ぼたんさん、早い交心ありがとう。 > 有漏路より無漏路へ帰る一休み. 雨降らば降れ 風吹かば吹け 一休 この自然体、真似したいですね。ここまで無頓着になりたいというのが真似一休仁のはじまりです。 進んだり戻ったり、足掻いたり順調だったり、その一つひとつがあるがままに楽しめればいいんでしょうね。進むばかりが正解じゃない。順調ばかりが幸せじゃない。どう転んでも命は一途なんです。進んでもいっしょうけんめい、後戻りしてもいっしょうけんめい、そんなひたむきな命の燃焼が愛おしい。泣いても喚いても、それが自然体です。無理しても楽しても、それが自然体です。無理ばっかりはつづきませんよ。やっぱりどこかで一休み。楽するんです。楽ばっかり生きるものでもありません。やっぱりどこかでいっしょうけんめいに生きますよ。無理するんです。
繰りかえし無理して楽して夏果てる 仁
> この世で一番仏に近いのは ひょっとしたら 人間以外の生き物なのでは・・・ そのように思えます。
ぼたんさん、共鳴、共振。 全くその通りだと思いますよ。草木にも昆虫にも虚妄の自意識がないから命の自然のまんまを生きぬくんでしょう。生きぬくことにいっしょうけんめいです。踏まれても、折れても、またいっしょうけんめい芽を出し、花を咲かせる草の花は、ただただひたむきに命を生きています。鳥も昆虫も、食いつ、食われつ、ひたむきに、生きています。感動です。 欺瞞だの懐疑だの、正だの邪だの、虚妄の自意識はなく、今とここを、ひらむきに生きているんです。死んで命の素に戻り、また命として形成されていくのでしょう。 そんな命のそのまんまの姿を仏と呼んでいるのでしょう。お釈迦さんが悉有仏性といっているのも草木や鳥獣に真実の生き方があると教えてくれているのでしょうし、そんな真実の生き方ができる人を仏と呼んでいるんだよ、と教えてくれているようです。
こおろぎもわれもおんなじ命なる 仁
> 襟巻の あたたかそうな 黒坊主 こやつが法は 天下一なり 一休
交心で花人さんよりもらいました。 黒坊主が親鸞さんのことで、一休さんはほとんど誰も認めない人なのに、親鸞さんは天下一の人間だと褒めるんですね。法然さんに命を投げ込んでしまった親鸞さんの生き様に共鳴、共振したんでしょうね。 信じるものに命を預け入れてしまうことが命のまんまを生きることになっていくのでしょう。己の計らいは一切無いんです。こおろぎがただただひたむきに鳴きつづけるのと同じ命なんでしょう。 命の自然体です。 蟋蟀さんも、食って、命を守って、生きていかなければならないから、欲も、駆け引きも、殺しも、やっているんです。必死でよくを生きているんです。それでも仏さんなんです。生きている限りは、回りのものにいっぱいいっぱい借り物をして生きるほかないんです。お蔭で生きていくしかないんです。 人間だもの。 だから、できるだけ、借りは少なくていいように、できるだけお返しができるように、生きていくようにしましょうね。
魚食い子と楽しんで秋の暮 仁
ぼたんさん、生きる術とヒントをたくさんありがとう。 少私寡欲。 けれど時には心の趣くままに。
ほどほどに欲を喜ぶ虫の声 仁
こんばんわ 一休様の歌・・・ 自然体のまま~~近頃は私も少しづつ・・そんな思いになります。 それでも、進んだり 戻ったり ですので、 足掻いたり 自然体だったり~~ そうやって彼岸へ船を繰り出すのでしょうね。 私はそれで良い・・と思っています。 この世で一番仏に近いのは ひょっとしたら 人間以外の生き物なのでは・・・ そのように思えます。 でも、彼らにも彼らなりの 欲 があるのかなぁ~~。
私は、近頃は 借りを作ったままで彼岸へ行かないように・・それを心掛けています。 借金・・ではないですよ(あはは) 心の借り 物事の借り 神仏に対する借り の事です。
> 早起きや槿花一日なればこそ 鮎太
鮎太さん、いつも交心ありがとうございます。 一日花ですから、やっぱり早起きですよね。一日一生、命の限りに咲くんですね。 まさしく命はひたむきな燃焼です。
直向きに咲いて萎んで花木槿 仁
花木槿萎む風姿も威儀ありぬ 仁
早起きや槿花一日なればこそ 鮎太
流星さん、お忙しいのに交心くださってありがとうございます。 艶な実体験など遂に無縁に生きてきた朴念仁ですから、遊行時空で、良寛さんの七夕さんと遊びながら、空想裡に艶物語りを遊んでみます。貧弱な想像力の夢時空ですから、少年の夢のようなものです。遊行時空ではそれなりに遊泳できて楽しいですけれど・・・ 粋人の流星さんに「艶」と感じてもらえて、ちょっと有頂天になってしまいます。調子に乗って幼稚な艶物語紡がせてもらいます。
夏の光もらいし刹那の旅の閑 仁
流星さんは世界に羽ばたいていらっしゃる。 老仁は隣町の久留米までもひとりで電車に乗れないほどの凡愚仁です。なぜかトレーニングしたくなって、友人の語る会に参加しはじめました。現世利益のお話を今更ながら聞いて、そんなものなのかと頷いています。肯きながらも、もう、今更縁のない世界であることに変わりはないのですけれど・・・ 艶物語りも縁のない世界ですけれど、想像時空でのひとり遊びは、あらら、夢中になってしまいます。久米の仙人さんの真似もしたくなる心境です。 良寛さんの真似で留まりますけれど・・・ けれど、妄閾では、風狂一休さんの恋三昧境まで、辿ってみたいと、『夢閨のうた』を一つずつ辿りはじめました。
イヤリングそのすずしさを遠目にて 仁
遊ばせてくださる寛容の心にありがとうです。
仁さん、おはようございます。
なかなかネットに繋がらず(旅先です)、遅くなってご免なさい!
またまた素敵なお句を頂き、リンクもして頂き、光栄です♪
>解くまのふるゝさゝやきひとえ帯 仁
私の駄句よりずーっと艶ですね!
私は暫く多忙のため、更新できないと思いますが、
旅先より時々お伺いいたします。
外出を楽しまれていらっしゃるご様子、なによりです。
沢山の出会いがありますように・・・・。。。
では、また♪
鮎太さん、いつも交心ありがとうございます。
夕闇の額紫陽花はまたひと味趣が違っていいですね。 遊呼さんに、写真をお借りして、わがままに挿絵花させてもらいました。 不器用ですけれど、今、ネット吟行しながら、写真をお借りして写真俳句を仕立てるのが楽しくなっています。いつも同じパターンでマンネリですけれど、熱中できて、Happyです。
荒梅雨もネット吟行三昧境 仁
銀河を連想させるガクアジサイの写真、見事です。 線香花火にも見えますし、星にも見えるガクアジサイです。
ぼたんさん、いつも交心ありがとう。 一部屋で十分ですよ。 幾つも別部屋持つと、自分でも、どこに何を書いたか忘れてしまったり、 せっかくコメント交心もらっているのに気づかなかったり、
訪問者にはご迷惑おかけすることも多くなります。 なのに、凡愚仁は、 ネット世界では、欲張りになってしまいます。
現身で、別宅など持てないから、 ネット世界で、別宅所有というリッチな気分味わってみたいのでしょう。 ネット世界は、同時に、遊行時空への回路にもなりますので、 遊行時空優游遊泳三昧境を体感するには、ネット回路を遊ばせてもらうことで、 遊泳楽しめるんです。
無所有の所有ということにしてご寛容くださいね。 無所住の所住ということにもさせてくださいね。
無化遊化ネット三昧星月夜 仁
天の川念えば汝れと水遊び 仁
こんばんわ 仁さんのお部屋は、何部屋あるのでしょう~~? 方向オンチの私は、迷子になりそう~~ 私は一部屋でがんばります~(笑) 先日もお話しましたが、仁さんの句はとっても素敵です。
> 忍ぶ恋宵待草は過去の花 鮎太
月見草ほどに似合いし片想い 仁
鮎太さん、 過去の花が懐かしいのでしょうね。 懐かしい心を分かち合える人と巡り会えますように。
いつも交心ありがとうございます。
忍ぶ恋宵待草は過去の花 鮎太
おはよう、ぼたんさん。 今日もあい風交心ありがとう。 そうですね、こんなに別宅持っていることって、旅先に別宅幾つも持っているようにすごいことかもしれませんね。でも、ここネットでのBLOG別宅は、そう大したことじゃありません。文無し不器用老仁でも持てることですから。ただひとつ、無駄を遊べる時間が湯水のようにあることが条件ですけれど。無能無所得老仁に湯水の如く溢れるようにあるのは時間とゆう宝物です。無能無知、落ち零れ人生を歩いてきましたので、無所得無所有ですけれど、自遊な時間が溢れています。 無所住ですから、ネット上をどこの時空へでも遊泳できるんです。 ネットサービスの便利さは、老仁のように不器用でも、どこにっでも、ネット別宅持てることです。 別宅幾つも持って、ネット交心求めて遊び回っていますけれど、貧しい落ち零れ老仁の世界はおもしろくないのでしょうね。交心してくれる人は、ほとんどいないんですよ。 雪割草さんが、もう3年も、こうして遊んでくれるのは、ミラクルです。良寛さんの愛語の縁のお蔭でしょう。 もっと深く良寛さんの愛語を真似できれば、もっといろいろの人たちに交心してもらえるようになるのではないかと期待して、いっしょうけんめい真似良寛を遊んでいますけれど、真似で良寛さんの愛語が身につくわけではありませんね。化けの皮はすぐ剥がされて、少し遊んでもらっているうちに、すぐ飽きられてしまうんです。 それでもしばらくの間でも遊んでもらえてHappyです。
ぼたんさんも、飽きが来るまで、こんな呆け老仁ですけれど遊んでくださいね。
秋までをつなぐ縁の在れよかし 仁
写真の星への賛同ありがとうございます。 不器用ながら、検索で写真もお借りしたりして、ネット遊泳の縁で、遊行時空の遊行イメージを絵化させてもらっています。書も絵もオリジナルな創作能力は皆無な無才無能老仁ですので、単純な写真加工で夢中になって遊んでいます。夢中になれるからHappyです。時々こうして、共鳴してもらえると、喜び右肩上がり、有頂天になって、また、夢中に遊べます。ぼたんさん、ありがとう。
抱け星露の世なれば露の如 仁
おはようございます 仁さんすごいですね、たくさんの別宅をお持ちで・・一つでウロウロしている私には ただ・・ただ・・凄いなぁ~しかありません。 このお宅での写真・・まるで人生の指針を 示しているようですね。
おはようございます、鮎太さん。 交心ありがとうございます。
宇宙は夢一杯。 ほんとうにそうですね。 凡愚仁の脳では計り知れないほどの夢が溢れています。 宇宙に投げ網打ってでも掬えそうな夢もあるようですね。 どれもこれも光り輝いて、貧しい老仁でも溢れるほど浴びることができるし、自遊に遊泳できるんですよ。 それぞれの遊泳する夢を語り合い、分かち合えたら、Happyですね。
一つずつ、そんな交心ができればいいなぁと願っています。
星祭り盃に飲み干す星雫 仁
見えているものはごく限られるのに、そこから広がっていくものって、ほんとに多い。 宇宙は夢一杯。
鮎太さん、交心ありがとうございます。
> 手折らせんとてか薊のとげとげし 鮎太
あっと驚きました。 薊大好きなんですよ。 色も佇まいも惹かれます。でも近寄りがたいんです。繊細すぎるのでしょう。 あの棘のナイーブさが愛おしくさせるのに・・・
でも、あの棘のメッセージは、「わたしを手折って!」だったんですね。
薊さんは老仁の永遠の初恋人だったのですけれど、いよいよ恋しく、愛おしくなりました。 ありがとうございます。
かっ攫い山に暮らさん夏薊 仁
手折らせんとてか薊のとげとげし 鮎太
ありがとうございます!
自分が傷つくのは平気です。
でもその方がどのような姿勢に出るのか・・・・
>自分は自分の世界をあるがままに表現していくことを楽しんでいくのが素直なスタンスだと思いますけれどね・・・
もう迷いません。
私の心のラブレターですもの・・・・
見世物になった心境ですけどこれも自分の想いの徒然ですから、大丈夫!
本当にありがとうございました。
まだきみに・・・さん、交心ありがとう。 なんだか迷いも悩みも多いようですね。
誰にも彼にも見合うような日記なんて書けっこありませんよ。合う合わないは向こうさんの都合ですから、合わなければ、さよならすればいいんです。 誰も強制しないし、不満も言わない。それがネット交心の作法でしょう。 不満なら黙って去ればいいんですよ。 交心したいなら、合わせる寛容さを持てばいいんですよ。 様々な人がいるから、その様々な人の心を対等におつき合いするのは難しいでしょう。
まだきみに・・・さんは、心やさしすぎるのでしょうね。 自分は自分の世界をあるがままに表現していくことを楽しんでいくのが素直なスタンスだと思いますけれどね・・・
楠若葉とどかぬ光もありにけり 仁
ラブレターが書きたければ、ラブレター書きつづければいいのでしょう。 日記が全部ラブレターというわけではないのですから。 まだきみに・・・さんのなかで、日記と交心とラブレターの分別ができていないと、まだきみに・・・さん自身の迷いが解けていないのかもしれません。
けれど、日記がラブレターというのは、発想がおもしろいですね。 まだきみに・・・さんの日記にラブレターを読みとった人の感受性もおもしろいですね。公開で、ラブレターが語り合われるようになったら楽しいでしょうけれど・・・ 万葉の時代の相聞歌は公開のラブレターですよね。 遊び心の中で、本気の恋や寂しさや悲しさが詠われていくんです。それに共鳴共振して、歌が交心され、その歌が、会話の中で鑑賞され、合評され、恋も進化したり、壊されたりしていくんです。文芸という物の面白さかもしれませんけれど。 遊び心としての文芸の楽しみがなければ、公開の日記をラブレターだと思うのは無理が重なっていくでしょうね。
開かれた心の、開かれた恋。
心は傷みやすいから、痛まない分別をもって、すこしずつ開いていけるようになったらHappyでしょうね。 セルフコントロールの心を養成していきましょうね。
おはように愛語溢るる若葉風 仁
ある方のメールをいただいてすごく元気をいただいたのですが・・・・
また別の方が私の日記はラブレターのようで他の人はコメントしにくいのではと言われました。
確かにラブレターですもの・・・・
コメントなんかいらないのですけどね!
だっていつも申し訳なく思ってのアップですから・・・・・
かといってマイフレさんだけへの日記だと思いは伝わらず・・・・・
マイフレさんにも悪いですしね。
また膨らみかけた夢もようがしぼんじゃいました!
ぼたんさん、交心ありがとう。
念じれば通ず。 念じた時がはじまりです。
なりたい、なりたいは念です。 なっている、なっているは信です。 念と信が一つになって、信念です。 信念は愛から生まれます。 自分を愛することが自己実現のはじまりなんですね。
自分を愛することは、もう一人の自分に出会うことです。 もう一人の自分、それが、本当の自分なんです。
自分を愛することは、本当の自分を知ることです。 本当の自分は、生まれた時から、死ぬ時まで、いつでも、ずっと、自分の中にいるんです。自分の中にいるのに、普通に生きているうちに、本当の自分を見失ったり、忘れたりするんですね。自我の目覚めで、他者と比較する自分が大きくなっていき、社会的な役割や価値で自己形成し、欲望や理想や夢に向かって突き進んでいくんです。自分の外側に目的を置いて、到達を目指すんですね。自己疎外のはじまりです。
四苦八苦落ち零れしより夏は夏 仁
瓦礫の中にカタバミの花が咲いています。 プチプチ種子を飛ばして、コンクリートのひび割れの中にも根を張り、花を咲かせています。命の力は凄いですね。 そのカタバミさんと同じ命の力を老仁も持っていたんですね。子どもの時も。老仁の今も。カタバミさんの命の力に、すごい、すごいと感動しているのに、老仁自身の命の力をすごい、すごいと感動したことなかったんですよ。自分の命のことなど見向きもしなかったようです。体の仕組みのことさえ知らないままきました。食のことも病気のことも無知でいい加減に過ごしてきたんです。 血を吐いて、煙草を止めました。それからです、すこし、体のことに向き合いはじめたのは。カタバミさんに学びはじめたのは。
自分の命の力に感動しはじめました。 呼吸することだって、不思議、不思議。おさんどの美味しいこと。一つひとつが不思議と感動です。生きもうけに、ありがとうと感じはじめました。
そして、一期一会。交心にありがとう、です。 ぼたんさん、交心ありがとう。
カタバミを愛おしむ吾を愛おしむ
こんばんわ ぼたんです、私は自然の強さ・・平静さ・・穏かさ・・そんな思いを少しでも己の中に入れられたら・・と願いつついますが・・ これが難しい~^ですね。
身の老ひも 越えてこそ恋 昇華すと 夢に高めた かの人を抱く
身の老を 越えて昇華し 人在れば 吾の鏡ぞ 逢いたきものを
百合庵さん、交心ありがとうございます。 BLOGの方しばらく訪れず、百合庵さんの交心を今読ませてもらいました。ごめんなさい。百合庵さんの訪れを心待ちにしていたのですけれど。メールばかりを確かめておりました。ご寛容お願いします。
人恋いも愛も、もう現身では起こりえぬことですけれど、心はいつでも、いつまでも、人恋いと愛を追い求めるものなのでしょうね。叶わぬ夢なれど、叶わぬ故に、遙かなる純真な夢も見つづけ、真如の月のように、永久の愛も抱くことができるのでしょう。 西行さんの求めた愛は、まだ、辿りの入り口ですけれど、そんな純化された愛だったのだろうかと想像しています。 無知仁、無学仁には、西行さんの歌一つ理解するのも容易なことではなく、独り善がりの読み込みになってしまいますけれど、遙かなる夢を抱かせてくれるいい道標です。 鈍牛の歩みで、反芻しながら、道草のように、楽しんでいこうと思っています。
現し身は 求めぬものと 諦めし 光と陰に 君はいましき
現身は 現身のまま 遙かなる 愛求めむや 遊行時空に
散るさくらまた咲くを見ることやあれ 仁
夢に高めたお方がいらっしゃると、幻をゆらゆら楽しめますね。 そんなお方を相手に、和歌を詠み合える仲になれたら、至福の一つではないでしょうか。
ぼたんさん、早い交心ありがとう。
> 有漏路より無漏路へ帰る一休み. 雨降らば降れ 風吹かば吹け 一休
この自然体、真似したいですね。ここまで無頓着になりたいというのが真似一休仁のはじまりです。
進んだり戻ったり、足掻いたり順調だったり、その一つひとつがあるがままに楽しめればいいんでしょうね。進むばかりが正解じゃない。順調ばかりが幸せじゃない。どう転んでも命は一途なんです。進んでもいっしょうけんめい、後戻りしてもいっしょうけんめい、そんなひたむきな命の燃焼が愛おしい。泣いても喚いても、それが自然体です。無理しても楽しても、それが自然体です。無理ばっかりはつづきませんよ。やっぱりどこかで一休み。楽するんです。楽ばっかり生きるものでもありません。やっぱりどこかでいっしょうけんめいに生きますよ。無理するんです。
繰りかえし無理して楽して夏果てる 仁
> この世で一番仏に近いのは ひょっとしたら
人間以外の生き物なのでは・・・ そのように思えます。
ぼたんさん、共鳴、共振。
全くその通りだと思いますよ。草木にも昆虫にも虚妄の自意識がないから命の自然のまんまを生きぬくんでしょう。生きぬくことにいっしょうけんめいです。踏まれても、折れても、またいっしょうけんめい芽を出し、花を咲かせる草の花は、ただただひたむきに命を生きています。鳥も昆虫も、食いつ、食われつ、ひたむきに、生きています。感動です。
欺瞞だの懐疑だの、正だの邪だの、虚妄の自意識はなく、今とここを、ひらむきに生きているんです。死んで命の素に戻り、また命として形成されていくのでしょう。
そんな命のそのまんまの姿を仏と呼んでいるのでしょう。お釈迦さんが悉有仏性といっているのも草木や鳥獣に真実の生き方があると教えてくれているのでしょうし、そんな真実の生き方ができる人を仏と呼んでいるんだよ、と教えてくれているようです。
こおろぎもわれもおんなじ命なる 仁
> 襟巻の あたたかそうな 黒坊主 こやつが法は 天下一なり 一休
交心で花人さんよりもらいました。
黒坊主が親鸞さんのことで、一休さんはほとんど誰も認めない人なのに、親鸞さんは天下一の人間だと褒めるんですね。法然さんに命を投げ込んでしまった親鸞さんの生き様に共鳴、共振したんでしょうね。
信じるものに命を預け入れてしまうことが命のまんまを生きることになっていくのでしょう。己の計らいは一切無いんです。こおろぎがただただひたむきに鳴きつづけるのと同じ命なんでしょう。
命の自然体です。
蟋蟀さんも、食って、命を守って、生きていかなければならないから、欲も、駆け引きも、殺しも、やっているんです。必死でよくを生きているんです。それでも仏さんなんです。生きている限りは、回りのものにいっぱいいっぱい借り物をして生きるほかないんです。お蔭で生きていくしかないんです。
人間だもの。
だから、できるだけ、借りは少なくていいように、できるだけお返しができるように、生きていくようにしましょうね。
魚食い子と楽しんで秋の暮 仁
ぼたんさん、生きる術とヒントをたくさんありがとう。
少私寡欲。
けれど時には心の趣くままに。
ほどほどに欲を喜ぶ虫の声 仁
こんばんわ
一休様の歌・・・ 自然体のまま~~近頃は私も少しづつ・・そんな思いになります。
それでも、進んだり 戻ったり ですので、 足掻いたり 自然体だったり~~
そうやって彼岸へ船を繰り出すのでしょうね。
私はそれで良い・・と思っています。 この世で一番仏に近いのは ひょっとしたら
人間以外の生き物なのでは・・・ そのように思えます。
でも、彼らにも彼らなりの 欲 があるのかなぁ~~。
私は、近頃は 借りを作ったままで彼岸へ行かないように・・それを心掛けています。
借金・・ではないですよ(あはは) 心の借り 物事の借り 神仏に対する借り の事です。
> 早起きや槿花一日なればこそ 鮎太
鮎太さん、いつも交心ありがとうございます。
一日花ですから、やっぱり早起きですよね。一日一生、命の限りに咲くんですね。
まさしく命はひたむきな燃焼です。
直向きに咲いて萎んで花木槿 仁
花木槿萎む風姿も威儀ありぬ 仁
早起きや槿花一日なればこそ 鮎太
流星さん、お忙しいのに交心くださってありがとうございます。
艶な実体験など遂に無縁に生きてきた朴念仁ですから、遊行時空で、良寛さんの七夕さんと遊びながら、空想裡に艶物語りを遊んでみます。貧弱な想像力の夢時空ですから、少年の夢のようなものです。遊行時空ではそれなりに遊泳できて楽しいですけれど・・・
粋人の流星さんに「艶」と感じてもらえて、ちょっと有頂天になってしまいます。調子に乗って幼稚な艶物語紡がせてもらいます。
夏の光もらいし刹那の旅の閑 仁
流星さんは世界に羽ばたいていらっしゃる。
老仁は隣町の久留米までもひとりで電車に乗れないほどの凡愚仁です。なぜかトレーニングしたくなって、友人の語る会に参加しはじめました。現世利益のお話を今更ながら聞いて、そんなものなのかと頷いています。肯きながらも、もう、今更縁のない世界であることに変わりはないのですけれど・・・
艶物語りも縁のない世界ですけれど、想像時空でのひとり遊びは、あらら、夢中になってしまいます。久米の仙人さんの真似もしたくなる心境です。
良寛さんの真似で留まりますけれど・・・
けれど、妄閾では、風狂一休さんの恋三昧境まで、辿ってみたいと、『夢閨のうた』を一つずつ辿りはじめました。
イヤリングそのすずしさを遠目にて 仁
遊ばせてくださる寛容の心にありがとうです。
仁さん、おはようございます。
なかなかネットに繋がらず(旅先です)、遅くなってご免なさい!
またまた素敵なお句を頂き、リンクもして頂き、光栄です♪
>解くまのふるゝさゝやきひとえ帯 仁
私の駄句よりずーっと艶ですね!
私は暫く多忙のため、更新できないと思いますが、
旅先より時々お伺いいたします。
外出を楽しまれていらっしゃるご様子、なによりです。
沢山の出会いがありますように・・・・。。。
では、また♪
鮎太さん、いつも交心ありがとうございます。
夕闇の額紫陽花はまたひと味趣が違っていいですね。
遊呼さんに、写真をお借りして、わがままに挿絵花させてもらいました。
不器用ですけれど、今、ネット吟行しながら、写真をお借りして写真俳句を仕立てるのが楽しくなっています。いつも同じパターンでマンネリですけれど、熱中できて、Happyです。
荒梅雨もネット吟行三昧境 仁
銀河を連想させるガクアジサイの写真、見事です。
線香花火にも見えますし、星にも見えるガクアジサイです。
ぼたんさん、いつも交心ありがとう。
一部屋で十分ですよ。
幾つも別部屋持つと、自分でも、どこに何を書いたか忘れてしまったり、
せっかくコメント交心もらっているのに気づかなかったり、
訪問者にはご迷惑おかけすることも多くなります。
なのに、凡愚仁は、
ネット世界では、欲張りになってしまいます。
現身で、別宅など持てないから、
ネット世界で、別宅所有というリッチな気分味わってみたいのでしょう。
ネット世界は、同時に、遊行時空への回路にもなりますので、
遊行時空優游遊泳三昧境を体感するには、ネット回路を遊ばせてもらうことで、
遊泳楽しめるんです。
無所有の所有ということにしてご寛容くださいね。
無所住の所住ということにもさせてくださいね。
無化遊化ネット三昧星月夜 仁
天の川念えば汝れと水遊び 仁
こんばんわ
仁さんのお部屋は、何部屋あるのでしょう~~? 方向オンチの私は、迷子になりそう~~
私は一部屋でがんばります~(笑)
先日もお話しましたが、仁さんの句はとっても素敵です。
> 忍ぶ恋宵待草は過去の花 鮎太
月見草ほどに似合いし片想い 仁
鮎太さん、
過去の花が懐かしいのでしょうね。
懐かしい心を分かち合える人と巡り会えますように。
いつも交心ありがとうございます。
忍ぶ恋宵待草は過去の花 鮎太
おはよう、ぼたんさん。
今日もあい風交心ありがとう。
そうですね、こんなに別宅持っていることって、旅先に別宅幾つも持っているようにすごいことかもしれませんね。でも、ここネットでのBLOG別宅は、そう大したことじゃありません。文無し不器用老仁でも持てることですから。ただひとつ、無駄を遊べる時間が湯水のようにあることが条件ですけれど。無能無所得老仁に湯水の如く溢れるようにあるのは時間とゆう宝物です。無能無知、落ち零れ人生を歩いてきましたので、無所得無所有ですけれど、自遊な時間が溢れています。
無所住ですから、ネット上をどこの時空へでも遊泳できるんです。
ネットサービスの便利さは、老仁のように不器用でも、どこにっでも、ネット別宅持てることです。
別宅幾つも持って、ネット交心求めて遊び回っていますけれど、貧しい落ち零れ老仁の世界はおもしろくないのでしょうね。交心してくれる人は、ほとんどいないんですよ。
雪割草さんが、もう3年も、こうして遊んでくれるのは、ミラクルです。良寛さんの愛語の縁のお蔭でしょう。
もっと深く良寛さんの愛語を真似できれば、もっといろいろの人たちに交心してもらえるようになるのではないかと期待して、いっしょうけんめい真似良寛を遊んでいますけれど、真似で良寛さんの愛語が身につくわけではありませんね。化けの皮はすぐ剥がされて、少し遊んでもらっているうちに、すぐ飽きられてしまうんです。
それでもしばらくの間でも遊んでもらえてHappyです。
ぼたんさんも、飽きが来るまで、こんな呆け老仁ですけれど遊んでくださいね。
秋までをつなぐ縁の在れよかし 仁
写真の星への賛同ありがとうございます。
不器用ながら、検索で写真もお借りしたりして、ネット遊泳の縁で、遊行時空の遊行イメージを絵化させてもらっています。書も絵もオリジナルな創作能力は皆無な無才無能老仁ですので、単純な写真加工で夢中になって遊んでいます。夢中になれるからHappyです。時々こうして、共鳴してもらえると、喜び右肩上がり、有頂天になって、また、夢中に遊べます。ぼたんさん、ありがとう。
抱け星露の世なれば露の如 仁
おはようございます
仁さんすごいですね、たくさんの別宅をお持ちで・・一つでウロウロしている私には
ただ・・ただ・・凄いなぁ~しかありません。 このお宅での写真・・まるで人生の指針を
示しているようですね。
おはようございます、鮎太さん。
交心ありがとうございます。
宇宙は夢一杯。
ほんとうにそうですね。
凡愚仁の脳では計り知れないほどの夢が溢れています。
宇宙に投げ網打ってでも掬えそうな夢もあるようですね。
どれもこれも光り輝いて、貧しい老仁でも溢れるほど浴びることができるし、自遊に遊泳できるんですよ。
それぞれの遊泳する夢を語り合い、分かち合えたら、Happyですね。
一つずつ、そんな交心ができればいいなぁと願っています。
星祭り盃に飲み干す星雫 仁
見えているものはごく限られるのに、そこから広がっていくものって、ほんとに多い。
宇宙は夢一杯。
鮎太さん、交心ありがとうございます。
> 手折らせんとてか薊のとげとげし 鮎太
あっと驚きました。
薊大好きなんですよ。
色も佇まいも惹かれます。でも近寄りがたいんです。繊細すぎるのでしょう。
あの棘のナイーブさが愛おしくさせるのに・・・
でも、あの棘のメッセージは、「わたしを手折って!」だったんですね。
薊さんは老仁の永遠の初恋人だったのですけれど、いよいよ恋しく、愛おしくなりました。
ありがとうございます。
かっ攫い山に暮らさん夏薊 仁
手折らせんとてか薊のとげとげし 鮎太
ありがとうございます!
自分が傷つくのは平気です。
でもその方がどのような姿勢に出るのか・・・・
>自分は自分の世界をあるがままに表現していくことを楽しんでいくのが素直なスタンスだと思いますけれどね・・・
もう迷いません。
私の心のラブレターですもの・・・・
見世物になった心境ですけどこれも自分の想いの徒然ですから、大丈夫!
本当にありがとうございました。
まだきみに・・・さん、交心ありがとう。
なんだか迷いも悩みも多いようですね。
誰にも彼にも見合うような日記なんて書けっこありませんよ。合う合わないは向こうさんの都合ですから、合わなければ、さよならすればいいんです。
誰も強制しないし、不満も言わない。それがネット交心の作法でしょう。
不満なら黙って去ればいいんですよ。
交心したいなら、合わせる寛容さを持てばいいんですよ。
様々な人がいるから、その様々な人の心を対等におつき合いするのは難しいでしょう。
まだきみに・・・さんは、心やさしすぎるのでしょうね。
自分は自分の世界をあるがままに表現していくことを楽しんでいくのが素直なスタンスだと思いますけれどね・・・
楠若葉とどかぬ光もありにけり 仁
ラブレターが書きたければ、ラブレター書きつづければいいのでしょう。
日記が全部ラブレターというわけではないのですから。
まだきみに・・・さんのなかで、日記と交心とラブレターの分別ができていないと、まだきみに・・・さん自身の迷いが解けていないのかもしれません。
けれど、日記がラブレターというのは、発想がおもしろいですね。
まだきみに・・・さんの日記にラブレターを読みとった人の感受性もおもしろいですね。公開で、ラブレターが語り合われるようになったら楽しいでしょうけれど・・・
万葉の時代の相聞歌は公開のラブレターですよね。
遊び心の中で、本気の恋や寂しさや悲しさが詠われていくんです。それに共鳴共振して、歌が交心され、その歌が、会話の中で鑑賞され、合評され、恋も進化したり、壊されたりしていくんです。文芸という物の面白さかもしれませんけれど。
遊び心としての文芸の楽しみがなければ、公開の日記をラブレターだと思うのは無理が重なっていくでしょうね。
開かれた心の、開かれた恋。
心は傷みやすいから、痛まない分別をもって、すこしずつ開いていけるようになったらHappyでしょうね。
セルフコントロールの心を養成していきましょうね。
おはように愛語溢るる若葉風 仁
ある方のメールをいただいてすごく元気をいただいたのですが・・・・
また別の方が私の日記はラブレターのようで他の人はコメントしにくいのではと言われました。
確かにラブレターですもの・・・・
コメントなんかいらないのですけどね!
だっていつも申し訳なく思ってのアップですから・・・・・
かといってマイフレさんだけへの日記だと思いは伝わらず・・・・・
マイフレさんにも悪いですしね。
また膨らみかけた夢もようがしぼんじゃいました!
ぼたんさん、交心ありがとう。
念じれば通ず。
念じた時がはじまりです。
なりたい、なりたいは念です。
なっている、なっているは信です。
念と信が一つになって、信念です。
信念は愛から生まれます。
自分を愛することが自己実現のはじまりなんですね。
自分を愛することは、もう一人の自分に出会うことです。
もう一人の自分、それが、本当の自分なんです。
自分を愛することは、本当の自分を知ることです。
本当の自分は、生まれた時から、死ぬ時まで、いつでも、ずっと、自分の中にいるんです。自分の中にいるのに、普通に生きているうちに、本当の自分を見失ったり、忘れたりするんですね。自我の目覚めで、他者と比較する自分が大きくなっていき、社会的な役割や価値で自己形成し、欲望や理想や夢に向かって突き進んでいくんです。自分の外側に目的を置いて、到達を目指すんですね。自己疎外のはじまりです。
四苦八苦落ち零れしより夏は夏 仁
瓦礫の中にカタバミの花が咲いています。
プチプチ種子を飛ばして、コンクリートのひび割れの中にも根を張り、花を咲かせています。命の力は凄いですね。
そのカタバミさんと同じ命の力を老仁も持っていたんですね。子どもの時も。老仁の今も。カタバミさんの命の力に、すごい、すごいと感動しているのに、老仁自身の命の力をすごい、すごいと感動したことなかったんですよ。自分の命のことなど見向きもしなかったようです。体の仕組みのことさえ知らないままきました。食のことも病気のことも無知でいい加減に過ごしてきたんです。
血を吐いて、煙草を止めました。それからです、すこし、体のことに向き合いはじめたのは。カタバミさんに学びはじめたのは。
自分の命の力に感動しはじめました。
呼吸することだって、不思議、不思議。おさんどの美味しいこと。一つひとつが不思議と感動です。生きもうけに、ありがとうと感じはじめました。
そして、一期一会。交心にありがとう、です。
ぼたんさん、交心ありがとう。
カタバミを愛おしむ吾を愛おしむ
こんばんわ
ぼたんです、私は自然の強さ・・平静さ・・穏かさ・・そんな思いを少しでも己の中に入れられたら・・と願いつついますが・・ これが難しい~^ですね。
身の老ひも
越えてこそ恋
昇華すと
夢に高めた
かの人を抱く
身の老を
越えて昇華し
人在れば
吾の鏡ぞ
逢いたきものを
百合庵さん、交心ありがとうございます。
BLOGの方しばらく訪れず、百合庵さんの交心を今読ませてもらいました。ごめんなさい。百合庵さんの訪れを心待ちにしていたのですけれど。メールばかりを確かめておりました。ご寛容お願いします。
人恋いも愛も、もう現身では起こりえぬことですけれど、心はいつでも、いつまでも、人恋いと愛を追い求めるものなのでしょうね。叶わぬ夢なれど、叶わぬ故に、遙かなる純真な夢も見つづけ、真如の月のように、永久の愛も抱くことができるのでしょう。
西行さんの求めた愛は、まだ、辿りの入り口ですけれど、そんな純化された愛だったのだろうかと想像しています。
無知仁、無学仁には、西行さんの歌一つ理解するのも容易なことではなく、独り善がりの読み込みになってしまいますけれど、遙かなる夢を抱かせてくれるいい道標です。
鈍牛の歩みで、反芻しながら、道草のように、楽しんでいこうと思っています。
現し身は
求めぬものと
諦めし
光と陰に
君はいましき
現身は
現身のまま
遙かなる
愛求めむや
遊行時空に
散るさくらまた咲くを見ることやあれ 仁
身の老ひも
越えてこそ恋
昇華すと
夢に高めた
かの人を抱く
現し身は
求めぬものと
諦めし
光と陰に
君はいましき
夢に高めたお方がいらっしゃると、幻をゆらゆら楽しめますね。
そんなお方を相手に、和歌を詠み合える仲になれたら、至福の一つではないでしょうか。