2009年01月25日
2009年01月18日
川涸れる


涸川をズコンズコンと舟下る
長瀞ライン下りの船着き場です。春から秋の行楽シーズンはここからライン下りが出発していきますが、今は一面氷が張っていて、川下りの舟も、どこかへ避難して人影もありません。
座って凍った川を撮影していると、ズコンズコンという音が聞こえてきました。何事かと立ち上がって見ると、水が涸れた川を一艘の川下りの舟が下っていきました。少し上流の新しく出来た会社の舟でした。ズコンズコンと舟底が石に当たっている音でした。
一組のカップルだけが乗っていました。この寒空でも、二人でいれば寒くないのかもしれませんが、前後の船頭さんは何か元気がないように見えました。
2009年01月16日
冬日影


冬日影祈る親子の背に迫る
秩父札所九番明智寺の縁日が1月16日と8月16日に行われ、安産祈願と、子育て祈願の参拝客で賑わいます。去年の1月の縁日に、2番目の孫の安産の祈願をしてきました。お陰様で2月25日に女児が産まれ、もう少しで1歳になります。去年の8月に本来なら祈願成就のお礼に行かなければならなかったのですが、育児騒動に巻き込まれ、お礼に行くのを失念しておりましたので、今日一年ぶりに出掛けました。
もう夕方近くで、参拝の人も二組の親子がいるだけで、3軒の露天も店仕舞いをはじめていました。お祈りする親子にも、冬の日影が迫ってきていました。
2009年01月14日
繭玉

昨年11月の縁側展での古民家の再現

秩父神社元旦奉納
繭玉を飾る習いの遠退きぬ
私の子供の頃は、14日になると小正月の準備で、各家庭の座敷や縁側に、米粉を練って作った繭玉を木の枝に刺して飾ったものでした。秩父は江戸時代から絹取引が盛んで、秩父夜祭りも絹市を盛んにするために、二人の豪商によって始められたと記録(関根家文書)に残っています。ちなみに、享保16年の祭礼中の絹取引量は、九八九四疋にのぼり、五千八百両(一両を十万に換算して五億八千万円)になると解説されています。養蚕も盛んで、御蚕様と呼ばれ、私の家の周りの農家のほとんどがやっていました。
その後衰退の一途をたどり、現在は、秩父市全体で養蚕農家は40戸を切ったとも言われています。小正月前後に行われていた繭玉を飾る行事も、展示されてあるものを見るか、養蚕農家を尋ねるしか見られなくなりました。
今は縁日で、金や銀の飾りの縁起物として売られています。
2009年01月13日
初虚空蔵


代参を頼み臥せおり初虚空蔵
1月12日、13日は虚空蔵寺の初虚空蔵縁日がありました。今年は丑、寅御開帳で、虚空蔵尊と触れ合えるとあって大勢の人で賑わっていたようです。
私は、11日の夜から高熱があって寝込んでいて、遅い正月休みで帰省していた息子にお参りを頼み、新しい達磨に買い替えてきてもらいました。写真も息子に頼んで写してもらいました。
「虚空蔵様」と言って親しまれている、虚空蔵尊縁日にお参りし、15日の小正月に松飾りを取ると、秩父の正月は終わります。お参りに行けなくて、忘れ物をしたような気がしていますが、今日医者に行ったら、インフルエンザではないと言われホッとしました。虚空蔵様のご利益と、良い方にとる事にしました。
2009年01月10日
2009年01月08日
初薬師

初薬師訪なふ顔のまた減りぬ
昨年1月8日に投稿した、「薬師堂だより」の初薬師の堂守の順番が、今年またやってきました。初薬師はご利益が多いと言われ、体の不自由な近所のお年寄りも、この日だけは杖をついたり、手押し車に掴まって無理してもやってきます。年寄りの同窓会みたいになります。
「今年も来られたよう」と挨拶を交わし、「来年はどうだか分からない」とお互い慰め合っていました。
ただ、去年来られて、今年来られなかったお婆さんもいます。もう出歩けなくなったと噂をし合っていた事が気になります。
明日は大雪の予報が出ています。初薬師が今日で良かったと思います。
2009年01月04日
はや四日-送られてきた写真

四日はや喪中の友も動きけり
去年の秋に母親が亡くなった山歩きの友達からメールが届きました。喪中なので年賀状は出せませんが、あまりにも富士山が綺麗だったので、正月らしく写真を送りますとありました。川越のどこかから撮ったようです。写真を撮る人が大勢いたともありました。
私も、父母と義父を送りましたが、その次の年の正月は、世間から取り残されたようで、寂しいものです。何もやらない正月は、かえって亡くなった人を思い出してしまいます。
彼も三が日は大人しくしていたようですが、四日になって元気に活動を始めたようです。安心をしたメールと写真です。




































