2009年05月01日
小説を置いて眺める風景
なんだかいつものように休日を公園で小説を読んで過ごしていたら、子供が一生懸命に凧を上げているのが見えた。
かつては、正月を含む冬休みには、子供たちが凧揚げをする光景が良く見られ、玩具店のみならず、子供たちが買い物をする頻度の高い、身近にある駄菓
子店や文房具店などで凧も販売されていた。特に凧揚げが盛んに行われていた時代(1970年代)、冬休みの時期には、電力会社がスポンサーの夕方のニュー
ス番組で、「凧揚げは電線のない広い場所で」「電線に引っかかったら電力会社にご連絡ください」という内容のコマーシャルがよく流されていたほどで、当時
のトラブルの多さを窺わせる。
凧揚げが安全にできる広い空間が少なくなったことに加え、少子化や、ゲーム機の普及などもあり、正月の凧揚げの光景も少なくなった。
なんだか嬉しくもあり、悲しくもあって、しばらく小説を置いてそれを眺めていた。
2009年03月16日
これからの小説のあり方
「アクチュアリーが活躍する小説的分野は、生命保険、損害保険、年金の三分野」と言われている。
アクチュアリーの業務は保険数理、年金数理に基づく保険料、および責任準備金と呼ばれる契約債務の評価などの計算業務を中核にして発展してきた。よって、アクチュアリーは生命保険会社、損害保険会社、信託銀行の年金部門、社会保険を担当する公的組織(厚生省、厚生労働省、公的共済組織 等)、あるいはアクチュアリー系コンサルティング会社などに所属して数理計算業務に携わっていることが多かった。
上述のごとく、リスク測定=死亡率算定から出発したアクチュアリーであるが、近年は、確率論の進歩と金融工学の発展により、生命保険・損害保険・企業年金といった伝統的な分野だけでなく、金融の世界で数理を扱う領域を幅広く取り扱うようになってきている。
これからの小説のあり方も、紙面、携帯ときたら、次にどんな媒体が登場するのだろうか。
2008年12月25日
小説と不適切な最適化
最近では一般の方でも少しずつ理解を深めているSEO。
検索エンジンに上位表示されれば、集客率は上がり、収益にも繋がる可能性が上がる。
そうすると当然そこにビジネスが発生する。
またそうすると悪だくみを考える者も必ず出てくる。
主な手法としては
・関係のないキーワード
・関係の乏しい地名などの羅列
もっとも多いと思われるのが、
・不適切なリンク
内容の関連性のないページにリンクを設けたり、リンクのみのページを作成したりする。極端に小さな画像に隠しリンクを作成することもある。
「リンク・スパム」 — Google のような検索エンジンは、適切に得られたのではない何千ものリンクを見て、あるページの関連度(ランキング)を高いと判断してしまう場合もある。
例えば、小説サイトを検索したはずなのに、サイト内は出会い系やその他のHな内容のものであったり、小説のサイトでも、違う種類の広告やリンクが多数掲載されているようなサイトが存在する。
この手法は、今現在では確かに有効な手法だからこそやっているのだろうが、こういった手法は必ず時間が経てば淘汰されていくので、確実で当り前なことを当たり前のように、継続的に続けているサイトが必ず評価が上がってくる、きてほしいと望む。
2008年10月16日
小説:ソフィーの世界から
私はよく仕事帰りや休日の昼間に、古本屋をブラブラするのが好きなのだが、この前立ち寄った時に中学生の時に必死で読んだ、ヨースタイン・ゴルデルの「ソフィーの世界」があった。
改めに見ても、ハードカバーのものは恐ろしく分厚い本だ。
あの作品を当時、食事が終わると毎日1章ずつ読み続けていたのを覚えている。
まるで毎日食事をするのと同じように、小説のレストランに通っているようだった。
内容は主に哲学に関することなのだが、物語がファンタジーになっているので、すごく読みやすくて、読み終わった時は、とても淋しさを感じた。
その本を見たとき、内容と共にその当時の考えていたことや、思い描いていた夢、読んでいた部屋や読みながらよく飲んでいた、ホットミルクの味を思い出した。
ふと見ると 分厚い本は 夢の痕
あの時の私は、今の自分をどう見ているのだろう。
◆他の最近考えさせられた作品
小説:すべての男は消耗品である
┗狩猟本能を摩滅させ自分の手で獲物を狩る力を失った男は、女たちのための消耗品で終わるのか?恋愛、女、芸術...
小説:こころから
┗夏目漱石の作品が好きになったのはこの作品が一番の要因だったと思う...
2008年09月26日
自分や小説について時々考える
自分で自分をちゃんと知ると言うのはとても難しい。
自分ではそう思っていたことも、他人から見るとまったく違う。
自分を説明する文章や解説を作って人に読ませたら、人はどう感じるのだろうか?!
もちろん悪いところばかりではない。自分が自分に対していいと思う事も存分に書かなくてはならない。
自叙伝みたいにしてもいい。まったく何者でもないのに、大層なものだ。
小説に 自分を落とす 筆の先
自分とは何者なのだろうか?! 自分をいう人間は一生客観的に見られない。
客観的に見て、なんていう人も見れる訳がない。空想だ。
もし見えるとしたら、どうしようか。 見てみようか。 恐い気もする。
今自分が付き合っている好きな仲間達の一員のように、自分を受け入れることができるだろうか。

