2008年07月03日
Turkey10 再びイスタンブールへ
6月29日(木)晴れ
アンカラからイスタンブールまでバスで6時間。途中湖(名前忘れましたが)のほとりのレストランで昼食したり土産物を選んだりしたので、疲れは感じなかったです。

再びマルマラ海が見え、ボスポラス海峡をわたってイスタンブルの市内に入ると、不思議に懐かしい感じがしました。
イスタンブール最後の午後は1時間ほどボスポラスクルーズを楽しみ、ガラタ橋(金角湾)の近くで名物(?)さばサンドを食べて、あとは自由にエジプシャンバザールなど市内散策、歩きたくない人はバスでホテルまで送ってもらう、という企画でした。
ボスポラス大橋
宮殿の城砦
さばサンド。フランスパンに香味野菜と鯖のフィレを挟んだもの
このパンが美味しかったです。たべなれた魚、鯖の味そのものがパンの香りと不思議にマッチしていました。新しい発見でした。
2008年07月03日
Turkey9 首都アンカラへ。
6月28日(水)午後 トゥズ湖の幻影

カッパドキアからアンカラへむかう途中でトゥズ湖に寄りました。その時だけ急に空かき曇り、竜巻でもくるようなおかしな天気模様でした。
「トゥズ湖は塩の湖」、との説明に、なんのことやらわからずにいましたが、バスが止まって見に行ってわかりました。塩を掘ると水が出てくるような感じの干上がった湖。広い広い湖でしたが、向こう岸までも歩いて行けそうでした。ビニール袋にいっぱい塩を詰めてみましたが、空港で没収されるかもということで、少しだけにしました。
首都アンカラに近づくにつれやはり交通量がふえてきました。バスの窓から見えた夕焼けのアンカラの町は、ごく普通の近代都市にみえました。壁や塀に書かれた落書きも万国共通でした。


遠くの山にアンカラ城が見え、赤いトルコ国旗がはためいていました。
2008年07月02日
Turkey8 カッパドキア


まるで、なにかの意志が働いているかのような、キノコ岩の様々なかたち・・・
この奇岩地帯が見渡す限りの山となり谷となって続いているのです。


ここカッパドキアの洞窟には、古代ローマから逃れたり流れたりしてきたキリスト教徒が住み着き、教会を造り地下都市を築いたといわれています。細いトンネルでつながる地下都市の部屋はまさにありの巣を手本にしたかと思うようなすごさ、墓までありました。
上の写真中のおびただしい穴はみんな洞窟住居です。
2008年07月01日
Turkey7 コンヤからカッパドキアへ
6月27日(火)
朝8時50分コンヤ出発、メヴラーナ博物館を見学。
コンヤは、トルコでも保守的な町ということで、私たち日本人女性の半袖やスカート姿は、パムッカレでは感じなかった好奇の視線を射られました。なにしろこの暑い真夏の空の下に現地の女性はみなスカーフをしており、なかにはブブカ(黒い長衣)をまとった人もいました。
メヴラーナというのは13世紀ころのイスラム神秘主義の創始者で、メヴラーナ博物館はこの聖人の霊廟のある僧院一帯を保存し、一般公開しているところです。
メヴラーナ教は、旋舞といって、ぐるぐる回りをし、それによって神との一致に達するのだそうですが、理屈抜きの愛と赦しの感覚があるとして長く信奉されたようです。20世紀アタチュルクによって解散させられるまで、コンヤはこのメヴラーナ教の総本山だったということでした。

海外からだけでなく国内からも多くの観光客がきておりました。やはり団体客が多いようでした。
私たちは混雑の始まる10時頃にはもう、次の目的地に向けて出発していました。
2008年06月29日
Turkey6 パムッカレ・ヒエラポリス
6月26日(月)快晴
前泊したクシャダスでエーゲ海とは別れ、バスは内陸へと向かいます。パムッカレまでバスで3.5時間の旅程となっておりました。途中の峠道からローマの水道橋(名前は忘れました)が見えました。

ここでカメラ休憩、またイズミール郊外で革製品のお店に寄り、小一時間の休憩をとりました。チャイを出したり庭に大きな車輪や素焼きの壷を配するなど、一時に何百万もの買い物をさせるだけの豪華さを備えたお店のたたずまいでした。
馬車が通れそうなアプローチ

世界遺産パムッカレは、真っ白い石灰棚の丘陵が特徴となっている昔からの保養地帯です。
ここにはローマ帝国の時代からヒエラポリスという都市があって、繁栄を極めた時もあったとか。パムッカレの石灰棚の一番上の方にローマ式の円形劇場や浴場、門など都市遺跡が残っていました。


ネクロポリスという共同墓地のあともありました。また立派な博物館があり、時間があれば入りたかったです。ヒエラポリスはいつの時代にか大地震で廃墟と化した、とのことでした。
2008年06月29日
Turkey5 クシャダスにて
06年6月25日 エーゲ海の入り日、クシャダスにてここがアジアという気がしません。
やっぱりユーラシアはつながっているのですね。
私が今眺めている夕日はそのむかしも、この海を照らし、
大いなる歴史の搏動のなかで血と汗と涙を流して生き、
そして死んだ人々を照らしていたことでしょう。
そんなあまたの人々の息の音がきこえてくるようなエーゲの汀。
2008年06月29日
Turkey4 トロイ・エフェスの遺跡
06年6月25日
チャナッカレを朝8時に出発、トロイの木馬で有名なトロイ遺跡を訪れました。
トロイは紀元前3000年頃からの複層遺跡で、往時はここが港となるほどエーゲ海が進んできていて(今は見えない)交易都市として興亡を繰り返してきたそうです。
写真は、遺跡中いたるところに生い茂っていたコルクガシ(左)と、放置されたものが多い感じのする、レリーフが彫刻されている大理石のひとつ(右)。


これは道です。道幅はどこも同じで、馬車の車軸に合わせて決められていたそうです。
遺跡のすべてを見せてもらっていないと思いますが、トルコの人々にとってみれば、これらは隠す必要も余裕もない滅びしものの跡ということでしょうか。有用なものは持ち去られてしまった現場・・・あとは自然に任され、草木がその上をおおいつくしてその現場を守っているといった感じがしました。
2008年06月28日
Turkey3 ダーダネルス海峡を渡って
このダーダネルス海峡は、紀元前4世紀のころアレクサンドロス大王アジア遠征の時の激戦地として歴史に残っていまずが、それだけではなく、20世紀初頭の第1次世界大戦のときも、ドイツ側に与したオスマントルコの軍が英仏連合軍を撃退した「ガリポリの戦い」が行われた地として有名だそうです。そしてトルコ国内だけでなく各国から戦死者の家族が今でもその地を訪ねてくるという説明がありました。どうりで来る途中寄ったガソリンスタンドの売店に、戦没した兵士を悼む絵はがきや世界平和への祈りの言葉を刻んだバッジがおかれていました。

2006年6月24日 フェリーでダーダネルス海峡を渡る
ダーダネルス海峡を渡ってついた町がチャナッカレという町でした。ここで海岸の滞在型リゾートのようなコテッジホテルに分宿、夕方着いて早朝出発のこの旅にはもったいないと思いました。
2008年06月27日
Turkey2 イスタンブール市内観光
第2日目の6月24日は土曜日、晴天でした。
トルコの旅はイスタンブール市内観光から始まりました。
混み合いそうなトプカピ宮殿から行きましょうと、ガイドのアッティラさんが案内してくれました。

宮殿の中は博物館になっていて、写真でみたことのあるような様々な調度が展示されていました。中庭に出たら足下のの丸い石を指さして、それが昔の武器だったといわれたのにはびっくり。紫陽花がたくさん咲いていて、見慣れた好ましい色と姿にほっとしたのをおぼえています。

アヤソフィアとブルーモスクは人混みと物売りの間を縫いながらの観光でした。記憶が定かではありませんがブルーモスクに入ろうとしたら丁度要人の訪問が予定されているとかで、ポリスが大勢道路に立ち並んでいました。再三予定を変更して先にアヤソフィアの方に入って、キリスト教会だったころのモザイク画があらわれているところを見、それからブルーモスクに入りました。
2008年06月27日
Turkey1 モスクワの夜は更けて
2006年6月23日早朝自宅出発。
今回の旅行は安さで飛びついた乗り継ぎ便利用のトルコ半周バス旅行のツァーです。
成田を昼の12時に出たのですが、飛行機はアエロフロートロシア航空、10時間後にモスクワで下ろされてしまいました。夜のモスクワ空港はそうでなくとも暗く寂しいうえ、待合室も十分でなく、人々は床に座り込んだり階段に腰掛けたりして待っていました。
ここでイスタンブール行きを待つこと6時間。
何でも見てやろうというつもりはあったのですが、さすがに疲れてしまい高いのを承知でレストランに入りました。
ボルシチと水pet2本で約600ルーブル、日本円に換算すると3000円強になるとのことでした。

ボルシチと水2本を飲食した空港内のレストラン 06.6.23
モスクワ発23時15分(これがトルコ時間だと22時15分)で、イスタンブール到着は3時間後。夜中の1時をまわっていました(翌24日01時15分到着)。
日本時間ですと、サマータイムだったので24日午前7時15分となりますか・・・。
空港からホテルまでさらに1時間ほどバスに乗り、ホテルに着いたときは正直心臓が動悸をうち徹夜明けの状態でした。

