2010年03月20日
dasaku 和菓子
ほおばれば そこはかとなく 京の菓子
昨年、
京都の大学に入って、
茶道部でお茶を習い始めた上の娘。この頃、
京菓子をおみやげに持って帰るようになった。
そんなに甘いものは好きではないのだけれど、
食べてみて絶品の味がする時がある。先日、
たまたま京都で待ち合わせした時に、
部活で使うお菓子を買いに行くというので、
付き合わされたことがある。
京都でも老舗の和菓子屋で、
とてもじゃないが、
俺みたいな者が出入りする風情ではなかった。
それを察してか、娘は、
「店の中では静かにしててね」
と念を押されてしまった。もうその店とは顔なじみのような、
和菓子屋の主人との会話のやりとり。
「へぇ~え」
我が娘ながら、
家にいる時の娘ではないような気がした。休日には友だちと、
京都の古寺を巡ったりしている。「へぇ~え」
くれたお土産の菓子を、
酒のあてにしながら思うことである。
2010年03月19日
dasaku いよいよ
白球の 縫い目新たに 暑き春
いよいよである。
プロ野球開幕。
パリーグは明日、長いシーズンが始まる。母の好きな阪神は、
今年はどうだろう。
いわゆるトラキチではないのだけれど、
なかなかにタイガースの内情に詳しい。なかでも下柳のファン。
赤星も好きだったけど、
今年はもういない。
阪神の勝った日にはメールが届く。母のメールは、
巨人を寄与人、応援を覆えんと打つ。春がにわかに、
熱くなりはじめた。
2010年03月18日
dasaku 氾 濫
石仏の 湯呑みに余る 春の水
川岸の目立たぬ所に、
小さな石仏が並んでいる。その昔、
この川の氾濫で犠牲になった者たちの、
供養の碑である。
昭和の初め頃までは田んぼの畔にあった。
今ではその面影はなく、
住宅街の一角に、場違いのように、
取り残されている。それでも季節の花を手向け、
湯呑みの水を供える人がいる。護岸はコンクリートに包まれても、
引き継がれるものは、
そっと人知れず地の底を流れているんだなあ。きっと、今でも、
人の心に氾濫するものがあるのだろう。近くで遊ぶ子供たちの声がする。
2010年03月17日
dasaku 空 家
春陰や かんぬき掛けし 古時計
扉の
冷たい把手を引くと
時間が
ぐらりと ゆらいで
もぐらのように
陰影が
目をほそめた
未来をもたないこの空間に
ごみのように溜まっているのは
魚ぐさい 過去
あそこに
冷蔵庫を置きましょう
こっちに
タンスを置きましょう
若い妻は
沈黙のはじまる前に
はしゃいでみせた
2010年03月16日
dasaku 春 愁
南北も 東も見ずに 西の空
華やかな春の楽しさの中に、
ふと感じられる哀愁。それは、
日の沈んだ後の西の空にある。これから桜の花も開くというのに、
なんだろう、この胸の愁い。積み重ねた年月のせいだけではない。
それは子供の頃にもあった。
親が連れて行ってくれた待ちに待った、
週末の遊園地。
心待ちにしたその日が楽しければ楽しいほど、
帰りの電車の窓に見える夕焼けが淋しかった。夜中に用足しに目が覚めて、
布団にみんなが寝静まった豆電球の灯り。
父も母もいつかはいなくなるという不安。工場の屋根に沈む夕日を撮ろうと、
カメラを車から取り出しているうちに、
あっけなくいなくなっちまった西の空。やはり、
春愁は西の空にある。


