2008年05月31日

俳句の里松山 14

               第53番札所円明寺の句碑 

  鶴飛久(ひく)や 丹頂雲を やぶりつつ     東洋城

昭和9年頃の句で、母校松山中学より求められて作った句。

「鶴引く」は、鶴が春になって北へ帰ることで「春」の句。

前途ある若人を祝福するに相応しい、勢いのある句です。

  星を掃く 寺の銀杏や 夜半の霜     仏旅

東洋城を師とする、地元和気町の俳人の句。

2008年05月29日

俳句の里松山 13

             第52番札所太山寺の句碑 

     蒟蒻に つつじの名あれ 太山寺     子規

昭和25年ごろまであった太山寺名物の「コンニャク」田楽のことで、茶店で売っていたそうです。

     道ゆづる 人を拝ミて 秋遍路       杏史

この句は、昭和38年の句、会誌「柿」が300号に達したのを記念して、

昭和47年7月に門下生一同が建立。

     五十回忌柳壟
     八九間 空へ雨ふる 柳かな      芭蕉

     月の 中の二日や 柳つか      芭門下老人竹翁寛保三年(1743)五十回忌に建てられ碑石には「五十回忌柳壟(つか)左のほうには

芭門下老人竹翁」と刻まれています。

碑陰に「寛保三亥年芭門下連中建之」とあります。

久万町四十四番札所太宝寺境内の「霜夜塚」と並んで南街道では、

最古の句碑であるといわれています。

2008年05月28日

花うばら

野ばらで良い句が目につきましたので、UPいたしました。
野ばらはどうも、良きにつけ悪しきにつけ故郷が思い
出される花の様です。
   (写真は花の名前、小事典より引用)

       古郷や よるもさはるも 茨の花      一茶  

       花いばら 故郷の路に 似たるかな      蕪村

       行く方は 高所の在所 花うばら     斉藤 梅子     
       
  

2008年05月27日

俳句の里松山 12

              石手寺の句碑 

四国霊場51番札所石手寺の句碑巡りに行ってまいりました。

南無大師 石手の寺よ 稲の花          子規

この句は「散策集」にあり、明治28年9月20日の句。

昭和13年5月建立。子規句集「寒山落木」の自筆拡大。

鎌倉の むかしを今に 寺の鐘          伍健

川柳家前田伍健が、石手寺に参詣したおりに詠まれた句。

葉桜の 中の無数の 空さわぐ          梵

篠原梵を偲んで、昭和51年10月7日除幕された。

花はいさ 鐘つかれけり 石手寺         嘶風

この句は古希の記念に昭和50年4月13日に建立。

伊予の秋 石手の寺の香盤に 海の色して 立つ煙かな        晶子

夫鉄幹と昭和6年11月来松している。昭和50年11月吉日建立。

仕合せの 鐘のわたりて 去年今年         路庵

石手寺仁王門の西側に住み、石手俳句会の長老として人々に慕われた。

昭和5年彼の84歳を祝し建立された。

2008年05月25日

砥部焼きの里

ここは、古くから名を知られた「伊予砥石」の産地として知られ「砥の部」が
地名の語源といわれています。
その砥石屑で、白磁焼成に成功、現在の砥部焼き二百数十年の歴史が始まりました。

           陶石に 風当たりゆく 薄暑かな 

          


           
      

2008年05月24日

地震の巣中央構造線

            夏の夜の 夢驚かす 地震哉 

等と言うことに為っては大変ですね。

松山市の隣町,砥部町と言うところには、

「砥部衝上断層と言われる、中央構造線の「露頭」が国の天然記念物となっています。

しかしこの中央構造線全体が活断層ではありませんが、和歌山県の和泉山脈南側から

愛媛県にかけての部分はA級の活断層だそうで怖いです。

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2008年05月23日

みかんの花

          花蜜柑 香りに咽ぶ 小金虫

みかん畑に、みかんの花が咲き、当たり一面みかんの香が

満ち溢れる季節となりました。

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2008年05月22日

夏の蘭

蘭は、種類も多く春や夏にも花が咲きますが、
昔、藤袴を蘭といったことから,季語は秋となっています。
今日は、夏咲いている小型の蘭をUPして見ました。

           夏の蘭 香りと気品に 満ち充ちて 

ファレノプシス

デンファレ

スィートメモリー

タイペイゴールド

フォーチュンザルツマン

アスコセントルム

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2008年05月21日

蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)

今日は、二十四節気の小満、

陽気がよくなり、植物は勿論、万物が成長して天地に満ち始めます。

蚕が勢い良く桑の葉を食べ始める季節でもあります。

昔は愛媛県の南部は、養蚕の盛んな土地でした。

「花の宰相」と言われる芍薬の花をみつけました。

芍薬の 蕾ほぐれる 日向かな

芍薬の 花おどろかす 雨と風

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2008年05月20日

薔薇への想い

白薔薇を 手折りし母は 今は亡く 

白薔薇に母の面影偲びつつ この思い出を如何とやせん

紅薔薇に 恋の炎を 燃やすかな

紅薔薇に死ぬほどの想ひ秘めながら妹に恋する吾ぞ儚き
 

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2008年05月19日

麦秋

          麦の秋 雨の来ぬまに 刈り急ぎ   
          麦秋や 息詰まる程の 黄金色 

裸麦は、降水量が少なく冬でも温暖な気候の瀬戸内地域が栽培に適し、愛媛、香川で全国の60%の生産量、特に松山地方の道後平野は、生産量全国一だそうです。
早稲で倒れ難く収量性に優れた「マンネンボシ」と言う新品種で栽培し、用途も、麦味噌だけでなく
焼酎にも広がっているそうです。

この花は、アグロステンマだそうです。
               

2008年05月18日

日光東照宮

「日光見ずして結構と言うなかれ」
と言われる日光、華厳の滝にも13日に参りました。
徳川幕府の、当時の威力を見せつけられました。
しかし自然の造物である、華厳の滝は素晴らしいです。

眠り猫 平和を願う 安居かな 

三猿に 人生学ぶ 青嵐 

華厳の滝 柱となりて 轟けり 

三日にわたり、自分達の旅行について、思い込みのみでUPして皆様に不愉快な思いを、

お与えしたのではないかと反省いたしております。ご容赦くださいませ。

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2008年05月17日

草津温泉

12日、「お医者様でも草津の湯でも」と唄われる、
草津温泉に参りました。
季節外れの寒さで、浅間山は、雪で真っ白、
湯畑も寒さで湯気がモウモウ、この季節見れないような景色に出会えました。

浅間山 季節外れの 初夏の雪

湯もみする 湯女の額に 玉の汗

西の河原公園

2008年05月16日

善光寺

         「遠くとも一度は詣れ善光寺」  

11日この善光寺へ,生まれて始めて御参りいたして来ました。

甥の、結婚式の出席や、その他の所用で東京周辺をうろついて
15日に松山へ帰ってまいりました。
長期間勝手を致しました、之から又宜しくお願いいたします

2008年05月06日

俳句の里松山 11

       萬翠荘の句碑

大正11年(1922)旧松山藩主の子孫に当たる、久松定謨が別邸として建てた、

フランス風の建物。現在は愛媛県美術館別館として公開されています。

9月中旬まで改装中です。

  松山や 筍のびし 垣の上       柳原極堂

松山版(ほととぎす)第7号(明治30年7月)所載の句で、30歳の時であります。

それには「筍」が「竹の子」となっています。


  

   なつかしき 父の故郷 月もよし        高浜年尾

年尾は、明治33年父虚子、母いとの長男として生まれた。

本名年尾は、子規の命名によります。

  秋晴れの 城山を見て まづ嬉し      今井つる女

高浜虚子の次兄の三女、父が早死にしたため、四歳の時、

長兄の養女となり、後今井五郎と結婚、今井姓となりました。

  城山に 風薫りゆく 城下町

5月7日より、所用で10日ほど留守に致します。コメントなど失礼致しますが、

宜しくお願いいたします。

 

2008年05月05日

雨の子供の日

  川面打つ 小雨がにくい 子供の日 

暦の上では、今日から夏です。

新緑が目立ち、風が爽やかになり

「蛙始鳴(かわずはじめてなく)」といわれ、

晩春とは違った物になります。

そして子供の日

今日の主役は、こちらでしょうか、しかし、天気が悪く

計画の変更も考えなければならないかも知れませんね。

鷺も雨に打たれ、岸の花も濡れ、残念な一日になりそうです。

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2008年05月04日

鯉の産卵

          浮草を 乱して鯉の ランデブー 

鯉の産卵期は、春から夏の初めにかけてです。

浅瀬に集まって水草に卵を産み付けます。一度に産む卵の数は

50~60万個と言われています。

卵は、水草などにくっついたままの状態で数日中に孵化して稚魚は

大きくなってくると深みへ移動するそうです。

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2008年05月03日

坂の上の雲ミュージアム

小説「坂の上の雲」
日本における近代国家の形成過程を、正岡子規や秋山兄弟など、

多数の人物の人生を通じて描き上げたもので、人びとの人生は

多様です。光と影を身にまといながらそれぞれの人生を歩みました。

そして、松山市をフィールドミュージアムとする、このミュージアムで

小説の心を感じて欲しいのだそうです。

山若葉 明治の風が 吹き渡り 

2008年05月02日

法安寺の牡丹

 法安寺の起源は、飛鳥時代までさかのぼりますが、

現在は当時の姿は拝めません、昭和19年に「国指定史跡法安寺跡」

に指定されています。

ここに咲く牡丹は、珍しいと言われている「京美人」の原種だそうで、

これが群生しているところは珍しく「法安寺の千本牡丹」と呼ばれています。

白牡丹 葉に沈みゆく 姿かな 

 

2008年05月01日

愚陀仏庵

1895(明治28)年に、漱石が松山中学(現松山東高校)の英語教師として、
校長より高い月給80円で赴任、その後、松山市に番町の上野義方邸内の離れ
(1,2階共に,8畳6畳の二間)に移り、ここに、療養のため帰郷した子規が居候し、
同年8月27日から10月17日までの52日間、共同生活を送りました、。
1945(昭和20)7月26日の松山空襲で消失、1982(昭和57)年に萬翠荘敷地内に
復元されました。
   愚陀仏は 主人の名なり 冬籠り (漱石)
   桔梗活けて しばらく仮の 書斎哉    (子規)