2008年05月29日
俳句の里松山 13
第52番札所太山寺の句碑

蒟蒻に つつじの名あれ 太山寺 子規
昭和25年ごろまであった太山寺名物の「コンニャク」田楽のことで、茶店で売っていたそうです。

道ゆづる 人を拝ミて 秋遍路 杏史
この句は、昭和38年の句、会誌「柿」が300号に達したのを記念して、
昭和47年7月に門下生一同が建立。

五十回忌柳壟
八九間 空へ雨ふる 柳かな 芭蕉
十月の 中の二日や 柳つか 芭門下老人竹翁寛保三年(1743)五十回忌に建てられ碑石には「五十回忌柳壟(つか)左のほうには
芭門下老人竹翁」と刻まれています。
碑陰に「寛保三亥年芭門下連中建之」とあります。
久万町四十四番札所太宝寺境内の「霜夜塚」と並んで南街道では、
最古の句碑であるといわれています。

2008年05月27日
俳句の里松山 12
石手寺の句碑
四国霊場51番札所石手寺の句碑巡りに行ってまいりました。

南無大師 石手の寺よ 稲の花 子規
この句は「散策集」にあり、明治28年9月20日の句。
昭和13年5月建立。子規句集「寒山落木」の自筆拡大。

鎌倉の むかしを今に 寺の鐘 伍健
川柳家前田伍健が、石手寺に参詣したおりに詠まれた句。

葉桜の 中の無数の 空さわぐ 梵
篠原梵を偲んで、昭和51年10月7日除幕された。

花はいさ 鐘つかれけり 石手寺 嘶風
この句は古希の記念に昭和50年4月13日に建立。

伊予の秋 石手の寺の香盤に 海の色して 立つ煙かな 晶子
夫鉄幹と昭和6年11月来松している。昭和50年11月吉日建立。

仕合せの 鐘のわたりて 去年今年 路庵
石手寺仁王門の西側に住み、石手俳句会の長老として人々に慕われた。
昭和5年彼の84歳を祝し建立された。

2008年05月21日
蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)
今日は、二十四節気の小満、
陽気がよくなり、植物は勿論、万物が成長して天地に満ち始めます。
蚕が勢い良く桑の葉を食べ始める季節でもあります。
昔は愛媛県の南部は、養蚕の盛んな土地でした。
「花の宰相」と言われる芍薬の花をみつけました。

芍薬の 蕾ほぐれる 日向かな

芍薬の 花おどろかす 雨と風

2008年05月06日
俳句の里松山 11
萬翠荘の句碑

大正11年(1922)旧松山藩主の子孫に当たる、久松定謨が別邸として建てた、
フランス風の建物。現在は愛媛県美術館別館として公開されています。
9月中旬まで改装中です。

松山や 筍のびし 垣の上 柳原極堂
松山版(ほととぎす)第7号(明治30年7月)所載の句で、30歳の時であります。
それには「筍」が「竹の子」となっています。

なつかしき 父の故郷 月もよし 高浜年尾
年尾は、明治33年父虚子、母いとの長男として生まれた。
本名年尾は、子規の命名によります。

秋晴れの 城山を見て まづ嬉し 今井つる女
高浜虚子の次兄の三女、父が早死にしたため、四歳の時、
長兄の養女となり、後今井五郎と結婚、今井姓となりました。

城山に 風薫りゆく 城下町
5月7日より、所用で10日ほど留守に致します。コメントなど失礼致しますが、
宜しくお願いいたします。
2008年05月03日
坂の上の雲ミュージアム
小説「坂の上の雲」
日本における近代国家の形成過程を、正岡子規や秋山兄弟など、
多数の人物の人生を通じて描き上げたもので、人びとの人生は
多様です。光と影を身にまといながらそれぞれの人生を歩みました。
そして、松山市をフィールドミュージアムとする、このミュージアムで
小説の心を感じて欲しいのだそうです。

山若葉 明治の風が 吹き渡り






























































