慈しむ 寄せては返す 波のごと はらひはらへぬ 想ひ哀しも
哀しみの想ひうち寄す波なれど抱けば六根澄みわたりける
何一つ 契りなき恋 つらかろに それでも結ぶ この宙の夢
荒波の間に間に浮かぶ恋なれど映りし月の影に添いけり
遠い遠い筑後の鄙までお立ち寄りくださってありがとうございます。 乱調ご寛容ください。
すっかりご無沙汰しておりましたところ、ふいにお寄りしてみたくなりました。 慈しむ心のある処には、新しい路が開かれて参ります。 和み合う処には、美しい調べが流れることでしょう。
偲ぶ女性に人気の高い曲を、ご参考まで。 失礼になりましたら、どうぞこの身をお許し下さいませ。
http://www.youtube.com/watch?v=G0KgmNKyZHE&feature=related
私は特に雪の自然の美しさが大好きです。上記の画像スマッシングされ、素晴らしい。
650-393
自分の探求に恋しているのかもしれません・・・
こういう男性は多いですよね。 新しい出逢いが、、きっと待っていらっしゃることでしょう。 結構、お近くにいらっしゃるかもしれませんよ。 ガンバ!!!!!
S.Himeさん、交心ありがとうございます。
ええ、とっても抽象的で、難解な言葉遊びの世界なんですよ。 現実性を必要としない遊行時空のひとり遊びなんです。 ごめんなさいね。
遊行時空へ遊んでみようと思わなければ、絵空事です。 遊行時空へ遊んでみようと思えば、遊行時空のはじまりです。
凡愚仁は、ほとんど現実を渡り歩いていないので、ご指摘の通り、「経験不足」なんですよ。 その「経験不足」人間も、また、自分なりに、自分の世界を創りだし、自分の世界を遊ぶことができるんだ、という小さな人間の小さな世界の自足した遊びの発見なんです。
現実世界を夢も冒険も生々しく体験し、ドラマを演出していける人たちは、そんな世界を楽しめばいい。歴史は生々しい権力闘争の権謀術数の演出される反復でした。そして少数の権力者の欲望充足のために戦争が展開しつづけているんです。それが現実だという人たちがゐます。
老仁は、そんな現実を脱落してきました。 そんな現実を経験しようとは思いもしませんでした。なぜなら、無能無才の落ち零れだからです。
そんな落ち零れにも、命はちゃんと働いてくれて、三度のご飯を美味しく食べることができるし、花を好きになることができるし、怪我しても命はちゃんと治癒してくれるんです。 命にありがとうです。 命にありがとうと歓ぶ幸せに、 戦争で英雄になることも、大恋愛でドラマを体験することも、芥川文学賞の小説を読むことも、必要じゃありません。そんな大きな世界を体験してきた人にも、鄙で道草して遊んでいる愚仁にも、太陽の光は同じように降り注いでくれるんです。月明かりは私を包んで心を癒してくれるんです。
落ち零れ凡仁にも、自分に合った幸せな世界があるという発見は、嬉しかったんですよ。 何にもドラマがなくても、退屈もせず、活き活きと細胞が躍る喜びを、密かに楽しめるんです。
密かにひとり遊びを楽しんでいればいいのに、 BLOG世界に、しゃしゃり出て、一笑されてしまいますけれど・・・ ほとんどは、無視されて、通り過ぎるだけでしょうけれど・・・
でも、ときどき、こうして、立ち止まって、交心もらえると、それだけで、Happyです。 ありがとうございます。
寒の星こころはどこでも交差する 仁
現実感の薄い、なにか抽象的な言葉で難しい印象が残念ですね。 ジン様の経験不足から来ているような気がします。
ある作家の方が10人10色なんて、告白されていましたが体感を得たリアルな言葉。 ちょっと病的とは言いすぎですが、殿方は羨む方がいらっしゃるでしょうね。
チーさん、交心ありがとうございます。 共感がもらえて、ミラクルが起こったように、Happyです。
異時空の恍惚は、とうぜん、現世でも、恍惚でしょう。 異時空の恍惚は、魂の恍惚ですから、現世でも、魂は、同じ恍惚を、知っているんです。 だから、現世でも、魂で生きていこうと、念じています。
惜しむらくは、魂の地平は、観ることができず、触ることができず、舐めることもできませんので、ただただ、魂が共鳴、共振するだけです。
チーさんの共感もらって、 魂の地平がすこし実感できそうになってきました。 大いなる勇気をありがとうございます。
溶けてまた女真に戻る雪女 仁
>雪女郎抱けばみごとに溶けにけり
共感できるお句です。 ありがとうございます。
>心身を放つも落下冬の空 仁
素敵なお句の紹介をありがとうございます。
自己もなく、他己もなく、光と風が戯れる・・・ いのちが一つに解け合うような、男女の差をも超越してしまうような、老仁さまのご境涯を仰ぎ見る思いです。
私にはまだまだ宇宙愛に一歩も近づけていない、現実に対する執着があるよう苦しい時があります。自分をも、愛する相手をも、現実から離し夢にまで高めていく。その夢幻の世界に自分を心地よく縛り付けてしまえたら、どんなに楽になれるでしょうか。 きっと、まだ苦しみが足りないせいでしょうね。
百合庵さん、いつも交心ありがとうございます。
ほんとうにおはずかしい。世間が狭く、体験も浅い無知仁の観念論なのでしょうね。ほんとうにごめんなさい。独り善がりのひとり遊びです。 一衣一鉢を貫いた良寛さんでさえ、人恋しさを詠いつづけました。確かな肌触りがほしかったのでしょうね。そしてその肌触りに巡り会えた時、ほんとうに、良寛さんも、ただの人に戻ったのだと思います。70歳の恋です。 けれど、まだ若い美しい貞心尼さんに晒すものは老醜でした。無頓着、無心の良寛さんもたじろいだのではないかと思います。70歳で恋を生きることのむずかしさやつらさがありますよね。普通は、そのむずかしさ、つらさを超えられぬ壁として、引き下がってしまうのでしょう。 それを超えて、素直に、心の趣くままに恋のできる人は、おそらくセレブであったり、芸能人であったり、芸術家であったり、何か秀でたものをお持ちの人でしょう。相当の尊敬と信頼が成り立っているに違いないと、凡仁は思ってしまいます。 一休さんも、良寛さんも、奇特の才人です。チャップリンさんもピカソさんも屈指の芸術家です。自在自遊の生き方ができました。 人はそれぞれ、自分の生き方に見合った人と出会い、愛し合い、幸せに暮らすのでしょうね。自分の現実を受け容れ、その現実に見合った生き方をしていけば、いちばんしあわせにちがいないと思います。
どこで間違ったのでしょうね・・・いつからくるいはじめたのでしょうね・・・愚仁は、現実を回避してしまいました。観念肥大症になってしまったのでした。普通の恋ができなくなってしまったのです。なのに、恋ぐるい、愛ぐるいです。現実に通用しない恋ぐるいになってしまいました。 今は、愛浄土を生きているなんて宣伝して遊んでいます。 良寛さんと貞心尼さんの愛にも、TAOの愛を重ねて観てしまうのです。 一瞬一生。一期一会。 巡り会ってくれてありがとう。交心してくれてありがとう。この刹那を寄り添ってくれてありがとう。ありがとうが愛になってしまいました。
ごめんなさいね、百合庵さんのほんとうの愛に、女性の感性に触れない、無知な仁の、空虚な愛の話になってしまいました。 こんなところを独り善がりに生きてきましたから、ついに女性の感性についての理解や、女性を幸福感に導く優しさや配慮を、欠如したまま加齢に突入し、遊行期に逃亡してしまいました。恋愛経験に乏しく、女性の機微を知るやさしさもなく、なのに愛を追い求めるという矛盾を、今更ながら、知って愕然と致します。 けれど、ひとり遊びの楽しみとして、恋ぐるい、愛ぐるい、生ぐるいを捨てることもできません。遊行の特権のひとり遊びとして、遊ばせてやってくださいね。
良寛さんと貞心尼さんの相聞歌を辿り始めてもう二年近くなるのですけれど、 まだ、相聞歌の5つめくらいで止まっています。 良寛さんは、恋愛経験乏しいのに、どうして、貞心尼さんの心を捉えることができたのでしょうね。
ここからまたはじめてみようと思います。 いろいろご教示いただけるとHappyです。
★ 良寛貞心尼相聞歌 0401
――☆★☆―――――――――――――――☆★☆――
御かへし 良寛
夢の世にかつまどろみてゆめを又かたるも夢もそれがまにまに
★★★ 『 君にかくあひ見ることのうれしさもまださめやらぬ夢かとぞ思ふ 』 ★ 良寛貞心尼相聞歌 0301 へどうぞ!!! ♪♪♪ ♪♪♪ http://www.shashin-haiku.jp/node/43932 老仁
★★★ 『 夢の世にかつまどろみてゆめを又かたるも夢もそれがまにまに 』 ★ 良寛貞心尼相聞歌 0401 ♪♪♪ http://www.shashin-haiku.jp/node/43935 老仁
ほんとうにわがままな解釈で、老仁が真似のできるような相聞歌にしていこうと試みているのですけれど、暇な時に詠んでいただけるとHappyです。 次の歌に移る弾みにさせていただきたいと思います。
こんな鄙の日記に、訪問くださり、心までお分かちくださってありがとうございます。 またの訪問があればほんとうにHappyです。
愛に証は必要ない。そういい切れるでしょうか。 男性でいらっしゃる老仁さんには、まだ女性の感性といいましょうか、女性を幸福感に導く優しさが今ひとつ足りないと感じます。経験が希薄いらっしゃるような気がいたします。それは、少し残念ですね。女性を悦ばせることは、男性の本懐でもあるのではないでしょうか。確かな現実を、残してあげることは必要なことです。
そんな一つの考えがあってもいいでしょう。 情熱で我が身を埋め尽くせる時間など、短いものです。
互いの心の低さ、不安定、狂気、卑怯さ、ずるさ、哀れさ、それらを知る時間をかけた上で、 相手を認め、心の底から求める。その情熱は必ず冷めるけれど、互いをいたわり、慈しむことで 長く繋がっていける。会えぬ距離と時間の数が多ければ多いほど、互いの存在が澄んで、泉のように互いの愛情が日々湧き上がり、絶えることがない。
女性には、愛の証は必要と思います。 それはたとえ一言でも、いいのです。
そうですか、小鳥ちゃん、おはよ。烏さんも、おっはよ。お花っこも、おはよん。 いいですね。 仁も、おはよう挨拶と、 ありがとう、声かけ やっていますよ。
会えば、おはようですから、 夜になっても、おはようなんです。 あいさつがおはようなんです。 いつでも、どこでも、おはようでした。
へんじんあつかいされてきましたけれどね・・・ 変人よりもう一段おかしくなっているのが瘋癲です。ふうてんと読んでください。 痴人の愛だとか瘋癲老人とか谷崎さんに小説がありますけれど、瘋癲老仁は読んでいないんです。読んでいないけれど、そんなイメージでしょうか。昔は、色呆けという言い方していました。今は、呆け老人は使っていけない言葉だそうです。 呆け老人も、恍惚老人も、人が通る道だから、大切にする心があれば、 呆け老人でも、恍惚老人でも、使っていいのでしょうけれどね。 いつ自分がそうなるのかもわからないけれど、人は、呆け老人といって、忌み嫌い、差別するのですね。恍惚老人といって、邪魔者にするんですね。家族は大変ですけれどね・・・成果主義が蔓延った頃は差別もひどかったですからね。
老人になると呆け老人が身近になりますね。 愛おしくさえなってきます。 色ぐるいなんぞ、天使に戻っているのかもしれません。 空即是色。 命は色に染まるんです。 色呆け浄土を遊びましょうよと、遊んでいるのが、瘋癲老仁なんですよ。 今は、まだ、妄想域での遊びですけれど、・・・
そのうち・・・
小鳥さん、おはよう。 お花さん、ありがとう、 も、命に染まった空即是色でしょうね・・・
こんな瘋癲老仁にも声かけてもらえるとHappyですよ。
おはようの声出るが嬉し枯木立 仁
瘋癲
むつかしい字で、いくら調べてもわからんのでごぜぇます・・・ どうお読みするのでしょうか。すこし痴に似てるようで、ちがいますし。 小鳥ちゃん、おはよ。烏さんも、おっはよ。お花っこも、おはよん。 じっちゃんばっちゃん、おっはぁ~。と、挨拶の声がけを努めはじめてるので、 〇〇老仁さんにも、声をかけさせてもらえるお仲間に入れればと考慮したわけです。 ブレックファストも、OATミールにしようかしら、なんて、うふ。やば。
百合庵さん、いつも交心くださってありがとうございます。
いいえ、「高い理想の世界」といわれると、恥ずかしくなります。 凡仁の幼稚な絵空事の呟きです。 理想は、実現可能じゃないといけませんけれど、 現実を回避して、 空想なり、妄想なりして、 愚仁のできない世界のことも、いろいろ想像してみるんですよ。 無知仁が想像することですから、 言葉は大きいですけれど、 内容は、ただの願い事です。
でも、願い事ですけれど、 願い事を、想像の世界で遊ぶと、 心が和むんですよ。 細胞も、脳も、喜んでくれます。
余生は、遊行期に入りますから、 早目に、 心の遊びを覚えて、 観自在、 この世もあの世も越えて、 自由に往来できる世界を遊びたいと思っています。
無知ながら、 先人たちと遊んで、 すこしその真似をすると、 自分が少し豊かになったみたいで、 心地いいんですよ。
自分一人の遊びですけれど、 そんな真似遊びを共有しませんかという欲が出て、 語り合いできればと、 コミュなど作りましたけれど、
老仁の語りかけが、空疎なので、 共鳴、共振も、成り立たないようで、
呼びかけの声は、 人を通り越して、 銀河の外まで脱けてしまっているんです。
銀河を一回りして、 戻ってきた自分の語りかけを、 自分がもらって、 また、語りを積み重ねる楽しみも覚えました。
一人語りの、一人対話です。
老仁の遊行は、現実も、真実も、無縁のところで、遊びますから、 ほんとうに唯我独存、 一人の心の世界では、なんでもできるから、おもしろいですね。
百合庵さん、ありがとうございます。 こんなひとり遊びで、 脳も細胞も歓喜していますから、 まだ、10年は、生き存えて、楽しみたいと念じています。
またお寄りくださることがあれば、Happyです。
おやすみなさい。
雲の上に抜け出て遊ぶ十三夜 仁
高い理想の世界ですね。 コミュに、花や光が呼び合って、浄化されたいろいろな方が参加しお仲間が増えることでしょう。 まだまだ浄化できないので、私が入れるのは、来世かなぁ。今世は無理のようです。 ご長命とご発展を、祈らせていただきますね。
百合庵さん、おはようございます。
訪問とコメントありがとうございます。 稚拙で、未熟な愚仁のつぶやきをお聞きくださって感謝します。幾つになっても幼児性に甘え込んで遊んでいます。だから、ちっとも、世間に馴染めないし、通用もしません。鄙にいて、四畳半畑でごてづくりしながらの、妄想遊行三昧です。 そんなところですけれど、 また、時々、お訪ねくださいね。
老いるということは、語り友だちを欲しがるということのようです。
秋霜やひとこいしさに風の音 仁
ときおり訪問させていただいておりますが、老仁さまの理想は高すぎるようですね。 それだけ一般の方々以上の、たゆまない精進がおあり、それを実行され続けたがゆえの 長い長い年月を感じさせられます。崇高すぎてとても近寄りがたい世界ですが、尊敬いたしております。
yoshiyoshiさん、いつも交心ありがとうございます。 秋の暮れは毒ですね。 つい彼方を思慕してしまいますね。
そうですか、もう、彼方にはそんなに知人が増えましたか。懐かしい再開が楽しみですね。けれど、楽しみは後に延ばした方がいいですよ。いつでも行けるんですからね。行ったら、もう、戻りたくなくなるほどいい所なんでしょう。 こちらは、さびしすぎるし、つらいことも多すぎますけれど、さびしさ、つらさが人生の味わいでもあるのでしょうし、彼方にはもうそんな味わいなくなるのですから、生きもうけ、きょうのさびしさつらさを堪能するくらい味わいましょう。
色草のひとつひとつの恋しさよ 仁
我が夢の国に溢れる月の客 よし
こなたより彼方に知人の多かりき、 存外良き所なるかなと思うにしかず秋の暮れ。
ユニークな写真をグラフィックされていらっしゃるのですね。 これは今流行のだまし絵でしょうか。
こんにちは(^o^)仁さん。はじめて伺います。 いつも写真が大変素敵なのですが、今日の写真は一段と見事です。 コメントさせて戴きました。m(_ _)m
仁さん、おはようございます。 今日の新聞、良寛さまの歌。 「濁る世を 澄めともいはず 我なりに 澄まして見する 谷川の水」 濁りゆく世の流れをよそ目に、谷を流れる水はおのずから清らかに澄んで流れてゆくという。世の中の正しい道が、年々衰えてゆくありさまを憂うる内意が伏せられている。(全国良寛会) 今朝は晴れ間が見えています。 庭の木には雪の花、冬型のお天気はもう少し続きそうです。 1週間のはじまり・・・頑張ります(*´艸`)
全国の新聞に、5月3日の憲法記念日に「非武装・不戦の憲法を変えさせない」意見広告を掲載する運動をしている市民グループのボランティアです。 そこへ載せる、九条を歌った短歌を募集しています。 ご連絡くださるとありがたいのですが。 「市民意見広告運動」http://www.ikenkoukoku.jp/です。
海光る見下ろす藪に笹子かな よし
慈しむ
寄せては返す
波のごと
はらひはらへぬ
想ひ哀しも
哀しみの想ひうち寄す波なれど抱けば六根澄みわたりける
何一つ
契りなき恋
つらかろに
それでも結ぶ
この宙の夢
荒波の間に間に浮かぶ恋なれど映りし月の影に添いけり
遠い遠い筑後の鄙までお立ち寄りくださってありがとうございます。
乱調ご寛容ください。
慈しむ
寄せては返す
波のごと
はらひはらへぬ
想ひ哀しも
何一つ
契りなき恋
つらかろに
それでも結ぶ
この宙の夢
すっかりご無沙汰しておりましたところ、ふいにお寄りしてみたくなりました。
慈しむ心のある処には、新しい路が開かれて参ります。
和み合う処には、美しい調べが流れることでしょう。
偲ぶ女性に人気の高い曲を、ご参考まで。
失礼になりましたら、どうぞこの身をお許し下さいませ。
http://www.youtube.com/watch?v=G0KgmNKyZHE&feature=related
私は特に雪の自然の美しさが大好きです。上記の画像スマッシングされ、素晴らしい。
650-393
自分の探求に恋しているのかもしれません・・・
こういう男性は多いですよね。
新しい出逢いが、、きっと待っていらっしゃることでしょう。
結構、お近くにいらっしゃるかもしれませんよ。
ガンバ!!!!!
S.Himeさん、交心ありがとうございます。
ええ、とっても抽象的で、難解な言葉遊びの世界なんですよ。
現実性を必要としない遊行時空のひとり遊びなんです。
ごめんなさいね。
遊行時空へ遊んでみようと思わなければ、絵空事です。
遊行時空へ遊んでみようと思えば、遊行時空のはじまりです。
凡愚仁は、ほとんど現実を渡り歩いていないので、ご指摘の通り、「経験不足」なんですよ。
その「経験不足」人間も、また、自分なりに、自分の世界を創りだし、自分の世界を遊ぶことができるんだ、という小さな人間の小さな世界の自足した遊びの発見なんです。
現実世界を夢も冒険も生々しく体験し、ドラマを演出していける人たちは、そんな世界を楽しめばいい。歴史は生々しい権力闘争の権謀術数の演出される反復でした。そして少数の権力者の欲望充足のために戦争が展開しつづけているんです。それが現実だという人たちがゐます。
老仁は、そんな現実を脱落してきました。
そんな現実を経験しようとは思いもしませんでした。なぜなら、無能無才の落ち零れだからです。
そんな落ち零れにも、命はちゃんと働いてくれて、三度のご飯を美味しく食べることができるし、花を好きになることができるし、怪我しても命はちゃんと治癒してくれるんです。
命にありがとうです。
命にありがとうと歓ぶ幸せに、
戦争で英雄になることも、大恋愛でドラマを体験することも、芥川文学賞の小説を読むことも、必要じゃありません。そんな大きな世界を体験してきた人にも、鄙で道草して遊んでいる愚仁にも、太陽の光は同じように降り注いでくれるんです。月明かりは私を包んで心を癒してくれるんです。
落ち零れ凡仁にも、自分に合った幸せな世界があるという発見は、嬉しかったんですよ。
何にもドラマがなくても、退屈もせず、活き活きと細胞が躍る喜びを、密かに楽しめるんです。
密かにひとり遊びを楽しんでいればいいのに、
BLOG世界に、しゃしゃり出て、一笑されてしまいますけれど・・・
ほとんどは、無視されて、通り過ぎるだけでしょうけれど・・・
でも、ときどき、こうして、立ち止まって、交心もらえると、それだけで、Happyです。
ありがとうございます。
寒の星こころはどこでも交差する 仁
現実感の薄い、なにか抽象的な言葉で難しい印象が残念ですね。
ジン様の経験不足から来ているような気がします。
ある作家の方が10人10色なんて、告白されていましたが体感を得たリアルな言葉。
ちょっと病的とは言いすぎですが、殿方は羨む方がいらっしゃるでしょうね。
チーさん、交心ありがとうございます。
共感がもらえて、ミラクルが起こったように、Happyです。
異時空の恍惚は、とうぜん、現世でも、恍惚でしょう。
異時空の恍惚は、魂の恍惚ですから、現世でも、魂は、同じ恍惚を、知っているんです。
だから、現世でも、魂で生きていこうと、念じています。
惜しむらくは、魂の地平は、観ることができず、触ることができず、舐めることもできませんので、ただただ、魂が共鳴、共振するだけです。
チーさんの共感もらって、
魂の地平がすこし実感できそうになってきました。
大いなる勇気をありがとうございます。
溶けてまた女真に戻る雪女 仁
>雪女郎抱けばみごとに溶けにけり
共感できるお句です。
ありがとうございます。
>心身を放つも落下冬の空 仁
素敵なお句の紹介をありがとうございます。
自己もなく、他己もなく、光と風が戯れる・・・
いのちが一つに解け合うような、男女の差をも超越してしまうような、老仁さまのご境涯を仰ぎ見る思いです。
私にはまだまだ宇宙愛に一歩も近づけていない、現実に対する執着があるよう苦しい時があります。自分をも、愛する相手をも、現実から離し夢にまで高めていく。その夢幻の世界に自分を心地よく縛り付けてしまえたら、どんなに楽になれるでしょうか。 きっと、まだ苦しみが足りないせいでしょうね。
百合庵さん、いつも交心ありがとうございます。
ほんとうにおはずかしい。世間が狭く、体験も浅い無知仁の観念論なのでしょうね。ほんとうにごめんなさい。独り善がりのひとり遊びです。
一衣一鉢を貫いた良寛さんでさえ、人恋しさを詠いつづけました。確かな肌触りがほしかったのでしょうね。そしてその肌触りに巡り会えた時、ほんとうに、良寛さんも、ただの人に戻ったのだと思います。70歳の恋です。
けれど、まだ若い美しい貞心尼さんに晒すものは老醜でした。無頓着、無心の良寛さんもたじろいだのではないかと思います。70歳で恋を生きることのむずかしさやつらさがありますよね。普通は、そのむずかしさ、つらさを超えられぬ壁として、引き下がってしまうのでしょう。
それを超えて、素直に、心の趣くままに恋のできる人は、おそらくセレブであったり、芸能人であったり、芸術家であったり、何か秀でたものをお持ちの人でしょう。相当の尊敬と信頼が成り立っているに違いないと、凡仁は思ってしまいます。
一休さんも、良寛さんも、奇特の才人です。チャップリンさんもピカソさんも屈指の芸術家です。自在自遊の生き方ができました。
人はそれぞれ、自分の生き方に見合った人と出会い、愛し合い、幸せに暮らすのでしょうね。自分の現実を受け容れ、その現実に見合った生き方をしていけば、いちばんしあわせにちがいないと思います。
どこで間違ったのでしょうね・・・いつからくるいはじめたのでしょうね・・・愚仁は、現実を回避してしまいました。観念肥大症になってしまったのでした。普通の恋ができなくなってしまったのです。なのに、恋ぐるい、愛ぐるいです。現実に通用しない恋ぐるいになってしまいました。
今は、愛浄土を生きているなんて宣伝して遊んでいます。
良寛さんと貞心尼さんの愛にも、TAOの愛を重ねて観てしまうのです。
一瞬一生。一期一会。
巡り会ってくれてありがとう。交心してくれてありがとう。この刹那を寄り添ってくれてありがとう。ありがとうが愛になってしまいました。
ごめんなさいね、百合庵さんのほんとうの愛に、女性の感性に触れない、無知な仁の、空虚な愛の話になってしまいました。
こんなところを独り善がりに生きてきましたから、ついに女性の感性についての理解や、女性を幸福感に導く優しさや配慮を、欠如したまま加齢に突入し、遊行期に逃亡してしまいました。恋愛経験に乏しく、女性の機微を知るやさしさもなく、なのに愛を追い求めるという矛盾を、今更ながら、知って愕然と致します。
けれど、ひとり遊びの楽しみとして、恋ぐるい、愛ぐるい、生ぐるいを捨てることもできません。遊行の特権のひとり遊びとして、遊ばせてやってくださいね。
良寛さんと貞心尼さんの相聞歌を辿り始めてもう二年近くなるのですけれど、
まだ、相聞歌の5つめくらいで止まっています。
良寛さんは、恋愛経験乏しいのに、どうして、貞心尼さんの心を捉えることができたのでしょうね。
ここからまたはじめてみようと思います。
いろいろご教示いただけるとHappyです。
★ 良寛貞心尼相聞歌 0401
――☆★☆―――――――――――――――☆★☆――
御かへし 良寛
夢の世にかつまどろみてゆめを又かたるも夢もそれがまにまに
――☆★☆―――――――――――――――☆★☆――
★★★ 『 君にかくあひ見ることのうれしさもまださめやらぬ夢かとぞ思ふ 』 ★ 良寛貞心尼相聞歌 0301 へどうぞ!!! ♪♪♪
♪♪♪ http://www.shashin-haiku.jp/node/43932 老仁
★★★ 『 夢の世にかつまどろみてゆめを又かたるも夢もそれがまにまに 』 ★ 良寛貞心尼相聞歌 0401
♪♪♪ http://www.shashin-haiku.jp/node/43935 老仁
ほんとうにわがままな解釈で、老仁が真似のできるような相聞歌にしていこうと試みているのですけれど、暇な時に詠んでいただけるとHappyです。
次の歌に移る弾みにさせていただきたいと思います。
こんな鄙の日記に、訪問くださり、心までお分かちくださってありがとうございます。
またの訪問があればほんとうにHappyです。
愛に証は必要ない。そういい切れるでしょうか。
男性でいらっしゃる老仁さんには、まだ女性の感性といいましょうか、女性を幸福感に導く優しさが今ひとつ足りないと感じます。経験が希薄いらっしゃるような気がいたします。それは、少し残念ですね。女性を悦ばせることは、男性の本懐でもあるのではないでしょうか。確かな現実を、残してあげることは必要なことです。
そんな一つの考えがあってもいいでしょう。
情熱で我が身を埋め尽くせる時間など、短いものです。
互いの心の低さ、不安定、狂気、卑怯さ、ずるさ、哀れさ、それらを知る時間をかけた上で、
相手を認め、心の底から求める。その情熱は必ず冷めるけれど、互いをいたわり、慈しむことで
長く繋がっていける。会えぬ距離と時間の数が多ければ多いほど、互いの存在が澄んで、泉のように互いの愛情が日々湧き上がり、絶えることがない。
女性には、愛の証は必要と思います。
それはたとえ一言でも、いいのです。
百合庵さん、いつも交心ありがとうございます。
そうですか、小鳥ちゃん、おはよ。烏さんも、おっはよ。お花っこも、おはよん。
いいですね。
仁も、おはよう挨拶と、
ありがとう、声かけ
やっていますよ。
会えば、おはようですから、
夜になっても、おはようなんです。
あいさつがおはようなんです。
いつでも、どこでも、おはようでした。
へんじんあつかいされてきましたけれどね・・・
変人よりもう一段おかしくなっているのが瘋癲です。ふうてんと読んでください。
痴人の愛だとか瘋癲老人とか谷崎さんに小説がありますけれど、瘋癲老仁は読んでいないんです。読んでいないけれど、そんなイメージでしょうか。昔は、色呆けという言い方していました。今は、呆け老人は使っていけない言葉だそうです。
呆け老人も、恍惚老人も、人が通る道だから、大切にする心があれば、
呆け老人でも、恍惚老人でも、使っていいのでしょうけれどね。
いつ自分がそうなるのかもわからないけれど、人は、呆け老人といって、忌み嫌い、差別するのですね。恍惚老人といって、邪魔者にするんですね。家族は大変ですけれどね・・・成果主義が蔓延った頃は差別もひどかったですからね。
老人になると呆け老人が身近になりますね。
愛おしくさえなってきます。
色ぐるいなんぞ、天使に戻っているのかもしれません。
空即是色。
命は色に染まるんです。
色呆け浄土を遊びましょうよと、遊んでいるのが、瘋癲老仁なんですよ。
今は、まだ、妄想域での遊びですけれど、・・・
そのうち・・・
小鳥さん、おはよう。
お花さん、ありがとう、
も、命に染まった空即是色でしょうね・・・
こんな瘋癲老仁にも声かけてもらえるとHappyですよ。
おはようの声出るが嬉し枯木立 仁
瘋癲
むつかしい字で、いくら調べてもわからんのでごぜぇます・・・
どうお読みするのでしょうか。すこし痴に似てるようで、ちがいますし。
小鳥ちゃん、おはよ。烏さんも、おっはよ。お花っこも、おはよん。
じっちゃんばっちゃん、おっはぁ~。と、挨拶の声がけを努めはじめてるので、
〇〇老仁さんにも、声をかけさせてもらえるお仲間に入れればと考慮したわけです。
ブレックファストも、OATミールにしようかしら、なんて、うふ。やば。
百合庵さん、いつも交心くださってありがとうございます。
いいえ、「高い理想の世界」といわれると、恥ずかしくなります。
凡仁の幼稚な絵空事の呟きです。
理想は、実現可能じゃないといけませんけれど、
現実を回避して、
空想なり、妄想なりして、
愚仁のできない世界のことも、いろいろ想像してみるんですよ。
無知仁が想像することですから、
言葉は大きいですけれど、
内容は、ただの願い事です。
でも、願い事ですけれど、
願い事を、想像の世界で遊ぶと、
心が和むんですよ。
細胞も、脳も、喜んでくれます。
余生は、遊行期に入りますから、
早目に、
心の遊びを覚えて、
観自在、
この世もあの世も越えて、
自由に往来できる世界を遊びたいと思っています。
無知ながら、
先人たちと遊んで、
すこしその真似をすると、
自分が少し豊かになったみたいで、
心地いいんですよ。
自分一人の遊びですけれど、
そんな真似遊びを共有しませんかという欲が出て、
語り合いできればと、
コミュなど作りましたけれど、
老仁の語りかけが、空疎なので、
共鳴、共振も、成り立たないようで、
呼びかけの声は、
人を通り越して、
銀河の外まで脱けてしまっているんです。
銀河を一回りして、
戻ってきた自分の語りかけを、
自分がもらって、
また、語りを積み重ねる楽しみも覚えました。
一人語りの、一人対話です。
老仁の遊行は、現実も、真実も、無縁のところで、遊びますから、
ほんとうに唯我独存、
一人の心の世界では、なんでもできるから、おもしろいですね。
百合庵さん、ありがとうございます。
こんなひとり遊びで、
脳も細胞も歓喜していますから、
まだ、10年は、生き存えて、楽しみたいと念じています。
またお寄りくださることがあれば、Happyです。
おやすみなさい。
雲の上に抜け出て遊ぶ十三夜 仁
高い理想の世界ですね。
コミュに、花や光が呼び合って、浄化されたいろいろな方が参加しお仲間が増えることでしょう。
まだまだ浄化できないので、私が入れるのは、来世かなぁ。今世は無理のようです。
ご長命とご発展を、祈らせていただきますね。
百合庵さん、おはようございます。
訪問とコメントありがとうございます。
稚拙で、未熟な愚仁のつぶやきをお聞きくださって感謝します。幾つになっても幼児性に甘え込んで遊んでいます。だから、ちっとも、世間に馴染めないし、通用もしません。鄙にいて、四畳半畑でごてづくりしながらの、妄想遊行三昧です。
そんなところですけれど、
また、時々、お訪ねくださいね。
老いるということは、語り友だちを欲しがるということのようです。
秋霜やひとこいしさに風の音 仁
ときおり訪問させていただいておりますが、老仁さまの理想は高すぎるようですね。
それだけ一般の方々以上の、たゆまない精進がおあり、それを実行され続けたがゆえの
長い長い年月を感じさせられます。崇高すぎてとても近寄りがたい世界ですが、尊敬いたしております。
yoshiyoshiさん、いつも交心ありがとうございます。
秋の暮れは毒ですね。
つい彼方を思慕してしまいますね。
そうですか、もう、彼方にはそんなに知人が増えましたか。懐かしい再開が楽しみですね。けれど、楽しみは後に延ばした方がいいですよ。いつでも行けるんですからね。行ったら、もう、戻りたくなくなるほどいい所なんでしょう。
こちらは、さびしすぎるし、つらいことも多すぎますけれど、さびしさ、つらさが人生の味わいでもあるのでしょうし、彼方にはもうそんな味わいなくなるのですから、生きもうけ、きょうのさびしさつらさを堪能するくらい味わいましょう。
色草のひとつひとつの恋しさよ 仁
我が夢の国に溢れる月の客 よし
こなたより彼方に知人の多かりき、
存外良き所なるかなと思うにしかず秋の暮れ。
ユニークな写真をグラフィックされていらっしゃるのですね。
これは今流行のだまし絵でしょうか。
こんにちは(^o^)仁さん。はじめて伺います。
いつも写真が大変素敵なのですが、今日の写真は一段と見事です。
コメントさせて戴きました。m(_ _)m
仁さん、おはようございます。
今日の新聞、良寛さまの歌。
「濁る世を 澄めともいはず 我なりに 澄まして見する 谷川の水」
濁りゆく世の流れをよそ目に、谷を流れる水はおのずから清らかに澄んで流れてゆくという。世の中の正しい道が、年々衰えてゆくありさまを憂うる内意が伏せられている。(全国良寛会)
今朝は晴れ間が見えています。
庭の木には雪の花、冬型のお天気はもう少し続きそうです。
1週間のはじまり・・・頑張ります(*´艸`)
全国の新聞に、5月3日の憲法記念日に「非武装・不戦の憲法を変えさせない」意見広告を掲載する運動をしている市民グループのボランティアです。
そこへ載せる、九条を歌った短歌を募集しています。
ご連絡くださるとありがたいのですが。
「市民意見広告運動」http://www.ikenkoukoku.jp/です。
海光る見下ろす藪に笹子かな よし