2009年11月30日
ティティカカ湖へ(2005.11.30)
この日はクスコから ティティカカ湖畔の町プーノまでの長距離移動の日。
出発前に、プーノでストライキが起きていて、予定のコースを進めないらしいとの情報が入ったと、ツアーコンダクター氏はあちこち電話をしていました。
途中で見学予定の遺跡は後回しにして、ゆっくり時間をとってプーソにいくとのこと。こういうとき、アフリカや世界の山を踏破してきたというツアコン氏が頼もしく感じられました。
道中で買ったクッションのように大きなパンは、明日のウロス島の小学校訪問時のプレゼント用。
標高4335mの峠で小休止。こんなところでも土産物屋がお店を広げていました。
夕方の明るいうちにティティカカ湖畔のホテルに着き、ほっと一息。
窓から夕映えの湖が見えましたが、よい写真は撮れませんでした。
2009年11月30日
マチュピチュへ(2005.11.29)
早朝ホテル出発。
クスコ駅7時発のビスタドームにてマチュピチュの麓アグアスカリエンテス駅まで片道4時間の鉄道の旅です。
列車がゆっくりと走るので移り変わる車窓の景色が楽しめました。

車中でいただいたトウモロコシ。大粒でした。味は忘れました。
マチュピチュ遺跡。正面高くそびえるのがワイナピチュ、何人かの元気な若者たちは登って行きましたが私たちはゆっくり石の街を見学し、麓のお土産屋さんで時間をつぶしました。
大勢の国際色豊かな見学客にまじって、地元ペルーの中学生が大集団で歩いていました。
地方から修学旅行で訪れたものと、スペイン語のできるツアー仲間のひとりが教えてくれました。
帰りも同じ列車でした。
車中で眠りこける若者たちを見ながら、いつか南米に行きたいとスペイン語を勉強している息子のことを思い出しておりました。
夜おそく帰り着いたクスコの街の灯は一様にオレンジ色をしており、それは美しいものでした。
2009年11月30日
クスコへ(2005.11.28)
インカ帝国の首都だったというクスコ、アンデスの山中の、標高3399mにあるというクスコへは、リマから飛行機で1時間余りでついてしまいました。
そのとき畿内から見ることができたアンデス山地の雄大な眺め(夫が撮影)
この体験だけでも今の私どもには大切な宝物のような思い出です。
アルパカ・ビクーニャ製品直売所の出口にいた女性。子供をおんぶしているのに親しみを感じてチップをあげて撮影させてもらいました。
クスコでは高山病に気をつけるようにいわれていたのですが、私自身は何ともなかったように思います。
グループの何人かは午後の市内観光中から気分が悪くなったようで、同行の夫も元気がなくなり、食事も進まないのをみていると何ともないのが何だかすまない気持ちになりました。
サクサイワマン要塞で日が暮れた。
どこにいっても、いろいろな土産物を売る人たちがいたけれど、ここで会った少年のことをよく思い出します。昔の日本にもよくいた鼻たらし小僧でしたが。
その子ははどこかその辺でつんできたらしいひとつかみの草の葉を手にもって近づいてきた。
かぎ慣れた懐かしいにおいがして、どうやらミントの葉らしかった。
コカの葉でもないし、私はもらったと思っていたら、ワンダラーといわれ、それは高い、そんなにお金ない、と押し問答の末、相手に草を返してしまった。
結局現地ガイド氏が買い上げてツアーのみんなに1本づつ分けてくれました。
あの子はいま、どこで何をしているかな・・・
日暮れまでいくつもの遺跡をみてあるき、夜はレストランでフォルクローレをききながらの夕食。
かなりの強行軍でした。
2009年11月29日
リマ(2005.11.27)
24時間行動し続けるという経験は生まれてはじめてではないけれど、夜遅くリマのホテルに到着したころには心臓がパクパクしていました。日本ではとうに27日朝の生活が始まっているのに、ここペルーのカレンダーは今なお26日という現実に体がついていけないのでした。
数時間で眠れぬ夜が明けましたが、窓から外を見てびっくり。
眼下には国会議事堂のような石の建築物(あとで最高裁判所と判明)が赤い国旗をはためかせ、そのむこうには見渡す限り大都会が広がりをみせておりました。
ホテルの真向かいに最高裁判所が・・・
午前中は休養、午後がリマ市内の観光でした。
旧市街の中心アルマス広場。スペイン統治時代の古い建物がこの広場をかこんでいる。
サンフランシスコ教会修道院の庭(パティオ)、地下のカタコンベには無数の骸骨が・・・
ミラ・フローレンスの公園で太平洋を眺めて旅情にひたる
椰子の実の旅偲ばるる果ての海
スーパーマーケットにも案内してもらって売り場を見学。はやばやとみやげ用のチョコやコーヒー豆などを買い込んでいる方もおりました。
2009年11月17日
コンサート
城跡に人なく落ち葉降り積みて
日曜日、コンサートに行きました。
市民会館までの散歩も楽しみながらの午後のひととき、
市民合唱団が一年間の練習をここに発表する定期演奏会でした。
プログラムは、
まどみちお詩・木下牧子曲の「うたよ!」、
金沢智恵子詩・小山章三曲の「地球とわたしたち」、
そして混声合唱による美空ひばり作品集と、
バラエティのある楽しいステージが進み、
最後がハイドンのオラトリオ「四季」でした。
伴奏はエレクトーンでしたが、十分な迫力でした。
ドイツ語で歌われたハイドンが終わり、しばらく拍手が続いたあと、
指揮者がアンコールの演奏を始めました。
聞き覚えのある前奏に続いて歌い始めたそれは、「秋の女」、
泣きぬれて秋の女よ 我が幻の中に来る
泣きぬれた秋の女を 時雨だと私は思う
・・・・・・・
ひとしきり私を泣かせ またなぐさめて秋の女よ
凄まじく枯れた古城の道を わが心だと私は思う
学生時代に愛した歌だった。
なつかしく心にしみとおる調べ、ハーモニーの響き…、
思わず私も小さな声で歌っていた。
すると、隣からテナーのパートを歌う声が聞えてきた。
えっ、たしか隣にすわっている方はかなりの年配の紳士だったような・・・
(あのおじいさんが歌っているの?・・・信じられない!)
全部終わって照明が明るくなり席を立つとき、臨席の方となんとなく顔を見合わせました。
お互いにまったく知らない同士でしたが、
かつて「秋の女」を愛唱したものという共感があって、
笑顔を送りあって別れたのでした。




