 数十年
女は髭剃らんでいいから、いいね。
並んで化粧する娘に言う。
でも、身だしなみがあるから・・・、と娘。
なるほど、そうか。
お父さんは化粧せんでいいから、いいね。
俺も化粧していいんならやってもいいけれど。
やめて・・・。このところ髭剃るたんびに、
チクチク痛いなあと思っていたら、
髭剃の網刃が欠けていた。
内刃も黒っぽいので気付かなかった。
五、六年前に誕生日にもらった髭剃。
早速、網刃を買いに行った。
嘘のように切れ味もよく気持ちがいい。思えばもう何十年髭を剃ってきたことだろう。
爪といっしょで切る痛みはないけれど、
当たり前のように切り捨ててきたよなあ。
切る痛みが少しでもあれば、いくらかは、
愛着も湧くのかも知れないけれど・・・。でも、なんだよなあ。
男も少しは身だしなみが必要じゃねえか?
体操選手でも、水泳選手でも、
ガッツポーズした姿の腋毛はあまり見たくないよなあ。
・・・かといって剃ったのもなあ。「そんなん、知らんわ」
娘。
2009年12月04日
dasaku 浮世草子
青首の 涙に食うや 大根飯
幸か不幸か、
肉体的にも精神的にもいまだ、
死ぬほどの痛みを味わったことはない。
身のちぎれるほどの悲しみはあっても、
死を覚悟したことはない。
昔、
我家から車で二時間ほどの所に住む同郷の知人が、
我家の近くの池に身を投げた。
前々から鬱の気があって、
明るい時は無茶苦茶明るいのだが、
暗い時は死人のように顔色も悪かった。
その年の正月に我家に遊びに来た時は、
本当に別人かと思うほど元気がなく、
何を言っても上の空で一度医者に行くように勧めた。それから二ヶ月後、地元の警察から連絡があった。
死亡推定時刻は夜中の二時頃だと言う。
駅から坂を上り切った所を右に曲がると僕の家がある。
左に曲がると池がある。
最終電車で来たとしても、
二時間くらいそのあたりを彷徨したことになる。
おそらく我家の前にも立ったのだろう。いや、
もともと我家に来るつもりだったのだ。
なぜ玄関の前でベルを押してくれなかったのだ。
なぜ池のある方に行ったのだ。
そっちの方に池があることなど知らなかったはずなのに。
うす暗い玄関の前に立った時、
内からわが家族の笑う団欒の声でも聞こえたか。僕はそれからしばらくの間、
彼の玄関の前に立つ姿と、
池の端に立つ姿が目に浮かんで消えなかった。
そして、
故郷を出てきたまだ青き若い頃、
なんにもない彼の狭いアパートで、
いっしょに大根飯に醤油をかけて食った思い出が浮かんだ。
あの頃はちっとも暗い所などなく、
大根飯を何よりのごちそうにして大笑いしていた。身を切る思い出のひとつである。
2009年12月04日
dasaku こんな日ばかり
寒鮒の 顔も拝まず 玉の網
バターをぬった面を下にして食パンが着地する確率は、
カーペットの値段に比例する。(落下の法則)
マーフイーの法則。一時よく流行った。釣りにもある。
寒気の冬はへら鮒も釣れない。
ボーズとの闘いだ。
どうせ釣れないからと、
玉網を出さない時に限って釣れる時がある。
それも網でないと取り込めないほどの大型だったりする。
逆に、準備万端きょうは釣るぞーという時に限って、
ボーズを食らったりする。
干からびた玉網だけが残る。へら鮒は冬だけでなく、
暑い夏でさえボーズの時がある。
餌、仕掛け、場所、何かが合わないのだろう。
そんな日もある。マーフイーの法則にこんなのがある。
母親は「こんな日もあるさ」と教えてくれたが、
こんなにたくさんあるとは聞いていない。(不運の法則)まさに僕の釣りにも当てはまる。
2009年12月03日
dasaku 土 塀
崩れそで 崩れぬ土塀の 葺き瓦
えっ!土塀だけ?
そう、他には何にもなし。寺の金堂から遠く離れた場所に、
崩れかけた土塀の一部がずっと残されたままになっている。
僕はこの土塀が好きだ。
多くの人は遠くの紅葉に集まるけれど、
何も言わず、
跣のままに立つこの土塀が、
僕は好きだ。
八十路の四季のmiwaさんに教えていただいた、
土塀の歴史の匂いが好きだ。小学校の頃、真冬、
教室の床を跣で歩いた感覚が、
足の裏に甦る。崩れそで 崩れぬ土塀の 葺き瓦
えっ!季語がない?字余り?
季語は土塀の向こうの木の枝に・・・。
土塀は「どべぇ」と勝手に読ませてもらいやした。
堪忍。
2009年12月02日
dasaku 暖 冬
冷え込みの 少し足りぬと 青菜つ葉
冷え込みの厳しさに、
冬菜はその味を増し、魚には脂がのるという。畑仕事のできなくなった母が、
少し大きめの鉢にネギや小松菜を植えている。
若い頃は広大な畑仕事に明け暮れて、
じゃがいもやさつまいもや米やら麦やら豆やら、
鶏数十羽と牛一頭ヤギ数頭、酒呑み夫といっしょに、
三人の子供を、苦労という言葉を使わずして育てた。だからもういい加減、口にするものではなく、
目にするものを植えたらどうかというのに、
何かの祝いに、
持って行った花など一度咲いて枯れると、
いつのまにやらそこにミニトマトが咲いていたりする。今年の冬は暖冬か?
冷え込みが足りんと、
精出して育てた青菜っ葉が母の味方して、
今からそのできばえをかばっているように見える。畑の作物たちはみな知っているのだろう。
言葉にしなかった母の昔の苦労を・・・。
2009年12月01日
dasaku 光合成
暗き森 冬日は草に 留まりけり
うす暗き森の奥に、
そこだけスポットライトのような日が差す。
天空の枝葉の戯れにかすかに揺れる日は、
一匹の大きな蝶が舞っているように見える。誰もいない森の奥。
森の底辺に棲むしだ類も、
いきなり注目を浴びて照れくさそう。
発色の緑の色は命の輝きに見える。やがて風がやみ、
冬の日はかけがえのない草の緑に、
静かに羽を休める。交る獣のように、
命のやりとりをする。

