2008年08月04日

夏の雲【夏・天文】

たましひの導たるべし夏の雲

たましひのしるべたるべしなつのくも
 
 これは、カテゴリ名にもした日付で撮ったものではないのですが、雲の下には秋葉原の土地があるはずです。その程度の関連はあるということでご容赦。
 『夏の雲』という、いかにも夏らしい入道雲、積乱雲を連想される季語を使いながらも実は主題は飛行機雲です。これは句の主題との結びつきの問題です。

 上5に「たましひ」とあるのは、飯田蛇笏の『たましひのたとへば秋の蛍かな』という芥川龍之介を悼んだ句の影響であるし、また、この句そのものも蛇笏の句によって導かれたものであると言えます。蛇笏ほどの詩情はございませんが(´-ω-`)句に込めるココロのありようだけは近くありたいと願っています。

2008年08月04日

驟雨【夏・天文】

白雨過ぐ四十九日の涙かな

 これも一つ前と同様、別の日付の句ですが、その日付とは七月二十七日です(´-ω-`)友人(と勝手に呼ぶ)秋葉文人どのの分まで祈りを、その場に。
 
 写真右に見えるビルの入り口前には、小さく献花の場所が取られています。写真に写っている街路樹の、根本のところに。
 カメラを構えたその場所は、トラックが停車した辺り。
 カメラを向けた先には、人波に隠れて、惨劇の舞台となったまさにその場所があります。
 
 六月八日、秋葉原で十数名の死傷者を出した無差別殺傷事件。
 
 その場所に愛着のある者としても、ただ単に一人の人間としても、忘れることの出来ない事件となりました。

 追悼の短い旅路は、ひとまず終わります。ひとまずは。

 打ち据えた血を押し流せ大夕立             錘蓮

 
※)本「吟行」はこれにて完結いたしました。

2008年08月02日

かぶとむし【夏・動物】

夢見しは風を切ること甲虫

 画面に写っている模型の中にはありませんが、世界の名車の中に『ビートル』すなわち『かぶとむし』の愛称を持つ車があります。→[世界の対岸で俳句を詠むノケモノ:カブトムシ【夏】]
 
 “彼”は車好きだったとか。
 
 なにはともあれ(´-ω-`)そういう句です。

2008年08月01日

残照【夏・天文】

残照や谷底に捨つるもののあり

 言葉の通り、そこには“なにものか”が捨てられていました。あまりの暗さゆえ、打ち捨てられたものはいずれ腐れ果ててゆくのです。その果て際に、あまりの孤独と絶望から、周囲のものを“道連れ”にしようと考えることも、分からないことではありません。谷底の暗さは俺も知っています。なぜならかつては、俺も谷底に打ち捨てられた“なにものか”であったからです。
 
 でも、残照ほどの光であっても、そこには明かりがあるのでした(´-ω-`)力強い光の残滓が見えるのでした。谷底は、無明の闇ではないのです。「暗い」ことと「真実、闇である」こととの間には、無辺の距離があるはずなのです。
 そこに気付くことが出来るや否や。
 これこそが、俺と“彼”とを分けた分水嶺だったようにも思うのです。

2008年07月31日

夏【夏・時候】

夏に鳩天にゆくのか地に棲むか

 どちらだったでしょうね( ´ω`) 願わくば“平和の象徴”として高く羽ばたいていて欲しいものです。
 俺は見届けずにその場を去りました。

2008年07月30日

片陰【夏・天文】

片陰や夢見る道を半分に

 お恥ずかしい話ですが、これは俺の完全オリジナルな句というわけではありません。よく言えば本歌取り、悪し様に言えばパクりです(´・ω・`)すんまそん。
 愛用の机上版歳時記で、写真と、句としてイメージするものに合う季語がないか探していたところ、『片陰』というぴったりな季語を発見することが出来ました。その項目の例句として掲載されていたのが、

     片陰や枯山水の半分に    マブソン・青眼
 
 というもので(´・ω・`)なんかすごい俳号ですが、確かその時調べたらWikipediaにも載ってる俳人さんでした。
 この句自体が、俺が写真にイメージしていたものとあまりにもしっくり来たため、そのまま形式を拝借しました。本歌取りにしてはあまりに似通いすぎるため、この句については俺の手柄はまったくありません。
 俺バージョンのポイントは、道「の」半分ではなく、道「を」半分、としたところです。この「を」さえ言えれば良かったともいえます( ´ω`)

2008年07月29日

昼顔【夏・植物】

昼顔や不幸の陰にまた一輪

 生命力が強い花だと聞きます。>昼顔
 日本中至る所に花を咲かせるのもその生命力ゆえ。
 この日も、けなげに花を咲かせていました。
 きっとあの日にも、咲かせていたことでしょう。
 来年にも、また咲いていることでしょう。その力強い生命でもって。

2008年07月28日

牡丹【夏・植物】

行先をいずくと問わず牡丹かな

 春に「落椿」を季語として、『行き先をいずこと問へり落椿』という句を詠みましたが、その異奏曲とでもいう句です。問うや問わざるや、というだけの違いですが、詠んだ時の当人の心性としては、大きな違いがありますね(´-ω-`)自分はここでなにをしているのだろう、“我々”は、なんという世の中に生きているのだろう。そんな自問の中で見かけたこの牡丹は、静かにたたずむだけでした。何も問うては来ませんでした。ただ黙ってそこにありました。歩き去る俺を、黙って見送ってくれました。
 静けさが、その瞬間の俺には“優しさ”だったのです。

2008年07月25日

汗ばむ【夏・時候】

汗ばむや車の通ふ万世橋

 夏の投句に回帰しましたが、しばらくは6/15日に秋葉原へ足を運んだ際の句、いくつかを続けていこうと思います。(´-ω-`) 日付に意味は……あります。そしてこの句にも。
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