2010年02月09日

憂き世をば浮き世と遊べ花は散れ

 



★。・。・゜♪゜・。・。★ 遊行俳句 ★。・。・゜♪゜・。・。★




★ 遊行俳句10y02090101


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憂き世をば浮き世と遊べ花は散れ


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 世を捨つる人はまことに捨つるかは捨てぬ人こそ捨つるなりけれ   西行



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 世を捨てた西行さんの一面を見てきました。
 
 その一面に、「憂かれ」への転落を見たのですけれど、
 もし「浮かれ」の波で西行さんが宮廷文化に受け容れられていたら、西行さんの歌道はどうなっていたのでしょうね・・・おそらく、「浮かれ」のまんま、一冬、二冬は越せるけれども、三度の冬には、涸れてしまったのかもしれません。
 「上﨟女房」の非情が、あるいは西行への無意識の深い愛が、西行を歌道の花道へ誘ったといえるでしょう。


 初心の「憂かれ」は、「失恋」という挫折、あるいは苦悩に過ぎません。青年に共通する苦悩はわかりやすく、共鳴、共有されていくでしょうけれど、また次の浅い恋の巡り会いで、解消して「浮かれ」が、反復するのです。
 それが浮世の習いなんですね。
 今世は、もう、深みは忘却の淵に沈み込んでしまっているのではないかと思ってしまうような短小軽佻な関係が現象を占有してしまっているようです。



 憂き世をば浮き世と遊べ花は散れ   仁



 西行さんの初期の「憂かれ」を少し覗いてみたくなりました。



 西行月の歌006 花ちらで月はくもらぬ世なりせば物を思はぬわが身ならまし
 


 「花ちらで月はくもらぬ世」であったなら、こんなにも狂おしく「物を思わぬ」わが身でいることができたのに・・・というのでしょうか。
 まるで中学生の作文のようですね。
 老仁も中学生のように素直な心でおつき合いしていきますね。



 凡愚仁遊ぶ楽土も花咲きぬ   仁



 うらうらと死なむずるなと思ひ解けば心のやがてさぞと答ふる   西行



 挫折の中で、青春の門である死と向き合うことにもなるんですね。
 この向き合い方いかんで、自己実現の道筋は、大きく二つに分かれます。
 成果主義か、出家遁世か。
 仁義の道か、無為自然の道か。



 存えてまた巡り会う散る桜   仁



 西行さんは、賢明にも、無為自然の道を決断したのでした。
 
 この決断の位相は、良寛さんと類似しているのかもしれません。
 けれど、器質的に、人格的に、まるで異なる世界を創造していくのですね。



  心から心にものを思はせて身を苦しむるわが身なりけり   西行



  今日の苦も花と散りゆけ愛楽土   仁



  苦しみの度重なれば苦しみの古巣の月に映り初めけり   仁

★。・。・゜♪゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★。・。・゜♪゜・。・。★



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