2010年03月15日
花と蝶交わる命愛楽土
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★ 遊行俳句で交心10x031503
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花と蝶交わる命愛楽土
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【 花と蝶 資料 良寛 】
。。。
花は 心無くして蝶を招き
蝶は 心無くして花を尋ね
花開く時 蝶来たり
蝶来る時 花開く
吾も亦 人を知らず
人も亦 吾知らず
。。。
花はいろいろ心を尽くして蝶を招くわけではないんだよ。
蝶はいろいろ求めることがあって花を訪れるわけでもないんだ。
花が開くと、自ずから蝶は寄ってくるし、
蝶が寄ってくると、自ずから花も開くんだね。
わたしも人のことは何にも知らないままなんだよ。
人もわたしのことを何にも知らないままなんだ。
花と蝶が何の計らいもなく自然に巡り逢うように、
わたしも人も自然に巡り逢うものなんだね。
一期一会、自然の巡り会いに感謝して、
今とここを、いっしょに、大切に生きていこうね。
いろいろの巡り会い一つひとつに、ありがとう。
良寛さんの『 花と蝶 』の無為自然の巡り会いが、老仁の遊行優游遊泳時空の標本のような世界です。
花も蝶も、きっと、個々の命の営みによって生き、相寄って、つながり合っているのでしょうけれど、人間ほどに、自我の欲望や夢や理想やいろいろの計らいで生きているわけではないのでしょうね。個々の命の営みそのものが宇宙の大きな営みの流れの中にあるのでしょう。宇宙の営みの流れの中では、人間の命の営みはほんの刹那に過ぎません。蝶も花も刹那の命を無為自然に享受しているのです。人間もまた蝶と花と何ら変わるところはないのでしょう。
人間の心の情は切実で、一つひとつが愛おしいものですけれど、その儚さも虚しさも知りながら、どんなに愛おしい心の情も、移り変わり、新しくなっていくことを素直に待ち、あるがままに受け容れていけるようになりましょうね、と良寛さんは呼びかけてくれているように感じます。
花さんの命は、花さんのものでありながら、巡り逢うものたちと共鳴、共有しているものなのですね。命は、一つで成り立つものではありません。たくさんの命たちとのつながり合いの中で、たくさんの命たちと宇宙の営みのお蔭で、一つの命は成り立つのです。
命は、無所有、分かち合うものなんです。
命から湧き出す分かち合う心を愛と呼ぶんでしょう。
そして愛は命から溢れ出る命のエネルギーなんです。
だから、愛は所有する必要もないものなんです。命ある限り、命から愛は湧き出しつづけるものなのですから。命から溢れる愛のエネルギーはどれほど汲みだしても、涸れ尽きることはありません。命は宇宙の愛の表れですから。
花さんも蝶さんも、無為自然、宇宙の愛の流れを享受して、優游遊泳しているのです。
人も、花さんや蝶さんと同じように、命に帰れば、無為自然、この世を、今とここを、優游遊泳できるのです。
花さんになり、蝶さんになるまでの旅を、遊行の旅というのです。
花と蝶交わる命愛楽土 仁

★ 遊行俳句で交心10x031502
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パッションをもろうて春の宵しぐれ
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葉呼さん、お帰りなさい。
お疲れ様です。
今日も交心ありがとう。
ごめんなさいは、いつも、老仁の方ですよ。
ほんとうに老仁の我が儘、いつもご寛容くださってありがとうございます。身に余る心配りをもらって、何のお返しもできないことを情けなくも思いますけれど、それもあるがまんまですから、無為自然、大きな流れに身を任せています。
もう、もしも・・・が通用しない境涯になっているのを痛感するばかりです。
ごめんなさいね。
葉呼さんは何にも詫びることはありませんよ。
あるがままの心を開いてくださって、いつも、喜んでいる老仁がいるんです。心を抑え込んだり、いじめたり、しないでくださいね。自分の心を慈しめないと、人を慈しむ心も生まれないようになりますから・・・
愛は己を愛おしむ心に湧いてくるものなんです。
己を愛おしむように、人をも愛おしむんです。
現実のど真ん中で、色々辛いことも重なるでしょうけれど、花に心を開くように、そのまんまの心を、また、いつでも、老仁にも開いてくださいね。心を開いてくださるだけでも、交心のお蔭だと、この交心広場に感謝です。
パッションをもろうて春の宵しぐれ 仁
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★★★ 『 まんさくに光あつまる山路かな 』 ★ ネット吟行10x031501 へどうぞ!!! ★★★
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2010年03月11日
春の水自ずと自問海に入る
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★ 遊行俳句で交心10x030202
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春の水自ずと自問海に入る
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零呼さん、おはよう。
今日もあい風ありがとう。
自問する答えの出ない春の闇 零呼
春の闇は、どこか生暖かくて、艶っぽいものです。
自ずから春愁という思いに耽ることにもなるのでしょうね。心の情も、春の芽吹きをはじめています。
心の情の芽吹きが、色々の自問も湧かせるようです。芽吹きが花になるように、自問も自ずから己の花になるんですよ。
春はそんな季節です。
春の命と心のたゆたう流れに流れることができるといいですね。そのまんま海に流れ込んで、なおたゆたっていることができる心境が遊行悠々游泳時空なのですよ。
はるの海ひねもすのたりのたりかな 蕪村
無為自然ですね。
春の自問も無為自然の表れが多いのですよ。
零呼さんの自問はどんな自問なのでしょう・・・
何処から来て、何処にいて、何処へ行くのか・・・
古来、誰もが問いつづけている自問もあるんです。
この自問にどう向きあうかは、その個人のスタンスなのですけれど、TAOの流れに入れば、この自問の現れも答も、永遠の大河なんですよ。自問も答も、永遠の大河の流れの中の、今とここという己の位置なんです。
大切なことは、今、自分が、何処にいるのかを知ることなのだと思います。
自問は、いつでも、今とここの位置を、確かめさせてくれるんですよ。
春の水自ずと自問海に入る 仁
無為自然。
今とここを十分に享受して生きていると、いつか大海にいて、
そして、空に昇り、
山に降りて、
また、川になって流れるのです。
巡り巡り川には川の今があり海には海の今とここ在り 仁
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2010年03月10日
無所有の命の睦む花と蝶
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★ 遊行俳句出交心10x031001
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無所有の命の睦む花と蝶
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百合庵さんより交心をもらいました。
。。。 ≪ 愛に証は必要ない。そういい切れるでしょうか。
男性でいらっしゃる老仁さんには、まだ女性の感性といいましょうか、女性を幸福感に導く優しさが今ひとつ足りないと感じます。経験が希薄いらっしゃるような気がいたします。 ≫ 。。。
観念肥大症の老仁に欠落しているものを鋭く批判してもらいました。
その批判に素直に従うべきなのでしょうけれど、もはや老仁は銀河の外まで飛び出してしまったのでした。この現世でのリアリティを求める余力も、そのリアリティを生きる余力もありません。虚を遊んで実を生きるはずだったのですけれど、逸脱してしまいました。
けれど、良寛さんと貞心尼さんの至福の愛の時という道標に出会って、現世のリアリティと遊行悠々游泳時空が重なり合い、往来自由であることを信じはじめています。
。。。 ≪ その情熱は必ず冷めるけれど、互いをいたわり、慈しむことで
長く繋がっていける。会えぬ距離と時間の数が多ければ多いほど、互いの存在が澄んで、泉のように互いの愛情が日々湧き上がり、絶えることがない。 ≫ 。。。
百合庵さんが言うように、良寛さんと貞心尼さんの至福の愛の時も、日々湧きあがる清新なものであったろうと感じます。
虚を遊んで、実を生きた良寛さんと貞心尼さんが確かな道標になってきました。
無所有の命の睦む花と蝶 仁
★★★ 『 君にかくあひ見ることのうれしさもまださめやらぬ夢かとぞ思ふ 』 ★ 良寛貞心尼相聞歌 0301 へどうぞ!!! ♪♪♪
★ 遊行俳句で交心09n112103
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霜の夜愛の遊行の灯し哉
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百合庵さん、いつも交心ありがとうございます。
ほんとうにおはずかしい。世間が狭く、体験も浅い無知仁の観念論なのでしょうね。ほんとうにごめんなさい。独り善がりのひとり遊びです。
一衣一鉢を貫いた良寛さんでさえ、人恋しさを詠いつづけました。確かな肌触りがほしかったのでしょうね。そしてその肌触りに巡り会えた時、ほんとうに、良寛さんも、ただの人に戻ったのだと思います。70歳の恋です。
けれど、まだ若い美しい貞心尼さんに晒すものは老醜でした。無頓着、無心の良寛さんもたじろいだのではないかと思います。70歳で恋を生きることのむずかしさやつらさがありますよね。普通は、そのむずかしさ、つらさを超えられぬ壁として、引き下がってしまうのでしょう。
それを超えて、素直に、心の趣くままに恋のできる人は、おそらくセレブであったり、芸能人であったり、芸術家であったり、何か秀でたものをお持ちの人でしょう。相当の尊敬と信頼が成り立っているに違いないと、凡仁は思ってしまいます。
一休さんも、良寛さんも、奇特の才人です。チャップリンさんもピカソさんも屈指の芸術家です。自在自遊の生き方ができました。
人はそれぞれ、自分の生き方に見合った人と出会い、愛し合い、幸せに暮らすのでしょうね。自分の現実を受け容れ、その現実に見合った生き方をしていけば、いちばんしあわせにちがいないと思います。
どこで間違ったのでしょうね・・・いつからくるいはじめたのでしょうね・・・愚仁は、現実を回避してしまいました。観念肥大症になってしまったのでした。普通の恋ができなくなってしまったのです。なのに、恋ぐるい、愛ぐるいです。現実に通用しない恋ぐるいになってしまいました。
今は、愛浄土を生きているなんて宣伝して遊んでいます。
良寛さんと貞心尼さんの愛にも、TAOの愛を重ねて観てしまうのです。
一瞬一生。一期一会。
巡り会ってくれてありがとう。交心してくれてありがとう。この刹那を寄り添ってくれてありがとう。ありがとうが愛になってしまいました。
ごめんなさいね、百合庵さんのほんとうの愛に、女性の感性に触れない、無知な仁の、空虚な愛の話になってしまいました。
こんなところを独り善がりに生きてきましたから、ついに女性の感性についての理解や、女性を幸福感に導く優しさや配慮を、欠如したまま加齢に突入し、遊行期に逃亡してしまいました。恋愛経験に乏しく、女性の機微を知るやさしさもなく、なのに愛を追い求めるという矛盾を、今更ながら、知って愕然と致します。
けれど、ひとり遊びの楽しみとして、恋ぐるい、愛ぐるい、生ぐるいを捨てることもできません。遊行の特権のひとり遊びとして、遊ばせてやってくださいね。
霜の夜愛の遊行の灯し哉 仁
良寛さんと貞心尼さんの相聞歌を辿り始めてもう二年近くなるのですけれど、
まだ、相聞歌の5つめくらいで止まっています。
良寛さんは、恋愛経験乏しいのに、どうして、貞心尼さんの心を捉えることができたのでしょうね。
ここからまたはじめてみようと思います。
いろいろご教示いただけるとHappyです。
★★★ 『 朧夜や念大なれば大の鐘 』 ★ 遊行俳句で交心10x030908 へどうぞ!!! ★★★
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★★★ 『 寒月やときにはひとり咆吼す 』 ★ 交心俳句09n111802 へどうぞ!!! ★★★
★★★ 遊行時空交心09m121602★『 さびしさのひたすらつのる外は雪 』 へどうぞ!!! ★★★
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2010年03月09日
朧夜や念大なれば大の鐘
★。・。・゜♪゜・。・。★ 遊行俳句で交心 ★。・。・゜♪゜・。・。★

★ 遊行俳句で交心10x030908
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朧夜や念大なれば大の鐘
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零呼さんより、『 寒月やときにはひとり咆吼す 』 に交心もらいました。
。。。 ≪ 一人の孤独に耐え、相手を夢幻の世界に押し込めたまま、それでもなお、現身の相手を求めずにいられない。その情熱の純粋さを感じれても、現実の自分の置かれた暮らしの中で、誠実に何らかの愛の形を発信し続けることがあれば、どれほど光が増すでしょう。 ≫ 。。。
零呼さんの自問でもあり、また交心を求める人たちへの発問でもあるのでしょう。
そして、この発問は、老仁が自問しつづけてきた課題でもあったのでした。
この自問の末に、今、遊行悠々游泳時空へ飛来しているのでした。
老仁は、「誠実に」、「愛の形」を発信しているのですけれど、その不確かさと、現実主義の風潮に抗えないまま、妄想遊びの形に堕しているのが事実です。
それでも、愚直凡愚仁ですから、憧憬として、幻影の愛として、遊行時空で、至福の愛を創りだしていくのです。
観自在。
良寛さんと貞心尼さんの愛を道標にして、鈍牛の歩みながら、空即是色の至福の愛を創造していくつもりです。
朧夜や念大なれば大の鐘 仁
★★★ 『 寒月やときにはひとり咆吼す 』 ★ 交心俳句09n111802 へどうぞ!!! ★★★

★ 遊行俳句で交心09n112101
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掌に林檎載りけり誰と喰う
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零呼さん、いつも交心ありがとうございます。
。。。
一人の孤独に耐え、相手を夢幻の世界に押し込めたまま、それでもなお、現身の相手を求めずにいられない。その情熱の純粋さを感じれても、現実の自分の置かれた暮らしの中で、誠実に何らかの愛の形を発信し続けることがあれば、どれほど光が増すでしょう。
。。。
ずっと、この命題を抱え込んで生きてきたのかもしれません。
多くの人が今も猶この命題を抱え込んで呻吟しているのでしょうね。
愛が孤独な自己格闘だとは、何と矛盾に満ちた現身なのでしょう。
現身は、世間や常識や倫理に包囲されて、空即是色の自遊愛浄土を、忌避します。
現身は、もう、楽園を追放されたのですからね。
掌に林檎載りけり誰と喰う 仁
もう一度林檎を食べると、楽園への回帰ができるかもしれません。
老仁は、現身でその術を知りませんので、観自在、遊行世界で、林檎を食べようとその林檎を探しているのでした。
そして、その林檎とおぼしき物を見つけたのですけれど、独りで食べても、妄詩林檎です。二人で食べてはじめて、楽園へ回帰できるのです。
その楽園回帰の道標を良寛さんと貞心尼さんに見つけ出したような気がしているのですけれど・・・まだ、千分の一も読み込んでいないのです。
読み込みながら、直球で一休さんを、銀河の光照射として賢治さんを読み重ねていく必要も感じていますけれど、瀨惰仁には、遂行するのに三十年はかかりそうですので、
しかたないと、もう、妄詩をひとり遊びに耽ることにしました。
けれど、それは瘋癲老仁の妄閾ですから、
現身の愚仁としては、< 現実の自分の置かれた暮らしの中で、誠実に何らかの愛の形を発信し続けること > として、良寛さんの愛語を学びとり、愚仁なりの愛語を発信していきたいと念じています。
少欲知足のロハスなスローライフを四畳半菜園の小世界から発信していこうと願っています。
けれど、この道も、まだ、一日一詩句で、良寛さんの愛語の心を学びはじめたばかりで、四畳半菜園から愛語を発信できるようになるのはいつのことでしょうね・・・
縄文仁の牛歩は、そのうち、死に追い越されてしまいそうです。
さりながら牛歩で歩む霜の道 仁
★★★ 『 春の雪夢の語りの罪深し 』 ★ 遊行俳句で交心10x030807 へどうぞ!!! ★★★
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2010年03月09日
母を超え子を越え笑みし涅槃像
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★ 遊行俳句で交心10x030901
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母を超え子を越え笑みし涅槃像
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零呼さん、おはよう。
今日もあい風ありがとう。
> 吾子思い母慕う日や涅槃西風 零呼
存えて今日在ることのしみじみを誰に映すや母や子や 仁
母を超え子を越え笑みし涅槃像 仁
涅槃会や在りし日の母そのままに 仁
涅槃会の心に躍れ色模様 仁
四畳半の畑の畝も涅槃かな 仁
常楽会一瞬一生愛楽土 仁
泣き濡れて去るが愛おし雪の果て 仁
涅槃絵や悲しみそのまま慈しみ 仁
深い慈しみと愛おしみの心が身辺りに溢れますように。
★ 。・。・゜♪゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★
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