2008年07月31日
(10)インスブルックへ
2005年8月31日(水)晴れ
この朝ここで植林部隊は解散し、先発隊の方々はここからさらに奥へ入り、雪男発見の噂のある氷河を訪ねるとか、またある人は滞在先のミュンヘンに帰るなど、様々でしたが、みな緊張していました。
我々9人は出国時のメンバーに戻ってシュトゥーバイタールの方へ移動し、農家民宿を経験したり氷河を見に行ったりして旅を続けました。
4泊したオーバーグルグルに別れを告げていると、9時にガイドのSさんが大きなバスで迎えに来ました。元気なチロルっ子の運転するバスがインスブルックまで下る途中で見たエッツ谷の流れ(イン川の支流)は、到着の日に比べるとずいぶん水位が下がり、乾いた河原に白っぽい石がゴロゴロしていました。バスはイムストまで降りてここからアウトバーンに入りました。この辺りから見える白い石灰岩の嶺嶺はミミング連峰というのだそうです。

2008年07月31日
(9)アルプスの花たち
リフトをたどって下ればオーバーグルグルのヒュッテまで迷うことはなかったので、午後は希望者で歩いて下りました。途中で花の写真を撮ったりしながら歩いてたのですが、カメラを使いこなせなくって、ろくな写真ができませんでした。なんとかお見せできるようにトリミングしてみました。
エーデルワイス(左)とAlpenwucherblume(マーガレット・右)

エンツィアン(リンドウの仲間)

2008年07月30日
(8)氷河渓谷ハイク
どう頑張ってもあんな遠くまで歩いてはいけまい、氷河にさわることはできないね。ということで、今回は氷のない氷河渓谷を歩いて下っていくことに。山のベテランはとうに承知ノ助だったのでしょうが、私はこの場に立ってはじめて言われていることの意味を理解しました。
広いカールでしたので、1本道を下るのに道に迷う危険は無かったです。
渓谷の斜面はほぼ草原でしたが、その広い斜面いちめんにアルプスの植物たちが夏を謳歌し様々な花を咲かせていました。踏み分け道は歩き下るほどに岩場あり水場ありで、変化もあり、1時間あまりの下りはそれぞれ自由に立ち止まったり、引き返してモーマットの穴を教わったりしながらの道行きで、まるでスケールの大きな公園を散歩しているみたいでした。
すれ違う人々はそれぞれの国の言葉で挨拶を交わし、ほほえみあって通り過ぎていきました。白髪の人も背中のキャリーに赤ちゃんを載せた人もいました。
2008年07月29日
野の花は天真爛漫夏の朝

ヒメジョオン;08.07.29上田市
幾日か前子供が、「きれいね、」といって手折っていました。
そのまま忘れていた草が、今朝気づいたら、
次の花をいっぱいに開いていました。
2008年07月29日
(7)ホーエムート頂上で
前述のように、ホーエムート頂上はひろい草原に羊がゴロゴロしている牧場となっていました。


昼食には早いけれども、そこの山小屋(レストランになっている)のテラスで休憩となりました。
気持ちのよい風に吹かれてコーヒーとかビールを飲みながら、360度のパノラマを楽しみ、だれかがきのうのサンドイッチをもってきていて、わあわあ冗談をいいながら分け合って食べて・・・。
山仲間の気の置けない楽しさが溢れていました。
2008年07月28日
(6)ホーエムートへ氷河を見に
8月30日(火)晴れ
朝出発前に、山のベテランが昨日の植林の帰りに採ってきたキノコでキノコ汁を作ってくれました。これで元気百倍、前夜の打ち合わせ通り村の中程にあるスキーリフト乗り場まで歩いて下って行きました。そしてそこからリフトを2本乗り継いで、一気にホーエムート山頂(2653メートル)まで上りました。

空はどこまでも青く、リフトは軽々と谷を越え山を越えて行きました。眼下のハイカーと手をふって挨拶したり、高い岩場まで山羊が上ってきているのをカメラで撮ろうとしたり、

小1時間は乗っていたと思いますが、怖いとも寒いとも思わず、景色を堪能しました。
2008年07月28日
雷雨去りメドウセージの晴々と

メドウセージ;2008.7.28午後
夕べからの雷雨、すごかったです。
空いっぱいに轟く雷鳴は、まさに天の怒声、
ちっぽけな人間を震え上がらせるに十分でした。
雷に打たれて回心した僧の話も、あっただろうな、と思います。
2008年07月27日
雲占い今日もはずれて水遣りに

1時間ほど前、空もようが劇的に変わりました。
あんな大きな入道雲、見たことありませんでした。
空は急に雷鳴もとどろいて、いよいよ今日こそ待ち望んだ夕立がくるかな・・・
と思っているうちに、雲はどんどん流れ去り、空は明るくなってしまいました。
ケキョケキョ、ホーホケキョと、ウソナキモズが鳴きだしました。
2008年07月27日
(5)山頂直下で植林
<2005年8月29日植林のつづき>

グリュースコーゲル方面からエッツタール方面の嶺嶺。眼下は車を止めたグリュース村
上の写真に見える鉄柵の中に入って行ってそこの斜面に植林をしました。くわしい説明は忘れましたが、何年か前にその斜面が雪崩のために崩落して下の駐車場のところまで続くガレ場となったわけで、今は主にエリカなどの低木や雑草が地面をおおっていました。野に咲くエリカ=ヒースの花を見たのこの時が始めてでしたので、エリカの花は私の中ではチロルの思い出と重なっています。
風雪に耐えて生き来し吾もまたチロル忘れじエリカよ君も

2008年07月26日
夏薯や一畝上げて汗一升

四月に植え付けたジャガイモの収穫をしました。
梅雨明けまで、元気に育ち、花も咲いていましたが
土用の日干しにあい一斉に枯れました。
掘ってみると大小さまざま、とにかくよく増えていました。
ジャガイモの生きがいは増殖・・なのかな?
ちなみにジャガイモの原産はアンデスとか。
地球を一回りして日本まで来たのだそうです。
2008年07月26日
(4)木を植える旅に
8月29日(月)植林の日

谷間の牛鐘(カウベル)響く静寂に曙光届きて嶺嶺洗う
疲れの故か夜中に何度も目が覚めバルコニーに出ると明け方の冷気は震えるほどでした。
山の端に細い月が出でていて、青い青い夜明けの空は一日の快晴を約束しているようでした。

2008年07月25日
(3)育苗施設でレセプション

チロルでは牛も羊も山登り
オーバーグルグルはエッツタール(タールは谷の意)のいちばん奥で、標高1907メー냈ル、雄大なスキー場の中の村です。宿泊したペンションはこの村のまん中にある教会を見下ろす斜面の中腹にあり、エッツタールアルプスの嶺嶺が屏風のようぐるりと周囲を囲んでいるのがみえました。あの嶺の向こうがイタリア・・・と同行の友が教えてくれました。
2008年07月24日
(2) 出発・到着
2005年8月27日(土) 成田10時30分発ウィーン行きオーストリア航空OS52で出発しました。出発前の8月20日前後からチロル州は豪雨に見舞われ、河川決壊やスキー場の土砂崩れなどの被害のニュースが日本のTVニュースでもとりあげられていました。先発隊はもう出発しているし、旅行を今更取りやめるわけにもいかず、と、隊長は気をもむばかりだったそうです。
機内で時計を7時間遅らせて、15時45分ウィーン国際空港に到着し、さらに国内線のプロペラ機に乗り継いでインスブルックへ向かいました。

初めての経験では無かったのですが私はこの時気圧の急激な変化で耳が壊れそうになりました。ほぼ1時間でインスブルックに到着しましたが、この時インスブルックは悪天候で、空港の滑走路が見えるまで20分ほど雲の中に留まっていて、窓という窓は白い闇の状態、飛行機に乗り慣れていない私は正直、不安でたまりませんでした。
2008年07月24日
チロルの夏に (1) プロローグ

吾が庭のえりか咲く夏はるかなるチロルの谷の急斜面思う

2005年8月オーストリアのチロルを訪れる機会に恵まれました。
友人の属する山岳会が行った「チロル植林と3つの渓谷を訪ねる旅」に同行させてもらった思い出深い旅でした。
絶対忘れることなんてない、と思っていても、加齢と共に忘却は足下に及んでいることに気づかされる昨今です。今のうちに記録しておかなくては、そう思ってアップします。しばらくおつきあい下さい。
2008年07月21日
入道雲こっちへおいで雨おくれ

昨日は空振りだったので、今朝水を遣りました。
今日も空振りかな~と思って7時までかかって一通り水をまいたところへ、夕立の雨。
熱さもひけて、ほっと一息。
2008年07月19日
夏深し百舌の真似鳴上手くなり

毎朝鶯の声を聴いているつもりだったのですが、鶯は夏、山の中で巣作りをするので、里で鳴く声はきけないのだそうです。
百の舌と書かれるだけに百舌はいろいろな鳥や生き物の声を真似る習性があるのだとのこと、どうもあの声は百舌の真似鳴きらしいです。
写真はメマツヨイグサ(?追記)の今朝の花。マグノリアの木の下でしたので、マグノリアの花が咲いたのかと思ってました。よくよく騙されやすい性格で、、、
2008年07月18日
2008年07月17日
鶯の囀り上手くなって夏

ハゴロモルコウソウ 08.07.17/11:00AM撮影
夕べの大雨ですっかり生気を取り戻した植物たちが葉を広げ蔓を伸ばし花を咲かせています。
鶯(、だと思うのですが、モズがまねをすることもあるとか、)が、田圃の向こうの高い木立の梢でホー、ケキョケキョ、と鳴いています。なかなか佳い声です。
2008年07月15日
2008年07月14日
木の壁に響ける音の優しさよ

軽井沢・大賀ホールへきたウラジミル=ミシュクのピアノを聴きに行ってきました。
はやくいってみたいと思っていたのに、ホールは出来てもう10年もたっていました。
軽井沢は6~7年ぶりですがやはりにぎやかになって、東京みたいになっていました。
変わらないのは山々だけ・・・?いいえ、自然も変わりつつあるはずですね。
ある日突然それはやってくるのでしょう。
激しい土砂降りや突風、落雷となって、荒れ狂い、
本当は無力な人間の存在を思い知らされるのですね。


2008年07月13日
蜜の味通奏弦音庭に満つ

今朝もせっせと蜜を集める蜂たち
朝日が射すと体温が上がるのでしょう、
一斉に動きが速くなって
ぶんぶんと無我夢中の様子。
2008年07月13日
2008年07月13日
2008年07月12日
我先に蜜採り急ぐ梅雨晴間

大好きなラヴェンダーの花園が出来て、毎朝起き抜けに顔を出すのですが、この頃はいつも思わぬ先客がいます。
ミツバチの大群!どこからくるのでしょう?
どんなに早く起きても、雨天以外きっと来ています。
孫はせっかく咲かせた花も、蜂がこわいと言って近寄りません。
ミツバチに来るなというわけにもいかず、
最近は一人あきらめの境地です。
びいぶうぶん聴け無伴奏チェロソナタ
2008年07月08日
2008年07月08日
2008年07月07日
頬寄せて星見に繋ぐ父と子か

今夜は七夕です。
9時ころ、雲間から覗いていた半月が沈むと、星月夜となりました。
夜の道を歩いていると、暗いところで話し声がしました。
聴くともなくきこえる会話はどうやら星座の話。
ははあ、むかーしむかし、私にもあったなあ、あんなことして、
「あの3角形の頂点から・・・」
父と子が顔をくっつけるようにして、いっしょに星座を繋いでいました。
天の川星座が繋ぐ父子かな
2008年07月05日
この夜を最後とばかり蛙鳴く

昼間は涼しげな水田風景ですが
これが夜になると夜もすがらカエルの大合唱
ゲコゲコゲー、ゲアゲアゲアゲー、ゲゲゲゲゲー。
暑苦しくて眠れぬ夜は
闇の中でこの声に身をうずめるしかありません。
2008年07月04日
ほろ酔いの頬心地よき夜風かな

月見草 7月3日夜9時
夕べは夜中に土砂降りがあって、この花今朝はよれよれの紙切れのようになっていました。

2008年07月03日
Turkey10 再びイスタンブールへ
6月29日(木)晴れ
アンカラからイスタンブールまでバスで6時間。途中湖(名前忘れましたが)のほとりのレストランで昼食したり土産物を選んだりしたので、疲れは感じなかったです。

再びマルマラ海が見え、ボスポラス海峡をわたってイスタンブルの市内に入ると、不思議に懐かしい感じがしました。
イスタンブール最後の午後は1時間ほどボスポラスクルーズを楽しみ、ガラタ橋(金角湾)の近くで名物(?)さばサンドを食べて、あとは自由にエジプシャンバザールなど市内散策、歩きたくない人はバスでホテルまで送ってもらう、という企画でした。
ボスポラス大橋
宮殿の城砦
さばサンド。フランスパンに香味野菜と鯖のフィレを挟んだもの
このパンが美味しかったです。たべなれた魚、鯖の味そのものがパンの香りと不思議にマッチしていました。新しい発見でした。
2008年07月03日
Turkey9 首都アンカラへ。
6月28日(水)午後 トゥズ湖の幻影

カッパドキアからアンカラへむかう途中でトゥズ湖に寄りました。その時だけ急に空かき曇り、竜巻でもくるようなおかしな天気模様でした。
「トゥズ湖は塩の湖」、との説明に、なんのことやらわからずにいましたが、バスが止まって見に行ってわかりました。塩を掘ると水が出てくるような感じの干上がった湖。広い広い湖でしたが、向こう岸までも歩いて行けそうでした。ビニール袋にいっぱい塩を詰めてみましたが、空港で没収されるかもということで、少しだけにしました。
首都アンカラに近づくにつれやはり交通量がふえてきました。バスの窓から見えた夕焼けのアンカラの町は、ごく普通の近代都市にみえました。壁や塀に書かれた落書きも万国共通でした。


遠くの山にアンカラ城が見え、赤いトルコ国旗がはためいていました。
2008年07月02日
Turkey8 カッパドキア


まるで、なにかの意志が働いているかのような、キノコ岩の様々なかたち・・・
この奇岩地帯が見渡す限りの山となり谷となって続いているのです。


ここカッパドキアの洞窟には、古代ローマから逃れたり流れたりしてきたキリスト教徒が住み着き、教会を造り地下都市を築いたといわれています。細いトンネルでつながる地下都市の部屋はまさにありの巣を手本にしたかと思うようなすごさ、墓までありました。
上の写真中のおびただしい穴はみんな洞窟住居です。
2008年07月01日
Turkey7 コンヤからカッパドキアへ
6月27日(火)
朝8時50分コンヤ出発、メヴラーナ博物館を見学。
コンヤは、トルコでも保守的な町ということで、私たち日本人女性の半袖やスカート姿は、パムッカレでは感じなかった好奇の視線を射られました。なにしろこの暑い真夏の空の下に現地の女性はみなスカーフをしており、なかにはブブカ(黒い長衣)をまとった人もいました。
メヴラーナというのは13世紀ころのイスラム神秘主義の創始者で、メヴラーナ博物館はこの聖人の霊廟のある僧院一帯を保存し、一般公開しているところです。
メヴラーナ教は、旋舞といって、ぐるぐる回りをし、それによって神との一致に達するのだそうですが、理屈抜きの愛と赦しの感覚があるとして長く信奉されたようです。20世紀アタチュルクによって解散させられるまで、コンヤはこのメヴラーナ教の総本山だったということでした。

海外からだけでなく国内からも多くの観光客がきておりました。やはり団体客が多いようでした。
私たちは混雑の始まる10時頃にはもう、次の目的地に向けて出発していました。
2008年07月01日
贈り花遅れ咲きけり梅雨休み

息子が学生の頃ピンクの紫陽花の鉢を送ってくれたことがあり、
花期が終わったころ庭に下ろしてやったものです。
昨年あたりから花をつけてくれます。
それが咲くまでに時間のかかること!
まだかまだかと待たされてやっと咲きました。
思えば子育てもそうでしたが、
水やり、施肥など管理がルーズでした。








