2010年02月03日
節分【青
節分や嫁入るときは角隠し 青萄
◆◇今朝ほど某俳句番組のバックナンバーを見て、少々驚いたことがあって・・またつまらないことを書きます。ちなみに私はTV放送は見ておりませんでした。
◆◇(1/31発表で)3席になっていた句と、私が以前(1/22)にUPしていた句が似ているような気がしたのです(;^_^A 投稿の締め切り期日からいって、青萄の句が後から出たわけですが。
老ひ母の指さすかなた寒オリオン 青萄
◆◇この句↑には幢舟さまの「しりとり五七五」(09/12/16)でヒントになったベースの句がありました。
指を組むきみの瞳に冬銀河 (青萄) → 聖人の杖さす方や冬北斗 (幢舟)
◆◇3席に入っていた句↓
銅像の指差すかなた寒北斗
◆◇微妙に似ているような気がしたのですが、句の深みが違いますわね、ごめんなさい(笑)・・このように類似句というのは、巷にどれほどあるものなのでしょう、と。私のような初心者は、若干怖気づいてきました。
◆◇どこかに月に一度、一句なりとも投稿したいと思っていたのですが、今のところブログ更新だけで力尽き、なかなかできていません。がんばらないと・・ (。-艸-)
2010年01月21日
草の絮*青
飛び立つもとどまるも佳し 草の絮 青萄
(タンポポの絮↑’草の絮’は秋の季語ですけれども、今こうして在りますから仕方がありません^^;)
* * * * * * *
最近とみに40代・50代・60代の方の、突然の訃報を聞くようになりました。それだけ中堅どころが、重荷や過度のストレスを負っているということかもしれません。
今日(21日)の『クローズアップ現代』では、〔’助けて’と言えない30代〕がテーマでしたね。彼らには高いプライドがあり、自己責任・自己完結という潔い指向性があるのです。また傷つきやすく、ナイーブに育てられてきたのでしょう。
自分が30才の時はどうだっただろうか。結婚していて子供が二人、ただ残念ながら親には死なれてしまった・・今振り返れば精神的には子どものようでした。
死ぬときは箸置くやうに草の花 小川軽州
お気に入りの句が↑何度も頭に浮かんできました。ありがとう、もうたくさん頂きました、ごちそうさまでした、と威儀を正して静かに箸を置くように・・。また「草の花」という季語には、(目立たない好ましさや)穏やかな静謐を感じます。
この句のような心境で死に向えたらいいだろうなぁ、と思います。が、修行がぜんぜん足りません(笑)
「われ以外皆わが師」という言葉を、仕事帰りに遠い所を訪ねてくれた30才の彼ら(長男の元同級生たち)の笑顔に、しみじみ感じました。30才は30才の、既にそれぞれの’完成美’を持っているものなのだ、と。
2009年12月04日
備忘句(青
2009年10月12日
秋味(青
秋味のにほひを連れて母帰る 青萄
★私は子供の頃は北海道で育ちましたので、母は近くの水産加工工場へ働きに行っていました。向うでは鮭のことを秋味と言っていましたね。大きくなるまで、アキアジがシャケとは知りませんでした。そんな母は仕事柄、魚のにおいが体にしみ付いていました・・。
★工場では燻製なども作っていました。アキアジの燻製は、本当に甘くて柔らかくて香ばしく、美味しかったです。お金持ちの人のところに売られていく高価な商品です。幾ら毎日それを扱っているにしても、とても貧乏人の口に入るわけがありません。でもたま~に、お土産でいただいて、ほんの少し食べれたことがありました。普段はオオナゴの燻製の仕事が多かったようです。これは安価でしたので、規格外のものなどは、社長が気前良く、従業員に分けてくれることもありました。それで、比較的食べる機会がありましたね。あまり好きではなかったですが( ´艸`)
★燻製の匂いのする母が、夕方仕事先の工場から、綿のように疲れて帰ってくる姿を思い出しました。私は(気が向けばですが^^)、夕ご飯を作って待っている事もありましたよ。写真↑は香りの良い金木犀の花です、’匂い’つながりですが、そういえば秋味の燻製の色にも似ていますね(笑) 華麗なキングサーモンと違って、アキアジは小ぶりで身が引き締まり、’和’の雰囲気がします。
俳句→
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2009年07月24日
ねぶの花・西施(青
合歓の花は・・中国の絶世の美女’西施’の喩え?
合歓の花を見上げるとき、脳裏に必ず浮ぶのはこの句↓です。
象潟や雨に西施がねぶの花 松尾芭蕉
(きさがたや あめにせいしがねぶのはな)
’ねぶの花’は合歓の花の別名で、芭蕉、象潟での作。
象潟(きさがた)はかつて(江戸時代の頃までは)、松島と並ぶ奥羽での名所・景勝地でした。現在の秋田県にかほ市(旧由利郡象潟町)で、「東の松島 西の象潟」と呼ばれていたそうです。
中国の政治家・詩人・書家である蘇軾(そしょく)= 蘇東坡(そとうば)が、西湖を西施に比した詩「 湖上ニ 飲ム 初メ 晴レ 後雨フル 」と詠んだのを踏まえて、芭蕉は象潟を西施に比したというのです。
西施についてはご存知の方も多いと思いますが、以下、山本健吉氏の鑑賞文より引用↓いたします。。
西施は呉(ご)王・夫差(ふさ)に敗れた越(えつ)王・勾践(こうせん)が、中国第一の美女として夫差に献じた女で、政略から敵地へ送られた「憂悶(ゆうもん)の女」である。心(むね)を病んで、面(おもて)を顰(しか)めたさまが美しかったので、国中の女が争ってこれに倣い、「西施の顰(ひん)」という故事が生まれた。
’西施がねぶの花’は、’西施が眠り’をかけているので、それに薄幸の美女が、憂い顔になかば眼を閉じたさまを想い描いて、それを象潟の雨景に比しているのである。
この句はまず、朦朧とけぶる象潟の全景であり、その中から「暗中模索」して雨中に眠る合歓の花を点出し、さらに胸裏に西施の憂悶の姿を描き出す。
テニヲハの魔術で、’象潟’ ’雨’ ’西施’ ’合歓の花’の四つのイメージを組み合わせた、
モザイク的、技巧的な作品である。四つのイメージは、リアリティの上で、おのずから濃淡の絵様(えよう)をかたちづくっている。
* * * * * *
どれほどの美人であったのでしょうか、合歓の花を見ながら西施を想像してみましょう。芭蕉の句から、もう私には、このお花は西施以外ではありえないと思うほどに、西施に見えてくるのが不思議です。
一方、このような句↓も目に致しました。
日本に小野小町や合歓の花 辰巳あした
合歓の花にわざわざ中国の美女を持って来なくても、日本にも有名な美女はいたではないかというのです。芭蕉句を念頭においての作、といわれておりますが・・。
楚々として小造りな小野小町では、華麗で派手な印象の合歓の花、イメージが重なってきません。あらためて芭蕉さんの美的感覚は、鋭くて凄かったのだなぁと感じたのでした。
当時とは様変わりしているだろう「象潟」、でも一度行ってみたい、という気持ちにさせられます。キサガタ→キサナドゥ(幻想的な場所)に語感が似ているのも、妙に気になるのでした (゚艸゚*)
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ちなみに合歓の花のお写真ですが、昨年’ブログ先輩のkenさま’よりお借りしていたものがございましたので、ご了承を得て再登場していただくことになりました。
素敵な写真のおかげで、雨の向うに俯いているような西施が、仄かに見えてくる気がします。なお、画像表示↓が非常に不安定で、別の画像に入れ替わっている時がございますので、お許しくださいませ。しばらくすると元に戻る場合があります(笑)
ねぶの葉の閉じて眠るや小夜の風 青萄
花合歓の花落つる時しづかなり 青萄
(画像提供 <森の時計と丘の風>kenさま)
応援をありがとうございます 感謝 <(_ _)> ![]()
2009年07月09日
鬼百合(青
にはたずみ鬼百合の雨ひとつ落つ

(オニユリ)
☆昨夜ちょっと「へぇ~」と思ったことなので、ここに書いておきます。
冬すでに路標にまがふ墓一基 中村草田男
について↓山本健吉氏の鑑賞文より。。です。
<「冬すでに」は、何か続く下の句を欲している句法でありながら、屈折せしめられている。何が「冬すでに」どうなったのであるか。
作者は路傍に打ち忘れられた一基の墓を示す。そのうらぶれた光景が、取りも直さず冬そのものであると示すかのようである。(中略)
「墓一基」に、「冬すでに」の言葉の持つ余韻のすべてを封じ込めるのであろう。季節の運行と一個の人間の運命とが、ここに融合する。「行て帰るの心発句也」(黒冊子)と芭蕉は言った。つまり「墓一基路標にまがふ冬来たり」では句にならないのだ。>と。
☆十人居れば、十人それぞれの鑑賞の仕方があると思いますけれども、やはり名のある評論家の方の言葉には・・それなりに説得力があるような気がしてきます。
月並調では「句にならない」といわれますと、以前「アンタの句は’できそこないのトコロテン’だ」といわれたことを思い出します。なるほど。。と思って、そのフレーズを忘れないようにしていますが・・(笑
このブログを始めるにあたっては、(毎日続けるなどの)何の決意も覚悟もなく、気まま勝手にUPしているのですが、それでも毎日どこかの(善意のたった一人の)人が’応援’してくれているのを感じますと、有り難くて嬉しくて、また次も頑張ろう~♪という気持ちにさせていただいております。どちらのどなた様なのか存じませんが、ありがとうございます(^人^)
2009年06月10日
蟻地獄(青
キングサリ(金鎖) 豆科で 別名を黄花藤(キバナフジ) ゴールデン・チェーンなどといいます
ヨーロッパ南部地方原産 明治期に渡来したようです 黄色がたいへん美しいですが↓有毒ですよ*^^*

先日、何気なくつけたTVで、とある町の過疎対策の一環らしく、そこに移住するファミリーのドキュメンタリーを見ました。
(番組は途中からしか見ていませんので)詳しいことは分りませんが、胸が塞がれるような、後味の悪いものでした。
’自然いっぱい山村留学’の流れから、町や村をあげての’歓待モード’で迎えられたまでは良いのです。が、新築物件の家を建てるのが、住み付く条件とか?
このファミリーに自己資金などありませんので、全額借り入れ。で、地域の人に「連帯保証人」を頼みました。ここで不思議なのが、自治体のサポート等があまり見えてこないことでした。
地域の善良な人は頭を下げられて、’単なる信頼関係’だけで保証人を引き受けてしまったようです。
そもそもが過疎になっているということは、そこでは人が暮らしにくいからです。素晴らしい自然に恵まれてはいても、自然を楽しむだけの余力が無いほどに、町や村はすでに疲弊しているのでしょう。
仕事が無い、自然が厳しい、不便、人的重税感。ここではリタイアした人などが、経済的に余裕があって’悠々自適の別荘生活’をされるなら、問題はないと思われます。
また、小さな地域共同体では、’個’ではなく’全体’が優先されるのは仕方のないことです。流行(はやり)の’個人情報保護法’も有名無実。
しかも過疎地域が欲しがっているのは、子供の居る若いファミリー、将来に繋がる若い世代(マンパワー)です。
危ういモデルケースにされていた家族は、仕事にも経済的にも行き詰まって、結局この場所を離れました。
後に残ったのは家の借金だけです。どうにも。。この人をただの’借金地獄’に追い込んだだけのように見えてしまいます。
何か無惨だなと思いました。過疎地の甘い誘惑に、それ以上の甘い考えで乗っかって、不安なのに引き返す勇気も持たず、自治体は「あとはそちらの問題ですよ」という態度にて・・。
先行き不安定な人に、数千万円もの家を借金で建てさせて、黙って見ている方こそ恐ろしいのではないかしら、と・・? あえて言わせてもらえば、ナニヤラ△□○×詐欺のよう。。などと思えてくるのは、私が狭量のせいでしょうか。
むろん、立派に移住されている方のほうが多いことでしょう。が、この場合は取材しているTV側と、取材される側の妙な馴れ合いや、さまざまな思惑なども見え隠れして、後味が悪いのでした。
本当に何かやりきれない気持ちで、ここに’ひとり言’を書いています。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの・・」とか。かく言う私もじつは’漂流’していて、いつかどこかに流れ着くのやら、着かないものやら、先行きが知れない有り様でございます、、、(泪)
過疎のむら罪を残せり蟻地獄 青萄


