2010年08月02日

白蓮【青

 
 
 
 
 
      菩提心持てぬ世に咲く白き蓮  青萄

 
 
 
 
 
 
 
 
 **こんばんは。今この写真俳句ブログは、どれくらいの数のブログが登録されているのかしら・・千は超えていますよね?お顔の広い鮎太さん辺りなら総数をご存知でしょうか*^^*

 **あらかじめお断りされているのなら分りますが、ブログコメントに返信されない方もよくお見かけするので、かねがねこれはどういった慣習なのか・・と不思議な違和感を覚えていました。気まぐれ的に、たまにお返事している時もあるようですけどね。

 **いきなりのあいさつ無しも・・もちろんちゃんと筋の通った方もたくさん居られますよ。普通のブログでは、何の理由もなくコメントだけを書きっぱなしにさせるなんて、余り見ないような気がしましたから・・。何か質問したいことがあっても、答えてもらえませんものね。交流の数が半端なく多い人同士お互い様、一方通行当たり前、それをここの常識とすれば万事いいんだよ、ということなのでしょうか~ (*゚e゚)=3
 
 
 
 

2010年04月21日

しどみの花【萄

 
 
 
 
 
 
         化鳥啼く しどみの森のたな曇り  青萄

                        (けちょうなくしどみのもりのたなぐもり)
 
 
 
 
 
 
 

                                          草木瓜(=しどみの花)
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
・・私がまだ若い頃のこと。或る時或る人が亡くなった。故人とはゆうに長年懇意な付き合いがあった僧侶の、意外にそっけない様子と態度にこちらが驚きうろたえたことがあった。強く印象に残っている。 

彼岸へ送る者としての冷徹さだったのだろうか。その後も気をつけて観察(?)していたが、そういう場合の僧侶たちの反応は、ほぼそのように・・であった。淡々と粛々と、といえばいえるのかもしれない。
 
 一方、高度医療が当たり前になった現場にいる医師たちは、ある程度の精神の修養さえなく、いきなり人の生き死にに関わるわけである。こちらがよぽどハードだろうと思う。次々と人の死を見送りながら、こころある医師なら、辛かったり苦しまない方がどうかしている。

亡くなった人の遺族には、「私の力が足りませんで・・」と、いちおう頭を下げなければならない。暗黙の了解で(もし)人工呼吸器を外せば、のちのち殺人罪に問われることになる可能性も。

かつてのように普通に家で自然死、が叶わない世界に私たちははまり込んでいる。どうして誰もが、最期は病院や警察のお世話にならなければいけなくなったのだろう。私がモノを知らないだけなのか、私は。。不思議で仕方がない。生老病死の中の’死’、それはもはや’自然なこと’ではありえないのか、と。
 
 
 
 
 
 

2010年02月03日

節分【青

 
 
 
 
 
 
 
 
 
       節分や嫁入るときは角隠し   青萄 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
           
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆◇今朝ほど某俳句番組のバックナンバーを見て、少々驚いたことがあって・・またつまらないことを書きます。ちなみに私はTV放送は見ておりませんでした。
 
 

 ◆◇(1/31発表で)3席になっていた句と、私が以前(1/22)にUPしていた句が似ているような気がしたのです(;^_^A  投稿の締め切り期日からいって、青萄の句が後から出たわけですが。

 
      老ひ母の指さすかなた寒オリオン   青萄

 
 ◆◇この句↑には幢舟さまの「しりとり五七五」(09/12/16)でヒントになったベースの句がありました。

 
      指を組むきみの瞳に冬銀河 (青萄) → 聖人の杖さす方や冬北斗 (幢舟)

 
 ◆◇3席に入っていた句↓

 
      銅像の指差すかなた寒北斗

 
 ◆◇微妙に似ているような気がしたのですが、句の深みが違いますわね、ごめんなさい(笑)・・このように類似句というのは、巷にどれほどあるものなのでしょう、と。私のような初心者は、若干怖気づいてきました。

 
 ◆◇どこかに月に一度、一句なりとも投稿したいと思っていたのですが、今のところブログ更新だけで力尽き、なかなかできていません。がんばらないと・・ (。-艸-)

 
   
 
 
 
 

2010年01月21日

草の絮*青

 
 
 
 
 
 
 
 
 
        飛び立つもとどまるも佳し 草の絮   青萄

 
 
 
 
 
 
 
 
 
           
 
 
(タンポポの絮↑’草の絮’は秋の季語ですけれども、今こうして在りますから仕方がありません^^;)
 
 
 
  
 
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 最近とみに40代・50代・60代の方の、突然の訃報を聞くようになりました。それだけ中堅どころが、重荷や過度のストレスを負っているということかもしれません。

今日(21日)の『クローズアップ現代』では、〔’助けて’と言えない30代〕がテーマでしたね。彼らには高いプライドがあり、自己責任・自己完結という潔い指向性があるのです。また傷つきやすく、ナイーブに育てられてきたのでしょう。

自分が30才の時はどうだっただろうか。結婚していて子供が二人、ただ残念ながら親には死なれてしまった・・今振り返れば精神的には子どものようでした。

 
     死ぬときは箸置くやうに草の花  小川軽州

 
  お気に入りの句が↑何度も頭に浮かんできました。ありがとう、もうたくさん頂きました、ごちそうさまでした、と威儀を正して静かに箸を置くように・・。また「草の花」という季語には、(目立たない好ましさや)穏やかな静謐を感じます。

この句のような心境で死に向えたらいいだろうなぁ、と思います。が、修行がぜんぜん足りません(笑)

「われ以外皆わが師」という言葉を、仕事帰りに遠い所を訪ねてくれた30才の彼ら(長男の元同級生たち)の笑顔に、しみじみ感じました。30才は30才の、既にそれぞれの’完成美’を持っているものなのだ、と。
 
 
 
 
 
  

2009年12月04日

備忘句(青

 
   

 
 
 
 
 
 
 
       猫じゃらし 誰ぞ来ぬかと待伏せり 

 
                              (NHKカシャッと一句!フォト575’秋編’入選)

 
 
 
 
 
     
 
 
 
           (土手で↑人待ち顔の猫じゃらし=金狗児;狗尾草;キンエノコロ;エノコログサ) 
 
 
 
 
 
 
 
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2009年10月12日

秋味(青

 
 
 
 
 
 
 
 
 
          秋味のにほひを連れて母帰る   青萄
 
 
 
 
 
 
 
 
       
 
 
 
 ★私は子供の頃は北海道で育ちましたので、母は近くの水産加工工場へ働きに行っていました。向うでは鮭のことを秋味と言っていましたね。大きくなるまで、アキアジがシャケとは知りませんでした。そんな母は仕事柄、魚のにおいが体にしみ付いていました・・。

★工場では燻製なども作っていました。アキアジの燻製は、本当に甘くて柔らかくて香ばしく、美味しかったです。お金持ちの人のところに売られていく高価な商品です。幾ら毎日それを扱っているにしても、とても貧乏人の口に入るわけがありません。でもたま~に、お土産でいただいて、ほんの少し食べれたことがありました。普段はオオナゴの燻製の仕事が多かったようです。これは安価でしたので、規格外のものなどは、社長が気前良く、従業員に分けてくれることもありました。それで、比較的食べる機会がありましたね。あまり好きではなかったですが( ´艸`)

★燻製の匂いのする母が、夕方仕事先の工場から、綿のように疲れて帰ってくる姿を思い出しました。私は(気が向けばですが^^)、夕ご飯を作って待っている事もありましたよ。写真↑は香りの良い金木犀の花です、’匂い’つながりですが、そういえば秋味の燻製の色にも似ていますね(笑) 華麗なキングサーモンと違って、アキアジは小ぶりで身が引き締まり、’和’の雰囲気がします。
 
 
 
 
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2009年07月24日

ねぶの花・西施(青

  

合歓の花は・・中国の絶世の美女’西施’の喩え?


合歓の花を見上げるとき、脳裏に必ず浮ぶのはこの句↓です。


 
      象潟や雨に西施がねぶの花    松尾芭蕉

         (きさがたや あめにせいしがねぶのはな)


’ねぶの花’は合歓の花の別名で、芭蕉、象潟での作。

象潟(きさがた)はかつて(江戸時代の頃までは)、松島と並ぶ奥羽での名所・景勝地でした。現在の秋田県にかほ市(旧由利郡象潟町)で、「東の松島 西の象潟」と呼ばれていたそうです。


中国の政治家・詩人・書家である蘇軾(そしょく)= 蘇東坡(そとうば)が、西湖を西施に比した詩「 湖上ニ  飲ム  初メ  晴レ  後雨フル 」と詠んだのを踏まえて、芭蕉は象潟を西施に比したというのです。


西施についてはご存知の方も多いと思いますが、以下、山本健吉氏の鑑賞文より引用↓いたします。。


西施は呉(ご)王・夫差(ふさ)に敗れた越(えつ)王・勾践(こうせん)が、中国第一の美女として夫差に献じた女で、政略から敵地へ送られた「憂悶(ゆうもん)の女」である。心(むね)を病んで、面(おもて)を顰(しか)めたさまが美しかったので、国中の女が争ってこれに倣い、「西施の顰(ひん)」という故事が生まれた。


’西施がねぶの花’は、’西施が眠り’をかけているので、それに薄幸の美女が、憂い顔になかば眼を閉じたさまを想い描いて、それを象潟の雨景に比しているのである。


この句はまず、朦朧とけぶる象潟の全景であり、その中から「暗中模索」して雨中に眠る合歓の花を点出し、さらに胸裏に西施の憂悶の姿を描き出す。


テニヲハの魔術で、’象潟’ ’雨’ ’西施’ ’合歓の花’の四つのイメージを組み合わせた、
モザイク的、技巧的な作品である。四つのイメージは、リアリティの上で、おのずから濃淡の絵様(えよう)をかたちづくっている。


      *    *    *    *    *    *


どれほどの美人であったのでしょうか、合歓の花を見ながら西施を想像してみましょう。芭蕉の句から、もう私には、このお花は西施以外ではありえないと思うほどに、西施に見えてくるのが不思議です。


一方、このような句↓も目に致しました。


     日本に小野小町や合歓の花    辰巳あした


合歓の花にわざわざ中国の美女を持って来なくても、日本にも有名な美女はいたではないかというのです。芭蕉句を念頭においての作、といわれておりますが・・。


楚々として小造りな小野小町では、華麗で派手な印象の合歓の花、イメージが重なってきません。あらためて芭蕉さんの美的感覚は、鋭くて凄かったのだなぁと感じたのでした。


当時とは様変わりしているだろう「象潟」、でも一度行ってみたい、という気持ちにさせられます。キサガタ→キサナドゥ(幻想的な場所)に語感が似ているのも、妙に気になるのでした (゚艸゚*)

           *    *    *    *    *    *

ちなみに合歓の花のお写真ですが、昨年’ブログ先輩のkenさま’よりお借りしていたものがございましたので、ご了承を得て再登場していただくことになりました。


素敵な写真のおかげで、雨の向うに俯いているような西施が、仄かに見えてくる気がします。なお、画像表示↓が非常に不安定で、別の画像に入れ替わっている時がございますので、お許しくださいませ。しばらくすると元に戻る場合があります(笑)
  


     ねぶの葉の閉じて眠るや小夜の風    青萄
 
       花合歓の花落つる時しづかなり   青萄  
   
  
  
  
 
             (画像提供 <森の時計と丘の風>kenさま)
 
 
  
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2009年07月09日

鬼百合(青

 
 
 
 
 
        にはたずみ鬼百合の雨ひとつ落つ

 
 
 
 
 
         
                                               (オニユリ)  
 
 

   ☆昨夜ちょっと「へぇ~」と思ったことなので、ここに書いておきます。

          冬すでに路標にまがふ墓一基   中村草田男

                        について↓山本健吉氏の鑑賞文より。。です。

<「冬すでに」は、何か続く下の句を欲している句法でありながら、屈折せしめられている。何が「冬すでに」どうなったのであるか。
作者は路傍に打ち忘れられた一基の墓を示す。そのうらぶれた光景が、取りも直さず冬そのものであると示すかのようである。(中略)

「墓一基」に、「冬すでに」の言葉の持つ余韻のすべてを封じ込めるのであろう。季節の運行と一個の人間の運命とが、ここに融合する。「行て帰るの心発句也」(黒冊子)と芭蕉は言った。つまり「墓一基路標にまがふ冬来たり」では句にならないのだ。>と。

☆十人居れば、十人それぞれの鑑賞の仕方があると思いますけれども、やはり名のある評論家の方の言葉には・・それなりに説得力があるような気がしてきます。
月並調では「句にならない」といわれますと、以前「アンタの句は’できそこないのトコロテン’だ」といわれたことを思い出します。なるほど。。と思って、そのフレーズを忘れないようにしていますが・・(笑

このブログを始めるにあたっては、(毎日続けるなどの)何の決意も覚悟もなく、気まま勝手にUPしているのですが、それでも毎日どこかの(善意のたった一人の)人が’応援’してくれているのを感じますと、有り難くて嬉しくて、また次も頑張ろう~♪という気持ちにさせていただいております。どちらのどなた様なのか存じませんが、ありがとうございます(^人^)

   
 
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2009年06月10日

蟻地獄(青

 

  キングサリ(金鎖) 豆科で 別名を黄花藤(キバナフジ) ゴールデン・チェーンなどといいます

ヨーロッパ南部地方原産 明治期に渡来したようです 黄色がたいへん美しいですが↓有毒ですよ*^^*

            


先日、何気なくつけたTVで、とある町の過疎対策の一環らしく、そこに移住するファミリーのドキュメンタリーを見ました。


(番組は途中からしか見ていませんので)詳しいことは分りませんが、胸が塞がれるような、後味の悪いものでした。


’自然いっぱい山村留学’の流れから、町や村をあげての’歓待モード’で迎えられたまでは良いのです。が、新築物件の家を建てるのが、住み付く条件とか?


このファミリーに自己資金などありませんので、全額借り入れ。で、地域の人に「連帯保証人」を頼みました。ここで不思議なのが、自治体のサポート等があまり見えてこないことでした。


地域の善良な人は頭を下げられて、’単なる信頼関係’だけで保証人を引き受けてしまったようです。


そもそもが過疎になっているということは、そこでは人が暮らしにくいからです。素晴らしい自然に恵まれてはいても、自然を楽しむだけの余力が無いほどに、町や村はすでに疲弊しているのでしょう。


仕事が無い、自然が厳しい、不便、人的重税感。ここではリタイアした人などが、経済的に余裕があって’悠々自適の別荘生活’をされるなら、問題はないと思われます。


また、小さな地域共同体では、’個’ではなく’全体’が優先されるのは仕方のないことです。流行(はやり)の’個人情報保護法’も有名無実。


しかも過疎地域が欲しがっているのは、子供の居る若いファミリー、将来に繋がる若い世代(マンパワー)です。


危ういモデルケースにされていた家族は、仕事にも経済的にも行き詰まって、結局この場所を離れました。

後に残ったのは家の借金だけです。どうにも。。この人をただの’借金地獄’に追い込んだだけのように見えてしまいます。


何か無惨だなと思いました。過疎地の甘い誘惑に、それ以上の甘い考えで乗っかって、不安なのに引き返す勇気も持たず、自治体は「あとはそちらの問題ですよ」という態度にて・・。


先行き不安定な人に、数千万円もの家を借金で建てさせて、黙って見ている方こそ恐ろしいのではないかしら、と・・? あえて言わせてもらえば、ナニヤラ△□○×詐欺のよう。。などと思えてくるのは、私が狭量のせいでしょうか。


むろん、立派に移住されている方のほうが多いことでしょう。が、この場合は取材しているTV側と、取材される側の妙な馴れ合いや、さまざまな思惑なども見え隠れして、後味が悪いのでした。


本当に何かやりきれない気持ちで、ここに’ひとり言’を書いています。

「ふるさとは遠きにありて思ふもの・・」とか。かく言う私もじつは’漂流’していて、いつかどこかに流れ着くのやら、着かないものやら、先行きが知れない有り様でございます、、、(泪)



     過疎のむら罪を残せり蟻地獄    青萄

    

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