2008年09月30日
樹海
ふみいりし こころはゆうかい あきじゅかい

あきじゅかい こころもあしも さまよひぬ

二日続きの雨が降っています。窓越しに荒れた庭を眺めていましたら、数年前「富士の樹海探訪」の
ツアーに参加したことを思い出しました。
今日の題材はそのときの写真です。
富士の樹海は、皆様ご存知のとおり自殺の名所です。
此処を死に場所に決めた人は、死後も人に知られたくないという強い心理が働いいると言われます。
ですから、出来るだけ奥深く入り込むのだそうです。
しかし、死ぬ決断がつかぬまま彷徨い、思い返したとしても、すでに出口の分からぬ迷路に進んでしまっていて、彷徨の末餓死した人もいるのではないでしょうか。
そんな思いも含めて詠みました。
せつなやな 木花開耶の 目に涙 阿国さまより ありがとうございました。
(木花開那媛命(このはなさくやにめのみこと)、富士山の事です
幽界も 皆で行けば 怖くない 博多のたけしさまより ありがとうございました。
2008年09月26日
東京の山里
とうきょうに やまざとのあり いもずいしゃ

にじゅうにの あきのさんさい こざらかな

三頭山荘 (みとうさんそう)
東京と山梨の県境、三頭山のふところに在り、秋川沿いの集落では最も上流にある「数馬の里」の旅館です。
名物料理「檜」は、山菜22品で、昼食時のみ 。 オーダーすればその日に採った山菜を天麩羅にしてくれます。
季節に応じたお馴染みのものから、トトキ、コウレ、ショウデッポなど珍しいものもあるので、宿の人に尋ねながら食べるのが楽しい。
登山客は僅かで、この料理目当ての客で賑わっていました。
山の秋 君は東に 吾西に 阿国さまより ありがとうございました。
2008年09月24日
裸まつり
あきのしお あびにみこしと おとこども

あきのはま こしもみあいて かぶるなみ

大原裸まつり(外房総)
古く江戸時代から行われていたようです。今は毎年9月23日、24日両日催されます。
大原地区の神輿10社は、親神である鹿島神社に参集し大原漁港へ向かいます。
東海、浪花両地区の神輿もそれぞれの地区の行事後、大原漁港へ集結します。
18社がそろって、五穀豊穣、大漁祈願の後、15:00頃から“汐ふみ”の行事に移ります。
“汐ふみ”は祭りの見どころで、波涛の中で神輿が数社もみ合うさまは勇壮豪快の一言につきます。
(写真は4.5年前に、神社参集から地元小学校での終結式まで追いかけたときのものです。)
勇み肌 あの子に見せる 男意気 阿国さまより ありがとうございました。
女には 分からぬ男の 神輿かな 遊子さまより ありがとうございました。
2008年09月23日
蔓珠沙華
なにげなく はちにいけあり まんじゅしゃげ

むれはなれ よりそいさきぬ まんじゅしゃげ

かわはらの いしにいけたる まんじゅしゃげ

日本でのように、不吉であるという連想が働かない欧米を中心に、園芸品種が多く開発されているそうです。
上の二枚はそれだと思います。
拙宅から2キロほど先の、祖光院という鄙びた寺です。この情報社会に珍しくも知る人希少で、漫歩に
耳打ちして呉れたのは、自然公園で知り合ったカメラマンです。
彼岸花 咲きたる道を 行きにけり ヒコさまより ありがとうございました。
誰を待つ 誰に見しょとて この色を 阿国さまより ありがとうございました。
川の辺に 誰が活けしか 彼岸花 うららさまより ありがとうございました。
2008年09月21日
墓参


うえしひと きたるをまちて ひがんはな
松戸市には東京都の霊園があります。漫歩家の墓もそこにあります。
墓参の時期は道路は渋滞し、園内も車と人で混みあいます。
そこで、地元に住む漫歩は、その時期を外すのを恒例にしています。
今回は昨日行ってきました。同じように考える人達でしょうか、結構入っていました。
両親と妻と弟、漫歩が来たので集まったでしょうが、帰りはその辺り
まで一緒に来て呉れて、ー風とともに去りぬー でしたでしょう。
彼岸花の 咲き継ぐ道を 墓参かな ヒコさまより ありがとうございました。
弟は 五才のままや 彼岸花 ヒコさまより ありがとうございました。
蓮の台 宴たけなわの 家人に 合掌しつつ 笑顔を送る 阿国さまより ありがとうございました。
秋のそら 遠き夢みし 彼岸花 博多のたけしさまより ありがとうございました。
2008年09月16日
ローズマリー
ローズマリー てふいこくあり あわのあき

千葉県南房総市丸山にある「ローズマリー公園」で、道の駅にもなっています。
白亜の建物の右手のヨーロッパ風の家々は「シェイクスピアカントリーパーク」という有料施設です。
まち興しとして、周辺をすべてヨーロッパのカントリー風にしつらえ、関東の田舎と言われる南房の
異色の地域です。
(夏に撮った写真があったのですが、UPしそこないました。故にこの写真は頂き物です)
私事ですが、明日・明後日休館とさせていただきます。閉館ではありませんので、どうぞお忘れに
なられませぬよう、よろしくお願い致します。
暫し待て 憩ふ時をば 申し受く 阿国さまより ありがとうございました。
(しばしまて いこふときをば まうしうく)
ー ちょっと待ってください、お休みをいただきますので -
2008年09月15日
踊りのあと
おどるひび おえしぐじょうの あきのみず


岐阜県・郡上八幡(ぐじょうはちまん)の街です。 徹夜踊りと町中の水路と城が有名です
昨秋、飛騨の白川郷を経て、その日の宿泊地のこの街を訪れたのは、かの有名な郡上踊りが終わり、本来の静かな水の街に戻っていた頃でした。民宿の女将さんの気の抜けた姿が、まつりの熱気を物語っているようで印象的でした。
(郡上踊り )
約400年の伝統を持つと言われています。
毎年、7月中旬から9月中旬までの間の、約30日位で行われ,お盆の時期の4日間は「徹夜踊り」で、朝の5時頃まで踊り続けるそうです。
何事も 無かりし如く 秋の川 ヒコさまより ありがとうございました。
奏でたる 吾御前の風情 今何処 阿国さまより ありがとうございました。
(かなでたる わごぜのふぜい むまいずこ)
--踊りを踊っていた愛しい人は今どこにーー
2008年09月11日
古城
きゅうかいどう かねなるこじょう あきのそら

こつぜんと こじょうあらわる のじのあき

ロックハート城 日本でただ一つの実物古城です。
日本ロマンチック街道(別記)の群馬県側、吾妻郡高山村にあり、城の領域を大理石村と言います。
元々この城は、1829年、イギリス・エディンバラの南西約50kmに建設されました。それが日本の篤志家たちの要請により日本移築がきまり、1988年、当時のソビエト・ゴルバチョフ元書記長の快諾を得て、30個のコンテナで、シベリア鐵道経由日本に運ばれました。以来3年余、延べ15,000人の建設スタッフにより、1993年4月、現在地に復元されたそうです。
ヨーロッパの古城移築・復元は、我国では初めてのことであり、これは、俳優・津川雅彦氏と大理石村・平井良明氏の『夢』のリレーにより完成したものと聞きました。
(参考)
日本ロマンチック街道は、長野県上田市から栃木県宇都宮市までの全長約350kmの広域観光ルートとして1987年4月に発足した街道です。この名称はドイツのロマンティック街道に由来しますが、その名を拝したのは、沿線の自然が、日本において最もドイツ的自然環境を持っているからだそうです。
異国の 城郭の妙 一興と 阿国さまより ありがとうございました。
2008年09月10日
2008年09月09日
小布施
ほくさいも みあげしくりの こみちかな

北信濃の小布施は栗と北斎の町です。
江戸時代、この地の豪商高井鴻山は、浮世絵師葛飾北斎の最大のパトロンでした。鴻山に招かれて、北斎は度々小布施を訪れ、多くの作品を画いています。
写真のすぐ左側が鴻山の旧居跡で、北斎がアトリエとして使った建物などが残されています。
小布施の名物は栗菓子ですが、食事は竹風堂の栗強飯は絶品。小布施に来て竹風堂の栗強飯を
食べずに帰る勿れです。
お断りしておきますが、漫歩と竹風堂は何の縁も所縁もありません。
其文字さま 心のどかに 絵筆とり 吾ものどかに 栗の本詠みて 阿国さまより
(北斎さまは心静かに絵筆をとって、私も静かに 狂歌でも詠みましょう。)
ありがとございました。
2008年09月07日
秋の沼
あきのぬま わがかげもゆれ ねなしぐさ

数年前の今頃です。
信州志賀高原に、湯田中温泉から入り草津温泉に抜ける途中、道の脇に小さな沼が目に留まりましたので、車を停め、淵に立って暫く眺めていました。
夏休みも終わった時期でしたし、少し先には琵琶池という高原のメインがありますので、辺りには人が少なく、この沼に居たのは漫歩一人だけでした。
花野来て澄みたる沼に佇めり ヒコさま ありがとうございました。
旅ながら吾が影かさね根無し草 うららさま ありがとうございました。
根無し草 水面しだいと 心得て 阿国さま ありがとうございました。



























