2010年02月28日

dasaku   二月尽


 
 
 
          衣更着に 腕を通して ぐつどばい 
 
 
 
 

一月が行き、
尻切れトンボのような、
二月がとんで逃げる。

早いもんだなあ、
と呑気に思っているのは人間だけで、
当然のように梅は咲き、
桜は芽を立てる。
なんの不思議もない。

不思議なのは、
寒い日に、「寒いですねえ」、
暑い日に、「暑くなりましたねえ」、
当たり前のことを口に出して言う。
それが人と人との付き合いの潤滑油になっている。
この頃はその油も切れて社会がぎすぎすしている。

日曜日の午後、
家で車を洗っていると隣のおばあちゃんが、
「いつも車きれいにしてはりますねえ」
と言う。
昨年の年末以来の洗車だというのに・・・。
このおばあちゃんも元気だ。
あちこちで油を売っている。

二月尽。
  
 

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2010年02月28日

dasaku   困るんだよなぁ

          
 
  
   
 
            娘穿く 妻のスカート 春一番 
 
  
  
  

ちょっと困るんだよなぁ、そのスカート。

わが家は二人の娘と妻の四人家族。
その娘たちも大きくなり、この頃は、
女三人、着る物もお互いに代わりばんこに着ている。
パジャマも後ろから見ると、
上の娘なのか下の娘なのか妻なのか、
見まちがう時がある。
妻だと思い話しかけると娘だったりする。
それはまだ許せる。
  

  独身の頃、一羽の鳩を飼っていた。
  卵からかえしてヒナの時はせっせと、
  小さなスプーンで餌を与えて大きく育てた。
  名前を「ピー」と名付けた。
  飛べるようになってからは外にも連れ出した。
  ピーはいつも僕の肩に止まり、
  放してやると空に舞い上がり、
  また僕の肩に戻ってきた。
  休みの日には、
  川の河川敷の原っぱで思い切り飛ばしてやった。
  「ピー」、と呼ぶといつも僕の肩に戻ってきた。

  そんな頃、妻と知り合い、
  初めて僕の家に遊びに来た日。
  ピーを連れて河川敷にふたりして出かけた。
  ピーは彼女にはあまりなつかなかった。
  いつものようにピーを放して、駆け出すと、
  いつもは僕を追っかけて肩に止まるのに、
  この日は大空高く舞い上がると、
  何回か旋回したあと、
  そのまま西の空の山の向こうに消えていった。
  それっきりピーは帰ってこなかった。
  

あの日、
妻はこのスカートを穿いていた。
自分の格好などよく覚えていないのに、
デートしたころの彼女の服はよく覚えている。

だからそのスカート、
ちょっと困るんだよなぁ~・・・。
 
 

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2010年02月27日

dasaku   十九の春


 
 
 
           咲き競ふ 十九の春や 金と銀 
 
 
 

♪ 私があなたに惚れたのは
      ちょうど十九の春でした ♪ 
  

東京で貧乏学生をやっていた、
十九の春。

国鉄の長いスト権ストで、
アルバイトの給料は取りに行けず、
パチンコ屋では山本リンダの「どうにもとまらない」が、
ひっきりなしに流れていた。
それでも人並みに恋もした。
それでも仲間と飲む酒代はどこかにあった。
大学ノートに女々しく詩も書いた。
あの頃がなつかしい。

できるなら、
もとの十九にしておくれ。
枯れ木に花が咲いたなら、
十九にするのもやすけれど。

バンクーバー。
弱冠十九歳の二人の娘が、
銀盤の上で競う。
銀の娘は悔し涙を流したけれど、
金の娘も、
まだ結果の発表されない演技終了と同時に、
達成感の涙を流した。

彼女らは、
この先、いくら年老いても、
きっと十九の春に戻れるのかも知れない。

いずれも、
枯れ木に花を咲かすような努力と精進を、
見えない所で重ねてきたのだろうから・・・。
 
 

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2010年02月26日

dasaku   尼になっても


 
 
 
           春の夢 松影長く 見せにけり  
 
 
 

京都御苑の松林の中に、
ひっそりと佇む石柱の影。
春の日暮れに、
松影と並ぶ碑の影はあまりにも短い。

動乱の世を生きた一人の女性の一生を思う。

世が世であれば、
恐れ多くもこの地に立つことさえままならない。
京都から一度も出たことのない皇女は、
16歳で遠く離れた江戸に降嫁する。
「たとえ尼になっても参りませぬ」

32年の生涯の半分を、
その江戸で過ごすことになる。

尼になってでも京都に留まっていたとすれば、
もう少しは長生きできたかも知れない。

けれども、
日本の未来は、
この松影のようには、
長く伸びなかったかも知れない。
 
 

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2010年02月25日

dasaku   平 凡

             
 
 
 
           坦々と 春は流れり 路地の川 
 
 
 

図書館で、
昭和の初め頃の航空写真を見ると、
この地一帯は一面の水田地帯になっている。

黄金の色に稔る稲穂から、
この辺りの地名もとられている。
今では人家にはさまれたこの川も、
昔はその田植えの貴重な水を運んだのだろう。

連なる家並に、
見過ごしてしまいそうなこの川の近くに、
娘たちの通った小学校がある。

下の娘が小学校の二年生ぐらいだったか、
友だちと学校の帰り道、
この川を跳んでみることになったらしい。
友だちはなんとか跳べたのだが、
娘はもう少しの所で足を滑らせて川に落ちたらしい。
膝を擦りむいたが、
負けず嫌いで気の強い娘のこと。
その時は泣かなかったらしい。でも、
家に帰って玄関の扉を開けた母親に、
「どうしたの?だいじょうぶ?」
と言われたとたん、わんわんと泣き出した。
擦りむいた膝から血がにじんでいた。

この話を仕事から帰って、妻から聞いた時、
うん、うん、わかる、わかる・・・。
子供の頃には誰しも似たような経験をする。
いつだったか記事にもしたけれど、
僕にもそんな記憶がある。

こんな所に水が流れていたことを、
初めて知ったような気がするほど、
見過ごしてきた川。
娘のその一件から、
ここを通るたびに横をふり向き、
娘が落ちたであろう場所をのぞき見る。

少ない水量ながら、
いつでも水は坦々と平凡に流れている。
平凡を愚直に継続すること。

娘がこの川を跳ぼうとした時のように、
なかなかできそうでできない。
 
 

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2010年02月24日

dasaku   如月の雪


 
 
 

       沈む日を 眺めてゐるや 春雀

 
 
  

日に日に春らしくなってくる。

一進一退をくり返しながら、
季節の移ろいは春の色を帯びてくる。
けれども近年の季節の節目には、
メリハリがない。
なんとなく春がやって来ているような気がする。

昔は二月でも三月でも大雪が降ったりした。 

子供の頃、
父の仕事は忙しく、いつも夜中に帰ってくるので、
帰って来るまで起きていたためしがなかった。
今日はお父さんが帰って来るまで起きているぞと、
布団の中で本を読んだりするのだが、
いつも眠ってしまっていた。
父も僕たちを起こすことはなかった。

でも、ある日の夜、
額に何やら冷たいものを感じて目が覚めたことがある。
枕元にオーバーを着たままのしゃがんだ父がいて、
父は手に雪の塊を持っていた。
外は雪が積もっているぞ、と言った。
父は母の止めるのも聞かず、
僕を表まで連れて行って見せた。

家の前には真っ白い雪が数センチほど積もっていて、
帰って来た父の足跡がきれいに残っていた。
夜なのに外は明るかった。
寝巻の上にジャンパーをはおり、
積もった雪に足跡を残して歩いた。
父もいっしょに歩いた。
父は少し酒の匂いがした。

酒のせいだけではない。
南国育ちの父は雪が好きだった。

朝起きて、
夕べのことは、なんだか夢だったような気がした。
でも、起きて外に出ると、
そこには父と子の足跡がまだ解けずに残っていた。
そして、新しく今朝出勤して行った父の足跡もあった。

ちょうど、
二月も終わりのころの話である。
 
 

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2010年02月23日

dasaku   隣の花


 

 
           咲き競ふ 隣に梅の 狭き庭
 
 
 

色気のない冬の庭に、
霜が降りても雪が積もっても、
色を生していた山茶花の赤い花。

隣で梅の花がほころびだす。
なんといっても梅の花。
床の間の花瓶にも梅の花。
話す話題も梅の花。

咲き始めた頃の印象はうすくなり、
やがて季節は春。

当たり前のようにそこにあったものが、
役目を終えたように散ってゆく。

歳時記は春の季に移り、
存在は無きごとく黙殺される。

それでも、
かたくなに咲く花を愛でてやりたい。
 
 

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2010年02月22日

dasaku   血が騒ぐ

                 
 
 
 
            騒ぐ血を 土に流して 耕せり 
 
 
 

斜めに傾いた警告の立札のまわりには、
きれいに花壇が造られていて、
今は水仙の花が咲いている。

並びには、
豆やネギや小松菜の野菜類も、
数は少ないが誰かが耕作して、
手入れの行き届いた畑になっている。

川の土手沿いに立ち並ぶ家々の前には、
少なからずそんな風景が見られる。

技術立国と言っても、たかが百年だ。
稲作は何千年も昔から連綿と続けられてきた。
土をいじったことのない現代人でも、
土をこよなく愛する、遠い昔の、
農耕民族の血が騒ぐのだろう。
 
 

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2010年02月21日

dasaku   春景色


 
 
 
          荒波に 手ぞ差し伸べる 春の色 
 
 
  
 

じいちゃんの手の届くうちは、
お前たちを守ってやる。

まだ孫というものを持ったことはないけれど、
じいちゃんの気持ち、よくわかる。

子供たちが小さい頃、
よくこの公園で遊んだ。 
足の運びが危なっかしくて、
見ている方がひやひやした。

一人の子が足を滑らせて股間を打って泣き出した。

今日の春日和。
子供の泣く声とじいちゃんのなぐさめる声。

オレンジ色の雲梯のような人生の荒波を、
渡る世間に鬼はあろうとなかろうと、
差し伸べる手の愛情に代償はない。

泣きやんだ子がまた登ろうとする。

じいちゃんの差し伸べる愛情の手が、
四本にも、六本にも見える。

俺は、
無償で差し伸べる手を、
何本持っているだろうか。
 
 

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2010年02月20日

dasaku   春映す


 
 
 
            春の池 水一枚を 撮られたし 
 
 
 

山中の小さな池。
かつてはよくここで釣りをした。
今は水が激減して、
池の隅っこに水が張り付くように残っているだけ。

それでも、
残された水面には、
春の風景が映される。

かつては水底だった所に草も生え、
三脚に据えられたカメラが、
置き去りにされたように立ちすくんでいる。
辺りには誰もいない。 
どこに行ったのだろう。用足しか。

シャッターを押す人のいないカメラが、
春をアップに引き寄せて、
絵描き人のように、
ひたすらにチャンスをリメイクしている。

カメラが春の絵のモデルになっている。
 
 

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2010年02月19日

dasaku   雨水の国から


 
 
 
           太腿に雨水の国の名やとどめん 
 
 

 

連日、
新聞、テレビは冬の祭典。

遠き外国の地で健闘する選手。
氷上を滑走する足は、カモシカのよう。

ほれぼれするような、
鍛えられた腿の筋肉。
爆発的な力が潜んでいるよう。

そこに記された国の代表は、
どこまでその力を発揮できるか。
どこまで、
胸に刻まれた小さな日の丸の、
プレッシャーに耐えうるか。

無責任に応援する、
雨水の国から。
 
 

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2010年02月18日

dasaku   主水死す


 
 
 
          馬面の 雲を追いかけ 春暮れぬ 
 
 
 
 

訃報が続く。

「藤田まことが死んだって」
母からの短いメール。
母の好きな俳優だった。

思えば、
自分のこれまでの世代世代にも、
その人のドラマや時代劇が微妙に絡んでいる。

小さい頃、家族で見た、
白黒テレビのてなもんや三度笠。
故郷を離れて大阪に出てきた頃の、
母は家族の中で一番よく笑っていた。

この頃は有名人が亡くなっても、
母にはそのことをこちらからは言わないようにしている。
まわりの同世代の友人が次々に他界してゆく。
いつだったかその葬儀に出る支度をしていた部屋で、
ぼんやり畳に座ったままの母の背中を見たことがある。
 
母からの短いメールの返事に、
なんと書こう。
 
 

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2010年02月17日

dasaku   命の鎖


 
 
 
 
 
          菜の花や じやまする所 花粉あり 
 
 
 
 

君たちの付き合いも、
いつからなのだろう。

個々の命は短いのに、
小さな種子の中に遺言を残して、
後世に正確に伝えてゆく。
連綿と連なる命の鎖。

人間だけであるか、
個人情報、個人情報と、
ひたすらに固い殻に身を閉じ込めるのは。

人間が裸子植物なら、
芽も出ぬほどの固き鎧の種子を生むことだろう。
 
 

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2010年02月16日

dasaku   洗濯物


 
 
 
          人住めば 干しものありて 春日和 
 
 
 

春日和だったのに、
いつのまにやら曇り空。
そうかと思っていたら、
「奥さ~ん、雨降ってきたわよー」
隣の奥さんが声をかけてくれる。 
「あ、すみませ~ん」
妻があわてて庭に飛び出す。

娘が小学生の頃はマンション住まいだった。
家の中から何気なしにベランダの外を眺めていると、
何やら針金のようなものがベランダの上から下りてきて、
ベランダの柵からはみ出して干してある娘の下着を、
引っかけようとしているのが見えた。
またこの上の階の悪ガキだ。
「こら~っ!」
ベランダに出て怒鳴ってやった。

人の住む家には洗濯物がある。
陽気のいい日には布団も並ぶ。
家事の重要な一部になっている。
空家かどうかの目安にもなるし、
空巣に入る状況判断にもなる。
何日も干し物がなければ、
人がいないとみる。

何よりも、
洗いたてのシャツほど、
気持ちのいいものはない。

毎日洗ってくれる妻に感謝せねばならない。

( けっして、かつての下着泥棒のガキのように、
     あっかんべぇーはしておりません )
 
 

2010年02月16日 »

2010年02月16日

dasaku   紅 梅


 
 
 
          恥じらへば 恥じらふほどに 梅蕾 
 
 
  
 

約束の、
待ち合せ場所に、 
今年も春がやって来る。 

良き人を待つような、 
うれし恥ずかし梅つぼみ。 
 
薄紅色の花びらを、
春がやさしくゆっくりと、
開いてゆく。
  
朱の深まる梅の肌。
 
 

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2010年02月15日

dasaku   峠の記憶

                  
 
 
 
           踏青の おもしろきかな 峠越 
 
 
 
 

「奥さん、すぐに病院まで来てください!」

父は定年後、ある大学病院の守衛の仕事をしていた。
まだ55歳が世間的に定年と言われていた頃の話である。
僕もまだ独身の頃で、実家から離れて一人暮らしをしていた。

帰省していたその正月4日の早朝。
父の同僚という男性から電話が入った。
その人は岸本と名のった。
夜勤明けの父が病院のトイレで倒れたという。
症状から脳出血の疑いありということで、
すぐに救急救命室に運ばれた。
くも膜下出血、と医者に言われた。
初めて聞く言葉に、くも・・・しか聞き取れなかった。
長い手術だった。

その日の夕方。
「頭の中が血で満たんでした」
白衣の前を赤い血で染めた大学病院の若い医師は、
手術室から出てきてそう言った。
そして、なんとか一命は取りとめたけれども、
手術後の今夜が峠だと言った。

夜、
救命室のベッドの父に、母と二人面会させてもらった。
父の顔はまりのように膨れあがっていた。
呼んでも手応えはなかった。
どうせ死ぬのなら、もう一度だけ、
もう一度だけ父と話をさせてくれと祈った。
言いたいことがいっぱいあるような気がした。
 
その晩、僕は待合室の隅っこで、
峠を越える父の肖像画を鉛筆一本で描き始めた。
似ているいないは別だった。
じっとしておれなかった。

父が倒れてから、父の同僚の岸本さんは、
色々と僕らの面倒をみてくれた。
父と同年代に見えた。
僕が仕事でいない時も、
母を病院まで送り迎えしてくれた。
心細かったであろう母を、
どれほど勇気づけてくれたことだろう。

父は祈りが通じたのか無事峠を越えて、
多少、不随は残ったけれど、
それから10年ほど生きた。

けれども、
岸本さんはそれから1年足らずで亡くなった。
後に父から聞いた話では、
岸本さんは心臓にペースメーカーを埋め込んでいて、
あの人もこれまでいく度も峠を越えてきたのだという。

その訃報を聞いたとき、
父の身の半分をもぎ取られたような気がした。
もどかしい悲しみに、
この肖像画が、
あの人の顔にぼやけて見えた。
 
 

2010年02月15日 »

2010年02月14日

dasaku   シグナル


 
 
 
           うしろ手を 三つ並べて 春をゆく 
 
 
 

バレンタイン?
あたしらにゃ、関係ないよ。
失礼ながらそんな言葉が聞こえてきそうな。

河の土手道を三人の女が並んで歩く。
語り口に合わせて歩幅も変わる。
女学生のようにびったりと寄り添うわけでもない。
他人行儀の距離でもない。
話の内容で微妙に三人の間隔は、
オシロスコープの波形のように、
広がったり縮まったりする。

それだけで、
ひとつのシグナルになる。
空の向こうの宇宙へ発信する。

ひょっとして、
彼女らは地球に送られた宇宙人かも知れない。
 
 

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2010年02月13日

dasaku   花は桜木


 
 
 
           木は芽吹き 空にひと声 烏鳴く
 
  
 
 

花は桜木、人は武士、
柱は檜、魚は鯛、小袖はもみぢ、花はみよしの、
と続くらしい。
その中で一番だというものを連ねたものだそうだ。
桜は短期間に咲いて散り際が美しい。
武士道にもまた美しい潔さがあるから。
どうもいかに生きるかより、
いかに死すかにあるようだ。
死んで花実は咲かない。
 
生死をかけて闘うわけではないけれど、
カナダのバンクーバーで冬季五輪が開幕した。
バンクーバーでは桜が咲き始めるほどの、
暖かさらしい。
あちらでも花は桜木かどうかは知らないけれど、
昨年6月、英国誌「エコノミスト」の調査部門が、
「世界で一番暮らしやすい都市」に選出したとある。

様々の条件が果たして、吉と出るか凶と出るか。

花は桜木人は武士、メダルは金。
 
 

2010年02月13日 »

2010年02月12日

dasaku   雨あがる


 
 
 
           さやけくも 春の瞳の 輝けり 
 

  
  
 

子供が小さい頃は、
いっしょに布団に並んで、
よく昔話を聞かせた。
といっても、
即興のでたらめの思いつきの話である。

  むかしむかし、
  ある山奥に大きな竜のすむ池がありました。
  雨乞いに来たお百姓さんたちが、
  池の岸で、どうか雨を降らせてくださいと、
  池に向かって一生懸命お祈りをすると、
  どどどどーっというものすごい音がして、
  池の水が半分に割れていきました。
  そこから大きな大きな竜があらわれて、
  天に向かって昇っていきました。
  ・・・。

てなぐあい。
親子で天井に向かって寝ていても、
子供の目の焦点は天井にはなくて、
小さい頭の中に描かれた竜を想像して見ていた。

あの頃の君の瞳の輝きに似ている。 

雨あがり。
 
 

2010年02月12日 »

2010年02月11日

dasaku   国破れても


 
 
 
           建国日 山は存ぜぬ 日章旗 
 
  
 

国が破れようが破れまいが、
山河は残る。

もうすぐ冬季五輪。
オリンピックが開かれるたびに、
世界の国の多さを改めて思う。
長い歴史を誇る国もあれば、
多くの血を流してできた国もある。

冬季五輪で思い出すのが、やはり長野五輪。
その開会式でたくさんのかわいい子供たちが登場してきて、
演技を始めた時には、
この日のために一生懸命練習してきたのだろうと、
母は拍手をしながら涙を流してテレビを見ていた。
 
世界には2万とも3万ともいわれる数の核兵器があるという。
保有する国はわずか10国に届くか届かないか。
中でもアメリカとロシアだけでその99%近くを保有する。 
 
近年、
地球絶滅をテーマにしたSF映画が多いように思う。
あながち映画の世界だけではないような気もする。

もはや、
国破れて、山河が残るとは限らない。

兵どもの夢の跡に、
夏草さえ生えてこない未来が、
待ち構えているかも知れない。

 
 

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2010年02月10日

dasaku   散りゆく花


 
 
 
        いつぞやは 世話になつたと 春の日に    
 
  
 

  「農民が土を耕すように、
      言葉を耕し、人の心を耕す・・・」
                       立松和平 
 

ハイチ地震で、
一週間や十日ぶりに、
奇跡的に救出される命もある。
命ほどタフなものはない、と思えることもあれば、
命ほどあっけないものもない。

一年ごとに命を繋いでいる花もある。
これからという春に散る花もある。
でも、短くても散る花にあっけなさはない。
散り際にはどの花も、
世話になった日の光に感謝するように、
ひと一倍花開いて散ってゆく。

人には、
そんな日の光のような言葉がある。
他人にはなんでもない言葉のおかげで、
少年の、あるいは青春の迷路から抜け出し、
時にはその人にとってその人の人生を、
左右するほどの大きな影響を持つ言葉がある。

立松和平、あっけなく逝く。
合掌。
 
 

2010年02月10日 »

2010年02月09日

dasaku   芳 春


 
 
 
          花蕊や 色香ただよふ 春の夢 
 
 
 

こうやって、
春はやってくるのだ、という、
見本のようなここ数日。 
 
立春を過ぎると、
不思議なもので何もかも、
春らしく見えてくる。

多少の冷え込みも、
裏返せば石の下のみみずのように、
隠れた所に春はひそんでいる。

実家の古い柱時計は、
帰るたんびに5分ほど進んでいる。
お前も忙しいだろうから、そんなに頻繁に、
来なくてもいいと母は言うけれど、
しばらく帰らないと、
時計が5分進んでいるとメールが来る。

今どきの時計は安くても正確だ。
新しい時計を買ってやると言うても、
がんとして聞き入れない。

もったいなさばかりではないのは、
明らかなれど・・・。

10分以上進ませない孝行を、
しようとは思っている。 
 
季節の移り変わり。
三歩進んで二歩下がり、
そうやって、
春はいつもやって来る。
 
 

2010年02月09日 »

2010年02月08日

dasaku   蕊 (しべ)

  
 
 
 
          つけ睫 その先に春 蕊のごと 
 
  
 

ある深夜。

ビールが切れていたので、
近くの酒屋の自動販売機まで買いに行った。
ちょうど煙草の販売機の前に先客のご婦人がいた。
硬貨を入れてビールを取り出していると、
その女性がうしろから声をかけてきた。

「よかったら、タスポ貸してくれない?」

ふり向くと見るからに水商売風の化粧の顔が、
自動販売機の灯りに映し出された。

「たすぽ?」

一瞬、なんのことかと思ったけれど、
成人識別用のIC カードのことだとわかった。
あいにく煙草は上の娘が生まれた時にやめていた。
  
  
  
高校生の時だったか、
ある日、学校から帰ると父が待っていた。
机の上には、
引出しに入れていたはずのショートピースの箱が置かれていた。
たぶん好奇心か何かでタバコを買って吸ってみたけれど、
気分が悪くなってそのまま引出しに入れたままにしていたものだ。

あまりよくは覚えていないのだけれど、
怒られたというより何か意見をされたような気がする。
最後に「もう喫うなよ!」と言われて、
二十歳になったら喫うよ、と粋がってみせた。
反抗期のころである。
それはかまわん、お前の自由だ、と父は言った。

今思えば、
ちょうど背伸びしたい年頃だった。
大人の世界に好奇心もあった。

うちの娘もこの頃はやたらと、
これまでにないものを持ち始めた。
服にしてもファッション雑誌に目を凝らし、
化粧品も揃えだした。
時々、パンダのような目をしている時がある。
先日は化粧台に付け睫をみつけた。
父はこのかた半世紀以上生きてきて、
一度も付けたことのないものを娘たちは、
早や十代で身に付ける。
睫の先に春が来る。
青春という名の春である。

タスポを借りようとした中年女性の、
厚化粧の長い睫の先には、年季の入った夜の美しさに、
そこはかとない哀愁が漂っていた。
 
 

2010年02月08日 »

2010年02月08日

dasaku   竹 


 
 
 
          切られても 伸びてきそうや 孟宗竹
  

  

 

竹林の下には何もない。
 
竹は一節ごとに成長力を持っている。
暗い地中の地下茎は横にどんどん伸びてゆき、
新たに芽を出すと、そこら辺りの草木よりも、
はるかに速いスピードで成長する。
やがて竹笹は上空で横に広がり、
光を一人占めにする。
光の届かなくなった地表のものたちの、
生存を奪う。

竹林の下に、
何もないのが当たり前になっている。

およそ、
大なり小なり支配しようとするものは、
この惑星では太古の昔から、
似たようなことをくり返している。

人類もまた然り・・・。
 
 

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2010年02月07日

dasaku   春は来ぬ


 
 
 
         日の当たる 部屋に八朔 置かれけり 
 
 
 

花を見て、
ああ、春だなあと思う。

妻の買ってくる魚や果実や野菜に、
季節の移ろいを感じる。

部屋に入ると、
炬燵の上にはいつもの蜜柑ではなく、
八朔が置かれている。

ふ~ん、そうかあ。
心が勝手につぶやいている。

日の当たる部屋が、
いっぺんに春に模様替えされた気分になる。

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2010年02月06日

dasaku   願掛け


 
 
 
          ひだり手を みぎ手で清む 春の水 
 
 
  
  

参道の、
石段を登る親子連れあり。
右手を父に、
左手を母に引かれて登るなり。

その後ろ姿を、
いつまでもいつまでも、
眺むる我のあり。

三つの歩幅は、
いずれも子の歩幅なり。

親の願い、叶えてたもれ。
 
 

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2010年02月05日

dasaku   嵐


 
 
  
           蛤の 焼けて開くや 御所の門 
 
 
 

風雲急を告げる。

大河ドラマ「龍馬伝」ではこの前、
浦賀の黒船来航を描いていた。
この辺りから明治維新までを幕末と呼ぶらしい。
龍馬がこの黒船を見てから十一年後、
京都御所のこの門の所で禁門の変が起きる。
蛤御門である。

今ではこの門を出るとすぐに、
歩道をはさんだ車道に多くの車が、
ひっきりなしに往来する。 
 
この時に相対した長州と薩摩はその二年後、
龍馬の働きで同盟を結ぶ。一気に嵐は、
倒幕へと向かう。
もっともそれから一年後には龍馬は、
暗殺されてしまうのだけれども・・・。
まさに風雲急である。
  
  

わが家でもこの頃は、嵐のオンパレード。
といってもアイドルグループの「嵐」のことであるけれども。 
娘らがテレビを見てキャーキャーと雄叫び(雌叫び?)を上げている。

この門の梁に残る鉄砲の弾跡のような、
生々しさに比ぶれば、僕にとって、
平和な黒船来航である。
  
  

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2010年02月04日

dasaku   立 春


 
 
 
 

逆らうような、
立春の厳しい寒さでも、
ひと月前ほどの寒さには感じない。

今朝のニュースでも、仕事の朝礼でも、 
暦の上では、と前置きしながら、
春が来たことを告げていた。

いや暦の上だけではない。
気がつかないだけで春は、
確実な足取りでやって来ていた。

仕事から帰って冷蔵庫を開ける。
色鮮やかにイチゴが目に飛び込む。
年中冷たい冷蔵庫の中にも、
春が芽吹いていた。

知らず知らず、
心の色素も春に染まりたがっている。 

少し変わったことをやってみたくなる。

個人的には、
写真に文字を入れるのは好きではないはずなのに・・・。

 

 

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2010年02月03日

dasaku   鬼やらい


 
 
 
          泣く子には 勝てぬ仮面の 鬼やらひ 
 
 
    
  

泣く子と地頭には勝てぬ、と言う。

地頭というのは歴史でも習ったけれど、
平安・鎌倉時代、荘園を管理支配するために置かれた、
軍事、警察、徴税、行政を司る職で、
直接土地や百姓を管理支配したとある。
権力を持つほどにそれは次第に横暴になり、
抵抗すると、
「耳を切り、鼻を削ぎ、髪を切って、尼にしてしまうぞ」と、
脅したりしたと文書に残っているらしい。
そんな地頭は、
聞きわけのない子供といっしょで、争うだけ無駄であり、
従うしかないということだろう。

この、
泣く子には勝てぬ、という言葉の裏には、
昔の親の子供に対する深い愛情が感じ取れる。
幼子は泣くものだという概念がまずありきで、
泣いてしまったらもうお手上げだと。
おお、よしよしと言うしかないと。

でも現代のどこかの親は違う。
泣く子にも勝とうとする。
虐待という暴力で黙らせようとする。

いじめられていないかと、
時々悲鳴を聞いていた近所の人が、
亡くなる二日前に、道で会ったその子に尋ねたという。
ぼくがいい子にしていればそんなことはない、
と答えたと言う。

地頭よりも怖ろしき鬼がいる。
 
 

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2010年02月02日

dasaku   春支度


 
 
 
          朝ぼらけ やうやうに春 支度せり 
   

 

血圧のせいか、
朝、目覚めが悪い。

やっとこさ布団をはねのけ雨戸を開ける。
トイレの便座に座っているころに、
ようやく目が覚めてくる。

この冬は暖冬と聞いていたが、
ところどころで例年にない冷え込みが来る。

雨戸を開けた今朝は、
庭に白いものがうっすらと積もっていた。
めずらしい。
雪だ。

立春も近いというのに、
春はまだまだだなあ、と思いながらよく見ると、
梅の木に小さな花がほころび始めている。 

夜明けのコーヒー。

立ちのぼる湯気があたたかい。
思わずカップを両手で包み込む。

ほころぶ花の温もりを感じる。

やっとまた、
今日もがんばろうという気になってくる。

おはよう!
 
 

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2010年02月01日

dasaku   明日が見えない


 
 
 
         山茶花や くもりガラスを 拭いて見る 
 
 
 

明日が見えにくい。

国の政治家のトップクラスが、
検察に呼ばれているようじゃあ、
なかなか見えてきそうにない。
 

♪ くもりガラスを 手で拭いて
   あなた明日が 見えますか ♪

生前、父は、
みんなが集まって酒を酌みカラオケを始めると、
そのレパートリーの中に決まって、
この「さざんかの宿」が入っていた。 
 
大きな口を開けて、最後は、
さざんかぁ~のぉ、やぁあ~ど~、と歌っていたけれど、
よくよく歌詞を聞いてみると、
人妻との不倫の歌じゃねぇか、と、
俺たちは生まじめな父をみて茶化したものだ。

そんな禁じられた道行きの恋に、
明日なんか見えるかいとヤジを入れる。
すると歌の二番目の最後は、
明日はいらない、さざんかの宿、とくる。
そうだそうだと相槌を入れると、
三番目は、
春はいつくる、さざんかの宿、としめくくる。

明日はいらないけれど、
来ないであろう春を待つ夢だけは、
忘れないで持ち続けたい。
酒に酔って歌う、情にもろく涙もろい父の、
好きな歌であった。
 
 
国の政治家も、
くもりガラスを拭き払って、
せめて明日が見えるようにしてもらいたいもんだ。
今、見えるのは、
冷たい冬の雨に打たれる山茶花だとしても、
その次にやって来るのは春だということを、
みんなは知っているのだから・・・。

いつ来るかわからない春など、
道行きの春に過ぎない。
 
 

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