2009年05月24日

カンタータ


      「おお、主よ!」と呼ぶ声町に満ち溢れインフルエンザと衆愚の匂い

 (↑ 2009.5.3 皇居二重橋前交差点 )

※しばらく休みます。

※※私の写真集「メコンの民」で私の顔写真を撮ってくれた種清豊(たねきよゆたか)氏が、デジタルフォト誌で
  「狙われた街」という連載ページを持っています。6月号で言えば、P204、荒川区都電の線路等(笑)。
  彼は2005年当時、竹内敏信先生の助手をしていました。一度ご覧下さい。
  

2009年05月24日

カンタータ


      「おお、主よ」と呼ぶ声町に満ち溢れ嘗て過した衆愚の匂い

 (↑ 2009/5/3 皇居二重橋前交差点 )

一口にカンタータと言っても、J.S.バッハには何曲もありますし、ピアノ独奏に編曲されたものもあります。

例えば、BWV140「目覚めよと呼ぶ声が聞え」やBWV147のコラール「主よ、人の望みの喜びよ」とか。

ただ、底に流れる価値観は単一。「主よ」と呼ばれる人は一人です。

その唯一の絶対的価値観が、世界に出て他の価値観とぶつかるとどうなるか?

キリスト教とイスラム教の確執に答えがあるようです。「神国」日本は叩きのめされました。

2009年05月23日

ポロネーズ


                みなもとは舞曲にありと言うように弾む楽の音踊り子を呼ぶ

 (↑ 庭園美術館・旧朝香宮邸 )

バッハの管弦楽組曲第2番はフルートの独奏協奏曲の形を採り、全7曲のうち6曲は舞曲を源とします。

ロンド、サラバンド、メヌエット等の中でポロネーズは特に有名で、私は、中学校の頃、音楽の授業でバッハの

代表曲として聴きました。

今回は、近代的なオーケストラと古楽アンサンブルの2ステージを聞き比べてみました。

ベルリン古楽アカデミーの弾むような演奏が素晴らしかったです。

音楽の原点が何かを改めて教えてもらった気がします。

※湘次さんから「5月30日(土)19:00 新宿でオフ会します」との知らせがありました。
  ルプママさんが上京されるようです。具体的なことはこれから詰めるとのこと。
  
  お問合せ・申し込みは → 湘次さん「湘南の俳句小屋」まで。 

 

2009年05月22日

ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ


肖像はたゆたう光を身にまといヴィオラ・ダ・ガンバの歌に聞き入る

 (↑ 丸の内・明治生命本館外壁 )

ラ・フォール・ジュルネ音楽祭で私は、古楽器のソナタを2テージを聴きました。ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロ、

それにときにリュートやバロック・ヴァイオリンが加わったものです。

ヴィオラ・ダ・ガンバというのは外見はチェロに似ていますが、似て非なる古楽器です。チェロはヴァイオリン属の

低音を受け持つ楽器ですが、ヴィオラ・ダ・ガンバというのはヴァイオリン属に対抗する擦弦楽器の属の名前で、

現在はチェロに相当するヴィオラ・ダ・ガンバ(バス)しか殆ど残っていません。

音量の小さいガンバ属は、音楽の発表の場の広がりについていけなかったようです。

泰西の香り、渋い音色がします。

2009年05月21日

無伴奏チェロ組曲

 
チェロ弾きは重たき椅子に浅くかけ聴かせどころで右に傾げり

( ↑ 庭園美術館・旧朝香宮邸)

音楽祭の2日目(5/4)、堤剛さんのチェロ独奏で、バッハの無伴奏チェロ組曲第一番と第四番を聴きました。

堤さんはチェリストとしてはもちろん、桐朋学園大学学長、サントリーホール館長、霧島国際音楽祭の音楽監督

等、八面六臂の大活躍ですが、この日私の前には一人のチェロ奏者として登場しました。

堂々とゆったりとした演奏で、圧倒されました。その演奏を、わずか103席のサロンの、演奏者のほぼ真正面

4~5mの距離で聴くことが出来ました。これでわずか1,500円。極楽、極楽・・・(笑)。


 


 


  ※湘次さんから「5月30日(土)19:00 新宿でオフ会します」との第一報が入りました。
  ルプママさんが上京されるようです。具体的なことはこれから詰めるとのこと。
  
  お問合せ・申し込みは → 湘次さん「湘南の俳句小屋」まで。 


 

2009年05月20日

マタイ受難曲


      高みよりコラール燦と降りそそぎ凍てし心は融けんと欲す

  (↑東京国際フォーラム・ガラス棟)

今年のラ・フォール・ジュルネ(熱狂の日)音楽祭は、「バッハとヨーロッパ」と題し、J.S.Bachをメインとして

5月3日~5日まで行われました。私は、3日間で15ステージを聴くことが出来ました。

ここで取り上げる「マタイ受難曲」は、新約聖書の「マタイ伝」をテキストとし、イエス・キリストの受難を音楽化し

たもので、全曲演奏に3時間かかります。音楽祭では、最終日5日の夜に演奏されました。

もちろん宗教曲ですが、例えキリスト教を良く知らない人でも、イエスの最後を描いた壮大なドラマとして聴けば

深い感銘を得られると思います。私は、バッハの作品の中で一つ・・・と言われたら、この曲を選びます。

2009年05月19日

墨堤


      うらうらと都鳥舞う隅田川 光る鉄橋帝都を結ぶ

↑ 都鳥でなくて済みません。あれは季節もんですので(笑)、この日(4月11日)は居ませんでした。

在原業平の頃、或いは源頼朝が再起を期して渡河した頃の隅田川は、今と流れが少し違っていたようです。

旧牛嶋神社あたり(向島5丁目)から分岐して、今の江東区あたりはデルタだったらしいです。それを家康が

堤防を造ってせき止めて、江東区は穀倉地帯になったんだそうです。

江戸の物資輸送を担う大運河として発展し、関東大震災や東京大空襲を経験して、その様相はずい分変化

してきたでしょうが、パリにセーヌ、ロンドンにテームズと呼ばれるのと同じように、東京に隅田川と言われる

ようになればいいですね。もう以前のような汚れた川ではありません。あと一歩です。

最後に、いつの時点でこの句を詠んだのか調べておりませんが、句碑が建っておりました。

   「 雪の日の隅田は青し都鳥 」   子規

( ↑↓ こんな平和な風景がいつまでも続いて欲しいですね)

2009年05月18日

大根


      主役とも名脇役とも変わる身を活かし活かされ大根は役者

待乳山聖天(まつちやましょうでん)本龍院と言うところに寄りました。浅草寺の子院にあたります。

この寺院を有名にしているのは大根と巾着。大根は健康と和合、巾着は商売繁盛を表しているそうです。

本殿のお供え物は大根がずらりでしたし、境内のあちこちに大根と巾着のモニュメントがありました。

毎年1月7日は「大根祭り」で、無料で風呂吹き大根が振舞われるそうです。健康になれます(笑)。

しかしどこの誰ですかね、「大根役者」なんて言い始めたのは。まるで逆のような気がしますが。

(↓大根のお供え物も初めて見ましたが、本堂の入口が自動ドアというのも初めて・・・笑)

(↓浴油って・・・毎朝天婦羅になってお祈りするんですかね?金のかかることは追求しないことにしていますが)

2009年05月17日

王貞治


      下町の猫の額の球場から世界規格が羽ばたいて行く

正岡子規を取材した後じゃないですか。野球場と言う門を見てびびっと来たんですね。

でも、この球場が出来たのは昭和24年。門のレリーフの一本足打法を見て、再度びびっと来ました。

WBC第一回の勝利監督、というか世界のホームラン王、王貞治さんはここで育ったんですね。

世界遺産とまでは言わないけれど、国の重要指定文化財くらいにしてもいいんじゃないですか(笑)?

 

↑ご存知名物の団子屋ですね。今回はパスしました。      ↑電燈もない頃、常夜灯は貴重なものだったらしいです。

  
 

↑ 桜橋を渡って台東区墨田公園の「竹屋の渡し」を見に行きましたら、少年野球の用具がありました。

  昔から、隅田川を挟んだ台東区と墨田区の少年野球団は、良きライバルだったようです。

2009年05月16日

長命寺


      桜餅の香りほのかに俳聖の若きロマンス運び来るかな

牛嶋神社から500mほど北、向島5丁目に長命寺があります。境内に言問幼稚園があり、可愛い園児が2,3人

遊んでいました。↑井戸で口をゆすいだ後、お目当てを訪ねて堤防への階段を登って行きました。

長命寺の名を有名にしているのは「桜餅」です。今回初めて知ったのですが、「桜餅」には長命寺派と道明寺派

があるそうです。長命寺のそれは中にこし餡を入れたクレープ状の餅を塩漬けの桜の葉で包んだもので、関東

ではこちらが主流です。道明寺のものは関西で主流だそうで、粒粒の残った半搗きの桜色の餅の中に餡が入っ

ています。塩漬けの桜の葉にくるまれているのは同じです。

今回いただいた長命寺の桜餅は、桜の葉を多く使っているせいか香りが高くいい味でした。日持ちはしません。

   長命寺の桜餅については → http://www.wagashi.or.jp/tokyo/shop/1413.htm

(↓桜餅をもとめて老舗の山本屋へ。首都高がぎりぎりのところを走っています。橋の向こうは隅田川)

(↓ いつも行列だそうです。私たちは店の中で熱いお茶とともにいただきました。250円也)

実は、この桜餅屋(山本屋)さんを訪ねたのにはもう一つの目的がありました。

俳聖、正岡子規が短い間ですが、この山本屋さんの二階に下宿していたのです。21歳の夏でした。

もちろん建屋も人もその当時とは大きく変わっていますけど、子規はこの桜餅屋の娘にほの字だったようです。

浮いた話のとんとなかった子規ですが、そこのところを確かめようと(野暮だねえ・・・笑)、子規の死後、弟子の

一人河東碧梧桐が、相手の女性を見つけ出して色々聞き出そうとします。が、相手は既に結婚して子持ちの身、

殆ど何も分からなかったようです。(♪昔のことは、もう聞かないで・・・・・かな?)

この下宿時代に詠んだ一句。  「 葉桜や昔の人と立咄 」    21歳の若者が詠む句じゃないね(笑)。



 

2009年05月15日

牛嶋神社


      丑年のわが父親と午年のわが母親の息子は卯年

牛嶋神社は現在、旧水戸藩邸に隣接した向島1丁目にありますが、関東大震災前は

現在地の500m北に位置していたとのことです。総桧造りの社殿が見事です。

創建は西暦860年。名前はあたり一帯が国営の牧場だったことに由来するらしいです。

全国的にも珍しい三輪鳥居を持ち(私は初めて見ました)、狛犬の代わりに狛牛が番をしていました。

 

2009年05月14日

個展のご案内


      ひたひたと高みに昇る君眩し知らせに晴るる胸の薄霧

昨年いつでしたか、私の大学の先輩のお嬢さんが、新進作家のグループ展に出品された様子をレポートさせて

貰いました。高橋つばささんと言います。通称つーちゃん。

彼女からDMが届きまして、個展を開くと言います。「おーっ!」という感じです。

会社で嫌なことがあったのが、すーっと消えてゆくようでした。やったね、つーちゃん。

    (↑上がそのDMです。無断で使用させて貰うけど、許してね。)

個展のタイトルは「 高橋つばさ ‐とこしえ‐ 」、

5月16日(土)11:00から30日(土)18:30まで、

下記の文京アートで開かれます(日曜定休)。

是非お出かけ下さい。詳しくは 文京アート → http://www.bunkyo-art.co.jp/

つーちゃん、私は16日昼間に東京に用があって出かけますので、その前後のどちらかに寄らせて貰います。

 

2009年05月14日

隅田公園


      墨提の桜吹雪を春の陽を将軍様も目にし給いしや

( ↑ ささやかな花見の宴。ロープを張ってあるけど、中に入っていいのかな?)

墨田区立隅田公園です。概ね、旧水戸藩下屋敷の跡地に当たるとのことです。

将軍様とはミサイルと誕生パーティー好きな北の指導者ではなくて、徳川幕府最後の将軍、徳川慶喜公です。

何度か訪れているそうです。写真は・・・桜吹雪を想像して下さい(笑)。

 

( ↑ 明治天皇の御製。読めません(笑)。)

宮中では毎春、花見の宴を催されていましたが、幕末動乱、東京遷都のため途絶えておりました。

明治6年、その花見の宴を再開するに当たり選ばれたのが、ここ旧水戸藩下屋敷だったとか。

この地に、関東大震災まで、旧水戸徳川家のご子孫が住まわれていたそうです。

( ↓ 傍にはこんなのもありましたよ)

2009年05月13日

隅田川


      葉桜の春のうららを往き来する屋形船こそ江戸の花なれ

( ↑ 駒形堂を見学した後、駒形橋を渡って墨田区向島に向かいました)

べらんめ~、こちとら江戸っ子よ(今だけ)。見えない桜を見えると言うのが、江戸っ子の心意気じゃあねえか。

さまざまな絵図や写真が残っているので何とか想像できますが、往時の隅田川は艶っぽかったんでしょうね。

私は大分前に屋形船というものを一度だけ経験しましたが、いいものですね。夏の夜でした。と言ってもカメラ

マンじゃ食うものも食えない。今度、屋形船でオフ会やりましょうか(笑)?

↓ 台東区立墨田公園で、武島又次郎作詞、滝廉太郎作曲、「花」の碑を見つけました。

↓ 4月11日、隅田川沿いはほとんど葉桜になっていました。


2009年05月12日

雷門



 写真とは生きる証拠と見つけたり 片足上ぐる犬ぞいとしき

前日(4月10日)中にどうしても戻りたかったのは、本日(4月11日)昼に待ち合わせがあったからです。

某大学の先生が道先案内人となって下さり、隅田川の周辺をめぐるという約束をしていたからであります。

待ち合わせの時刻に三十分ほどありましたので、雷門の前で記念撮影する人を撮影させて貰いました。

え、写真と犬のマーキングを一緒にするな?どっちも「証拠」に違いはないでしょう(笑)?




東京の観光名所で記念撮影の背景になる回数が一番多いのは、浅草雷門ではないでしょうか?

上野の西郷さんの銅像が二番目かな?もちろん、何の根拠もない私見であります(笑)。

東京タワー、新宿高層ビル・・・色々対抗馬はあるけど、等身大に近いものが記念撮影には向いているような

気がします。見上げて撮るのは疲れますもん。東京タワーに似合うのは、ゴジラかモスラ(笑)?

意外なことに、現在の雷門は東京タワーより2年後輩になります。幕末の頃の大火事で先代の雷門が焼け落ち

てそのままになっていたのを、あの松下幸之助さんの寄進があって昭和35年に再建したのだそうです。



 

2009年05月11日

切ないね


      切なくも花見の旅の終末はアアぼったくりオオぶんむくれ

( ↑↓ 上下の写真は今回の件とまるで無関係です。JRのイメージとして使いました。)

4月10日、吉野からの帰りの新幹線車中で、すっかり疲れ切った私は名古屋あたりで眠ってしまいました。

何かの気配で目覚めると新幹線は停車しています。小田原で人身事故発生との車内放送が流れています。

東京から自宅最寄駅までの直通電車の最終に合わせて新幹線を選んだんですが、これは間に合わないだろう

なあ、千葉で乗り換えるにしても電車で帰れる時刻に間に合えばいいんだけど・・・・・・なんて漠然と考えていた

んですが・・・・甘かった。警察の現場検証が長引き、東京駅に着いたのは1時間半遅れの0時近く。

特急料金の払い戻しは2時間遅れ以上です。精算窓口の行列を横目に眺めながら、ひょっとしたらせめて千葉

行きの最終電車に間に合うかも知れないと、カメラザッグを背負い、右手に三脚、左手に土産の紙袋を持って、

急ぎました。地下乗り場の総武線電車は待っていてくれました。

「急いで下さい」と言われ荷物を抱えて、選択の余地はありません。グリーン車のデッキに潜り込みました。

まもなくアテンダントのお姉ちゃんが混雑を掻き分けながら、「恐れ入りますがグリーン料金千円をいただきます」

とやって来ました。「あんたな・・・(ぼったくりバーのホステスじゃねえのか?)」。問題発言にされるかも知れない

ので言葉を飲み込みましたが、千葉からタクシー代もかかるんだぜ(4,130円でした)。

結局、みんな切ないのよ。人身事故を起こした当人も、現場検証をした警察も、客に怒鳴られていたJRの駅員

も関係者も。もちろん、なけなしの休暇と貯金を使って出かけた私も・・・・・・切ないねえ。

2009年05月10日

旅は終わり?


      二割引の駅弁広げビール開け首緩めれば旅は終わりぬ

↑ 上の写真は駅弁ではありません。吉野の葛きりセット1000円也です。観光地値段なのか、よく分かりません。

↓ 葛の製造工程を店の前で撮っていたら、店の人に声をかけられました。1度くらい名物を食べましょう(笑)。

近鉄京都駅で買った鰆の駅弁は、例によって、写真に撮る前に食べてしまいました(笑)。

2009年05月09日

行く春


      花散るはうき世の末にあらざるに心乱るる景色なるかな

中千本に戻って来ました。何故かこの一帯だけが桜吹雪になっていました。

松尾芭蕉の『奥の細道』に、「行く春や鳥啼き魚の目は泪」という名句があります。

昔の旅は覚悟が必要だったということ、そして芭蕉翁の決意表明として解釈されております。

翁は、旅の詩人の先輩として西行法師を大変に尊敬していたようです。

吉野に二度訪問していますが、2回目の様子は『笈の小文』に記されています。

    「吉野にて桜見せうぞ檜の木笠」

2009年05月08日

西行庵


      奥千本の庵の花は未だしも風のそよぎに春の香りす

義経のかくれ塔から金峯神社に戻り、奥千本への道を辿ります。途中から道が細くなり足下も危なくなりますが、

手摺が付いていますので大丈夫。しかし、何であの手摺はステンレス製なんだろう? 

西行法師は、吉野に住みつくときに決意表明をしております。几帳面な人だったような気がします(笑)。

   「花を見し昔の心あらためて吉野の里に住まんとぞ思ふ」

しかし、桜の歌人、西行の歌で最も人口に膾炙しているのは、次の歌でしょう。

   「願わくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月の頃」

2009年05月07日

かくれ塔


      見上ぐれば青空を刺す杉木立 地に降る光かくれ塔を射す

中千本の一番上の竹林院の前から上千本行きのバスが出ており、終点から少し登ると金峯神社があります。

その脇を下ったところにひっそりと御堂が建てられています。もとは修験道の修行をするためのものだったらしく

歌が残っております。  「吉野なる深山の奥のかくれ塔 本来空のすみかなりけり」

吉野には、義経主従が隠れ住んだと言われるところがいくつか残されており、静御前が鎌倉方に捕らえられ、

また佐藤忠信の自己犠牲(義経千本桜)などがあり、更なる逃亡生活が続くことになるのであります。

2009年05月06日

如意輪寺


      うつし世を恨むがごとく咲く花は北を向きては開かざらまし

吉野山の「一目千本」と呼ばれる絵は今回は載せられませんが、一目百本くらいの画です。

向こうに見えるのは後醍醐天皇の勅願寺となった如意輪寺。南北朝の物語については高校の日本史の

域を出ませんが、この寺の奥にある天皇の陵墓は、北の京都を向いて建てられています。

日が高く上がり光がフラットですので、先に上千本、奥千本を回ることにしました。

2009年05月06日

満開


      重力に従順な花見上げいて素直ならざる吾よろめけり

東南院というこじんまりとしたお寺の仏舎利塔と枝垂桜が目に入り、お邪魔して写真を撮らせていただきました。

「咲き誇る」という言葉がありますが、嫌味のない堂々とした自然体で、名女優を思い起こさせます。

↓ 下の写真のお寺の名前を忘れてしまったのですが(スイマセン)、セルフサービスで甘茶をいただきまして、

そのままでは申し訳ないので100円を置いて来ました。足りたでしょうか(笑)?

2009年05月05日

たらたら


      たらたらと油汗流す汝が頬にダラスケ丸を塗ってやりたし

子供の頃、母親が胡瓜を顔に貼り付けていました。見てはいけないものを見ているようで、顔を背けました。

最近は、白い漆喰で固めたような美顔がCMで流れていますな。美しくなるのは大変なんだ(笑)。

ところで、「ダラスケ丸」って何の薬でしたっけ?一箱買ってくれば良かったですね。

2009年05月04日

商売繁盛


      笛の音が中千本の道を過ぐ 商売繁盛ピーヒャラピラリ

中千本の土産物店が並ぶ通りを歩いていると、軽やかな笛の音が聞こえてきました。

獅子頭を被った若者を中心に、店の門付けをして回っているようです。

確認はしていませんが、翌々日にある金峰山寺の祭りへの浄財を集めているのかな、と思いました。

どなたか吉野の年中行事に詳しい方、そこのところ、どうぞよろしく(笑)。

2009年05月03日

仁王門


      春の朝仁王に睨まれせっかくの陽気じゃ花見をせんかと誘う

修験道の根本道場として、また吉野のシンボルとして建つ金峯山寺蔵王堂(↓一番下)は、金剛力士像を持つ

仁王門とともに国宝に指定されています。明治維新の廃仏毀釈の頃は危ない時期もあったようですが。

罰当たりな私は、参拝料が惜しいので蔵王堂の中までは行きませんでした。

本当のことを言うと、靴の紐をほどくのが面倒なだけ(笑)。先を急ぎますし。

2009年05月02日

枝垂桜


      み吉野の枝垂桜の真白きは空の青きに溶け入るごとし

山桜が吉野の主要な品種になりますが、他の種類がないわけではありません。白い枝垂桜が特に綺麗でした。

個体差はありますが、上の桜はもう待ちきれないと言うように、風の吹くたびに花びらを舞わせていました。

一説には、枝垂桜は花を支える枝が出来る前に花をつけるので、重力に逆らい切れずに垂れ下がるのだとか、

ホントかな?  ↓下の桜は満開まであと一歩というところでしょうか?

2009年05月01日

吉野桜


      名にし負う吉野の里の山桜 連なる山の高笑いかな

吉野山に多く自生する桜は、シロヤマザクラと言うそうです。名前の通り少し白っぽい花の色です。が、

山桜ですから「花(鼻)より先に葉(歯)」が出ます。葉は暖色系ですので、山全体は少し赤みがかります。

吉野は標高差が600mありますので、4月上旬から下旬まで、山のどこかで満開を楽しめるのですが、

私が訪ねた9日は、全体的に見て中千本と呼ばれる地区がいい具合でした。例年より少し早いようです。

↑上の写真は下千本から中千本に上る途中。↓下は登りきってからの写真です。

今日から吉野のアップを始めますが、他で使用したいカットもありますので、少し控えめ?になります。

物足りなく思われる向きもあると思われますが、どうぞご容赦下さい。