2010年02月09日

公魚釣り(shin)


水底に光る魚影右左

 
 
 
 
 
     冬ざれや生きて騒げる魚籠の中     鷹羽狩行  
 
 
捕まってしまった魚は、やがて死ぬ運命だ。
口や鰓を動かし、尾で空を叩き、断末魔のもがきをする。  

魚を獲って食べるという日常の中に、人間の暮らしがある。
それはいつも殺生の場である。
作者の眼はそこに向いている。

上五の冬ざれは、季節を指すだけではない。
人が生きるということの荒涼たる実相を暗示している。
殺すから生きられる。
生きるということの罪深さ。
そこに救いは無い。
必ず殺さねば、自分の食べ物が確保できない。
このつらさが「冬ざれ」の背景になっている。  

現世利益を求める宗教的祈りは、内情を吟味すれば経済の問題である。
生活苦を中心とした人間社会の内部の苦悩を、神仏への祈りに転嫁している場合が多い。

しかし、この句のテーマは、経済では解けない。
人間の生存の外側の問題である。
それでも人間は悩み、苦しむのである。
なぜか。

それは人間をはじめ、「生きとし生きるモノ達」との間で、「いのちの共感」を「共振」するからなのである。

2010年02月09日 »

おはようございます。
大きな公魚釣り場があるのですね。
テレビで氷上で穴を開けて吊っているのを見たことがありますが・・・。
あれも、公魚釣りでしたっけ?。
「いのちの共感」。重い言葉ですね。

ヒコさん、ありがとうございます。
  氷に穴を開けて、糸を垂らして釣るのも公魚釣りですね。
  こちらでも、山の湖では厚い氷が張ると
  いたるところで見られる風景です。
  氷の張らない湖でも、公魚釣りは盛んです。
  きれいな水で育った公魚を釣って、揚げて食べると美味しいですよね。

名句鑑賞の深い味わいにいつも感銘深く拝見しております。

人間を含めてアミーバーに至るまで獲物の命を奪って暮らしております。
これは生存に不可欠な業なのでしょう。
もはや罪悪を越えた行為と言うべきでしょう。
人はそれを償う術を知りません。
わずかにアイヌのイヨマンテにわずかな救いを見いだす思いがします。
miwa

miwaさん、ありがとうございます。
  殺して喰って生きる、この罪深い連鎖から解き放たれるには、
  自分自身が喰う事を止めるしかないのでしょうか。
  

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