2008年03月30日
春の祭
花の下地蔵も人も浮かれけり


ここは長瀞。秩父鉄道野上駅からほど近い、六地蔵です。周りの桜はまだ蕾ですが、どういう訳かこの桜だけは、毎年最初に咲きます。
普段はひっそりとして、年寄りが通り掛かった時に、気が向けば手を合わせていくくらいです。
3月の最終の日曜日、一年に一度の祭りが行われます。六地蔵が綺麗に飾られ、その後、テントの中で、地元の懇親会が行われます。六地蔵様が浮かれるよりは、地蔵にこと寄せて、人だけが久し振りに浮かれていたようです。
3枚目の写真は、花火の空(から?)です。花火をあげると、破裂した後、この空が落ちてきます。道に落ちていたので、懐かしくなって拾ってきました。。中に落下傘が入っているものもあります。
子供の頃に、これが落ちてくると、乾いた田圃の中を、泥だらけになって追いかけた、想い出が蘇りました。
しかし、今は追いかける子供の姿はありません。
yoshiyoshi さんからいただきました
山里の地蔵嬉しも花の宴 よし
夢岳庵 さんからいただきました
六地蔵 花見の客が 手を合わせ
ありがとうございました
2008年03月29日
山笑う
川岸の整備急かせて山笑う

ひとりでに親子足向く春の川

去年の台風で流された河川敷の工事が急ピッチに進められています。まだ向こう岸は通行止めになっています。
春の行楽シーズンか、新学期の子供達の通学に間に合わせようと急いでいるのでしょう。
1台のショベルカーが2台になり、最近は3台に増やされました。工事が予定より、遅れているのでしょうか。
山は新芽が育ち、霞んだように見えます。自然はどんどん季節を変えていきます。草木の萌え立つ山は、速くしないと間に合わないよと、工事関係者を急かせているようです。
整備の終わった川のこちら側では、春休みに入った親子が、誰からという事なく、連れだって自然に川に近づいて行きました。冬の間には見られなかった、春の光景です。のんびりと石を投げて、川面を幾つジャンプ出来るか競っていました。
川を挟んだ景色の違いが面白く、しばらく見ていました。
2008年03月28日
大根の花
野辺に咲き見向きもされぬ花大根


大根の花が咲き出しました。
ここは道路脇の草の中です。紫の花を一面に咲かせていますが、あまり見向きもされません。今の時期は桜の開花が注目されていて、誰もが上ばかり見ているからです。
道路を走る車から、空き缶や、ビニール袋に入れたゴミが投げ捨てられていました。「ゴミを捨てないで下さい」と書かれた、市の看板が立ちましたが、年2回の市民清掃の日には、かなりの量のゴミが捨てられていて、みんなでそれを拾います。
そこで、花を植えれば人の心が優しくなって、ゴミを捨てなくなるだろうと、春咲く大根の花の種を蒔き、初夏に咲く紫陽花を道の端に植えました。
しかし、相変わらずゴミの投棄は続いています。速い速度で通過する車から、大根の花は見えないのでしょうか。それとも、花を愛でる心が、人間から失われてしまったのでしょうか。
今年も、大根の花が咲き出しました。
2008年03月24日
春愁
春愁や古代の跡を見ておれば


秩父鉄道黒谷(くろや)駅から、30メートルくらい歩くと、国道140号線に出ます。正面の山の岩に、白く書かれた「和銅」の文字が見えてきます。
ここは日本最古の貨幣と、昨年まで教科書にも載っていた、和同開珎(わどうかいちん)の原料となる自然銅が掘り出された場所で、1300年前の往時の面影を残す、「和銅露天掘り跡」があります。
ここから奈良の都まで、銅が献上されていきました。時の元明天皇は、元号を「和銅」と改元したと記録に残っているそうです。
交通機関が発達していない中、山を越えて運ぶ道中は、難儀の連続だったに違いありません。
飛ぶ鳥よりも早く、毎日都に銅を送り続けた、「羊太夫(ひつじだゆう)の伝説」も残っています。運ぶのが辛いので、古の人も、一気に運ぶスーパーマンを夢見たのではないでしょうか。
昨年、奈良県の藤原宮跡で発見された、「富本銭」(ふほんせん)の出土によって、和同開珎は最古の貨幣の地位を譲りました。
富本銭も、ワ冠で横棒の一本少ない「冨本銭」の出土によって、また新しい最古の貨幣論議が起こっていると、3月18日の新聞に載っていました。 『ウワ違う富本銭』―読売新聞
和銅露天掘り跡に一人立っていると、急な斜面に這い蹲って、権力者の命令で、岩を掘り続ける古の人々の苦しさがわかるような気がします。
今は、春の風が笹を揺らせて通り過ぎていくばかりです。
今年は「和銅奉献1300年」にあたり、4月1日から、黒谷駅は、「和銅黒谷駅」と改名されます。
2008年03月22日
SL走る
SLの汽笛鉄路に春闌ける


今日から、秩父鉄道を走るSLC58 363 が、はじめてその姿を現しました。愛称はパレオエクスプレスと呼ばれています。秩父地方で発見された、推定1500万年前の海獣パレオパラドキシア(上長瀞駅近くの、埼玉県立自然史博物館に骨格標本が展示)に由来しています。
パレオエクスプレスが秩父路を走りはじめると、本格的な春の観光シーズンの到来です。
あの汽笛の哀愁を感じる響きは、何ともいえませんが、面白い話があります。
新聞か何かで読んだのですが、記者が、SLの運転手に「子供が見にくるから、危ないですね」と質問したら、運転手は「危ないのは、カメラを持った大人ですよ」と答えたといいます。
今日も、SLを撮ろうと、カメラマンがカメラを構えていました。線路の側の送電線を支える鉄柱の影から写している人がいて、汽笛を鳴らされていました。
もちろん、私は優等生?として、撮影しました。
2008年03月19日
さて、その後に控えしは!
黄の花のあとも黄の花黄水仙

庭の福寿草が、そろそろ盛りを過ぎようとしています。鮮やかな黄色から、少しくすんだ黄色に変わりました。
でも、山国にやってきた遅い春は、その向こうに、蕾が膨らみかけた黄水仙を用意してくれています。
福寿草が散りはじめる頃、黄水仙が鮮やかな黄色い花を見せてくれるはずです。
2008年03月18日
御開帳
お手綱もまだ新しき御開帳

茶髪でも祈る背清し遍路人

今日から秩父札所の総開帳が始まりました。ここは札所18番神門寺(ごうどじ)。
国道140号線のすぐ側にあり、車で来られるお遍路さんも良く見かけます。
☆秩父札所の観音様は、普段は秘仏として、厨子の扉は閉じられていますが、御開帳のときはその厨子の扉が開かれます。また、お手綱に触れる事により本尊さまと握手をし、観音さまの功徳を頂くことができるといわれています☆と、秩父観光ナビに説明されています。
各寺に、観音様と繋がるお手綱が張られていますが、今日から始まったので、お手綱はまだ汚れもなく、紅白の色を鮮やかに残していました。このお手綱が黒くなる頃、何人の方が、己を見つめ直しているのでしょうか。
輪袈裟や杖、納経帳などの巡礼用品を1番四萬部寺の他に、この寺でも揃えられます。
駐車場に私が車を止めると、すぐ後から他県ナンバーの今風の白い車が止まり、中から20歳を幾らも超えないような、茶髪の若いカップルが降りてきました。場違いなと思いましたが、私は先に寺の中に入りました。年配の団体が集まって、お昼を食べていました。
寺の中にある小さな売店から、白衣(はくえ)に身を包んださっきの若者が出てきました。私も驚きましたが、昼食をとっていた団体も、ビックリして見ていました。
二人は衆人環視の中で、ぎこちなさはありましたが、真剣に祈っていました。茶髪ではありましたが、二人の真剣さに、もう誰も特別な目で見る人はいませんでした。
夢岳庵 さんからいただきました
お手綱に 願いを託し 春遍路
秩父路や 武甲の山と 春遍路
ありがとうございました。
今まで、多くの方からいただきながら、紹介する方法が分からず、せっかくの名句を没にしてしまい、大変失礼しました。お詫びいたします。
2008年03月16日
薯植える

薯植える手順今亡き父のごと

今日ジャガイモを植えました。
ジャガイモを植える時期になると、平成13年を思い出します。
3月18日にお彼岸で帰省した時、父が「ジャガイモを植えねえとな」とポツリと言いました。私は「後でゆっくり植えれば」と言って帰ろうとしましたが、普段、医者嫌いで頑固な父が、あまりにもおごと(疲れる)そうだったので、「俺が畑を掘るから、薯に灰を付けて並べてよ」と言って、二人でジャガイモを植えてから、東京へ帰りました。
その一週間後の24日、父が脳梗塞で急死しました。救急車で運ばれてから、死亡するまで40分と記録が残されていました。医者嫌いの父らしい死に方でした。
ジャガイモを植える時期になると、平成13年の事を思い出し、畑を掘る深さも、灰の付け方も、芋を植える間隔も、父と同じ方法でやっている自分がそこにいました。
2008年03月13日
花粉症
人の様笑いし罰か花粉症

涙目とマスクでデビュー花粉症

私以外の、家族全員が酷い花粉症で、鼻をかんだり、目薬をしたり、「たいへんだねえ」と半ば馬鹿にして笑っていました。
ところが、今年突然家族と同じ症状が、私を襲ってきました。中腰で物を持ち上げようとしたら、スーッとアララ!
こんなに辛いものとは思いませんでした。人に聞いたら、今まで症状が無くても、突然変異して、花粉症になるケースもあるのだと教えてくれました。
今まで、薬のスーパーに行っても、マスクの前は素通りでした。今年はマスクを買いに行きました。マスクの種類がたくさんあることを知りました。
タイガーマスクみたいに格好よければいいのですが、同じマスクでも無様なデビューとなりました。
花粉症の皆さん、スミマセン。
2008年03月12日
♪ああ秩父駅♪

役終えし駅舎にはただ春の風

♪どこかに 故郷の香りをのせて 入る列車の なつかしさ・・・・♪
昔は井沢八郎が歌い、今は氷川きよしが歌う「ああ上野駅」の歌詞ですが、上野が東京への到着口だとすれば、旧秩父駅は、東京への出発の駅でした。
昭和44年に、西武線が秩父へ延長される前、私たちの世代は、東京へ出るには、、秩父鉄道に乗り、熊谷で乗り換え、上野に着くのが一般的な行き方でした。
大正3年に竣工された秩父駅は、役目を終えて、昭和59年にやすらぎの丘(聖地公園)内の現在地へ移築されました。
久し振りに秩父駅と再会しました。旧駅舎の前に佇めば、就職の為、この駅の改札をくぐり、チッキで荷物を送り、鼻の奥をツンとさせながら、一人旅だった自分を思い出しました。
今はただ、春の風が通り過ぎて行くだけです。
2008年03月11日
これは失礼!!
山を背に上る煙や朝うらら

西武秩父線の横瀬駅の上りの電車から、進行方向左前方に、二子山が見え、二子山を背に、三菱セメントの煙が見えます。今朝は風もなく、煙がゆっくり立ち上っていて、長閑な風景がそこにありました。長閑さに誘われて、山がオナラをしているような、けしからん場面を想像してしまいました。失礼しました。
失礼と言えば、5年くらい前に、西武特急レッドアロー号の中で、山口君ちのツトム君を作詞、作曲した、みなみらんぼうさんとお話をしました。
秩父の山の帰りで、10人くらいの仲間と先に電車に乗っていて、私の席は2つ奥でした。通路に立っていた背の高い人に、「すみません。通して下さい」と言ったら、振り返ったその人がらんぼうさんで、「これは失礼」と言って、横にどけてくれました。「すみません」と言って席に着きました。話をした事には違いありません。またまた失礼しました。
後日、雑誌か、新聞のコラムに、二子山に登った事を書いておられました。
二子山には、そんな思い出があります。
2008年03月10日
棚田の学校

野焼き終え風のそよ吹く棚田かな


3月6日撮影
秩父盆地の東部に、横瀬町という町があります。武甲山を南方に仰ぐ、横瀬町寺坂地区に棚田の学校があります。寺坂遺跡が近くにあり、縄文中期の竪穴住居跡や御荷鉾緑色岩類(みかぶりょくしょくがんるい)を利用した磨製石斧(ませいせきふ)の工房跡などが、発見されたと説明があります。
その歴史から、この寺坂棚田学校では、古代米(紫黒米)を栽培する活動をしているそうです。
5月には公募に応募した人たちが大勢集まり、田植えが行われるという事です。
野焼きを終えた棚田に、風がそよそよと吹いていました。
2008年03月09日
小さな春祭
受け継ぎし小さき社の春祭

坂を登り切った道の端に、小さな社があります。子供の頃は山の神様、と言って良く遊んでいましたが、正式な名前は大山祇神社といいます。有名なのは、愛媛県今治市大三島町にある、大山祇神社で、天照大神の兄神で、建国の大神を祀ると説明されていますが、この小さな社も同じ名前です。古老の説明によると、やはり愛媛県の神社から、時の権力者によって分祠されてきたようです。
元の社は朽ちてしまったので、数年前に建立し直したそうですが、受け継ぐ若者が少なくなり、直会の席で、何時まで続けられるかなと、しみじみ語っていたのが印象的でした。
2008年03月08日
客を待つ
舫い舟浮かべ客待つ春の川

ここは長瀞、親鼻橋の下です。川下りの舟が係留されています。ついこの間までは、ここは氷が張っていて、子供が乗って遊んでいました。しかし、春の訪れと共に、氷は解け、春の観光シーズンに供え、舟が係留される季節になりました。
向こうには、車が1台見えますが、行楽シーズンになると、この河原は百台くらいの車が駐車し、満車になります。テントを張って、キャンプする人もいます。
その向こうに、秩父鉄道の鉄橋が見えますが、3月22日から土、日、祝日に、SLが一日一往復この鉄橋を渡る姿が見られます。
ここから下流に向かって、船頭が巧みに棹を操り、急流を乗り切り、長い瀞(川の流れが静かな所)をゆったり下っていいく姿が見られるのも、後僅かです。
何か、秩父観光協会のコマーシャルみたいになりました。スミマセン。
2008年03月07日
教育

お受験か卒業式か川の鳥

鷺には小鷺(コサギ)、中鷺(チュウサギ)、大鷺(ダイサギ)、蒼鷺(アオサギ)がいると、野鳥図鑑に載っています。生活型は、留鳥または漂鳥、夏鳥、夏鳥または漂鳥、留鳥に分けられるそうです。この鷺は、中鷺だと思うのですが、中鷺は4月から10月に見られるとありますが、地球温暖化のせいか、冬から春先に見られました。仕事前に川を見ながら昼食をとる、いつもの河原です。
二羽のつがいが、高い木の上や、川の中で見られましたが、この時期、産卵し、子育てをするかどうか分かりませんが、何時のまにか三羽になっていました。
川の中で、二羽が盛んに羽ばたきをし、もう一羽は、ぎこちなく見えました。
まるで、餌を取る為の飛び方を、教わっているような、もう巧く飛べるようになったから、独り立ちしなさいと、卒業を祝って、手叩き(羽根叩き?)しているように見えました。
人も鷺も、教育熱心さには、変わりないようです。
2008年03月06日
同行二人

来し方と行く末唱ふ遍路人
秩父路に春告げに来た二人連れ
秩父札所4番金昌寺に慈母観音さまが座していらっしゃいます。おだやかな微笑みをたたえ、子供に乳房をふくませようとしている、観音像です。
孫が産まれる前に、お願いに行きました。その時は、まだ雪がかなり、残っていました。
孫が無事産まれたので、お礼に行きました。もう雪はほとんど残っていませんでした。
途中まで行くと、お経を唱える声が聞こえてきました。私が近づいたのも気が付かない様子で、一人の老人が一心にお経と、懺悔の言葉を唱えておりました。
ズタ袋には、同行二人と書かれています。弘法大師さまと一緒に巡礼するという意味が込められているのでしょう。秩父はまだ寒いので、菅笠ではなく毛糸の帽子を被っていましたが、真剣そのものでした。
かなり長い時間唱えていましたが、横に立って邪魔をするのは止めて、終わるまで段の下で待ち、老人が立ち去ってから、ゆっくり拝んできました。
こうした巡礼の姿が、あちこちで見られるようになると、秩父路にも本当の春がやってきます。
















