2010年02月07日
ものの芽のごとく歓喜に身を充たせ
★。・。・゜♪゜・。・。★ 西行さんを遊ぶ ★。・。・゜♪゜・。・。★

★ 西行さんを遊ぶ10y020601
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ものの芽のごとく歓喜に身を充たせ
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かげさえてまことに月のあかき夜は心も空にうかれてぞすむ 西行
【 仁訳 】
月影が煌々と照り映えて、
静に世界が開かれているようだよ。
その開かれた澄んだ世界へ、浮かれ出て、
心も華やぎ、ときめいてくるよ。
月影はわたしの心の中の忍ぶ恋を誘い出してくれるんだね。
月をみて心うかれしいにしへのあきにもさらにめぐりあひぬる 西行
西行さんの<浮かれる心>に関心を持って、西行さん入門です。
学究の徒ではありませんので、わがまま、遊行読みで、老仁の<浮かれる心>を開いていく契機として、の西行さん入門です。
★★★ 西行さんを遊ぶ10z013001★『 冬の月遊行の道の広さかな 』 へどうぞ!!! ★★★
青年の頃に、月を見て「浮かれ」ました。
悟りに近づいて、また、月に「浮かれ」る心が、起こってきました。
二つの「浮かれ」る心の変貌を辿ってみたいと思います。
全体像はまったく無知ですから、
たまたま巡り会った歌や解説を通して、辿っていくことになりますから、くりかえしますけれど、老仁のひとり遊びの遊行時空のシミュレーションか、模擬舞台のようなものです。真偽是非は、全く頓着しません。
かげさえてまことに月のあかき夜は心も空にうかれてぞすむ 西行
西行さんのいつの頃の作品なのかも知らないのですけれど、
だからわがまま読みしかできないのですけれど、
この「うかれ」に、恋を読み込んでみます。
この歌も、初心の青年の浮かれと、成熟の受かれと、二つとも読み込むことができますけれど、青年期の初心の浮かれとして読みます。
月明かりの美しい夜は、誰だって、心切なくなるでしょう。恋人がいてもいなくても、人恋の情が募っていくのが自然の情緒でしょうね。
この月の感動を誰かと語り合い、分かち合いたい。
今独りでいることの寂しさが心を切なくしていきます。
それが恋のはじまりでしょう。
そしてはじまりは、月に恋をする形をとっていくのでしょう。
もちろん、花であってもいいし、光景であってもいいし、想い出の品であってもいいのです。西行さんは風雅の伝統の中で、月と花に、その恋のはじまりをみようとしていったのかもしれません。
ものの芽のごとく歓喜に身を充たせ 仁
けれど、西行さんは、出家した人ですから、月に「浮かれる」心は、凡愚仁のように、単純に恋にのぼせあがって、浮き浮きする様なものではないでしょう。「浮かれ」の裏には、挫折や絶望や苦悩といった「憂かれ」が重なっているのでしょう。
凡愚仁は、恋したら、もう素直に、その人のことしか考えないし、見ようとしないでしょう。見えるもの、触れることのできるもの、色や匂いや趣味や、そんな具体的なものがないと恋心が満たされず、空しくなっていくのでしょうね。
西行さんは、その逆に、虚しさの中に、虚しさを越える恋を創りだそうとしているようです。ほんとうの恋を探しているのでしょう。
自分が命をかけても惜しくない恋をするという自分の探求に恋しているのかもしれません。
「心も空にうかれてぞすむ」という解釈をどうするかで、いろいろ考えられますけれど、
恋しているから、浮き浮き浮かれている、喜んでいる。そんな自分を、心も、喜んでいる。この恋は、この月のように澄んだ、清らかな、明るい恋なんだ。これこそ本ものの恋だよ。そう自分に言い聞かせているようです。
心から心にものを思はせて身を苦しむるわが身なりけり 西行
普通の恋は、ただ「身を苦しむる」だけの恋に終わり、また、新しい恋をはじめては、身を苦しめて行くのでしょう。
西行さん、青春ど真ん中の、恋として、読んでみました。
心から心にこころあそばせて身を歓ばす遊行なりけり 仁
★。・。・゜♪゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★。・。・゜♪゜・。・。★
★★★ 『 芸猫よ芸見せ奔れ雪の上 』 ★ 交心俳句10y020603 へどうぞ!!! ★★★
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自分の探求に恋しているのかもしれません・・・
こういう男性は多いですよね。
新しい出逢いが、、きっと待っていらっしゃることでしょう。
結構、お近くにいらっしゃるかもしれませんよ。
ガンバ!!!!!
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